第十八話:クヴァル・ベステの中へ
アンネが特訓しているであろう場所は把握している。
彼女がダンジョンで狩りをしたあと、青い顔をしたまま自主練をしていた事を知っている。
何度か止めようとしたが、言葉では止まらないと思い、こっそりとたまに様子を見るようにしていたからだ。
完全なオーバーワーク。
アンネは俺やクーナに置いていかれることを極端に恐れている。自分が足手まといになっている自覚があるのだ。
それは普段の発言や態度から見え隠れしている。
そんなことはない。なんて薄っぺらな言葉では彼女を止めることはできない。
だからこそ、ここで第二段階解放を身に着けて、俺とクーナに追いついてもらう。
俺とシリルが向かったのは、エルシエの郊外にある森の木々がまばらにしかない場所。ここなら人目につかず、思いっきり剣が振れる。
「はっ! やっ!」
アンネが剣を振るっていた。
クヴァル・ベステに赤いラインが幾重にも這っており、そのラインが脈打ちアンネの肌にまで侵食している。
クヴァル・ベステの第一段階を超えた力の解放をしている証だ。
クヴァル・ベステの力を借りたアンネの剣戟はまるで暴風のように周囲をずたずたに切り裂く。
大木が一つなぎ倒された。
その直後、アンネの右腕が変な動きを見せる。ぴくぴくと脈打ち、震える。
アンネは左腕で押さえつけ、悲鳴をあげながら無理やり剣を引きはがした。
肩で息をして、目がうつろだ。
クヴァル・ベステの力を引き出しすぎだ。こんな無理をしていればいつか必ず取返しがつかなくなるだろう。
「アンネ、やっぱり特訓をしていたか。無理をするなと言ったはずなのに」
見ていられなくなって声をかけた。
「ソージ」
アンネはゆっくりとこちらを剥き、
力ない瞳でアンネは俺は見つめる。
「ばれちゃったわね」
「アンネがこうすることはわかっていたよ」
「私は弱いわ。強くならないといけないの。それにちゃんと、もっとがんばって、地下迷宮探索のとき無様をさらさないようにするわ。特訓も地下迷宮探索も両立させて見せる。だから、心配しないで」
アンネは本気で言っている。
そのことは声音がから伝わってくる。
少し前、風呂に入りながら第二段階解放に至れば、俺たちに追いつけると言って慰めたが、それが悪いほうに働いているのだ。
止めようとしても無駄だろう。
だからこそ、俺はアンネを止めずに背中を押しつつ、安全を確保する道を選んだ。
「まったく、どうしてそんなに自分を虐めるのが好きなんだか。ゆっくり無理なく積み重ねていけばいつか、自然に第二段階解放が身につくのに」
「ソージだけには言われなくないわね。無茶はあなたの専売特許のはずよ」
そう言われると言い返せない。
なら、先に進もう。
「アンネ、おまえのやり方は危険だ。普通にやるよりは第二段階解放を極めるのは早いが、リスクが高すぎるし、リスクを負う回数が多すぎる。どうせリスクを負うなら、一回だ。このあたりで大きなリスクを背負う。今日、この場で第二段階解放を極めるぞ」
止められると思っていたところに、こんなことを言われたものだから、アンネが驚き目を丸くする。
「ちょっと待って、ソージ。今は第二段階解放の入り口でも、かなり厳しいのよ。完全に支配するほど強くつなげば、間違いなく」
「一分持たずに、アンネの魂はクヴァル・ベステに持っていかれて戻ってこれなくなるだろうな」
それは、推測じゃない。予言だ。
今のアンネの力じゃ確実にそうなる。
「だったらなんでそんなことを言うのかしら?」
「俺も一緒に行く。一人でだめでも、二人ならなんとかできるさ」
懐かしい愛剣クヴァル・ベステ。その扱い方はよく知っている。
アンネをうまく助けられるだろう。
「そんなこと……」
「できる。それに助っ人も連れてきた」
俺がそう言うと、背後からシリルが現れアンネに向かって手を振った。
「どうも、助っ人だ」
「シリルさん」
アンネが驚いた声を上げる。
「アンネロッタ。思ったより、クヴァル・ベステを慣らすのが早いね。その調子なら三年後には完全に第二段階解放をものにしただろうね」
三年、一見長い時間に思えるが、それは驚異的な速度だ。
かつて、クヴァル・ベステを携えた俺が、第二段階解放に至るのに五年かかった。
アンネには驚異的な才能と適性がある。
「三年は長すぎるわ。私は今、力がほしい」
「そうやって若者は焦って自滅するんだ……。三年待たずに無理に力を得ようとしたら、どこかで必ず君は道を踏み外した。まったく、その自滅に一緒に付き合ってくれるソージに感謝しなよ」
何が面白いのか、シリルはくすくすと笑う。
「ちょっと待って、ソージ、シリルさん。ソージが一緒に第二段階を解放するなんて、私は認めていないわ」
「諦めろアンネ。おまえが無茶を止めないように、俺もアンネが壊れていくのを見届けるなんてできない。アンネが今のまま無事に第二段階解放ができるようになる確率よりも、俺と一緒にこの場で第二段階解放に挑む勝率のほうがずっと高い」
危険なことに変わりないが、アンネを失う。その一点では圧倒的に可能性が低くなる。
うぬぼれではなく、俺は世界最高峰の魔術師で魂の扱いを得意としており、さらにクヴァル・ベステのスペシャリストなのだから。
「でも、ソージまで危険にさらすわけには」
「アンネ、おまえだって俺が死地に向かうとき、自分に助けられる力があって、何もしないなんてできないだろう。俺はクーナだけじゃなくておまえも愛しているんだ。好きな女のために無茶ぐらいさせろ」
アンネの顔が赤くなる。
彼女は肌が白くてわかりやすい。
俺たちを見て、シリルが口をひらく。
「まったくクーナの父親の前でよくやるね」
「理解があると思っていますので」
「痛いところをついてくる。……こうしている時間がもったいない。やるなら、はやくしよう。ソージ、アンネロッタ。二人でクヴァル・ベステの柄を握ってくれ。そうすれば俺が二人の魂を共鳴させた状態でクヴァル・ベステに深く繋ぐ。魂ごともっていかれるだろうから、残った肉体は俺が守っておく。安心てくれ。二人なら簡単に飲み込まれないだろうし、ソージはその道のプロだ。命綱もつけてある」
ここが引き返せる最後のポイント。
柄を取れば、二人とも死ぬか、二人とも生き残るか、どちらかしかない。
「アンネ、無理なく三年かけてじっくり第二段階解放を目指すと約束してくれるなら、ここでの無茶はやめる。もしそうじゃないなら、その柄を掴め、この場で俺も一緒に命をかけてやる」
アンネの表情がこわばる。
クヴァル・ベステと俺を交互に見つめ、そして柄を強く握りしめ、俺のほうにその柄を手ごと差し出す。
「ソージ、ごめんなさい。私と一緒に命をかけて」
「ああ、喜んで。もう少し迷うと思っていたんだけどな」
「これは譲れないところだわ。それに……ソージが一緒で負ける気がみじんもしなかったから」
俺はにやりと笑う。
そう言われたら、尻込みできないな。
アンネの手ごと、クヴァル・ベステの柄を握る。
それを見たシリルが頷いた、魔術を起動する。
手に握ったクヴァル・べステが脈打つ。
そして、一気に赤のラインが俺とアンネの手に伸びてきた。
魂が引っ張られるのを感じる。
アンネの意識が落ちた。
俺も、自らを引っ張るクヴァル・ベステに逆らわず、魂をクヴァル・べステに飲み込ませた。
さあ、ここからはクヴァル・ベステの魂の世界だ。
アンネと二人で、クヴァル・ベステに打ち勝って見せよう。