第二十一話:アンネの輝き
クヴァル・べステの作り出した、偽物のアンネとクーナを倒したあと、俺は走っていた。
魔力の濃いほうに走れば、アンネに追いつく。
そう信じて全力で駆ける。
アンネの後ろ姿が見えた。
彼女は何者かと剣をぶつけ合っていた。
相手は鍛え上げられた肉体を持つ壮年の男。どこか気品があった。
あの男に見覚えがある。あれは、オークレールの当主。アンネの父親だ。
剣戟はアンネが優勢、しだいにアンネの父親は防戦一方になり、最後はアンネが剣で胸を貫いた。
アンネの父親が粒子になって消える。
ゆっくりと歩いていくと、アンネがこちらに気づき振り向いた。
「頑張ったね。アンネ」
「……ソージ、少し泣かせて」
アンネはそういうなり、俺の胸に頭を預けて涙を流した。
俺は何も言わずに、彼女の頭を優しくなでる。
たぶん、アンネが倒したのは、クヴァル・ベステがアンネの記憶を読んで作った幻影だろう。
俺がされたように心を傷つけられながら、それでもアンネは乗り越えた。
「好きなだけ、そうしてくれていいよ。がんばったなアンネ」
アンネが体重を強く預けてきた。
俺は、アンネが落ち着くまでずっとその場で待ち続けた。
◇
「私は今までクヴァル・ベステをただの剣としか思ってなかったわ。でも、こんなことができるなら認識を改めないといけない。ねえ、ソージ、クヴァル・ベステっていったいなんなの? あなたなら知っているわよね」
アンネと二人再び歩き始めるとそんなことをアンネが問いかけてきた。
「魔王を剣の形に封印して加工したものだ。クヴァル・ベステは生きている」
シリルの言葉と、かつてのアンネを見て記憶を完全に取り戻した。
今では、クヴァル・ベステのことを完全に思い出せる。
「じゃあ、クヴァル・ベステは魔王そのものなの?」
「その通りだ。クヴァル・ベステの第一段階開放は、クヴァル・ベステを自らと同一視して受け入れることで可能になる。【暴食】で、クヴァル・ベステの目的である力をため込むことが一致するから、快くクヴァル・ベステは協力してくれるんだ。もっとも、クヴァル・ベステは気難しいから、それすら難しいけど」
だからこそ、だいだい適性が高いオークレール家にクヴァル・ベステが委ねられてきた。
「第二段階は、ため込んだ力を吐き出させることよね」
「そうだ。クヴァル・ベステを支配して言うことを聞かせないと出来ない。今日はこの世界に入り込んだのはそのためだね。そして第三段階は、クヴァル・ベステの正体である魔王と同一化して、魔王として顕現することだ。ただ、これは考えないでいい。人間には魔王を理解できない。同一化なんて不可能だ。ただ、仮にも五百年前世界を滅ぼしかけた魔王だ。その力は、もはや災害だ」
アンネが言葉をなくしていた。
オークレールの象徴がそんな物騒なものだとは思っていなかったのだろう。
「オークレールの剣がそこまですさまじいものだなんてね……ソージははじめから知っていたの?」
「つい最近まで忘れていた。俺も思い出したばかりだよ」
「さっきの、大人になったクーナと私が関係あるのかしら。……私の場合は、記憶にあるお父様の偽物が現れたけど、ソージの記憶に成長した私とクーナが居るの?」
それは俺の核心に迫る質問。
答えるには俺のすべてを話さないといけないだろう。
「ああ、その通りだ。俺は彼女たちを知っている。その話は、いずれクーナも交えて話そうと思う。きっと驚くよ」
俺はすべてを話す決意をしていた。
彼女たちになら俺のすべてを話しても問題ない。
隠し事はもう止めようと決めた。
「わかったわ。そのときまで待ってる」
そうして、二人で黒い道を走り続ける。
もう、障害になるようなものは現れなかった。
◇
走り続けた俺たちの前に、物々しい鉄の扉が現れた。
その扉からは濃密な魔の気配が漂っている。
間違いなくそこに、クヴァル・ベステのコアが居るだろう。
俺とアンネは頷きあって扉を開ける。
「これは!? いったい何なの?」
「この世界にこんな部屋があるなんて」
真っ黒だった世界が色づき始める。
それは玉座だ。
一段高い舞台に、豪奢な椅子があり、そこに一人の美女が座っている。
超一流の調度品が揃い、香がたかれており鼻孔をくすぐった。
「ようこそ、この世界に来客が来るとはのう。我の歓待は気に入ってくれたかのう」
白い髪と褐色の肌、竜のような翼と尻尾をもつ美女だ。
「まさか、最悪の気分になったよ」
「ええ、ソージが言う通り趣味が悪いわ」
「それは、それは」
俺たちの言葉に、美女はおかしそうに笑う。
「随分人間くさいじゃないか、魔王」
実は俺も、この姿の魔王を見るのは始めてだ。
俺の知るクヴァル・ベステの本体はもっと、無機質で異質な人間とは相いれない存在だった。
今、目の前にいる存在は、人間を理解したうえで急所をついて、それを楽しむことまで出来ている。
本来ならありえない。
「ソージ、お主のおかげじゃよ。お主の記憶にある、最上の生贄を喰らって、人間性を得たわしを知った。そしたらあとは簡単よ。今まで喰らった人の意思と魂、それらをつなぎ合わせ取り込み、お主の記憶にある人に理解できる形に堕ちたわしを再現する。最上の魂はなくとも、塵もつもればなんとやらだ。いやはや、人間はいいのう。つまらないと思ったが、つまらなく矮小ゆえの楽しみがある」
いやに心音が高鳴る。
俺の記憶が、クヴァル・ベステを変えてしまったようだ。
「人のことが理解できるようになったゆえに、このようなこともできるようになった」
クヴァル・ベステが指を鳴らす。
幾人もの人間が現れた。
その中には、アンネの父親もいる。ここにいるのはかつてのクヴァル・ベステの担い手たちと、クヴァル・ベステが喰らった魂たち。
それらを操っているのだ。
「わしが人間性を得るために、喰らった魂たちの食べかすで作った人形じゃ」
アンネは拳を握りしめて、クヴァル・ベステを睨みつけた。
死者を冒涜されて、怒りを感じているのだ。
「わしはのう。今まで、力を貯めて、封印を破ることに必死だった。しかし、この魂だけの世界で戯れるのも悪くないと今は思っている。人の感情がわかれば、この世界に取り込んだ魂と語り合いもできる。感謝するぞ、ソージ、我が仇敵、シュジナと同じ魂の匂いがする男よ」
シュジナとは五百年前の英雄だ。それと同じ魂の匂いがするとクヴァル・ベステは言った。
こいつが相手じゃなければ、ありえないと言いたくなるが、何か必ず理由があるはずだ。
「その感謝ついでに、アンネを主として認めてもらえないか?」
「それはできん相談じゃな。その娘は面白くない。さっさと喰らってしまいたいぐらいじゃ。お主が担い手になってくれるなら力を貸してもいい。おぬしは面白い。偽りの世界とはいえ、わしを一度完全に従えておる」
そう来たか。剣に感情がある以上、そう考えてもおかしくない。クヴァル・ベステは自らが持ち主を選ぶ剣だ。
「……そうじゃ、いいことを考えた、わしがこの娘を喰らって、お主がわしの担い手になる。そして、お主は好きなときに、わしの世界に入って、この娘をおもちゃにしていい。わしもおぬしも楽しめる。どうじゃ!」
そんな質問、考えるまでもない。
「ないな、俺は今のアンネが大好きだ。彼女を守るためにここにいる」
「そうか、残念じゃのう。残念じゃ、面白いおもちゃがなくなるとわのう」
周囲の剣士達が一斉に剣を構える。
生前のランクがさほど高くないのは救いだ。
だが、オークレールの剣士たちはランク3はある。一人二人ならともかく、この数は危ない。
それに【蒼銀火狐】のダメージも抜けきっていない。
加えてここは魂の世界。一度殺したからと言って復活しないとは限らない。
撤退も視野にいれるか?
そんな考えを読んだのか、ここに入ってきたときにあった扉が消えた。
「いったい、何をするつもりだ」
「まずは、その小娘の魂を完全に喰らって、お主の考えが変わるかを試してみる。そこでお主がわしの担い手になることを認めれば、お主だけは生かして帰してやるつもりじゃ」
「そうか。なら、提案がある。おまえはアンネがつまらないと言った。だが、俺はそうは思えわない。アンネの輝きを知っている。アンネの輝きを試してみないか?」
「ほう、お主がそういうならやぶさかではないな。一度だけ試してみよう」
クヴァル・ベステは目を閉じ、姿を変える。
それは俺そのものだった。
「その娘はのう、剣しか能がないくせに、その剣ですらおぬしに勝てないと悩んでおる。そのようなお主の劣化品に使われるのは面白くない。ゆえに、この場でお主を超える剣士であることを証明すれば、使われるのもまた一興かと思うのじゃがどうだろうか」
その言葉と同時に【紋章外装】を実行する俺の姿になった魔王。
見た目だけじゃなく、実力まで完全に真似ることは今までの戦いでわかっている。
俺とアンネの技量は、俺が若干上。
そしてランクは最近集中して魔石をアンネに回して来たことで若干アンネが上だが、そんなもの【紋章外装】の上昇幅の前には無力。
どう考えてもアンネには不利な勝負。
そんなクヴァル・ベステの提案を聞いたアンネは剣を引き抜き、一歩前に出る。
「受けるわ。私が勝てば認めてくれるのね」
「ほう、度胸だけはあるようじゃのう。蛮勇かもしれんが」
俺の姿になったクヴァル・ベステと、アンネがそれぞれ剣を構えた。
あの構えから放たれるのは最速の一撃【斬月】。
俺が教えたアンネの得意技。
二人がにらみ合う。
「俺の合図で初めてもらう。二人とも準備はいいな」
「おうとも」
「いつでもいいわ」
あたりを静寂が支配する。
痛いほどの緊張感の中、俺は口を開いた。
一瞬で勝負が決まるという確信があった。
「はじめ!」
その瞬間二人とも、全力で踏み込む、二人同時に踏み出した一歩でお互いを剣の射程にとらえる。
そして、二人同時に横なぎの【斬月】を放つ。
ここまでの行動はまったく同じ。
だからこそ、純粋に速いほうが勝つ。
「かはっ」
敗者が胸を深々と切り裂かれ血を吐き地に伏せ、勝者が静かに背を向け刀を鞘に納める。
今、立っているのは……。
「私の勝ちよ」
「なぜ、なぜ、わしが負ける、負けることなんてありえない。なぜ、なぜ、なぜ」
クヴァル・ベステは理解できないというように何度も、何度も、地面に手を叩き付ける。
「クヴァル・ベステ、おまえは人間を舐めすぎた」
「そうかもしれんのう。この結果が全てを物語っておる」
俺は最初からアンネの勝利を確信していた。
理由は二つ。
一つは、【斬月】の速さ勝負に持ち込めたこと。
総合的な剣技であれば、まだ俺のほうが上だ。だが、【斬月】その一つの技だけであればアンネのほうが速い。
愚直に、毎日欠かさず鍛え続けた魂の一撃。魔術師が本業である俺には絶対に放てない絶対の一。
二つめ、クヴァル・ベステは人間の意思の力を甘く見すぎた。
かつて、俺は第三段階開放を実現するため、過去の世界のアンネを取り込ませた。魔王を人に理解できる形に落とすと同時に内側からアンネに協力してもらい魔王を制御した。
図らずも、クヴァル・ベステは自分から人間に堕るために、オークレール家の剣士の魂を深く取り込んでしまった。
その魂たちは、魔王に呑まれ、支配されつつも、アンネのために内側からクヴァル・ベステに抗い剣戟を鈍らせた。
アンネが積み重ね、研鑽し続けた一撃と、歴代のオークレールの剣士たちの誇り。それが、俺の剣技と【紋章外装】をかろうじて上回り、勝利を引き寄せたのだ。
「私の勝ちよ。約束は守ってもらうわ」
「奇跡を引き起こす、不可能を可能にする。これが人間の輝きか。なるほど、面白いのう。仕方ない。小娘を主として認めよう。じゃがのう、わしは気まぐれ故、いつ寝首をかくかわからん。覚悟しておけ」
からからからとクヴァル・ベステが笑う。
アンネの持っている剣がただの白銀の剣からクヴァル・ベステに変わった。
「ソージも、また会おう。お主ならいつでも歓迎するぞ」
クヴァル・ベステは俺を見て微笑む。
周りの景色がゆがみ始める。
アンネは魔王の背後にいる、自分の父親を見ていた。
そこに居るのは、本当の意味で父親ではない。クヴァル・ベステが蓄積させた彼の残骸。
それでも思うところがあるだろう。
アンネは最後に手を振った。
そして、完全に俺たちの姿が消える。
この世界から追い出され、現実世界に戻ったのだ。
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