プロローグ:エルシエにて
一人のエルフの男が、一月半ぶりに自国に戻ってきた。実年齢は四十半ばだが、エルフや火狐と言った一部の種族に見られる老いにくいという特性から二十代後半ぐらいにしか見えない。
彼は海を越えた先にある国へ、とある事情があって長期滞在していた。本来なら末娘も連れて行くはずだったが、”彼の想定通りに家出した”ことから、長男と少数の部下を伴って向かっていた。
故郷について彼は、まっすぐに自らの家に向かう。
「あっ、シリル。おかえり」
「シリルくん、おかえりなさい。予定通りの日時ですね。今日はご馳走を用意しているから楽しみにしていてください」
「ただいま。ルシエ、クウ」
その男を、エルフの美女と、火狐の美女が出迎える。二人共、エルフの男……シリルの嫁で彼と同い年だ。シリルと同じように種族の特性のおかげで若く見える。
ここにはシリルの三人の妻のうち二人が居た。
「エルシエに変わりはなかったか」
エルフの男……シリルが二人の美女に問いかける。
この国はエルフと火狐を中心に多数の種族が集まる国エルシエ。
小国ながらも、圧倒的な技術力と、軍事力をもっている。
おかげで、他国から不可侵とされている国だ。
かつて、世界最強と言われていた帝国が、エルシエに手を出し、滅んでいる。
そして、シリル自身が個人として別格だ。世界で唯一のランク6。さらに地下迷宮を作った男。この世界ではある意味神のように崇められ、……恐れられている。
「うーん、とくに変わったところはないよ。家出娘のクーナが戻ってこないぐらいかな」
「ですね。二週間もすれば泣いて戻ってくると思っていましたが、意外にねばります。あの子兄妹の中で一番、泣き虫だけど頑固なんですよね」
娘が帰ってこないというのに、二人の声色にはあまり心配した様子がない。
その理由は、クーナの実力を知っているから。そして、シリルがエルシエを出発する前に、大丈夫だと言った言葉への信頼。
「あの子はしばらく帰ってこないよ。……ここに戻ってくるのはもうしばらく後かな」
シリルは、まるで未来を知っているかのようにつぶやく。
「だといいです。……ただ、あの子は強いし、頭もいいんですが、ちょっと抜けたところがあるので、悪い人にだまされないか。それだけが心配です」
狐耳の美女……クウが、ぼそりとつぶやく。
クーナという少女は、わりとうっかり屋なところがある。誰かが側にいないと怖いのだ。
「クウの心配はわかるよ。実際、”そうなってしまった可能性”も幾つかあった。だけど、今回は大丈夫。クーナを守ろうとする仲間が側にいるから。しっかりものみたいだから任せられる」
「一ヶ月以上、海の向うに居たのに、ずいぶんと自信ありげですね」
「俺は俺で、娘のことを心配しているし、いろいろと手を打ってる。このままエルシエに居るよりずっと、多くのものをあの子は得られるはずだ。そのために、尻を叩いたんだし。外の世界で、強くなってもらわないと困る」
「婚約の話、クーナに家出をさせるためだったんですか」
「いや、あれはあれで本気。もし、あの子が許してくれるなら、遠い地で幸せになって欲しかった。マナが活性化しているこの大陸に居ること自体があの子にとって毒だよ。あの子は、才能がありすぎる。まだ幼いときの暴発ですら、イラクサ全員で止めに行ったのに、けが人多数で俺も半殺しにされた。あの件以来、魔力回路を七割近く機能不全にさせたのに、それでもランク1でクーナに勝てる奴は、エルシエに存在しなかった。この大陸に居る限り、またあれは起こる。そのとき、クーナのランクがあがっていたらと思うと、寒気がする。今のままじゃ、いつかクーナは自分の才能に潰される」
シリルは苦笑してから、席につき、いつのまにかエルフの美女が用意したお茶を啜った。
「ちょっと待って下さい。シリルくん。クーナの家出先って、封印都市エリンですよね。いまどんどん、ランクをあげてるんじゃないですか!」
「そうだよ」
「ランクがあがって、あれが来たら、誰も止められないですよ。いくら魔術回路が不調だからって、それぐらいで」
「言っただろう。今のクーナには仲間が居るって、きっとクーナを導いてくれる」
クウの慌てる声にのほほんとした様子でシリルは返事をする。
「でも、シリルくんでも出来ないことを……」
「俺に出来ないことが出来るから呼んだんだ。それにね。クーナの才能がいつか必要なときが来るよ【破滅】はすぐそこだ。ランク6相当の力の持ち主が俺一人だと足りない。あと三人は欲しいかな……クーナが海の向こうへ行く道を拒んだ瞬間、クーナも、その仲間も戦力に数えているんだ。ランク6は努力だけじゃどうにもならない。選ばれた人間しかなれないからね」
「本当に大丈夫なんですか?」
「大丈夫。夫と娘を信じてくれ」
「……まったくシリルくんは」
シリルと、クウは笑い合う。それだけで伝わるほど、彼らは同じ時間を過ごしている。
そんなとき、来客が現れたシリルの家の扉を乱暴に叩く。
シリルは扉を開く。
「ちーす。シリル。可愛い可愛い、ユウリちゃんが遊びに来たよ」
そこに居たのは茶色のボブカットに、翡翠色の眼を輝かせた十代後半の少女だった。
背は低く、顔つきは可愛いが少し生意気そうだった。
「……久しぶりだね。ユウリって名乗るし、容姿が変わっているから、一瞬、誰かわからなかった。そうか、今はそういう姿で、そういう名前を名乗っているのか」
「まあね。前の名前は有名すぎるから変えちゃった」
「確かにな……それにしても、それ封印都市エリンの騎士学校の制服だろう。年齢的に無理がないか? おまえの年齢は」
「おっと、それ以上は言っちゃいけない。乙女に向かってなんて失礼な。そんなこと言うと、君の大事なクーナちゃんのこと何も教えてあげないぞ」
ユウリがそう言うと、シリルは降参とばかりに両手をあげる。
彼だって、クーナのことは知りたいのだ。たとえ未来を知っていても、生の情報は仕入れておきたい。
「はいはい、可愛い。可愛い。可愛いから教えてくれ」
「……その言い方気になるなー。まあ、いっか。クーナちゃんは元気だよ。というか、あの子、あたしに気づかないよ。おしめを代えてあげたこともあるのに」
「いや、同じ学校の先輩を、前のおまえと結びつけるのは無理があると思うよ」
「それもそっか」
ユウリはにこやかに笑う。
「シリルに頼まれたとおり、強引に、がんがん追い込んでランクを上げるようにしてるけどね。あの子たち見込みあるよ。殺すつもりで追い込んでるのに、ちゃんと乗り越えてる」
「俺の娘だからな」
「はいはい。親ばか、親ばか。で、無事一月以内にランク2にあがったよ。このペースだと間に合うね。さーて、次はどうやって追い込もうかな」
「随分楽しそうだな」
「まあね、クーナちゃんは可愛いし、ソージっていう子はからかって楽しいし、アンネっていう子の一途さは応援してあげたくなる。いいパーティだよ。……それこそ、壊してやりたくなるぐらいに」
ユウリの顔が一瞬だけ邪気に満ちた。
これはこの少女が本気で新しいおもちゃを見つけたときの顔だと気がつきシリルは苦笑する。
「それぐらいでいいさ。なにせ、相手は、偽りの世界とはいえ、クーナのために、俺に喧嘩を売った男だ。奴は俺に【世界を滅ぼした破滅の銀龍】を使わせて、なおかつ生き延びた。そう簡単にはくたばらないと思うよ。あの神様に付き合って、全ての可能性を経験したけど、俺が殺せなかったのはあいつだけだよ」
「うげっ、シリルのあれで殺せないの? ランク6相当の魔術強度を考慮しても異常だね。あはは、面白い。そりゃ、ランク1でほいほい、ランク2を倒すわけだ。そっか、クーナちゃんへの縁だけで決めたわけじゃないんだ」
何がおかしいのか、ユウリは笑い転げる。
「でもさ、おかしいよね。どんな状況でも、クーナを守る人間を呼んだはずなのに、君は偽りの世界で対峙したことがある。君さ、偽りの世界とはいえ、娘と敵対したんだ」
「……俺は必要ならやるさ。娘のために命をかけられるかどうかを見るのはそれが一番はやい」
「まったく、そういうところは変わらないね。あと、おみやげ。古い知り合いから預かってきたんだ」
そう言うなり、ユウリは背中に背負っていたカバンから、一通の手紙を出す。
そこには、コリーネ王国の印が押されていた。
シリルは、手紙の封を切る。
「なるほど、クヴァル・ベステの帯剣式への招待状か。……行こうか」
「へえ、珍しい。こういうのってあまり興味が無いと思っていたけど」
「久しぶりに、クヴァル・ベステを見たいっていう気持ちはある。あれはクイーロが作った剣だ。それに、一度会ってみたいからね。クーナと一緒に居る男に。本当の世界で会うのは初めてだし」
シリルが微笑む。ただ、それだけなのに妙な迫力があった。
ルシエ、クウ、ユウリの三人が震えている。
そして、ルシエとクウが小声で話し始める
「ねえ、ルシエ。シリルくん、ちょっと怖くないですか?」
「基本、シリルって親ばかだし。ほら、ルーシェがお嫁に行くときもすごかったじゃない」
「ああ、あのときはすごかったですね。大丈夫かな、クーナのお友達の男の子。シリルくんってクーナを一番かわいがっていましたし」
「クーナのほうもかなりのファザコンだったしね。シリルが可愛がるのもわかる気がする。……大丈夫じゃないかも。そこは、クーナの彼氏を信じようよ。とりあえず、シリルがその人を殺さないことを祈っておこう」
シリルの嫁二人は、情熱を燃やすシリルを見ながら、親ばかなシリルがやり過ぎないことを祈っていた。
今日から、新章開幕です
二章で明かせなかったアンネの父親の真相と、そしてクーナの秘密を解き明かす章となります




