第十話:スロックチンパ
イノシシの化け物の肉が入った、乾パン粥を食べた俺達は出発し、今回の探索でメインである地下五階に来ていた。
地下四階は、荒れ地だったがここは再び緑があふれるフィールドだ。
ただ違うのが、いかにもジャングルと言った趣で、高温多湿。その環境が想定より体温を奪う。
「クーナ」
前を歩いているクーナに俺が呼びかけると彼女はぷいっとそっぽを向いた。
「悪かった。配慮が足りなかった」
しかしクーナは振り返らない。一応聞こえているらしく、キツネ耳がぴくぴく動いている。
「俺が渡した、イノシシの化け物の皮で作ったインナーは体にあっているか? それだけでも答えてほしい。記憶にあるクーナの下着姿で作ったから自信がないんだ。体に合わない装備は体力を奪うし戦闘の際に動きを阻害する。必要なら調整をしたい。それだけでも答えてほしい」
クーナが立ち止まり、一瞬何かを言いたげな目でこっちを見たが再び黙って歩き出す。
「クーナ、いい加減にしなさい。拗ねるのはいいけど、探索に関わることで意思疎通しないのは問題だわ」
アンネがそう言うと、クーナぷすっと頬をふくらませて口を開く。
「だって、アンネ。ソージくん、探索に必要なことだって嘘ついてエッチなことしようとしたんですよ! 許せないです」
どうやら、クーナは騙して下着姿を見ようとしたことに対して怒っているらしい。
「一応、弁解させてもらうとね。見なくてもできるけど、やっぱりちゃんと測ったほうが精度の高いものが作れる。視覚情報だと微妙に誤差がでるからね。あとで、クーナの意見を聞きながら微調整をする手間ができるから提案したんだ。クーナが嫌がるから、その手間を受け入れただけだよ。最初にこの説明をせずにいきなり脱げと言ったのは悪かった」
実際、クーナの動きが微妙に精細さを欠いている。インナーが体の動きに干渉しているようだ。
「本当ですか?」
「本当だよ」
「本当に、本当ですか」
クーナが俺の目の前に来て、顔を近づけてまっすぐに目を覗きこむ。クーナは美人だ。まつ毛の長さや、綺麗な目が心を揺さぶる。
「本当だ」
「それなら許しまっ、きゃっ」
素早くクーナを左手で抱き寄せる。
「そっ、ソージくん、そんないきなり」
クーナの甘い体臭と柔らかさ、そして彼女の鼓動が伝わってくる。
全身の神経がそちらに向きそうになるが、空いた右手で拳を作り、裏拳をふるう。
こちらに高速で向かってきた拳サイズの石を弾き飛ばす。手首の骨にヒビが入る。想像以上に重い衝撃。加護の光が立ち上って俺を癒していく。
「ソージくん、いっ、いったいなにが」
「敵だよ」
岩が飛んできた方向を睨みつけると、20mほど先の巨大な大樹の蔦に濃い緑色のチンパンジーのような魔物がぶら下がっていた。サイズは1m程度だが、腕が異常に長く、筋肉で丸太のように膨らんでいる。その腕をしならせて石を投擲。
こいつはこの階層にいる比較的ポピュラーな魔物、スロックチンパ。
よく見てみると、大樹の幹には投げやすい石が用意されている。それも、今スロックチンパがいる樹だけではなく周囲の樹のほとんどにだ。
理解した。ここは奴らの狩場だ。ご丁寧に、俺達がいる周囲は遮蔽物がすくない。ここに入り込むのをまって仕掛けてきたのだろう。
「【魔銀錬成:壱ノ型 槍・穿】」
ミスリルを槍に変える。
そして、クーナを突き飛ばし、両手でしっかりと槍を構え一歩踏み出しつつ、飛んできた石の右端をつく。石はそれて後方に着弾し、やわらかな土をえぐり、土の飛沫が出る。
二投目、三投目と次々に飛んでくる石弾を次々に弾き飛ばす。
正面を突いて砕くのではなく、右端をついているのは、そうしないと俺の腕が壊れるからだ。
時速200キロ以上の石の弾丸。その運動エネルギーははかりしれない。
スロックチンパはしびれを切らせたのか、投擲を一度やめて、おもいっきり息を吸い込む。
そして、
「キッ、キキィーーーーーーーーーーー!!」
絶叫。あまりの音量に聴覚が麻痺する。びりびりと大樹の葉が震える。
耳がいいクーナはとくにつらそうで、涙目になりながら、キツネ耳をペタンと垂れさせて、それを手で覆っている。
まずい! この鳴き声は味方への救難信号。
俺が恐れたとおり。周囲に気配が増えた。
スロックチンパが八匹、こちらを取り囲んでいる。統率された動きだ。きっちり20m以上の距離をとりながら、予め樹の上に用意してあった石を持ってこちらを睨みつけている。
さらに、全匹から魔力の光が立ち昇る。もともと水気を含んでいた周囲の地面が泥沼のようになっていた。足首あたりまで足が沈み込む。
なるほど、これで機動力を奪い、包囲網の突破を防ぎつつ、遠距離からの投石でなぶり殺すつもりだ。
「ソージ、これはまずいわね」
「そうだな。少しまずい」
八匹のスロックチンパによる全方位からの超高速弾。それも足場が悪い状況で回避することもさばくことも難しいと来ている。
さらに言えば、高さと距離を取られていることも問題をややこしくしている。逃げることもできない。樹から樹へ飛び回るあいつらを振り切るのは不可能だろう。
さすがは、地下五階の魔物だ。
「ソージくん、アンネ、ごっ、ごめんなさい。一番、気配に敏感な私が、最初の一匹に気付かなかったから。それが私の役割なのに」
クーナが顔を青くして、申し訳無さそうにつぶやく。
「いや、いい。俺も相手が石を投げてくるまで気づけなかった」
あのスロックチンパはああみえて、うまく気配を消していた。
発見するのは困難だろう。だが、普段のクーナなら、それでも気付けたこともまた事実。気づけてさえいれば、仲間を呼ぶ前に先制攻撃で一匹目を始末できていた。
「反省会は、また後にしよう。アンネは、鞘をつけたまま、飛んでくる石の側面を叩いて撃ち落とせ」
「ええ、防御に専念するわね」
アンネは鞘から剣を抜かずにそのまま構える。
「クーナは、俺とアンネ二人で守る。だから、その間になんとかしてくれ。任せる」
「そっ、そんな、急に言われても、どうしていいのか」
「出来ないのか。天才のクーナが」
俺はわざと嫌味な笑みを浮かべる。
「でっ、出来ます! 見ていてください」
良い返事だ。クーナが魔術の準備を始めた。
そして、全方位からスロックチンパの投げる石が殺到する。
クーナができると言ったんだ。なら、信じて防御に徹するのみ。
「「キキー」」
俺とアンネは、自分たちとクーナに直撃コースのものだけを選びとり、石を叩き落とす。
だが、数が多すぎる。俺には余裕があるが、若干アンネの動きが怪しい。死角からの攻撃を予測しきれていない。
「きゃあああ」
アンネが、石を叩き落としている間に、死角から飛んできた石が左腕に命中する。
ごきりっと嫌な音をたてながら吹き飛ばされて、アンネはクーナの足元に腕を押さながら倒れこむ。
不運にも倒れこんださきには岩がありそこに頭をぶつけて気を失う。
加護の光が出ているから即死ではない。時間さえあれば意識を取りもどすだろう。
「アンネ!」
クーナの悲痛な叫びが響く。
状況が悪化した。一人でこの集中砲火を耐えなければならない。それだけではなく、魔術の準備をしているクーナと共に、アンネを守る必要まで出た。
「クーナ! 俺がアンネを何とかする! おまえは自分の仕事に集中しろ!」
「でも!」
「俺なら出来る。だから、クーナはあいつらを倒すことだけ考えろ」
「……んっ!」
俺がそう言うと、クーナは唇を噛んで魔術の演算を再開する。
「【魔銀錬成:陸の型 双剣・番】」
手数を稼ぐために、槍を双剣に変える。さらに今回は刃ではなく丸い警棒のようにカスタマイズした。そちらのほうが都合がいい。
二人の前に立ち、両手の剣を乱舞する。
脳のリミットと肉体のリミットの双方を外す。
でないと、この数をさばけない。
おそらく、俺が捌ききれるのは、あと二分程度が限界。
雑に弾くせいで、衝撃を殺しきれずに手首が折れた。折れた手首が加護で癒えるのを待っている暇はない。魔力で固定し、折れたままの腕で剣を振るう。一撃ごとに激痛が走る。だが、やめるわけにはいかない。
俺の後ろには何よりも大切なクーナとアンネが居る。
そろそろ、限界か。
「【炎陣】」
そう思った瞬間、クーナの魔術が発動した。
彼女を中心に炎が立ち上る。
その炎は、八本の線になり、地表を走り、スロックチンパたちが乗っている木々に着弾した。
そこから、一気に燃え広がる。俺達から見て外から内へ意志をもって燃え広がっている。
まるで、スロックチンパを包む檻のようだった。しかもどんどん狭まってくる。意思を持った檻。
「「キキーッ」」
スロックチンパは悲鳴をあげ、石を投げるのをやめて、炎から逃げようとする。
必然的に内側に内側に、俺達のほうに向かってくる。
燃え盛る炎はそれだけでは終わらない。
「【炎槍】」
そう、木々に燃え移った炎から、クーナの魔術が発動する。
通常、魔術の起点は己となる。だが、クーナは燃え盛る炎を起点に魔術を放った。
つまり、今の全方位に炎がある状況なら、クーナは全方位、どこからでも魔術を使える。こんな芸当ができるのは、火のマナにもっとも寵愛を受けた種族である火狐だけだ。俺ですら真似できない。
背後からの炎の槍に反応できずに三匹のスロックチンパが、【炎槍】に貫かれ、内側から焼かれる。
それを見た他のスロックチンパは、必要以上に炎をおそれ狂ったように、俺達のほうに逃げてくる。
炎が燃え移る木々ではなく、わざわざ自分たちで泥沼にした地面を走って。
「よくもやってくれたわね。返礼をするわ」
そこに、意識を取り戻したアンネが疾走。泥沼を疾走できたのは、アンネが走る道を、クーナが炎で焼き固めているからだ。相変わらず芸が細かい。
「シッ!」
地面に落ち、泥沼に足を取られたスロックチンパは木の上にいたほどの早さはない。その上、炎で気が動転している。間抜けな表情を浮かべたまま、アンネの横薙ぎに反応できず、二匹のスロックチンパの首が飛ぶ。
「俺も負けていられないな」
もちろん、俺も二人の活躍を眺めているだけなわけがない。一番近くの樹を垂直にかけあがり、枝から枝に飛び移る。狙いは、密かに樹の上に用意した石を回収し、不意打ちの投擲をしようとしていた一匹のスロックチンパだ。跳びかかり、頭を砕く。
「キヘッ」
頭を砕かれたスロックチンパは四肢を投げ出して地面に落ちていく。
残りは、二匹。生き残った二匹は顔を合わせた。
そして、北と南に逃走を始める。炎の檻よりも、このまま俺たちの近くに居るほうが危険だと判断したのだろう。
北のほうに逃げたスロックチンパは、クーナが燃え盛る炎から生み出した【炎槍】に貫かれて死亡する。
だが、南のほうまではクーナも追い切れない。さすがに複数方向でこれだけ距離が離れるとクーナでも同時には対応できないようだ。
アンネは距離がありすぎる。
なら、俺が対応するしかないだろう。
「【魔銀錬成:参ノ型 弓・貫】」
双剣を弓に変形。銀矢を番えて引き絞る。
放たれた矢は銀色の閃光となってスロックチンパの後頭部を貫いた。
「ヘキャッ」
致命傷を受けたスロックチンパは、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
これで全滅だ。俺は安堵の溜息をついた。
「ふう、クーナ、アンネ。お疲れ様」
「おつかれ、一匹、一匹は弱い魔物だったけど、こう戦略的にやられると辛いわね」
そう、このスロックチンパはさして強力な魔物ではない。
だが、連携と罠でここまで俺たちを追いこんだ。
「それで、この炎、どうしたらいいのかしら? このままだとどんどん燃え広がって大変なことになるわ。そろそろ私たちのところまで炎が届きそうだし」
「ああ、心配しないでください。それは大丈夫です」
クーナがパチンッと指を鳴らすと、炎は嘘のように消えた。自身の生み出した炎だけではなく、燃え広がった炎まで完全に制御しているのか。
「呆れるわね。炎に関するクーナの腕は」
「父様と母様に嫌って言うほどしごかれましたからね」
クーナは少し複雑な表情を浮かべた。
「とりあえず、魔物の魔石を回収しよう。回収し終わったら疲れたから休憩しようか」
「賛成ね。ちょっと、肝が冷えたわ」
「私もです。あと、戦闘中に中途半端にしか言えませんでしたが、アンネ、ソージくん。ごめんなさい。私がちゃんとしてれば、一匹目に先制攻撃が出来て、もっと楽に終わってました」
クーナが頭を下げて謝罪をする。
いくらでもいいわけができる状況で、こういう素直さは彼女の美徳だ。
「俺がクーナの冷静さを奪ったから半分以上俺の責任だ。そういうのも含めて休憩の間に反省会をしよう」
まだ俺達は出来たばかりのパーティだ。
少しづつお互いのことを知って強くなっていかないといけない。