第十七話:剣士殺し
コインが宙を舞う、神経が研ぎ澄まされ、周りの景色がスローモーションのように見える。
コインが地面に落ち、硬質な音が響き渡ると同時に、俺は魔術を起動する。
「【身体強化・極】」
発動した魔術は身体能力を強化する魔術の到達点である【身体強化・極】。
脳のリミッターを外して、限界以上の力を引き出す。
さらに、その上で稼働している筋肉だけに集中し魔力を過剰投入して身体能力を極限を超え強化する強力な魔術だ。
本来なら、最後の奥の手、もしくは超短期決戦で使用する魔術を初っ端から使う。このランク差ならそうでもしないと対抗できない。
全身から魔力の光と、壊れていく体を癒す加護の光が立ち上る。
俺は剣を構えてクラネルを待つ。
「平民、おまえのことは調べたぞ。槍使いのようだな。槍使いの貴様が、剣士の真似事か」
「確かに俺は槍使いだ。槍に比べると剣の腕は一段劣る。だが、おまえの相手ならこれで十分だ」
槍に比べれば、俺自身の腕が未熟である上に、剣そのものが槍よりも対人戦では劣る。
もっとも、防御に特化するのであれば剣のほうが若干有利ではある。
「僕相手に、その余裕、すぐに後悔させてやる」
信じられないほどの速さでクラネルが距離を詰めてくる。
隙は少なく、容易にはカウンターが狙えない。
「はっ!」
クラネルの上段からの袈裟切りを、振り上げで受ける。
【身体強化・極】だからこそ、ぎりぎり受けとめることができた。
そのままつばぜり合いになる。概念的な攻撃力と防御力は覆せなくても、筋力と速度だけは、かなり差を詰めることが可能なのだ。
「ランク1とは思えない筋力だな。よほど無茶な魔力での強化をしていると見える。器用だな、平民」
「お褒めにいただき光栄です。とでも、言えばいいか」
「ふんっ。器用なことは認めてやる。だが、僕はまだ全力じゃないぞ」
クラネルの魔力が膨れ上がる。
そう、俺が脳内リミッターを外して、魔力を一点に集中してようやく、強化をしていないクラネルと同等の筋力にしかならない、魔力で少し強化されただけで押しつぶされる。
だが……
「なに!?」
クラネルが力を入れた瞬間に俺は力を抜き、さらに剣の角度をつけて、力を流しつつ、体を開く。
それだけで、クラネルが前のめりにバランスを崩す。
「まず、一本」
俺は背後に回りこみ突きを繰り出し、クラネルの首に触れる寸前で、剣を寸止めした。
寸止めしたのは当てたところでダメージが与えられないからだ。
ランク2の先輩との戦いで、全力を込めた攻撃で薄皮一枚は傷つけられたが、クラネル相手に大ぶりの攻撃をしたり、当てた衝撃でバランスを崩すことは死を招く。
こうして、精神的な揺さぶりをかける以上のことはできないのだ。
「平民、これは試合じゃない。決闘だ。寸止めなんて舐めているのか」
「稽古をつけてやってるんだよ。感謝してほしいぐらいだ」
「貴様!」
クラネルが、裏拳をふるうようにして剣を振るってくる。
俺は一歩下がる。クラネルの剣が紙一重で、顔の前で通り過ぎて行く、その剣の背中を自らの剣で払うように後押しする。
すると、クラネルの剣が、彼が思った以上の勢いになり、剣が振り切れ、再び彼はバランスを崩した。
そして今度は、正面から剣を振り下ろし、隙だらけの額の前で剣を寸止めした。
「二本目。良かったな。同じランクならこれで死ぬのは二回目だ」
「きっ、貴様!」
激昂しながら攻撃を再開するクラネル。基本に忠実な攻めだ。
けして大振りにはならないあたり、彼がしっかり鍛錬を積みかねて積み上げた基本能力の高さが伺える。
だが、俺なら【身体強化・極】が持続している限り、欲を出さずに捌くだけなら可能だ。
アンネのいるほうを見る。
しっかりと俺の挙動を見ている。クラネルの剣筋と俺の技術、両方を目に焼き付けているようだ。
今見せているのは、柔の剣。けして力で押さず敵の剣を待ち構え、柔らかく包み込み、力の流れを制して隙を作る。
力の支点を理解し、常に有利な態勢を作ることで、筋力差を埋める。
もっとも、【身体強化・極】がなければ、有利な態勢を作っても押し切られるのだが。
そして俺は、これ見よがしに隙を作る。誘うのは片手突き。基本に忠実故に、クラネルは、隙を的確についてくる。
顔面に向かってくる片手付きを首を振り躱して、伸び切った手をとり、一本背負い。あまりにも邪道な動きにまったくクラネルは反応できてない。
筋力差があろうと相手の体が前に流れている。完璧な入った一本背負いは踏ん張るということすら許さない。
派手な音がして、クラネルの体が背中から石のリングにたたきつけるられる。
彼はほとんど、ダメージは受けていないが、よほどの驚きを受けたのか、剣を取り落とす。カランカランと音を立てながら剣が転がっていく。
俺は、鼻先に剣を突きつけて告げる。
「三本目」
観客が、沸く。
クラネルがあまりの羞恥に顔を赤く染める。
俺はにやりと笑って見せた。
そして、後方に飛びのいて距離をあけ、【身体強化・極】を解除する。
そろそろ時間切れだ。
これ以上は魔力も加護も持たない。
結果だけ見れば、クラネルは無傷、俺は魔力と加護のほとんどを失った。
「剣を拾っていい。待っていてやる」
観客席からクラネルへの嘲笑が漏れ聞こえてくる。
クラネルは起き上がり、拳を握りしめる。ただでさえ、赤かった顔がさらに赤く染まる。
「くそおおおおおおおおおおお!!」
彼は空に向かって叫び声をあげる。
長い長い叫び、観客が静まり返る。
しかし、叫びが終わると憑き物が落ちたような顔になって何事もなかったかのように、剣のところまで歩いて行き、拾い、構える。
「頭が冷えたよ。僕を挑発しているようだが、そうはいかない。それが、貴様の目的だろう」
「さあ、どうかな」
「認めよう平民、貴様の剣の腕はわかった。確かに、僕よりも強い」
「それはどうも。それがわかったら、俺をアンネの師匠として認めてくれないか」
「それはできない。アンネロッタに君みたいな男がたかるのが許せない。それに、剣の腕は認めたが、僕は君が嫌いだ」
一流の剣士故に、打ち合えば実力の差は理解する。
今まで、ただ怒りと憎しみを俺にぶつけてきたクラネルだが、今はわずかな尊敬の念が見てとれていた。
どれだけ、性格が悪くても、彼は剣士だったのだろう。
「剣の腕で負けを認めてまだやるのか?」
「剣の腕で負けても勝つのは僕だ。平民、貴様が寸止めしたのは、当てても無駄だからだ。ならば、寸止めして動揺を誘ったほうがましという考えだろう。もとより、貴様が勝つには、入学試験で貴様が披露したという【神槍】。そういった大技を、ピンポイントで急所に当てる必要がある。だが、僕はそんな隙を与えない。いや、そんな必要すらない。瞼を閉じるだけで、貴様は僕に勝てなくなる。それがランクの差だ」
「まあ、そうだろうね」
さすがに、フェイラーテのご子息。冷静な分析だ。
この男を相手にして、【神槍】を急所にあてるなんて不可能だろう。
ここで、激高してくれるようなら、まだやりやすかった。
「僕はただ、隙を作らず剣をふるい続ければいい。そうすれば、いずれ君は魔力切れで身体能力を補えなくなって、受けることも躱すこともできなくなる。悪いがつぶさせてもらう」
「まあ、剣士として戦えば、言った通りになるだろうな。気がついてるか? 三本目を取ったとき。ちょうど二分だったんだ。今の俺はもう剣士じゃない」
そう、もうアンネの勉強の時間は終わり。
だから、あとは魔術師として叩き潰すだけ。
剣をリングに変形させて腕に巻き。構えすらしない棒立ちになる。
剣士としての俺の実力を認めたからだろうか? クラネルはここまで露骨な隙を見せても油断も慢心もしない。
ただ、最短距離を走り距離を詰めてくる。
「はっ!」
そして披露されたのは、クラネルの美しい、まっすぐな振り下ろし。
武器を持たず、構えてもいない俺は、今更受けることも回避することも不可能。
観衆から悲鳴のような声が広がりはじめる。
しかし……
「言っただろう。俺は魔術師だ」
クラネルのミスリルの剣が俺の頭に触れた瞬間に溶けた。
そして、流体になったミスリルはクラネルの顔に張り付き、鼻の穴や口の中に流れ込む。鼻や口を塞ぐなんて生易しいものではなく、どんどん喉と鼻の奥へ潜り込んで気道そのものを埋め尽くす。
「んぐぅぅ、ん、んんん」
呼吸ができずにクラネルがパニックになりミスリルを引きはがそうとするが、流体のミスリルは指をすり抜けるし、奥に入り込んだ流体のミスリルには指もとどかない。
このままでは酸欠で気を失うだろう。
「探索者に必要なのは洞察力だよ。さんざん、ミスリルの変形を見せてやったのに、まさか、自分が使っているミスリルは操られないとでも思ったのか? それがお前の甘さだよ。発想が剣士のものでしかない。所詮、おまえの戦いはおままごとだ」
そう、【魔銀錬成】は別に俺の所持しているミスリルだけが対象ではない。俺の体に触れた瞬間に、たとえ敵の武器だろうが俺は操れる。
つけ加えると、鉄だろうが、銅だろうが、金だろうが、オリハルコンだろうが、俺は操作ができる。
俺以上の金属操作の技術を持たない限り、ありとあらゆる金属は俺を傷つけることは叶わず、俺以上に金属操作に秀でた剣士なんて、この世界に存在しない。ゆえに【剣士殺し】。かつて俺はその異名で恐れられた。
唯一の例外が、アンネの持つ、クヴァル・ベステのような神話級の武器。材質がわからないものはさすがに支配できない。
「おまえはしたり顔で俺に勝ち筋はないと言ったがそれは間違いだ。ランクの差がある場合、外傷で倒すことはほぼ不可能だが、外傷にこだわる必要はない。こうして、息を止めてやれば倒せる。どれだけランクを上げようが呼吸ができなければ人は生きていけない。もちろん、他にも手段はある。おまえはランクを過信しすぎた」
アンネとクーナに聞かせるために、声を張り上げる。
事実、クラネルはこうやってもがき苦しんでいる。
「んんっ、んん、うぬぅ」
クラネルから爆発的な魔力の高まりを感じる。
ようやく、力任せに魔力でミスリルを吹き飛ばすことを思いついたか。
「がはっ、ごほっ、ごほっ」
過剰な魔力の注入により、クラネルの顔に張り付いていたミスリルが吹き飛ばされていた。力任せにやったせいで、クラネルの鼻は潰れ、喉はずたずたに切り裂かている。
「ほう、これで終わると思ったが意外にがんばるな」
俺はにやりと笑う。これで倒れないならもうひとつだけ手札を晒そう。
加護の光で傷は癒え始めたが、酸欠になりかけていたクラネルは、必死に息を吸い込んでむせていた。完全な無防備。
ゆえに、俺の動きにクラネルは気付けなかった。
地面を強く踏み込む震脚で距離を詰める。そこから繰り出されるは、全身をひねり、らせんの動きで全身の筋肉の力を込めた掌底。
クラネルのミスリルの胸当てに俺の掌底が触れた瞬間、大気を揺り動かす爆音がなり、まるで弾丸のようにクラネルの体が吹き飛ばされる。
クラネルの体はリングから出て、観客席の壁にめり込んだ。
「がはっ」
その言葉を最後にクラネルが意識を失った。
「【瘴気発勁】」
俺は厳かに技の名を告げる。
発勁とは、物体の内側に衝撃を通す技術。
もちろん、それだけでは加護に守られたクラネルを傷つけることはできない。
手品の種は衝撃に俺の魔力と、瘴気を練りこんだこと。
俺は魔石の浄化をするときに、取り除いた瘴気を黒い玉に吸収させてもち歩いている。その瘴気を使ったのだ。
今回は、中位魔石の十個分の瘴気を使用した。それが奴の加護をゼロにするのに最適な量だからだ。これ以上の瘴気を使えば、瘴気だけで殺してしまう。
瘴気を俺の魔力と合成し、衝撃と一緒に体内に流し込む。
体内に流れ込んだ瘴気に抵抗するために加護の力は食い尽くされ、魔力で強化された掌底の衝撃がそのまま体内を破壊するのだ。
今の手ごたえ、肋骨を三本たたき折った。
これが対高ランク向けの本当の切り札。
俺の魔力でコーティングしているので、外から見るだけなら瘴気を使ったとはばれることはないだろう。
「悪く思うなよ」
俺は壁にめり込んでいるクラネルのところまで走って剣を振り上げる。
あいつは、完全に加護を失った。折れた肋骨を癒すために加護の光が立ち上っていないのが、その証拠だ。
加護を失った状態での傷は加護が回復しても癒せない。なぜなら、加護の力は、正常な状態に戻す力。加護が戻った時にすでに負っていた傷を、加護はもとより、その状態だったと認識する。
決闘の際の勝敗は、気絶するか、棄権した場合、このタイミングなら不慮の事故で片がつく。
ここで、利き腕をもらっておけば、アンネの勝利は確実だ。
同情はする。だが、敵に容赦するほど俺は甘くない。
剣の届く位置にたどり着いた俺は剣を振り下ろす。
しかし……
「やりすぎだよ。そこまでにしないとね。クリーンな決闘じゃなくなる」
俺の剣を、赤みがかった茶髪の少女……ユウリ先輩が剣で受け止めた。
「なんの真似ですか、ユウリ先輩」
「言葉の通りだよ。気を失った相手への追撃は、騎士としてほめられたものじゃないし、加護のおかげで、観客たちは血を見慣れていない。あんまりショックなものを見せるべきじゃないよ。君がしようとしたように、片腕を切り落とすとかさ」
にっこりと笑うユウリ先輩。
「そうですね。気を失っていたことに気付かなかった。止めてくださってありがとうございます」
「うん、壁に激突したときには気を失っていたからね。戦闘中だし、気がつけなかったのも仕方ないさ」
「審判! って、ああ、審判はいないのか、変わりにあたしが宣言しようか」
ユウリ先輩が俺の右手を掴み、たからかと掲げる。
「勝者、ソージ! 先日に続いて二度目の大物食いだ!」
その言葉で、観客が沸く。
フェイラーテの関係者の落胆と失意。賭けに負けたものの怒号、賭けに勝ったものの歓喜の声。
そして、慌てて観客席から、クラネルの知り合いらしき人間が血相を変えてとんでくる。加護を失った重傷者だ。放っておくと死にかねない。
俺は、長い息を吐く。ユウリ先輩の邪魔が痛かった。
最低限の目標は果たせたのでよしとしよう。アンネにクラネルの剣筋は見せたし、俺の動きは手本になった。
クラネルの愛剣を奪った上に、加護を失ってから叩き折った肋骨はたとえ加護が回復したところで癒えない。通常の回復に一か月はかかる。
一か月の間、まとめに剣が触れないことで生じるブランクはクラネルを弱体化させてくれるだろう。
「ソージ、忘れ物」
ユウリ先輩が刀身がなくなったクラネルの剣を俺に投げてよこす。
「それは今から君のものだ」
「ありがとう。ユウリ先輩」
「どういたしまして」
ユウリ先輩が消えていく。
相変わらず、そこが知れない人だ。
俺の視界外から、クラネルを庇うのに間に合ったこと、無理な体勢で俺の剣を受け止めたことの両方をランク1の能力で成し遂げたことが信じられない。そんなことが可能な彼女に、いまだかつてない戦慄を覚えていた。




