第十九話:さらなる高みへ
教室の中で授業を聞き流しながら、俺はアンネとクラネルの決闘のことを考える。
一つの山場を超えたが、今のままで戦えば、アンネがまず負けるという状況は変わらない。決闘の後にアンネの稽古をつけながら、クラネルとアンネの技量を比べていたが、俺の焦燥は強くなった。もう少し手を広げないといけないかもしれない。
「ソージ、考え事か。天才と呼ばれる君にとって、私の授業は退屈かね」
魔術理論を教える初老の教官が不機嫌な顔をして俺に話しかけてくる。
基本的な授業は、女性のナキータ教官が教えてくれるが、専門的なものになると、こうして別の教官がつく。
魔術理論は、この初老のフォズ教官が教えてくれる。
退屈かと聞かれれば、退屈と言わざるをえない。
なにせ、俺にとっては間違いだらけで幼稚で古臭いものでしかない。
「そんなことはありませんよ。ちゃんと聞いています」
当然、退屈なんて言えるわけもなく、にこやかに笑う。
それにしても、失敗した。いつもの俺なら聞いているふりぐらいはしたのに。教官に指摘されるぐらいに上の空だったとは。
自分の想像以上にアンネのことが気になっているらしい。
「ほう、ならばこの問題を解いてみろ。魔術式の効率化の問題だ。私の授業を聞いていれば解けるはずだ」
初老のフォズ教官が黒板に問題を記載し、俺を手招きする。
黒板に記載されているのは、既存魔術の無駄を排除し工程数を減らした上で術式を発動させろというもの。
今回の問題に出されたのは、二十行ほどの工程数の魔術で、周囲を照らす光を生み出す魔術。
「わかりました。すぐに、とりかかります」
おそらく、これは解かせるつもりのない問題だ。少なくとも授業では行っていない内容。
解くことは簡単だ。問題はこの初老の教官が理解できるレベルの回答をしないといけないこと。
最短効率で作れば五行程度。だが、あえて単純な式だけを使い、長くなるが簡単な構成で仕上げる。
「どうですか、教官?」
二十工程を十工程に短縮した魔術式を俺は黒板に記載した。
生徒たちの顔を見ながら、術式の理解度を試す。この教室だと、この構成ですら理解できないものが大半だった。
「ダメだ。こんな術式見たことがない。適当に書いたな。問題外だ。そもそも、効率化をしろと言ったのに、肝心要の部分を削ったな。これでは発動すらしない。槍の腕はともかく、魔術はまだまだのようだね」
心底嬉しそうに、教官は嘲笑をする。
こいつはこれだけ優しく書いたのにわからなかったか。
せっかく配慮したのに、ここまで無能だと配慮した意味が無い。
「なるほど、教官。では、実験してみましょう。ライル、君がこの術式を使ってくれ」
自分でやっても、俺の仲間と思われているクーナとアンネが実行しても意味がない。
それなら、俺に対抗意識を燃やしている彼に任せたほうがいい。四位の人は、わざと失敗するような性格ではないし、式を理解できているから大丈夫だろう。
「ふっ、この僕を指名するか。いいだろう」
四位の人が黒板に書いている魔術を実行すると指の先に鮮やかな光が灯る。
俺は工程の短縮だけではなく、魔力変換の効率と効果の増幅もしている。いくら文句をつけようと、こうして結果がでれば文句は言えまい。
クラス中から、羨望の目が俺に集まる。
「……ごっ、合格だ」
「それはどうも」
「さっきの、あれは、その、だな。そう、実技をさせるためにあえて言ったんだ。私だってきちんと、効率化できていることはわかっていたよ」
初老の教官は聞いてもいないのに次々と言い訳をする。
「わかっていますよ。教官が俺の書いた術式を理解できないはずがないですからね。それでは席に戻ります」
「うん、戻っていいよ。でも、授業に対する集中力を欠いているみたいだから、注意しなさい」
「申し訳ございませんでした」
俺は、やってしまったと自己嫌悪をしながら自席に戻った。
◇
「ソージ、さっきの教官をやり込めたところ、カッコ良かったわ」
授業が終わるなり、クーナとアンネが駆け寄ってきた。
今日はこの授業が最後なので、他の生徒達は帰っていく。
何人かが、今度、魔術を教えてくれと俺に声をかけてきた。
「やめてくれ、アンネ。ちょっと自己嫌悪で死にたくなっているところなんだ」
「反省してくださいソージくん、また無駄に敵作って」
アンネは首をかしげるが、クーナは納得顔で頷いている。
「どうして? ソージの術式は綺麗だったし、間違っていたのは教官のほうだったわ」
「だろうね。でも、俺は教官がわかるていどの術式を書いてつつがなく終わらすつもりだったのに、想像以上に教官のレベルが低かったから、騒ぎにしてしまった。これは力量を読み違えた俺のミスだ」
そう、俺は猿でもわかる程度の気持ちで術式を書いたが、実際は猫程度だった。ちゃんと、猫でもわかる程度に書いていれば問題にならなかった。
「それでね。その後、落第と言われて熱くなったのが2つ目の失敗だ。あそこで教官に恥をかかせるべきじゃなかった。素直に受け入れるべきだったんだ。絶対、目の敵にされた。教官を敵に回しても何一ついいことがない」
「ですね。あの人絶対にさっきのこと根に持ってますよ。あとで地味に嫌がらせされちゃいそうです」
「それにね。あの教官が、俺たちのクラスの連中に舐められるのもあんまりよくない。クラス全体が魔術の授業での集中力が落ちて、結果的に貴族クラスとの差がつくかもしれない」
自分の未熟さが嫌になってくる。
もっと、大人にならないと。
「そんなことまでソージは考えているのね。私なんて自分のことだけで精一杯だわ」
「まあ、済んだことは忘れよう。アンネ、クーナ。今日は三日目の授業だ。明日からまた地下迷宮に潜ることになる」
「はい! がんがんランクあげていきますよ!」
「そうね。頑張らないと。クラネルの腕、私の想像以上に上達していたし」
何気に今週は忙しかった。
初日に、クラネルに喧嘩を売られて、二日目には決闘。やっと落ち着いたと思えば三日目が終わった。
明日からの四日間は地下迷宮に挑戦する。
「それでだが、今日から二ヶ月後のアンネの決闘までは、かなり無理をしようと思う。俺とクラネルとの戦いを見てもらってわかったと思うが、あいつは強いよ。現時点では、アンネとクラネルの技量自体はほぼ互角。ランクの差を覆すことは不可能だ。最低限、あいつと同じランク2にならないと勝負にすらならない」
アンネとクーナが、ごくりとツバを飲み込む。
彼女たちも、俺とクラネルの戦いを見て、俺の言葉が正しいと実感しているだろう。俺が決闘を受けたのはそのためでもある。
「俺が入学式で倒したランク2の先輩。あの人は、この学校始まって以来の天才と呼ばれているけど、入学前に俺たちのクラスのライルと同じように、かなり格をあげていて、それでもランク2になったのは進級するぎりぎりだったらしい。二ヶ月でランク2にあげるのがどれだけ難しいのかわかるだろう?」
本音を言うと半年欲しかった。
必要な魔石を確保するだけならなんとでもなるが、ランク2になるには、魔石だけでは足りない。戦闘経験を重ね器を鍛えないといけない。
「ソージ、それは諦めるということ?」
「違う。かなり無理な探索をするが耐えてくれと言っている。ある程度のマージンを切り捨てることになる」
ゲーム時代から死ねば全てが終わるこの世界ではかなりの安全マージンを確保していたし、こっちに来てからはさらにマージンを増やしている。
そのマージンを削り取らないとランク2へ届かない。
アンネは俺とクーナの顔を交互に見た。
おそらく、自分一人なら無茶な探索でも受け入れただろう。しかし、それは俺とクーナを危険に晒すことになる。そのことを気にしているのだ。
「ソージくん、私はばっちこいです。少しでも早く強くなりたいです。アンネのことがなくても。それこそ、兄様たちが連れ戻しにきても、力づくで逆らえるぐらいに強くなりたいと思っていました」
クーナが力強く宣言する。
「俺もだ。少しでも早く強くなりたい。今のままじゃ、大事なものを守れない」
そう、確かに無理な探索は危険だ。だが、安全を重視してゆっくりと強くなる。そのことにリスクがないわけではない。長く弱いままでいるというのは、それもある意味危険だ。早く強くなるというのは、安全面でも有効だ。
「ソージ、クーナ……ありがとう。私も強くなりたい。誰にも負けないぐらいに強くなりたい。だから、一緒に命をかけて、ソージ、クーナ」
勢い良くアンネは頭をさげる。俺とクーナは共に笑って。
「そんなことでいちいち頭を下げないでください」
「そうだ。俺達は、【魔剣の尻尾】なんだから」
苦楽を共にし、友のために命を賭ける。それが本当のパーティだ。
「それとね。ダンジョンに潜らない日も、もう少し工夫しようと思うんだ」
「今は、ソージが稽古をつけてくれているわよね」
「うん、稽古のあとに、もう一つスケジュールを増やす。本当は、もう少し仲良くなってから提案するつもりだったけど。長期的なものだから、今はじめないと、決闘に間に合わない」
俺はそう言いながら、ミスリルで作った治療用の針を取り出す。直径は0.5mm程度、長さは10cmほどの針だ。
「鍼治療。これで二ヶ月かけてアンネの魔力回路を矯正して、魔力の循環効率をあげる」
「魔力回路の矯正? そんなことが可能なの? 魔力の循環は才能の世界で、後天的な努力をしても無駄だと聞いていたけど」
アンネが驚愕の表情を浮かべる。
それも当然だ。
魔術の実行時、体内の魔力回路に魔力を循環させる。個人差はあるが大なり小なり、その過程で魔力を浪費する。
回路の性能が悪いと、抵抗が増え流した魔力は目減りし、魔術の発動自体が遅れ、しかも体にダメージがでる。
誰もが、魔力の循環をスムーズに行いたいとは思っている。
それができれば、人よりも消費魔力が少なく、それでいて素早く魔術が発動できるのだ。しかし、現実は厳しく。先天的な魔術回路に依存し、努力ではどうにもならないと言われている。
「アンネ、何を今更驚いてるんですか、ソージくんですよ。常識なんて忘れないと。出来るって言うなら、出来るんでしょう」
さすが、クーナ。よくわかっている。
「すごい。それができれば、もう一段上にいけるわ」
アンネが興奮して俺の手をとり、ぶんぶん振る。
喜んでもらえてよかった。
「でも、ソージくん。そんなすごいことができるなら、どうして今までやってくれなかったんですか」
「そっ、それは」
少し、言いづらい。なにせ、つい最近似たようなことで釘を刺されたばかりだからだ。
「……裸を見る必要があるからだよ。針で点穴をついて魔力を流し込むんだけど。本当に、繊細な作業なんだ。魔力の流れと、肉体の目視両方が必要になる。布一枚隔てただけで、誤差が出るし、失敗すれば魔力回路を整えるどころか、壊しかねない。本当なら、裸を見せていいと思ってもらえる関係を作ってから、やろうと思っていた」
そう、しかも点穴はだいたい太ももの付け根や、心臓の下など、本当にきわどいところに存在する。
当然恥ずかしい思いをさせる。
「ソージくん、この前みたいに、実は見なくてもできたり、しないですよね?」
「100%無理だ。それにさっきも言ったが、失敗すれば魔力回路をダメにする。1%でも成功率を下げることはしたくない」
「せっ、せめて下着は」
「体が締め付けられると微妙に魔力の流れが歪むから、ないほうがいい。本当に点穴を突くのはデリケートで1mmの誤差が致命的になるんだ」
クーナが顔を赤くしてわなわなと震える。
アンネのほうを見るが、そちらも顔を赤くしていた。
そして、下を向いたまま俺の袖を握り、ぼそっと呟く。
「ソージ、お願いするわ。ソージなら、その、見られてもいい」
それはアンネの覚悟だ。
なら、男としてそれに答えねばならない。
「わかった。アンネ。その勇気に答えよう。……クーナはどうする?」
俺に話しかけられたクーナは、ビクリと震え、キツネ耳がピンッと立った。
「これまで以上に危険なところに行くんですよね」
「そうだ、ランク2に到達するために、危険な魔物と戦う」
「ううう、それなら、強くならないと、これで断って、みんなの足を引っ張るとか最低ですし、でも恥ずかしいし」
クーナが目をぐるぐるに回して頭を抱える。
「クーナ、そこまで嫌なら断ってもいいよ。クーナは強いしね」
「うっ、……決めました。私にもお願いします」
覚悟を決めた目だった。
「やれることをやらないで、いざって言う時に後悔したくないです。だから、ソージくん、お願いします。でもっ、絶対にいやらしい目で見ないでくださいね。ほんとうに、ただの治療ですからね!」
「もちろんだ」
真っ赤な顔をしたまま、クーナが詰め寄ってくる。
そんなクーナが妙に可愛らしく思える。
「服を脱いだら、いきなり『げへへへへ、まずは俺の極太の針をぶっさしてやるぜ』なんて言いながら、襲いかかったりしないでくださいね!」
「クーナ、今度じっくり話そうか。いったい、クーナは俺を何だと思っているんだ」
多少は俺の日頃の行いもあるが、これはひどい。
俺は苦笑してから、口を開く。
「とにかく約束する。二人の裸を見るが、いやらしい目では見ないよ」
俺は二人に約束する。
少なくとも、表には出さないように努力しよう。
さあ、どこまで俺の理性で抑えられるだろうか。




