第十九話:過去の幻影
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アンネと二人でクヴァル・ベステの中に魂が飲み込まれた。
いつもアンネが行っている接続ではなく没入だ。クヴァル・べステの魂の世界に侵入している。本気でクヴァル・ベステと向かい合うなら、こうすることが必要だ。
現実の肉体は糸の切れた人形のように崩れ落ちているだろう。
俺たちの体はシリルが守ってくれている。
どこまでも真っ暗い空間が続く。ひどく寒い。
魂の世界ではイメージ力が重要だ。
俺は自らの形を強く意識する。何もない空間に俺の存在が描き出される。
周囲の気配を探ると、アンネの存在を感じた。シリルによって俺たちの魂は共鳴状態にある。そのおかげで存在を感じとることができるのだ。
「アンネ、聞こえるか!」
肉体が創造できれば、声が出せる。声が出せれば想いを伝えられる。
その一つ一つを強くイメージする。
「この世界では、イメージが形になる! 自分の姿を強く念じろ。行動の一つ一つを明確に、そして、その意味を意識しろ。そうしないと、存在が薄れて消えてしまう!」
声の限り叫ぶ。
俺の背後に気配が生まれた。
そちらを振り向くと、今まさに彼女が具現化するところだった。
見慣れたさらさらの銀色の髪、白磁のように白い肌。妖精のように華奢な体。
「ソージ、助かったわ。このまま消えるんじゃないかって怖かった」
「初めてなら仕方ないよ」
魂の空間なんて、普通の人間は一生経験せずに終わる。
「ここがクヴァル・ベステの中なのね」
「ああ、そうだ。ここはクヴァル・ベステの魂の世界だ。何があるかわからないから油断するな」
これほど広大で密度の高い魂の世界を持つのはクヴァル・ベステぐらいだろう。
周囲に無数の気配を感じる。
今までクヴァル・ベステが喰らいため込んできた、意思、魂、魔力、それらが渦巻いているのだ。
そのうち一つが形になった。イノシシの魔物。
どこかで見たような魔物だ。そいつら俺たちに向かって突進してきた。
「【魔鉱錬成:壱ノ型 槍・穿】」
自らの愛槍をイメージし、具現化させ突き刺す。
ここでは自分の存在はおろか、武器すらもイメージ次第。とは言っても架空の武器をイメージしてもリアリティが足らずにろくなものにならない。細部まで正確にイメージできる使い慣れた武器が好ましい。
愛槍がイノシシの魔物の眼球を突き刺さるのを確認すると同時に、【電撃】の魔術で内側を焼く。
イノシシの魔物が消失した。
「魔物が出るのね」
「クヴァル・ベステが俺たちを排除しようとしているんだ。アンネも武器を出したほうがいいよ」
「そうね、やってみるわ」
アンネが自らの武器をイメージする。
現れたのは白銀の剣。
だが……。
「クヴァル・ベステじゃないな」
「ええ、イメージしたけど、だめだったの」
それも無理はないか。クヴァル・ベステはまだアンネを真の意味で主と認めていない。だからこそ、アンネの呼び出した剣はクヴァル・ベステではなくただの剣になった。
この空間でクヴァル・ベステを呼び出せたとき、本当の意味でアンネはクヴァル・ベステの支配者になるだろう。
◇
黒い空間をひたすら前に進みながら、幾度となく魔物たちに襲われていた。
それは今も。
「さっきから、魔物の数が多いわね」
アンネが空中から襲い掛かってきた鷲の魔物の首をすれ違い様に切り落としながら、つぶやく。
「数が多いことも気になるが、もう一つ引っかかることがある」
俺は猿の魔物の頭を槍で貫きながら返事をした。
「気になること?」
「魔物が弱すぎる。クヴァル・ベステが本気ならもっと強力な魔物を呼び出せるはずなんだ。今まで出てきたのはほとんどがランク1相当。強くてもランク2程度。何か意図があるはずだ」
俺たちを試しているのか、そんなことを考えながらも黒い空間を進んでいく。
強い力を感じる方向に歩いていけば、クヴァル・ベステのコアにたどり着けるはずだ。
しばらく歩いていると空気が変わった。
冷たく刺すような、そんな空気。
俺の長年の経験によって培われた勘が告げている。何かまずいことが起きていると。
次の瞬間だった。
俺たちの前に二人の女性が現れる。
二人とも二十代前半の恐ろしいまでの美女。
一人は、金色の柔らかな髪とキツネ耳をもち肉付きのいい女性。感情が抜け落ちた目、虚ろな表情。まるでこの世界すべてに絶望したような印象を受ける。
もう一人は、銀色のさらさらの髪を持ち、胸はないがスタイルがいい女性。強い意志を感じさせる眼光、一流の剣士特有の静かな佇まい。
俺の奥歯ががたがたと震えていた。
彼女たちを知っている。それも深く。
アンネも呆然とした表情を浮かべていた。
「ねえ、ソージ、あれ、成長しているけど、クーナと私よね?」
アンネが困惑した声をあげる。
彼女を落ち着かせたいができない。俺自身がどうしようもないほど混乱している。
だって、彼女たちのあの姿は……。
「ねえ、ソージくん。なんで私を見殺しにしたんですか?」
かつて、絶対に守ると誓って守れなかった存在。
一度は絶望に染まり、長い時間共に居てやっと笑顔を見せてくれるようになった。それでも最後は俺の目の前で殺されてしまった。世界で一番好きだった女性。
俺が失敗してしまった世界でのクーナ。
「師匠、ずっと信じていていたのに。私を助けたのは、クヴァル・ベステの第三段階開放の力がほしかっただけだったのね。始めから生贄に捧げるつもりで優しくした。そのためだけに、ずっと騙し続けて、育てて、……最後にはクヴァル・ベステに喰わせた。ねえ、師匠。私は今でもずっと、クヴァル・ベステと一つにされて苦しみ続けているの」
その言葉で頭の靄が消えていく。
とある周回ごと封印された俺の記憶、ときおり頭を出していた記憶だ。それが戻ってくる。俺はある周回ではずっとアンネと共に居た。
その周回では生き倒れたアンネを拾い、育て、クヴァル・ベステの秘密を解き明かし、オークレール家の真実を公にしたのだ。それが火種になり戦争にまで至ってしまった。
その戦争の中でクヴァル・ベステの力に頼らざるを得なくなって、誰よりも俺を信頼してくれた。アンネを生贄に捧げてしまった。
俺がかつて失ってしまったクーナとアンネ、二人の姿に心がかき乱される。
「あ、あああ、ああああ」
無意識に声が漏れる。自責の念に押しつぶされそうになる。
「ソージ、大丈夫、落ち着いて」
アンネが背中をさすってくれた。
落ち着け、冷静になれ、取り乱すな。
「ねえ、ソージくん。世界で一番好きなんて言っておいて、私のことは忘れて、新しい世界で新しい私に乗り換えたみたいですが……また見殺しにするつもりですか?」
「師匠、この世界でも、私を生贄にして最強の力を得るのね?」
成長したアンネとクーナが俺を責める。
「俺は、そんな、ことはしない。もう二度と間違いを繰り返さない。今度こそ、絶対に失敗しない。クーナもアンネも、俺が幸せにする! そのためにここに来た!」
それは誓いだ。ほかでもない俺が俺自身に誓った。
もう二度と大事な人の手を離さない。
「ソージくんの嘘つき」
「新しい私たちを救ったら、過去の罪は消えると思っているのかしら?」
二人の姿がかすむ。
次の瞬間には俺の目の前に居て、拳を振りかぶっていた。
回避が間に合わない。
直撃を受け、無様に吹き飛ばされる。
このスピード、打撃の重さ。ランク4相当。
彼女たちが死んだときのランクと同じ。
「ソージ!」
アンネが叫ぶ。
俺は立ち上がり血を吐いて、叫ぶ。
「アンネ、先に行け。すぐに追いつく!」
「でも!」
「俺は大丈夫だから、頼む! お願いだから……ここは俺だけに任せてくれ」
俺の悲痛な叫びにアンネは頷く。
「絶対に負けないって約束してくれるならいいわ」
「約束する。俺はクーナとアンネを幸せにするって誓っただろ。こんなところで死なない」
「わかったわ。あとで話を聞かせてもらうから」
その言葉と同時にアンネは去っていった。
動揺が少しだけ収まる。だから、ようやく一つの可能性に思い至った。
「随分と手の込んだことをしてくれる。クヴァル・ベステ! クーナとアンネの偽物を作り出すなんてな」
おそらく、これはアンネと俺を引き離すための計略。
俺の魂に刻まれた記憶を呼び起こし形にした。幻影にすぎない。
「ソージくん、何を言っているんですか? 確かに私たちはクヴァル・ベステが作り出した幻です」
「そうね。だけど、偽物じゃない。あなたの魂に刻まれ、あなたの心に中に生きていた。確かな本物。ねえ、師匠。私たちをまた殺すの?」
あれはクーナとアンネではない。
振り払って前に進まないといけない。
だが、それでも。
俺は自らの心に刻まれた彼女たちと戦うことができるだろうか。
震える手で槍を握りしめ。俺は過去と向き合った。