第二十一話:暗躍
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「くそっ! くそっ! くそっ」
病室のベッドの中でクラネルは叫んでいた。
負けた。自分は完膚無きまでに負けた。
アンネロッタの師匠だというソージという男に負けてしまった。
加護を全て失った後に肋骨を折られたせいで、肋骨は癒えず、痛みを訴え続ける。
声を発するたびに激痛が走る。
それでも叫ばずにはいられなかった。そうでないと狂ってしまう。
「なんでだよ!? なんで僕は、いつも、大事なところで」
幼い頃、御前試合ではフェイラーテ家の期待を一心に背負っていたにもかかわらず、二歳も年下のアンネロッタに負けた。
今度の戦いだって、絶対負けてはいけなかったはずなのに、平民のランク1に負けた。フェイラーテの名にまた泥を塗った。今頃、父上のところに自分の無様な敗北が知らされているだろう。
「フェイラーテに泥を塗ったことより、アンネロッタのことのほうが、ショックな自分に驚く。あは、あはははははは、僕は、僕は、アンネロッタを、”アンネ”のことが好きだったのか」
フェイラーテの名前に泥を塗った。”そんなことより”アンネロッタが手に入らなかったことに落胆している自分が居る。
観客席のアンネロッタが、あの平民を見る目で気がついてしまったのだ。
あれは、師匠に向ける尊敬の目ではない。いや、それもある。だが、同時に恋する女の目だった。
その目をみたとき、まるで世界の終わりのようなショックを受けた。自分はアンネロッタにそんな目を向けられる、あの平民に嫉妬した。
そして気がついた。自分はアンネロッタが憎い。だが、それ以上に彼女のことが好きだった。誰にも渡したくない。だから、勝たなければ、勝って奪わないといけなかったのに。無様に負けた。
言い訳ならいくらでも言える。でも、結果はどうしたって変わらない。
「このままじゃ、また、アンネロッタにまで負けるかもしれない。そうなったら、本当に終わる」
一ヶ月はほぼ寝たきり。
加護で治らない以上、自力でリハビリをしないといけない。全盛期の筋力と、勘を取り戻し、新調した剣の慣らしをする。そんなことができるわけがない。
そもそも、自分がなぜ敗れたのかがわからない。最後の一撃、あれをアンネロッタが使えない保証がない。あの得体のしれない男が二ヶ月も一緒に居るのだ。アンネロッタがどれだけ強くなるのか想像もつかない。
怖い、怖い、怖い。
負ける。また、負ける。また負けたら、僕はどうなるんだ?
王都で、アンネロッタに負ければフェイラーテの名誉は地に落ちる。所詮フェイラーテは、オークレールには勝てないと誰もが言う。
そして、なにより。アンネロッタとのつながりが完全に消える。自分とアンネロッタをつなぐものがなくなる。勝って、クヴァル・ベステさえ手に入れれば、それが一生消えない絆になるのに。
勝ちたい。どんな手を使っても勝ちたい。
「うっわぁ、すごい荒れよう。やあ、少年。命の恩人が見舞いに来たよ。ああ、疑ってるなぁ? たしかにソージくんは殺しはしなかっただろうけど、僕が助けないと、右手を切り落とされて剣士の君は死んでたんだよ」
茶髪の少女がベッドの横に立っていた。
背筋が凍る。
激高していたとはいえ、自分は一流の剣士だ。その自分が真横に立たれるまで気付かなかった?
「なに、鳩が豆鉄砲くらったような顔をしちゃってさ。こうやって、あたしみたいな美少女がお見舞いにきたのに、その反応はないわー。ショックだわー」
くすくすくすと少女が笑う。
その仕草がまるで獲物を前にした、猫のようで警戒心がより高まる。
「あれ、だんまり? うわあ、君本当に小心者なんだね」
「……おまえは誰だ?」
「あたしは、君の先輩。二年のユウリ。はじめましてかな? 今日は君にいい話をもってきてあげたんだ」
「……いい話?」
信じられないほどの胡散臭さだ。適当に追い払おう。
「おい、リンガ! ハナマ!」
自身の護衛であり、地下迷宮での狩りを支援する、フェイラーテ家の精鋭の名を呼ぶ。二人ともランク3だ。こんな少女、簡単に追い払ってくれるだろう。
「ああ、ごめん。彼らは来ないよ。二人っきりで話したかったから、ちょっと眠ってもらった」
「なっ!?」
目の前の少女を注視する。しかし、どう見てもランク1。あの二人をどうにかできるとは思えなかった。
「この色の瞳をしているうちは、ランク1だからいくら見ても無駄だよ。それよりさ、いい話聞きたいでしょ? そっちの話させてよ。君、勝ちたいんだろう。あたしが勝たせてあげる」
「勝ちたい。だけど、僕は、おまえの力なんていらない。僕の力で勝つ」
「おっかしいな。君は、『勝ちたい。どんな手を使ってでも勝ちたい』。そう叫んだはずなんだけど。心のなかで」
「「なぜ、それを」」
クラネルは絶句する。自分のセリフを完璧なタイミングで目の前の少女はかぶせてきた。
「それでも、お前みたいな奴の力は必要ない。手段を選ばなければどうとでもなる」
「ふぅん、君ってさ、もしかして、フェイラーテ家の親衛隊の連中。ランク3の彼らを使って、地下迷宮で闇討ちでもしようとか考えてない?」
「な、ん、で、それ、を」
少女が口にしたのは最後の最後の手段。
フェイラーテが誇る、最精鋭。ランク3の使い手を三人ほど使い、治外法権の地下迷宮で、あの平民を屠る。そうすれば確実に勝てると考えていたのだ。
「君、監視ついてるよ。多分、陛下の差金だね。あの人、直接の支援は立場上できないけど、決闘の不正を防ぐぐらいのことは考えているよ。君も君の取り巻きも、顔が割れていて見張りがついてる。もし、闇討ちなんてしようとした日には、大義名分を得たと喜んで、いろいろとしてくるだろうね」
王と、オークレール公爵は仲がよく、アンネロッタを娘のように思っていることは、上級貴族の中では常識だ。オークレール公爵が処刑されたとしても、それは変わらない。
舐めていた。王がアンネロッタと自分との決闘を認めたのは、アンネロッタに勝算があったからだ。その勝算こそが、あの平民。公の場での決闘で勝負が付いてしまえば、以後、クヴァル・ベステに手が届かなくなる。だからこそ、王は決闘を了承したのだ。
「それなら、僕が決闘で勝てばいいだけだ。なんとしても決闘までに体調を整える。そうすれば勝てる。勝てるはずだ」
さきほどまで不安に思っていたが、よくよく考えるとなんのことはない。
今回の戦いで向こうの切り札は見えた。なら、それを想定していれば対応ができるはず。そもそも自分とアンネロッタでは地力がまったく違う。負けるはずがない。
あの男はランク1上位だったが、アンネロッタは入学時点でランクをまったくあげてないと聞く。いかにあの男が異常でもせいぜいランク1中位程度が関の山だろう。
「ふうん、そっか。君、”負けるかもしれない”ぐらいにしか危機感がないんだ」
少女は腹を抱えて笑う。よほどおかしいのか涙目になっている。
「何がおかしい!」
「いや、あまりに滑稽だと思ってさ。あたしは、少し人より不思議な力をもっているんだ。そのあたしが教えてあげるよ。君はこのままだと、確実にアンネロッタに負ける。次の戦いまでにアンネロッタはランク2に到達するし、剣の技量はソージの教えで君を越える。リハビリ明けの君じゃお話にならない」
「そんなことありえるわけがない!」
「ありえるんだよ。実際に、アンネロッタは、地下迷宮に潜ってたった四日で、ゼロからランク1上位になった。ソージの力でね。そんなことができる連中が、どうして、二ヶ月もあってランク2になれないって思うんだい? 剣技だって一緒さ。ソージは人に教えることについては天才だよ。アンネロッタはどんどん強くなってる。怖いぐらいの成長速度だ。もちろん、彼女自身の才能もあるけどね」
普段なら、ありえないと鼻で笑う内容。
だが、クラネルは笑えなかった。あのソージという男を知ってしまったから。
ランク1上位になるのに四日。ありえなすぎて笑えてくる。自分は騎士学校に入学する前からダンジョンに潜り、ランク1上位になるのに一年以上かかった。
「僕は、僕は負けるのか」
口に出した途端、それが不安ではなく確信に変わる。
「うん、確実にね。それで、その先どうなるかを教えてあげよう。君という脅威で弱っていたアンネロッタちゃん。当然、助けてくれたソージくんに、ぞっこん。身も心もささげちゃいますぅ。きゃぁ、えっち! いわゆる、君はかませ。ソージという主人公が活躍するための踏み台にすぎないんだよ」
「僕の、僕の”アンネ”が汚される」
全身が凍りつく。足元ががらがらと崩れ落ちる。頭の中に裸のアンネを後ろから抱きしめて薄ら笑いを浮かべる、あの平民の姿が浮かんだ。
「ねえ、君はそれでいいの?」
その言葉は悪魔のささやきだった。これを受け入れたら破滅すると言うのが直感でわかった。
それでも、自分は止まれない。
「そんなの許せるわけがない。許せるわけないんだ。だって、”アンネ”は僕のだ!」
誰にもやらない。ずっと、アンネは僕だけのアンネじゃないと駄目だ。
「だよね。なら、君にプレゼント。さあ、受け取って。動ける状態になったら、”これ”をもって、ソージたちと同じ階層で狩りをすればいい。それだけなら、監視も動かないさ。あとは勝手に、死んでくれる。人為的な災害を起こすおもちゃなんだ。暴動。聞いたことがあるだろう? 君は巻き込まれないように注意しなよ」
少女は笑いながら禍々しい黒い玉を渡してくる。
「これさえ、あれば、僕のアンネを守れる」
「うん、守れるよ。悪い魔法使いから、お姫様を取り戻そう。これで今日から君が主人公だ」
黒い玉を受け取った瞬間、どくんと鼓動が大きくなった。
それはひどく甘美な感覚だった。
少女は、クラネルを見て、笑いながら言葉を続けた。
けして、クラネルに聞こえないような小声で。
「クラネル、君は確かに主人公だ。滑稽な喜劇のね。うーん、これで難易度調整はよくなるかな。今まで、あまりにぬるかったからね。さあ、ソージ、これで君は、いや君たちはまた強くなってくれるかな」
クラネルは、しばらくしてから、顔を上げる。そこにはもう誰も居なかった。




