第十八話:乾杯
「くっ、悔しいですぅ」
クーナが木のジョッキを机に叩き付けながら叫ぶ。
入学試験を終えた翌日、俺たち三人は入学と入寮の手続きを終えてから、酒場に来ていた。
全員、蜂蜜酒を頼んでいる。
エールのほうが安いのだが、お祝いだということで蜂蜜酒を頼んだ。
「お姉さん、おかわりです!」
「あっ、お姉さん、二杯目からはエールで」
「ソージくん、クーナ、甘いお酒のみたいな」
頬を上気させ、目を潤ませつつ、しなを作ってクーナはもたれかかってきた。口調まで変わっている。俺はごくりと息を飲み口を開いた。
「お姉さん、エール二つ追加で。あとキノコのバター炒めと貝の酒蒸し。両方とも大盛りで」
「かしこまりました」
そんなクーナを軽くスルーして俺はエールを頼む、お姉さんは財布を握っているのが俺だとわかっているので、俺の注文を受けてすたすたと奥に消えていった。
「ああ、ソージくんのケチ!」
「ケチとは何だ。今日は俺の驕りだ。文句言うなら割り勘にするぞ」
クーナの顔が青くなる。
俺の金だと思って、高い料理を片っ端から頼んでいるので、割り勘にされると彼女は破産するのだ。
「ソージって妙なところにこだわるわね」
ちびちびと一杯目の蜂蜜酒を舐めながらアンネが言う。
彼女の首には、受験者のトーナメントで一位になった記念のメダルが吊るされている。
「ううう、いいじゃないですか、甘やかしてくださいよぅ。アンネちゃんに負けたのショックなんですから」
「実力ならあなたが上よ。今回は組み合わせが良かっただけ」
「そもそも、クーナ。準決勝に力を使いすぎだ。もっと、消耗を抑えて勝てただろう。あの結界を対人に使うのはもったいない」
本来なら多数対一を想定した技だろう。
「火狐の決闘はエンターティメントでないといけないんです」
「なんなのかしら、エンテーティメントって」
「さあ、よくわかりません。父様が言っていたのですが、響きがよくてたまに使うんですよね」
「よくわからない言葉を使うなよ」
決勝戦のクーナと、アンネの戦いはアンネが勝った。
クーナは、準決勝でほとんどの魔力を使い切っていた上に、あほみたいに硬いランク1上位を素手で殴りまくったせいで、拳を何度も潰しており、そのたびに加護で治療していたので、加護もほとんどなくしていた。
序盤はクーナが体術だけでも圧倒していたが、途中で剣の一撃を喰らうと、加護が三割を切って動きの精細さをなくし、あとは一方的に切られて終了だ。
そもそも一流の剣士を相手に素手で挑むこと自体がナンセンスだろう。
さらに言えば、クーナの動きを見て違和感があった。クーナの動きは格闘術のための動きじゃない。剣士の動きだ。……なにか事情があって、本来のスタイルを曲げている。
「だから、慰めてください。同年代の女の子に負けたショックで落ち込んでいる。かわいい、かわいい、クーナちゃんを慰めてください。潰れるほどの酒で!!」
「落ち込んでいる女の子に酒を飲ませて潰すとか、それどうみても危ない人だよね!?」
「ほら、クーナちゃんが泣いていますよ。ソージくん言ったじゃないですか、私の泣き顔は見飽きたって、だから、ほら、蜂蜜酒で笑顔を!」
よほど蜂蜜酒が好きらしい。
これほど言うなら頼んでいいかもしれない。さっき、断ったのだってクーナの反応が見たかったからだし。十分満足した。お願いするたびに彼女はどんどん密着してきている。対価はもらった。
「わかったよ。でも、どうせなら飲んでない酒にしないか? あっ、エルシエワインがある。滅多に出回らないレアものだ。買おうよ」
酒場のメニューにエルシエワインがあった。
あれは、クランベリーとメープルシロップを使った甘酸っぱいすっきりとした酒だ。
その名の通りクーナの故郷のエルシエで作られている名酒。生産数がすくない上に、人気があるので一瞬で消える。こんな酒場で飲めるのは幸運だ。
一瓶で三万バルもするが、その価値は十分にある。お祝いだしいいだろう。
「いいわね。まだ私が貴族だったころ。父が好きでよく一緒に飲ませてもらったわ。久しぶりに飲みたいわね」
意外なことに、アンネのほうが乗ってきた。
「エルシエワインは二人で飲んでください。私はエールでいいです」
しかし、肝心のクーナが面白くなさそうな顔をする。
「エルシエワインだって甘い酒だよ?」
「知ってますよ。私はそれを飲んで育ってきたんですから。ただ、わざわざ外に飛び出してユキ姉様のお酒を飲むのが嫌なだけです」
ユキ姉様のお酒……クーナは、エルシエワインの蔵の娘だったのか。
貴族御用達の名酒、そこを生み出す蔵の娘ならアンネが姫と呼ぶのもわかる気がする。
エルシエワインは温度管理を魔術で行っていると聞く。だからこそ、徹底的に幼いうちから魔術を仕込むし、酒造りには体力がいるから体を鍛えさせたのだろう。すべてに納得がいった。
……いや、待ておかしい。そんな馬鹿な。たかが酒蔵の娘を姫と呼ぶわけがない。普通に考えてエルシエの姫と言えばそんなの……っ、うん、納得だ。そうか、クーナは酒蔵の娘か。
「ソージくん、ソージくん」
「あっ、なっ、なんでクーナ」
「いきなり、目の焦点が合わなくなって、ぼうっとして、変な病気ですか?」
「いや、なんでもないよ。ちょっと、酔いすぎたみたいだ」
「意外ね。ソージってお酒に強そうに見えるのに」
「普段は強いほうだけどね。ほら、料理が来たぞ」
追加で頼んだキノコのバター焼きと、貝の酒蒸し、それにエールが来た。
「お姉さん、追加でエルシエワイン。あと、チョイスはお姉さんに任せるから、相性のいいつまみを」
「かしこまりましたー。エルシエワインなら。ベル産チーズの盛り合わせがおすすめですね」
「それを頼むよ」
「あと、私の分はエールを追加です」
さりげなく、次のエールをクーナは追加した。噂で聞いたことがある。火狐のほとんどは酒が大好きで、ザルだと。
エールはすぐに出てきたが、エルシエワインは少し時間がかかるとのことだ。
「さて、来た料理を片付けますよ。ソージくん、チョイスがいいですね。どれも好物ですよ」
「それはよかった」
キノコのバター焼きも、貝の酒蒸しも食欲をそそる香りがするので、つい夢中になって箸を伸ばす。
それをエールで流し込むと、今日の疲れも吹き飛びそうだ。
蜂蜜酒がいいとごねたクーナもおいしそうに喉を鳴らす。
「ぷはー。美味しいです」
「……そういう下品な飲み方も楽しそうね」
あまりにクーナがおいしそうに飲むものだから、上品に一杯目のミードを舐めていたアンネも、貝の酒蒸しを口に放り込んで、豪快にミードで流し込む。
「悪くないわね。こういうのも。げぷっ」
なれないことをして、ゲップを鳴らしたアンネが恥ずかしそうに頬を染める。
「ソージくん、乙女が、こんな場末の酒場に乙女がいますよ」
「クーナ、アンネに追い打ちをかけるな。あと、場末なんて言うな。周りの視線が痛い」
「みなさん、ごめんなさい。いい意味で場末ですよー。なんていうか下町というか、庶民的な意味で」
よくわからないことを言いながら頭を下げるクーナ。
ほかの客も、彼女の謝罪の意味はわからっていないが、かわいらしいのでなんとなく許す。今のクーナには、無条件で人に愛されるオーラがあった。
「ほら、エルシエワインが来た」
瓶と一緒に来たグラスに、ワインを注ぐ。
透明なエルシエワインがグラスに満ち、一つはアンネ、もう一つは自分、そして、クーナにも差し出す。
「だからいらないって言ってるじゃないですか」
「この味嫌いじゃないんだろ?」
「好きですよ。でも」
「クーナ。クーナは俺がエルシエの曲を演奏したとき、懐かしくて泣いたよね? ちゃんと故郷を好きな気持ちはあると思うんだ。クーナが故郷を出るのには理由があったと思うけど、故郷の全部を嫌う必要はないんじゃないか? うまい酒に罪はないよ」
「ううう、ですが」
「まあ、飲まないなら俺が飲むけど。今日を逃したら、エルシエワインなんて、数年は手に入らないよ」
「ソージ。ずるいわ。クーナの分は私もいただくわ」
俺とアンネは、目で合図をして、お互いにクーナをからかう。
クーナは、しばらくうなった後。
「やっぱり、私も飲みます。お酒に罪はないです」
「わかった、じゃあ、酒は行き渡ったな。なら、乾杯だ」
俺はグラスを掲げる。
クーナとアンネもそれに続く。
「わが、【魔剣の尻尾】の最初のミッション。全員で特待生、その達成に」
俺が間を作る。
クーナとアンネはタイミングを読む。
そして三人で。
「「「乾杯!!!」」」
声を合わせて乾杯した。
これから、学園に入り、ダンジョンに潜っていく。
今はやっと入り口にたどり着いたばかりだけど、この三人ならどこまでもいける気がした。




