第十五話:帰還
早朝、俺達は馬車に乗りエリンに向かって出発した。
ようやく、長かった王都滞在が終わる。
上等な馬車を手配してもらったおかげで揺れが少なく快適だ。
俺を中心に、右隣りがアンネ、左隣がクーナだ。
この馬車は貸切なので、御者以外はいない。……これは王の配慮だろう。
「ソージ、クーナ、素敵な歌をありがとう。ソージたちと一緒に戦っているような気持ちになって、心強かったし、嬉しかったわ。あなた達のおかげで、がんばれた。こんなにいい仲間をもって、私は幸せものよ」
アンネが真面目な顔でお礼を言ってくる。
少し照れくさくなった。
「他でもない。アンネのためですからね。全力で歌いました。喜んでもらえて私も嬉しいです」
クーナは、なんでもない口調で言うが、顔が赤いし尻尾が揺れているので、俺と同じく照れているのは間違いない。
「俺も、アンネのために演奏できてよかったよ」
あの機会を与えてくれたクーナには感謝したい。
俺もアンネのために何かしたいとは思っていたのだ。
「しつこいようだけど、本当にありがとう。ごほんっ、……それはそれとして、ソージ、クーナ、婚約ってなにかしら?」
その一言で空気が凍りついた。
アンネが俺のほうを見ながら問いかけてくる。
笑顔なのに目が笑っていない。
「あっ、あれは、その、なんでもないんです! ほんと、なんでもないですから!!」
クーナが顔を真っ赤にして慌てた様子で両手をぶんぶんと振って否定する。
アンネの笑顔がより固くなる。クーナが取り乱しすぎているせいで、逆に怪しく見えるせいだ。
「その態度、怪しいわ。どういうことか、しっかりと話してもらうわよ。クーナ。いつの間にソージとそこまで仲が進展したの」
「本当に、なんにもないんですってばー」
「……これは本当に何かあったわね」
クーナがどんどんボロを出す。
俺は、見ていられずに助け舟を出すことにした。
「アンネ、本当になんでもないんだ。あの歌は、エルシエとしての贈り物だから、俺が伴奏するのに理由が必要だっただけだ。エルシエに関係ない男が伴奏するのも変だろ? でも、婚約者なら身内として扱われる」
「そうなの。一応納得できる理由だけど。ソージは事前に聞いていたの?」
アンネは、訝しげに聞いてくる。
「いや、ぜんぜん。いきなりだったから驚いた。クーナも、そうだろ?」
「えっ!? あっ、はい、そうですね。もうっ、ユキ姉様、いきなりすぎてびっくりです! もう、本当に驚きました。あはっ、あははは」
ああ、クーナは事前に知っていたんだ。
口では否定しているが、態度でわかる。
俺はそのことが嬉しかった。クーナが偽りとはいえ、俺のことを婚約者として発表することを認めたことが。
この調子で、はやく結婚したいものだ。
「なるほど、ソージは初耳で、クーナは予め知っていたわけね」
「なっ、なんでそうなるんですか!」
「その態度で、隠せていると思えるほうが驚きだわ。……そもそも、クーナが初耳なのに、あの会場で取り乱さないはずがないの。もし、あの場で初めて聞いていれば、すくなくとも、その場でクーナは歌を中断して叫んでいたわね」
「なっ、なっ、なぁ」
クーナが声にならない声をあげる。
うん、これはアンネの言うとおりだ。
「それで、本当に結婚するつもり? あの場での婚約発表。それも、エルシエの姫であるクーナのものよ。それほど、軽くないわ」
アンネが問いかけてくる。
「クーナが許してくれるなら、すぐにでも」
俺は躊躇なく答える。
もちろん、冗談なんかじゃない。本気だ。
「ちょっ、ソージくん!?」
「ソージなら、そう言うと思ったわ。それで、クーナは?」
アンネの目がまっすぐにクーナを捉えた。
「わっ、わたしは、その、そういうのはまだ早いと思います。あの場でのは、ただの方便です。本気で結婚するつもりがあったわけじゃないんです」
「そう、安心したわ。……クーナ」
「なっ、なんですか、アンネ。ちょっと怖いですよ」
クーナが茶化すように言うが、アンネは怖いぐらい真剣なままだ。
クーナの表情がこわばる。しかし……。
「なんでもないわ。女の子はもう少し素直になったほうが可愛いわよ。ソージの心がいつまでも変わらないと思っているなら、それは甘えよ。これでアドバイスはおしまい。……これ以上、敵に塩を送るのは止めておくわ」
アンネがいつもの様子に戻って、柔らかい口調になる。
するとクーナのほうも安心したのか、ほっとした表情になった。
「もう、敵ってなんですか敵って!」
頬を膨らませてクーナが突っかかる。
「もちろん、決まっているじゃないか。クーナとアンネ、どっちが俺と結ばれるかの競争をするんだから、アンネとクーナは敵同士だよ」
「ソージくんはバカですか!? なんでソージくんなんかを取り合わないといけないんですか!」
「合ってるわよ? クーナがいらないならよろこんでもらうわ。私はソージのこと好きだし」
アンネがそう言って俺に抱きついてくる。
「アンネ、男女がくっつくなんてはしたないです。はなれてください!」
「そうやって、私に嫉妬するのに、好きと認めないなんて、筋金入りね。クーナは」
「違います。これはそういうのじゃないんです」
「そもそも、私は別にソージがクーナに手を出しても許せるのだけど、クーナがそういうのを嫌うせいで競走になるの。いっそのこと、二人ともソージのお嫁さんになるのはどう?」
「アンネ、正気にもどってください!」
それが気に入らないのか、クーナは尻尾の毛を逆立たせて怒る。
いつもと変わらない光景。
しかし……。
「クーナ、大丈夫か!?」
いきなり、クーナがよろめいた。
慌てて抱きかかえるが、体が熱い。
「なんでもないです。ちょっと熱っぽくて。心配しないでください。さいきん、こうなることがたまにあるんです」
クーナの言葉には心当たりがあった。たまに熱に浮かされるようになるときがあったのだ。
だが、今回はいつもより深刻な様子だ。
「クーナ、診察する」
俺はクーナの体を視る。
魔力による霊視だ。
クーナの体に過剰な魔力が溜まっていた。その魔力がクーナを蝕んでいる。手のひらをクーナの額に押し付け、無理やりクーナの魔力を外に逃がすことを試みる。
魔力の感触がおかしい。異常なまでに密度があり粘つく。
通常の魔力を水とすると、これは粘度の高い油。
本来、魔力は少し誘導すれば、外に出て行くのに、俺の全力で押し出しても、ほとんど動かない。重い。
俺は、ほとんど全魔力を使用して、ほんの少しだが、クーナの体に溜まった魔力を逃がした。
クーナの表情が、少しやわらかくなる。
「ソージくん、ありがとうございます。少し、楽になりました」
俺は、この原因を考える。
「たぶん、俺のせいだ。今までのクーナは魔力回路が壊れていて、魔力が自然に漏れていたし、ロスが大きくて勝手に目減りしていたんだ。……でも、今のクーナは自分が産み出した魔力すべてが循環してる。クーナは自分の産み出す魔力量になれていない……それに、これは今の段階では詳しくないが、過剰魔力が変質して、状況を悪化させているんだ」
クーナの魔力生産量は常人の数倍ある。
その過剰な魔力が彼女を消耗させている。それは間違いなくある。
『だが、それだけじゃない」
クーナを不安にさせないためにあえて言わなかったが、それでも説明がつかないほどの魔力量だし、原因不明の魔力の変質まである。
……いったいクーナに何が起きてる?
そのとき、俺の中にとある仮説が浮かんだ。
クーナの魔力回路を壊したのはシリルで、意図的に魔力を浪費させることで、こうなることを防いでいたのではないか?
「あやまらないで、ください。ソージくん。それなら私の問題です。自分の魔力ぐらい調整できるようにならないと」
クーナが申し訳なさそうにいって、胸が痛んだ。
なんとしてでも、クーナを治してやりたい。魔力回路の状態を確認し、最適化すると共に、今以上の魔力操作の仕方を身につけさせないと。
「いつからだ。この状態は」
「……実は一週間前からです。でも、ここまでひどくなったのは初めて」
「気付いてやれなくて悪かった。帰ったら、鍼治療をしよう。それで少しはマシに出来る。俺の全力でクーナを癒やす」
「ごめんなさい。また、ソージくんに面倒をかけちゃいます」
俺はクーナを強く抱きしめる。少しでも彼女の不安が消えるように。
魔術回路の完治が終わってから、クーナの体を診なかったのがここで仇になるとは思わなかった。
帰ったらすぐにでも、鍼治療を行おう。それで状況は改善するはずだ。




