第八話:アサシンリザードのタンシチュー
地上に戻った俺は、ライナに頼まれてアサシンリザードのタンシチュー作りを始めていた。
シチューは仕込みに時間がかかる。
できれば、狩りで疲れているので手間のかかるシチューを作るのは避けたいが、これだけ恩を受けているライナが食べたいと言うのだ。多少の無理はするべきだろう。
「ソージくん、手伝いますよ」
厨房で下ごしらえをしているとひょっこりとクーナがやってきた。
仄かに石鹸の匂いがする。
「汗を流してきたのか」
「女の子ですからね。そういうのは気にします」
「俺が料理を作っている間にのほほんと体を洗ってきたのか、そうかそうか」
「むっ、微妙に引っかかる言い方ですね。ソージくんも誘おうとしたのに、帰ってきてすぐ居なくなったんじゃないですか」
そういえば、そうだった気がする。
食材をもって、速攻厨房に向かったような。
「悪かった、クーナ」
「きゃあああ、何するんですか。ソージくん、汗まみれの体で抱き着かないでください」
クーナが俺の腕の中で暴れている。
クーナの体は相変わらず、柔らかくて気持ちいい。ずっとこうしていたいぐらいだ。
「これで、また風呂に入る必要が出来たな。あとで一緒に入ろうか」
「ううう、ソージくんのエッチ」
クーナが恨めしそうな目で俺を見ている。
だが、嫌そうでないところが可愛らしい。エルシエの温泉は最高だ。それをクーナと一緒に楽しむともっと最高になる。
「というわけで、まずは料理の下ごしらえをしようか」
いじけているクーナに笑いかける。
クーナは頬を膨らませながらも俺が用意した野菜を洗い始めた。
「ずいぶんとたくさんの野菜を使うんですね」
「デミグラスソースが一番タンシチューには合うからね。これぐらいは必要だ。まあ、今回は手抜きをするつもりだ。五時間ぐらいで出来るかな。俺が本気でデミグラスソースを作るなら三日は煮込む」
そう、料理の道はいばらの道だ。
最高のデミグラスソースを作るなら、それぐらいは必要なのだ。
さらに赤ワインを使うのだが、今回はせっかくなのでエルシエワインを使う。
「……父様もたまにそれぐらい手の込んだ料理を作って、すごく美味しいですけど、母様たちにあきれられてます。ソージくんって変なところが父様に似てますよね」
微妙に呆れの含んだ目でこちらを見る。
このロマンを女性に言葉で理解してもらうのは難しいだろう。
「失礼な。俺も、きっとシリルさんも、あくまで必要だからやっているだけだ。それよりも支度だ。クーナ、そこにある野菜を刻んでおいてくれ」
「わかりました。クーナちゃんにお任せですよ」
クーナは、慣れた手際で玉ねぎ、ニンジン、ニンニク、ブロッコリーに似た野菜のミルルを刻んでいく。
俺は俺で、アサシンリザードの舌を捌いて【浄化】し、旨みの強いタンの根元の部分……焼き肉屋などで特上タンと呼ばれているところを厚切りにする。
さらに切れ目を入れてスパイスと塩を練り込んでいく。
ライナの家の厨房にはたくさんのハーブ類と調味料、スパイスがあって、料理好きにはたまらない。
たっぷりとスパイスを練り込んだあとは、フライパンを熱して、厚切りにしたタンを強火で焼いていく。
煮込む前にこうすることで、旨みを閉じ込めるのだ。
そして、肉を焼いたときに使ったバターをシチューに加えるとコクが深まる
「ソージくん、すごくいい匂いですね。ちょっと一切れ……いたひっ」
つまみ食いしようとしたクーナの手を叩く。
「止めとけ。アサシンリザードのタンは焼いて食べても美味しいけど、煮込んでとろけさせるように、厚く切ってるから噛み切れない」
「ううう、ソージくんの意地わる」
クーナがキツネ耳をぺたんとさせて文句を言ってくる。
俺は苦笑し、残していた材料のほうからタンを薄く切る。
そして、両面をレアに仕上げる。
焼肉として食べる場合は焼きすぎない。
最後に塩を振ってできあがり。酸味の強いレモングラスというハーブを振りかける。
「クーナ、口をあけて」
クーナがいぶかしげな表情で口をあける。
そこに、今焼きたてのタンを放り込む。やけどしないように箸でつかんで振って冷ますことを忘れない。
「なに、これ、すごく美味しいです! ぷりっぷりで、肉汁があふれ出て、ソージくん、おかわり! 一切れじゃ足りません。もう、どんぶりいっぱい焼いちゃいましょう」
「試食はこれで終わり、焼肉も美味しいけどシチューはもっと美味しいから」
さて、デミグラスソースを作っていくか。
ここからが本番だ。まずは小麦をバターで炒めて……。
◇
「やっ、やっとできました」
クーナが疲労困憊と言った様子で、ぐったりとしながら声をあげる。
心なしか、もふもふのキツネ尻尾もしぼんでいる。
「やっと煮込みが終わったね。きっちり、五時間。うん、いい出来だ。これならちゃんと胸を張って食卓に出せるな」
苦労しただけあって、デミグラスソースで煮込んだタンシチューは見事なできまえだった。褐色のスープからは甘い香りが立ち上り食欲を誘う。
タンは厚切りにして煮込んだからボリューム感がすごい。
ちょうど、夕食どきだ。
さきほど、ユキナも酒蔵から帰ってきたのでそろそろ夕食にしよう。
◇
そして、いよいよ夕食の時間だ。
「今日は、俺が夕食を作らせてもらった。いつもユキナに作ってもらっているからな」
食卓には、俺、クーナ、アンネの【魔剣の尻尾】のメンバーのほかに、クーナの兄であるライナ、それにライナの養子の銀色の火狐ユキナがいた。
「ソージの料理、クーナから美味しいと聞いていたから楽しみ」
「今回は私も手伝いましたから、期待していいですよ。ユキ姉様!」
「ん。匂いからして期待できる。このシチュー、エルシエワインを使ったの?」
さすがはワインを作った本人だけはある。
本来、デミグラスソースを作るのには赤ワインを使うが、今回はエルシエワインを使っている。
エルシエワインは非常に旨みが強い酒で、シチューとの相性もばっちりだった。
「ああ、そうするのが一番美味しいからな」
「そう、ソージ。もし、まずかったら許さないから」
クールビューティでいつもどおりの無表情とはいえ、ユキナはいつも以上に迫力があった。
手間暇かけて作った酒を台無しにされた場合には怒るだろう。
だが、その心配はない。
俺は最高のタンシチューを作った。
「食べてみればわかるよ」
「いい自信、ソージの料理楽しみ」
にやり、そんな表情をユキナは浮かべる。
「ソージくんもユキ姉様も、お話はそれぐらいにして食事を始めましょう。今日はたくさん動いたのでお腹ぺこぺこです」
「そうね、私も早く食べたいわ」
そうして、全員で食事前の精霊と森への感謝の祈りを捧げて食事を始める。
さきほどから、クーナの兄であるライナがにやにやとユキナを見ていた。
考えていることはだいたいわかる。
きっと、食べたあとにユキナに魔物の肉と聞かせて驚かせるつもりだろう。
ユキナが、スプーンで大きめにきったタンにふれる。
するとスプーンが沈みこんでタンが切れた。見事なとろけっぷりだ。
「すごく、柔らかい」
ユキナは驚いた様子で口に運び、噛みしめた。
そして、眼を見開いた。
「口の中でお肉がとろける。シチューとお肉の旨みが絡まって、すごい。こんなシチュー初めて」
このとろけるような柔らかさこそがタンシチューの醍醐味だ。
イノシシの骨からとった出汁とトマト、それにエルシエワインをベースに何種類もの野菜とスパイスとハーブを加えた濃厚なシチューは、タンの旨みを受け止めるには十分、とろっとろのタンとシチューの旨みが口の中で花開く。
よくできたタンシチューは旨いだけではなく、気品にあふれる味わいだ。
これは、エルシエワインがなければ出せなかった味だろう。
「こいつは驚いたな。ソージが、うまいうまいって言ってたから期待してたが、想像の上を行った」
いつもは、がつがつとかき込むライナも、一口一口味わって食べて放心している。
「この料理、私もすごく好きです。こんなとろけるシチュー、他では絶対に食べれないです」
クーナもご満悦だ。自慢のもふもふのキツネ尻尾をぶんぶんと振っている。
アンネのほうを見ると、眼から涙が零れ落ちていた。
「アンネ、どうしたんだ」
「いえ、あまりにも高貴な味だから。お父様が元気だったころを思い出してしまって。ソージ、この料理は貴族の食卓に並べられる料理よ」
アンネは、どこか寂しそうに言ってシチューを口に運ぶ。
俺はなんとなくアンネの頭を撫でると、彼女がもたれかかってきた。
食事はいつもより、口数少なく進む。
こういった料理は、ときに言葉をなくし食事に集中させる魔力がある。
そうして、みんなが食べ終わったころ、ユキナが蕩けた顔になって口を開く。
「ソージ、ありがとう。ユキナのエルシエワインをここまで素敵な料理にしてくれて」
「こちらこそ、礼を言いたい。ここまでうまいシチューを作れたのはユキナのエルシエワインのおかげだ」
自然な流れで俺とユキナは握手する。
「ソージ、聞かせて。これはなんのお肉? こんな美味しいお肉初めて。ちょっと気になった」
何の肉かわからないのは当然だろう。
魔物肉なんて好き好んで食べる奴は少ない。
俺は笑顔になって口を開く。
「ランク3の魔物、アサシンリザードの舌だよ。狩りに行ってきたお土産だ」
そういった瞬間、ユキナの表情が凍り付き、ライナが大笑いした。
そのあとは、ユキナとライナが、ちょっとした喧嘩にはなったが愉しい夕食の時間がすぎていった。
さて、お腹がいっぱいになったし、夕食の片づけはユキナががやってくれるらしい。
これから、クーナと一緒にお風呂だ。たっぷりと温泉で体を癒しつつ夜を楽しむとしよう。