第十四話:クラネル
「やっぱり柔らかいお布団はいいですね」
「そうね、テントで毛布じゃ疲れが抜けないわ」
寮の食堂で朝食をとっていた。バイキング形式なので、朝食に何を食べるかはかなり好みがでる。クーナが肉類をがっつり食べるのに対してアンネは野菜中心、俺はバランス派といったところだ。
騎士学校は週の前半3日は授業に割り当て、残りの4日を休日兼地下迷宮の探索に当てるので、今日は授業がある。
昨日は酒場で豪勢な飯を食べてから、すぐに解散した。
その後は休養に割り当てるように言ったのだが、地下迷宮内で魔石を使用したあとにきっちり課題を終わらせていたアンネと違い、毎回腰砕けになっていたクーナは課題が終わっておらず、俺がつきっきりで課題をこなすことになった。
「二人共、体調に問題はないか? はじめての探索だったから、目に見えない負荷がかかっているかもしれないから注意しないとね」
探索者の場合、精神的なストレスも大きい。そちらが原因で潰れることも多々ある。
俺も可能な限り気をつけているが、どうしようもない部分はある。
「大丈夫です。やわな鍛え方はしていないので」
「まあ、クーナは大丈夫だろうな」
「なんですか、その適当な扱い!?」
なにせ、九歳のときに無人の雪山に放置されて一ヶ月生き延びるような奴だ。たかが4日の探索ぐらい屁でもないだろう
「アンネはどうかな? こういうこと慣れていないだろうから心配なんだ」
「大丈夫よ。お父様が処刑されてから、この街に来るまでの旅に比べたらあれくらい」
アンネが乾いた笑みを浮かべる。
そうか、逆境は人を強くするのか。
「そっ、その、アンネ、これ食べて元気になってください!」
クーナがデザート用にとっていたオレンジをアンネの皿に盛る。
「気にされるほうが逆につらいのだけれど」
口ではそうは言いつつも。アンネは苦笑して柔らかい表情になった。
「それよりソージのほうがよっぽど顔色が悪そうよ」
「言われてみれば、顔が真っ青です」
「俺のはただの魔力不足だ。昨日の夜イノシシの化け物の魔石の浄化に全魔力を使って回復しきれていない。体調は最悪だ。でも、ほっとけば治るだろう」
そう、クーナの課題の手伝いを終わらせた後に、魔石を浄化して、かなりだるい。魔力の枯渇により身体能力の低下まで招いている。
回復は明日の朝までかかるだろう。
◇
教室につくといつもより騒がしい。
「なにかあったのか?」
男子生徒の一人に話しかける。
「あっ、ソージさん。実は転校生が来るって噂なんです」
快活な声で返事が帰ってくる。
学園がはじまったばかりの頃は、距離を取られていたが、地下迷宮の実習後にいろいろと質問を受けるようになってからは、避けられないどころか尊敬されるようになってきている。
「貴族クラスのほうに編入生が来ているようです」
別の生徒が情報を補足してくれた。
「編入生? この騎士学校に?」
通常ならありえないことだ。
この学園は、入学試験を受ける以外の方法で入学をすることは不可能だ。封印都市エリンの威信にかけて特例は認めていない。
「どうやって?」
「噂では、他の封印都市にある騎士学校からの編入だから認められたらしいです」
なるほど、一応は正規の試験で騎士学校には合格したからという特例か。それなら納得できる。
「ありがとう。それで、誰が来るかは知っているかな?」
俺が質問をすると、男子生徒はちらりとアンネのほうを見た。
そして、震える声をあげた。
「今の、王家の剣指南役。フェイラーテ公爵の長男、クラネル・フェイラーテ様です」
クラネルか。
ゲーム時代に会ったことがある。その時の印象は一見優男だが、実直で気持ちのいい男だ。
アンネのほうを見ると、固い表情で腰にぶら下げている魔剣クヴァル・ベステを握りしめていた。
「なんのために来たんだろうな」
俺は自分で口にしながら、そのつぶやきの無意味さに気づく。
王家の剣の指南役、その嫡男がわざわざここまで来る理由なんて、最強の剣士の称号である、魔剣クヴァル・ベステ以外にありえない。
彼はアンネから、クヴァル・ベステを奪うためにここに来たのだ。
俺はアンネの肩にポンと手を置く。
「大丈夫だ。その剣はアンネのものだ。誰にも奪わせない。何があっても俺が守るよ」
下手をすれば、王の勅命ということもありえる。罪人の娘から、王家の象徴である魔剣を取り上げる。そんなことがあっても不思議ではない。
いや、それは考えにくいか。本来ならアンネがこの剣をまだ持っている事自体がおかしいのだ。おそらく、アンネの父親が処刑される前に、何かを条件にして、アンネにこの剣を残した。簡単にはその契約を反故にはされないだろう。
「……ありがとう。ソージ。でも、これは私の問題だから」
「違うな、その剣がないとアンネが弱くなる。そうなれば、パーティの戦力低下だ。これは俺たちの問題だよ」
「そうですよ。アンネ水臭い。私たちでなんとかしましょう」
「ありがとう。ソージ、クーナ」
アンネが目に涙を浮かべる。
そんな中、教室の扉が派手に開かれる音がした。
「はじめまして、一般クラスの諸君。僕はクラネル・フェイラーテ。本日から、君たちと同じ学び舎で世話になる。よろしく頼むよ」
美しい蒼髪をなびかせて、クラネルがよく通る爽やかな声で挨拶をする。
整った体と細身だが引き締まった体。ただの制服姿というのに、どこか漂う気品。女生徒からは、憧れの視線が彼に向かっている。
そんな視線を浴びながら、彼は優雅な足取りで一直線に向かってくる。
「久しぶりだね。アンネロッタ、元気にしていたかい?」
クラネルは笑みを浮かべ親愛を込めてアンネに挨拶をする。
だからこそ異常だった。大貴族である彼が、コリーネ王国最大の汚点であるオークレール公爵の娘であるアンネに親愛を向けるなど、ありえない。
「フェイラーテ様、お気遣いありがとうございます」
「なんだい、そんな他人行儀な。僕たちは、共に剣を競い合った仲だろう? もっと軽い口調でいいよ」
クラネルは、さぞおかしそうに笑う。
「私は、”今”は貴族ではありません。立場の違いというものがあります」
「……悲しいね。アンネロッタにそんな態度をされるなんて。でも、悲しんでばかりもいられない。この手紙を君に届けないといけない」
クラネルは王家の公印が捺された手紙を渡す。
緊張感が高まる。正真正銘の王の勅命。
アンネは震える手で手紙を開き、その内容を読み上げる。
「……神剣クヴァル・ベステの担い手の再選定を行う。フェイラーテ公爵の嫡男、クラネル・フェイラーテと、オークレール”元”公爵の娘、アンネロッタ・オークレールの両名で決闘を行い、勝者を神剣クヴァル・ベステの担い手とする。日時は、火の月、七の曜日」
それを聞いて俺は驚愕する。二ヶ月と少しあとにクヴァル・ベステをかけて決闘だと? こんな不条理を許せるか。俺は抗議のために口を開く。
「こんな決闘むちゃくちゃだ。クラネル、お前は今年で18だ。既に二年先に騎士学校に入っており、俺が見た限り【格】はランク2に至っている。彼女はまだ16で、入学して一ヶ月経っていない。あまりに不公平だ」
そう、誰がどう考えてもアンネに不利な要素が揃っていた。
アンネの卒業まで待って欲しかった。いや、せめて半年あれば俺ならランク2にしてやれる。
二ヶ月でランク2という数字は、危険な橋をわたらない限り不可能だ。
「僕もそう思うよ。でも、王の勅命だ。心苦しいけど拒否ができないんだ」
クラネルは、心底辛そうな表情を浮かべた。それを見た俺の感想は、薄っぺらい。その評定も声音も何もかもが薄っぺらい。
「アンネロッタ、決闘はコリーネ王国の決闘場で行われる。きっと、君は見世物にされる。ひどい野次を受けるだろう。……僕は君の傷つく姿を見たくない。棄権してくれ」
アンネを心配する言葉をクラネルは重ねる。
「クヴァル・ベステを手放すだけで、傷つかずに済むんだ。悩むことはないだろう? それに、せっかくこうして会えたんだ。僕が君を助けてあげる。大丈夫、幸せにしてあげるよ」
クラネルはそう言うと、アンネを優しく抱擁する。
「辛かっただろう。でも、これからは僕が守ってあげる。だから、くだらない意地は捨てるんだ。そうだ、新しい名前を用意してあげよう。オークレールを捨てて、ただのアンネロッタになるんだ。僕にはそれが出来るよ。うん、そうしよう。一生君には苦労をかけないと約束しよう」
クラネルの抱擁がより強くなる。
クラネルは一人でどんどん盛り上がる。一見、こいつはアンネのことを思って言っているように見せてはいるが結局は自分のことしか見えていない。
「だから、僕といっしょに来てくれ……アンネ」
クラネルがアンネロッタではなく、アンネと呼んだのは彼女に対する自分の想いを伝えるためだろう。
アンネの体がこわばる。……そして、キリッとした表情を浮かべてから口を開いた。
「気持ち悪い。離してもらえないかしら。それに、私はあなたにアンネと呼ぶのを許した覚えはないわ。その呼び方をしていいのは親しい人だけよ」
「アッ、ンネ?」
クラネルの力が抜けた瞬間アンネは彼を突き飛ばし抱擁から脱出する。
「私のために言ってくれたのは嬉しいわ。でも、お断りよ。クヴァル・ベステを捨てて、オークレールを捨てて。そんなものはもう私じゃない。そんなふうになって生きるぐらいなら死んだほうがまし。そんな安い同情はいらない」
アンネが声を張り上げる。
「ひどいな。僕は君のために言ったのに」
俺はその言葉が勘に触った。
「本当に彼女のために言っているのなら、おまえが棄権すればいい」
そう、本当にアンネのことを友達と思っているのならそれができるはずだ。
「誰が口を開いていいと言った平民」
「これは、失礼。貴族様」
俺がおどけた様子を見せると、クラネルが歯ぎしりをする。
「その、なんだ。僕の言ったことをちゃんと考えてくれるかな、アンネ」
「アンネと呼ばないでと言ったはずだけど?」
「アンネロッタ。君は冷静になるべきだ。君は本気で僕に勝てると思っているのかい? 君のことは調べた。入学時にはランクを全く上げていない。剣の腕も僕は君を追い越した。これから成長しようにも剣の師匠も居ない。君が僕に勝てる要素なんて一つもない」
クラネルが声を荒くする。
だが、アンネは落ち着いていた。
「ランクについてはそうね。でも、剣については訂正するわ。私には世界一の剣の師匠がついているわ」
「世界一? そんなのがどこに居る?」
「ここによ。ソージが世界一の剣士。私はソージの剣を信じる」
クラネルはきょとんとした顔で俺の顔をみる。
そして、腹を抱えて大笑いした。
「ははは、冗談はよしてくれ。そんな貧相な平民が世界最高の剣士? 馬鹿げている。馬鹿げているよ。かわいそうなアンネロッタ。君はこの男に騙されているんだ。はははは」
クラネルはひとしきり笑う。そして笑い終わったあと、俺のほうをまっすぐに見た。
そして白い手袋を脱ぎ、俺の足元に叩きつける
「おい、平民。君がアンネロッタの勘違いの原因のようだね。まずはそこを正してあげるよ。そうすれば、アンネロッタも僕の言うことを素直に聞くだろう。決闘だ。君がただの詐欺師だって言うことを証明する」
「ソージは関係ないわ」
「僕は貴族だ。平民の君が僕の命令を拒む権利はない。ましてや騎士との誇りある決闘を拒む腰抜けに、アンネロッタに剣を教える資格等あるはずがない」
なるほど、面白い。それにけして悪い話ではない。多少はアンネに有利な状況が作れる。
「決闘自体は構わない。だが、俺には益のない戦いだ。まさか、貴族様が平民相手に因縁をふっかけて、自分はなんのリスクも負わないなんてありえないよな?」
「何を望む」
「俺が勝てば、魔剣の所有権を決める決闘を棄権しろ」
「万が一にも僕が負けることはないが、それはできない。騎士として、決闘から逃げることだけは絶対にできない」
ほう、そんなことをアンネにさせようとしたのか。
「それなら、俺が勝てば、あんたが腰にぶら下げている剣をもらおう。アンネにクヴァル・ベステを賭けさせるんだ。あんたにもその覚悟はあるだろう?」
「おまえ、今、アンネと、アンネと呼んだな!?」
「ソージは、私の師匠なのよ。当然よ」
「僕でさえ、ダメなのに、貴様は!」
「それで、どうなんだ? 剣を賭ける度胸もないのか? それならば、この決闘は受けない。なにせ、あんたが騎士に値しない。ただのへたれだ。相手が騎士じゃない以上、誇りもなにもない。故に、断ったところで何の問題もない。そうだろ?」
「なんだとっ!? 剣を賭ければ、決闘を受けるのだな? その言葉二言はないな!」
「約束しよう」
クラネルの剣はミスリルで作られた名剣。そろそろミスリルの補充がほしいと思っていたしちょうどいい。
それに、愛剣を奪っておけば、アンネのサポートになる。重さ、重心、大きさ、完璧に同じ剣は存在しない。一流になればなるほど、その些細な違いが感覚を鈍らせる。
ここで剣を奪えば、クラネルが新たな剣を購入し、アンネとの決闘までになじませるのは難しいだろう。
「……っ、この剣の価値を知って言っているのか! だが、いいだろう。その代わり、僕が勝ったらアンネロッタに決闘を棄権させろ」
「それはできない。アンネが決めることだ。俺に決められる話じゃない」
「ならば、おまえが負ければ二度とアンネロッタにかかわらないと誓え!」
「それならば、構わない。誓おう」
「その条件で決闘だ」
「日時は明日の授業が終わったあとでいいか」
それならば、ぎりぎり魔力の回復が間に合う。全力で戦えるだろう。
「構わない。逃げるなよ平民」
「もちろん」
そうして、俺とクラネルの決闘が成立した。
◇
「くそぅ、くそぅ、くそぅ、あの女、いつも僕の思い通りになりやしない」
馬車の中、クラネルは悪態を吐きながらなんども拳をサイドテーブルにたたきつけていた。
体調が悪いと伝え、授業を休み、封印都市エリンにあるフェイラーテ家の別宅に向かっているのだ。
「せっかく、せっかく、この、この僕がぁ! 情けをかけてあげたのに! またっ、僕に恥をかかせやがった。この僕の提案を拒むだって!? あんな平民が世界最強の剣士だって、僕を舐めるのもいいかげんにしろ!」
クラネルの声はほとんど怒鳴り声に変わっていた。
「落ち着いてください。坊ちゃま」
初老の執事がクラネルをなだめる。
「落ち着いていられるか! そうだ、アンネはいつもそうだよ。女のくせに、僕に勝ちやがって、2つも年下の女に、王の御前試合で負けた僕の気持ちがおまえにわかるか!? えええ!?」
そう、クラネルはアンネを心の底から憎んでいた。
十二歳のとき、フェイラーテとオークレールで親善試合が行われた。
その前哨戦で、それぞれの次代を担うクラネルとアンネが戦った。
結果、十二歳のクラネルは十歳のアンネに負けた。クラネルは忘れない。そのときの観衆の嘲笑を、父親の落胆を、母親の嘆きを。
「決闘に勝つだけじゃダメなんだよ! 大衆の前でねじ伏せるのは、楽しいけど、そんな一瞬で終わったら、僕は満足できない。一生、僕のおもちゃにしてやる、僕が飼ってやるんだ。何もかも奪って閉じ込めて、僕以外誰にも会わせない。僕の言うことを聞かないと飯をやらない。へへ、あの生意気なアンネが僕に跪づいて何でも言うことを聞くようになるんだ」
そのために、クラネルはアンネを保護することを提案した。
だが、彼は自分でも気付いていなかった。彼の欲望の奥底にあるのは、剣を振るうアンネへの美しさへの憧憬。あの戦いで芽生えたアンネへの恋心だということに。
「ああ、楽しみだ。あの平民を打ち負かしたら、きっとアンネも目が覚めるだろうね。そしたら、僕の言うことを聞いてアンネは、あははははははは」
クラネルの哄笑を響かせながら馬車は走って行く。
そして、彼には、もう一つ気付かなかったことがある。彼は監視されていたのだ。
「ふうん、面白くなると思ったけど期待はずれかも。あの程度の小物じゃ、ソージには勝てないだろうな。でも、負けて彼を憎んでくれるかも。そしたら、扱いやすい駒になる。うう~ん、イノシシは失敗したな。異常個体の任意精製の検証は出来たけど、あの程度じゃ試練にすらならない。彼を使えば、もう少しまともな試練が作れるかな? 色々と考えないと」
その言葉を最後に監視者は消えていく。ただ、らんらんと輝く翡翠色の眼光を残して。