第二十三話:絶望の罠
地下迷宮の中だというのに、偽物の月明かりが素振りをするアンネを照らしていた。
アンネはテントから抜け出し一人鍛錬をしていたのだ。
俺は彼女をそっと見守り、休憩に入ったタイミングで声をかける。
「アンネ、せいが出るね」
「ソージ……私には時間がないわ。少しでも強くなりたいの」
アンネの声にはどこか焦りがあった。
今回の遠征も終盤に入っていた。明日には地上を目指さないといけない。
地下七階に踏み込んだ今回の狩りは、いつもより成果は多かったがランク2に至ることが出来ていない。
時間がない。もう少し時間があれば【格】が体に馴染みはじめてくるのに。
大量の魔石によってあげられた【格】は、通常なら時間をかけて慣らしていき、やがて自然と【器】を大きくする。
それを早めるための方法は【格】のさらなる過剰投入をする。もしくは、命をかけた極限まで追い込み、本能と理性の双方に力を渇望させ強引に慣らすという方法しかない。
俺はいまだかつてアンネが心の底から死ぬかもしれないと思うような戦闘を経験させることができていない。
……もしかしたら過保護すぎたのかもしれない。
「ソージ、そんな申し訳無さそうな顔をしないで」
アンネは優しげな微笑を浮かべた。
「ソージが居たからここまで強くなれた。見てソージ」
アンネは一度深呼吸してから剣を正眼に構える。
そして一歩前に踏み出しつつの袈裟斬り。
「これが、ソージが種を撒いて私の中に芽吹いた剣。やっと、少しだけ満足できるようになってきたの」
アンネは鞘に剣を収めながら俺に言う。
「いい剣だ。それは紛れも無くアンネの剣だよ」
その剣は、オークレール剣の匂いを残しつつ、どこか俺の剣に似た……でも、そのどちらとも違うアンネだけの剣だった。
ようやく形になった彼女のためだけに最適化されたアンネロッタ・オークレールの剣。まだ未熟だし、引き出しの数が足りない。それでも美しく柔らかで、かつ鋭さを感じさせる剣。
たった二ヶ月で形に出来たのは、長い年月の中でアンネが積み上げてきたものがあったからだ。そして何よりアンネが俺を心のそこから信じてくれたこと。
アンネの師匠としてそのことがとても誇らしい。
「ねえ、アンネ。もう一度剣を振ってはくれないだろうか?」
「ええ、いいわよ」
もう一度、アンネは剣を振るった。
俺は笑みを深める。そう、クヴァル・ベステが少しだが彼女に応えはじめていた。
クヴァル・ベステが求めるのは、剣の腕でも、ランクの高さでもない。もっと別のもの。それをアンネが身につけつつある。いずれ、クヴァル・ベステが彼女を認めれば、彼女の強さはもう一つ上の段階にあがる。それこそ、俺やクーナに並び立てるぐらいに。……だが、それも時間が足りない。クラネルとの決闘には間に合わないだろう。
「ありがとう。弟子が想像以上に成長してくれて師匠として鼻が高いよ。それだけに、時間がないのが悔しい」
「ソージ、そんな顔をしないで、私にはお父様が鍛えてくれて、ソージが導いてくれた剣がある。例えランク1のままでも負けないわ」
それは精一杯のアンネの強がりだった。
本当は彼女だってランク差を覆すことが不可能だとわかっている。
俺はなんとしてでも、俺を信じてくれたアンネに報いたい。
勝算をもたせて、決闘に送り出してやりたい。
そのためには、やはりランク2にすることが必要だ。そのための命がけの戦い。実際、そんな戦闘をするだけなら可能なのだ。例えば地下十階に潜ればいい。
問題は、命がけの戦いをしないといけない魔物がそこには山程居ること。
一匹と戦っている間に、別の魔物が現れればそれだけで終わってしまう。なんとか、一匹だけを釣りだす方法はあるが、それでもリスクはつきまとう。
そのリスクを負ってでも行くべきではないのか?
「ソージ、まだ怖い顔してる。そろそろテントに戻りましょう。明日も朝が早いわ」
「……だね。明日もがんばろう」
「もちろんよ。今回の遠征の最終日、悔いが残らないようにするわ」
アンネと二人並んでテントに向かって歩く。
俺はほとんど無意識に彼女の手を握った。
アンネが驚いた顔をする。そして、微笑んでから俺に体重を預けてきた。
そんなアンネを守りたい。俺は、強くそう思った。
◇
最終日、日が暮れる前に帰らないといけないという制限もあり、地下六階の入り口付近で狩りをしている。
午前中に切り上げれば、ランク1の最上位にまで至って、移動速度とスタミナが上昇した俺たちなら地上まで戻れるだろう。
「ソージくん、クラネルって人、地下六階を通るときによく会いますが、徹底して私達を無視してきて逆に怖いです」
俺達は地下四階を野営の拠点にしていたので、地下六階は毎日通過するのだが、よくクラネルのパーティとすれ違った。
クーナの言うとおり、彼らは三日前からもくもくと地下六階で狩りをし続けていた。
「怪しい動きがないかは注意しているよ。今のところは白かな」
俺は奴らとすれ違った際に、なにか仕掛けてくることも警戒し地上に戻ろうとも考えた。しかし、今は一秒でも時間が惜しい状況でそれは断念せざるを得なかったのだ。
仕方なく、警戒するにとどめている。
今のところ、奴らが罠をしかけた形跡もない。
「向こうが手を出してこない限りは無視しよう」
「わかりました。ソージくん」
俺の言葉にアンネとクーナが頷く。
そして、俺達も狩りをはじめる。
「それにしても、クラネルの奴、随分と新しい剣に慣れている様子だ」
「そうね。まだ病み上がりのはずなのに、まるで十年来の相棒みたい」
剣の話題になり、アンネが身を乗り出してくる。
クラネルは新たな剣を使いこなしていた。というより、剣にクラネルが使われているとすら思えるほどの剣さばき。
俺はクラネルの剣を見る。魔術的な要素が一切感じられない鉄の剣。装飾もなく、装飾を好むクラネルの趣味ではないはずだ。
なんの変哲もない剣だが、理性ではなく直感の部分が警鐘を流す。
「なんだ、これは?」
そして、おかしなことに気づいた。
俺は地下六階で狩りをするために瘴気の流れを読んだが。どうも瘴気の流れがおかしい。
瘴気は基本的には最下層のエルナ集積装置に向かって流れていく。しかし、エルナが地下六階から七階に流れていない。
それどころか、逆流している。
その流れは、クラネルの剣に向かっていた。そして、クラネルが魔物を倒した瞬間、発散するはずの瘴気がクラネルの剣に吸い込まれた。
まずい!
「アンネ、クーナ。今すぐ狩りを切り上げて地上に戻る。奴らが仕掛けてきている。こちらが異変に気づいたことを気取らせるな」
二人に小声で指示を出す。
アンネもクーナも、俺の言うことを聞き何気ないふうを装って地上に向かう。
迂闊だった。魔術的な警戒はしていた。だが、瘴気は警戒できていなかった。
いや、違う、地下六階から、地下七階に向かうときにも俺は”エルナ詠み”を使っていた。その際にこの違和感はなかった。
クラネルたちは、俺がこの階層で【エルナ詠み】を使っている間は瘴気の収集をやめていたことになる。
なら、クラネルは俺が瘴気を感知できることを知っていることになる。誰かが入れ知恵をしている。
そして、隠すことを止めたということは……
クラネルのほうを見る、にやりと奴が笑った。
「クーナ、アンネ、走れ。もう取り繕う必要もない。奴らは今から行動にうつすつもりだ!!」
そう、隠す必要がなくなったに他ならない。
クラネルたちはもともと、俺たちより地下五階への入り口に近いところ居る。彼らは入り口に向かって走りだし、たどりつくと剣を地面に向かって投げ捨てた。
深々と突き刺さった剣。
その剣は表面にヒビが入り、崩れていく。そして、鉄に隠されていた白い刀身が顕になる。
それは、アンネのクヴァル・ベステによく似ていた。それもそのはずだ、似たような能力を持っているのだから。
「クーナ、アンネ、急げ、暴動が来る!」
二人の顔が真っ青になり、足を早めた。
暴動。
それは何かしらの理由で特定の階層に超高濃度の瘴気が一気に流れ込むことで発生する魔物の大量発生。極稀に瘴気の流れが淀み、たまりにたまった瘴気が爆発することがあり、大抵はそれが引き金になる。
クラネルたちは剣に溜めた瘴気を一気に開放するつもりだろう。
信じられないことに、クラネルたちのパーティの剣は、小型エルナ集積装置というべきもので、エルナを吸収し続けていたのだ。
そんなものが、一気に解放されればおそらく暴動が発生することになる。
「なん、だと、そんなことができるのか!?」
剣から瘴気が一気にあふれだす。それだけではない、瘴気の開放の仕方が異常なのだ。地下を意思をもっているかのように這いまわりながら、淀み燻っていた瘴気を刺激しながら広がり、そして一箇所にまた集める。
意図的に、暴徒を起こすためにもっとも効率的な瘴気の流れだ。
ここまで、自由自在に瘴気を操れるのは、俺の知る限り地下迷宮を作った大魔導師シリルぐらいしかいない。
これだけの瘴気で暴動なんて起きたら、俺ですら対応できない。
「二人共、全力で走れ、もうすぐ入り口にたどりつく!!」
俺は二人を励ます。
大量発生した何割かの魔物は上層に向かうだろうが、ここに居るより数段安全だ。
先に入り口にたどり着いていたクラネルが、五階への入り口を目指す俺たちを振り返り、卑屈で、愉悦に満ちた笑みを浮かべる。
「お前らはそこで死ね! アハッ、アハハハハッハハハハ!!」
高笑いしながら、天井に向けて手を伸ばし、爆発系の魔術を使用する。
天井が崩落する。
入り口が完全に塞がれ、クラネルが見えなくなった。
そして、背中に強烈な瘴気の気配。
暴徒の常である無数の魔物の発生ではなく、ただ1体の魔物を産み出す瘴気の動き。ただし、1体に力が集中した分、途轍もなく凶悪な魔物が産まれるのは間違いない。
そう、あの剣はそこまで瘴気をコントロールしたのだ。
笑えてくる。そんなものを作れるあの剣の鍛冶師に嫉妬してしまいそうだ。
産まれてくるのは、地下四階で見た、イノシシの異常個体の数倍の瘴気量を誇る正真正銘の化け物になることは間違いない。
「なっ、なんですか、あれは」
「怖い。ふっ、震えがとまらないわ」
本来、瘴気を知覚できない二人ですら、あまりの濃度に本能的な恐怖を感じている。
そして、ついに実体化した。
三メートルを超す巨体。
生物でありながら、鋭角的なフォルム。
二本足でたち、手は短く、異常発達した顎。鈍い灰色の爬虫類じみた肌。
そして、禍々しい金色の蛇の眼。
そう、あれは恐竜の王者、ティラノザウルスそのものだった。
俺は、やつを視る。その強さは、ランク2の中位。魔物のランク2中位は、人間のランク3にも匹敵する。
「GYUAAAAAAAAAAAAAAAAA」
奴が咆哮した。
そして、こちらを睨みつける。
その瞬間、確信した。
俺たちは、奴には勝てないと……




