第二十三話:【神剣】
鐘が鳴る前に目を覚ます。
この学園に入ってから三日経った。おかげでなんとか加護と魔力も安全水域まで戻ってきている。脅しが効いたのか先輩たちの動きがないし、俺が近づくと逃げるようになった。
最近は一人で寝起きしているが学園に入る前は、クーナとアンネと一緒だったので寂しさを覚える。
はやく地下迷宮の探索に行きたい。
そうすれば、合法的にせまいテントで一緒に眠れて彼女たちのぬくもりと匂いを楽しめるのに。
そんなことを考えながら素早く外にでる。
「あっ、ソージくん。遅いですよ」
寮の外に出るなり、学園から支給された運動服に着替えているクーナが声をかけてきた。
「悪い悪い、先に行ってくれてもよかったのに」
「一人で走るの退屈じゃないですか」
クーナがかわいく頬を膨らませる。思わず抱きしめたくなる。
「クーナ、そんなこと言って、たんにリベンジをしたいだけよね」
「そうとも言います」
少し離れたところで準備体操をしていたアンネも駆け寄ってきた。
俺たち三人は日頃から体を鍛える習慣があったので、朝食まえに軽い鍛錬を行っているのだ。
いくら、魔石を吸収すればランクが上がり強くなるといっても、身体能力は、もともとの能力が加護の恩恵で増幅されるだけなので、鍛えておかなければ強くなれない。
「じゃあ、さっそくジョギングに行こうか」
とは言いつつ、俺は全力でクラウチングスタートのポーズをとる。
「ふっふっふっ、今日こそ火狐の意地を見せますよ」
クーナは、体を深く沈みこませながら重心を前に預ける独特の体勢をとった。
「二人とも、ジョギングなのだから、全力で走ってはダメとわかっているのかしら」
アンネが呆れた声で言う。
俺とクーナはジョギングという名の全力疾走を敢行する。
学園の外周は舗装されていて走りやすく、距離もちょうど12kmなのでレースにはもってこいだ。
「仕方ないわね。行くわよ。用意……スタート!!」
アンネの号令で俺たちは全力で走り出した。
◇
「はあ、はあ、はあ、私の勝ちです……ブイ!」
ふふんっと得意げな顔で息を切らしたクーナがVサインを浮かべる。
汗で張り付いた運動服とか、紅潮した頬とか、鼓動のたびに揺れる胸とか、なんかもういろいろエロい。
「クーナ、ちょっと草場の陰にいこうか?」
「えっ?」
キョトンとするクーナ。彼女には意味がわかっていないだろう。
「いや、なんでもない。それにしてもクーナはめちゃくちゃだな」
俺はランク1の中位だというのに、まだ一切ランクを上げていないクーナに負けた。
「ふふふ、金色の火狐を舐めないでください!」
よほど気分がいいのか、尻尾がぱたぱたと揺れている。
「実際、大したものだと思うよ」
先天的な柔軟なばねと瞬発力もさることながら、彼女は走るときに足音がほとんどしない。すばらしく無駄のないフォームで走っている。
さらにコーナーでは無茶なスピードで突っ込みつつ、長い尻尾をスタビライザーの代わりに使い強引な重心移動で曲がり切るなど、自分の体を使いこなしていた。
「でも、次は負けない」
「返り討ちにしてあげますよ」
クーナと空中で火花をぶつけ合う。
そうこうしているうちに、自分のペースで走っていたアンネがたどり着いた。
「アンネも、私たちと一緒に競争しましょうよ」
「無茶言わないでほしいわ。あなたたちに付き合っていたら授業にたどり着くまでに倒れるもの。それに……私にとってはこの後が本番だから。今日もお願いします。師匠」
アンネは息を落ち着かせながら、俺に向かって頭を下げた。
◇
アンネが俺を師匠と呼ぶようになったのは入学式の次の日からだ。
あの日のやり取りはよく覚えている。
「ねえ、ソージ。あなたの槍に惚れたわ。あの試合の最後の一閃。あれが頭にこびりついて離れないの。あの神技を自分の手でもやってみたい。私の師匠になっていただけないかしら?」
俺は、一瞬気色ばんだ。
あまりにアンネが真剣な顔だったからだ。
「いいけど、代わりに何を差し出す?」
別に、教えるのが嫌だったわけじゃない。ただ、覚悟を聞いておきたかった。
「私のすべてを差し出すわ。あなたが求めるものは何でも。あの高みにたどり着けるなら何も惜しくない」
「よし、ならエッチしようか」
「ええ、かまわないわ」
「じょっ、冗談だから。アンネは自分を大事にしたほうがいいよ」
「そう。自分を大事にしているつもりよ。ソージじゃないと、ここまで言えなかったわ」
逆に俺が怖気づく。
照れる女の子をからかうのは大好物だけど、こうばっちこいと言われると逃げたくなる。
「うん、いいよ。訓練をしようか。ああは言ったけど、代償はとくに求めない……いや、【魔剣の尻尾】。俺たちのパーティに尽くしてくれるというのが条件だ」
「そんなの条件でもないんでもないわ。私自身が望んでいることだもの」
口にはしなかったが、そんなアンネだから、本気で鍛えようと思った。
◇
「【魔銀錬成:弐の型 剣・斬】」
魔術式を脳裏に浮かべ、演算処理を開始、世界のルールが書き換えられ魔術が発動する。
二の腕に巻き付けられているミスリルのリングが、刃渡り60cmの扱いやすい片手剣に変化した。柄を長くして両手でも使えるように工夫してある。
「アンネ、剣の訓練を始めるよ。とは言っても、アンネに教えられることはあまりない」
さすがに、王家への剣の指南役を仰せつかっている家の一人娘だけあって、アンネの力量はかなり高い。
「俺が教えるのは、斬撃ひとつひとつの精度をあげることかな。アンネは俺の【神槍】を美しいって言ったよね。あれがきれいなのは一切の無駄をそぎ落とした到達点だからだ。俺はアンネの剣の一つ一つを徹底的に磨き上げて【神槍】の美しさに近づける」
「それはうれしいわ。剣をどう使うかはわかっているつもりだもの。剣そのものの質を引き上げたいわ」
「よし、それで行こうか。基本的なことだが、斬撃の種類は、九種類しかない。突き詰めれば剣を極めるということは、その九種類の斬撃を極めるということだ」
細かく言えば、足運びや、受け、剣の連携など、ほかの要素は多々あるが、基本となるのはそれだ。
「同意見ね。九種の斬撃を極めることができれば、無敵になれるわ……でも疑問があるの、あなたは槍を使っていたはずよ。剣を教えられるの? てっきり、具体的な剣術ではなくて、一般的な部分を教えてくれると思っていたのだけれど」
さきほどから、俺の手元にある剣を見ていたのはそういう理由か。
「俺は剣も使えるよ。槍を使っているのはそっちのほうが有用な場合が多いからだ。対人では間合いを制することができる。対魔物では固い相手に運動エネルギーを一箇所に集中して突破できる」
間合い、取り回しの良さ、攻撃範囲。運動エネルギーの集約。
槍は非常に優れた武器だ。槍と剣で戦った場合、剣で槍に勝つには三倍の力量が求められると言われている。
もっとも剣にもメリットがないことはないが、総合的な性能を考えると槍が優る。俺は事情があって、アンネのもっている魔剣を使用していた時期と始めの数十年を除いて愛用しているのはそう言った理由だ。
「剣が使えると口では言っても、俺の腕に疑問はあるだろう。俺の斬撃を見て、力量を判断して欲しい。まずは、【唐竹】」
アンネの正面に立つ。そして剣を掲げ上から下へ振り下ろす唐竹切り。
魔術によって実現される。無駄のない完璧な斬撃。……もっとも、【神槍】とは違い、リミッターの解除も魔力での強化もないただの斬撃だ。
1mmほどの隙間をあけて、アンネの前を剣が通過する。
「次に【袈裟】」
左肩から右脇を狙った斜めの斬撃。
「続いて【逆袈裟】」
右肩から左脇を狙った斜めの斬撃。
「【右薙ぎ】」
右から左への水平の太刀筋。
「【左薙ぎ】」
左から右への水平の太刀筋。
「【左切り上げ】、【右切り上げ】」
袈裟と逆袈裟の逆を続けて披露。
「【逆風】」
股下から上へのまっすぐな切り上げ。
「そして、【突き】」
その名の通り突き。喉元にピタリと剣先を突きつける。
「どうだ、アンネ。俺の腕は君に剣を教えるのに値するだろうか?」
俺は彼女に微笑みかける。
「なんて、澄んだ剣筋。一つ一つの剣筋が美しい。ソージ、お願いするわ。この剣を自分のものしたい」
興奮して何度もすごい、すごいとアンネは繰り返す。
多少、罪悪感がある。
なにせ、これは人体の構成を調べそこから逆算した理論上最高の動きを実現する魔術で俺の実力ではない。
ゲーム時代には、おおよそすべての武器で、基本的な型は魔術として存在する。
その目的は実戦で使うというより訓練のためだ。
魔術を使って、完璧な型を何度も実施することで、体に染み込ませ、武器の扱いを学ぶのだ。基本の型以外にも、様々な連携技が開発されている。
事実、俺は槍なら【神槍】以外のすべての型を魔術なしに使いこなすことができるし、剣でも連携技以外ならなんとかなる。
「気にいってもらえて嬉しいよ。今日は初日だから特別に俺の剣のとっておきを見せよう」
そして、プレイヤーたちが開発した武器を使った魔術。その頂点にある魔術には【神】という単語をつけることが許される。
【神槍】、【神剣】、【神弓】、【神槌】。ゲーム時代のイルランデのプレイヤーにとって、自分の魔術に神の名をつけるのは一種のステータスだった。
俺も【神】の名をつけることを目標に開発を続けたが、それに成功したのはもっとも使い慣れていた槍だけだ。だからこそ、槍にはかなりの思い入れがある。
「今から見せるのは斬撃の極地、九種の斬撃の混成接続技、【神剣】。一歩も動くなよ。動いたら死ぬ」
魔術を起動する。
それは、基本の九つの斬撃。それを同時にしか見えないほどの速度で放つ連続技。
その開発者は大昔の少年漫画から着想を得たと言っている。
効率のいいルートで九種の斬撃を繋ぐ。超一流の達人であれば現実では二秒かかると言われている。
だが、【神剣】は肉体のリミッター、身体能力を強化する魔力のリミッターの両方を外しつつ、剣戟に運動エネルギー操作を合わせている。剣が折り返る度に加速する。さらに通常相手の体に当たれば切れたとしても失速するが、相手の体に当たった時の反発力すら、運動エネルギー制御で加速に使ってしまう。事実上、剣が折れない限り加速し続ける超魔剣。それを可能にするのは、目にも映らない速度の剣を、完全に制御しうる、精密な魔術式。
【神剣】は、剣だけでなく、すべての魔術の中でも最高の芸術品と言われている。事実、この俺ですら何一つ改善案が出せなかった。完成された魔術。
その結果……、九種の斬撃を終えるのに必要な時間は0.12秒。
もはや連続ではなく、同時着弾と言える。
寸止めしているはずなのに、剣圧だけで彼女の服が切れる。
最後の一撃、光の速さで喉に剣が突き立てられた。
「これこそがアンネが目指す。いや、乗り越えないといけない領域だ」
「ねえ、ソージ」
「何かな、アンネ」
「抱いて。もう、この剣になら抱かれたいわ」
いろいろと切れて大事なところが見えそうな危うい格好でアンネが抱き付いてくる。
「ああ、アンネ、ダメです。はしたないです」
「別にいいわ。この感動、どうしてクーナにはわからないかしら」
「感動と、痴女は別です! 正気にもどってアンネ」
「正気だわ。ソージ、あなたは最高よ!」
「これだから剣バカは! ううう、ソージくんは魔術バカだし……このパーティ私しか常識人がいないです」
「いや、クーナが一番常識がないと思うよ」
奴隷商人の荷物としてなら、街にただで入れると思い込んでいるような女の子だし。
「しっけいな、この常識的すぎて異常とまで呼ばれているクーナちゃんを捕まえてなんて暴言を」
「その発言自体が、もう常識人のものじゃないって気が付いているかな」
「とにかく、離れてくださいアンネ」
「クーナ、どうしてそんなに必死なのかしら? もしかしてソージを盗られるのが嫌なの」
「違いますぅ。三人パーティで、カップルと私一人っていうのがいたたまれないんで嫌なんですぅ。地下迷宮にそんな組み合わせでテント張って寝泊りとか、耐えられないんですよ。子供の頃、両親が横でずっこんばっかんしてたトラウマがぁぁぁ 私耳がいいんで、起きちゃうんですよぅぅぅぅ」
すがすがしいほどに照れ隠しの仕草がなかった。クーナは、嫉妬ではなく、俺とアンネがくっつくのが嫌なだけと思っている。
「クーナ、簡単じゃないか。クーナも仲良くなればいいんだよ。ほら、俺には両腕があるんだ。二人までなら大丈夫だよ」
「いやです。心底、本気で嫌です。私は父様を見て、私だけを愛してくれる人と結婚するって決めましたから」
クーナはぷぃっとそっぽを向いた。尻尾まで首と同じようにそっぽを向く。
「冗談だよ。アンネもそろそろ離れて。もう寮に戻らないといけない時間だ」
俺はアンネを引きはがす。
もう少し、彼女と抱き合っていたい気持ちはあるが、指数関数的にクーナが不機嫌になっていく。
アンネと今以上に仲良くなりたいとは思う。だけど、それでクーナには嫌われたくない。
「あんがい、ソージくんってヘタレですよね」
「そうね。日頃エロいことを言っておいてこの逃げ。失望したわ」
クーナとアンネが顔を見合わせ笑う。
この二人は本当に仲がいい。
「言っていればいいさ。いつか、俺が野獣だってことを思い知らせてやる」
「ソージくん、知ってます?」
クーナはにやりと笑う。
「キツネって肉食獣で捕食する側ですよ。このクーナちゃんを好きにできるとは思わないことです」
クーナは鼻を鳴らすと先に寮に向かって歩きはじめた。
だが、クーナは知らない。自然界のキツネは捕食側であると同時に、被捕食者でもあることを、特に世間知らずな子ぎつねなんて、鷹のいい餌だと言うのに。
「ソージくん、遅いですよ。いいおかずを先輩たちに全部食べられちゃいます」
「ああ、いま行くホーク」
「ホーク?」
「いや、なんでもないよ。アンネも行こうか」
ついつい、子ぎつねを狙う鷹の心境になってしまった。
「ええ、師匠どこまでも一緒に行くわ」
そうして三人で並んで食堂に向かった。