第十七話:第三段階解放
初めてエルシエの地下迷宮に潜ってから四日もの間、毎日狩りを続けていた。
得た魔石は優先的にクーナとアンネに使用している。クーナは【九尾の火狐化】。アンネはクヴァル・ベステの第二段階解放に苦労しており、少しでもそれらをうまく扱えるようにするためだ。
恐れていた襲撃はまだない。
そこは安心したが、懸念が一つある。アンネの体調がおかしい。
本人は必死に隠そうとしているが隠しきれていない。
我慢強いアンネがそこまで追い込まれているならかなりまずい状況だ。
そういうわけで、今日はシリルとライナに話して一日休みにしている。
魔剣の尻尾の三人で俺が借りている部屋に集まっていた。
名目は、今までの振り返りと今後の計画を立てるためだ。
各自がそれぞれどのように成長したのか、今後どうやって強くなっていくかを話し合った。
そんな作業はすぐに終わり、いまはゆっくりとしている。
「久しぶりのお休みですね。ソージくん、そろそろ疲れが溜まってきたので助かります」
クーナが目の前でまったりしながら、しっぽをブラシでとかしていた。
器用に、尻尾を後ろから足の間を通して前にもってきている。
クーナの使っているブラシは俺の手作りだ。
以前、クーナのブラシを俺の不注意で壊して、お詫びに作ったものだ。彼女がちゃんと気に入ってくれて嬉しい。
「クーナ、それだと尻尾の付け根がブラッシングできないだろう。貸してくれ。俺がブラッシングするよ」
「尻尾を触っていいのは……ソージくんなら大丈夫でしたね。お願いします」
クーナが若干顔を赤くしながら、ブラシを渡してくる。
彼女の後ろにまわり優しく尻尾を持ちあげ丁寧にブラッシングしていく。
クーナのもふもふ尻尾に触れると、手が沈み込んでいく。温かくて柔らかくてさらさらで、触っているだけで幸せな気分になる。
クーナが気持ちよさそうに熱い吐息を漏らした。
こんなふうに尻尾を自由にさせてくれるなんて、少し前まで考えられなかった。
「ソージくん、そこ、気持ちいいです」
「うん、わかってる。あとはここかな」
「ひゃぅ、そこも弱くて」
「でも、気持ちいいんだろ?」
クーナはいちいち反応が面白い。つい夢中になってブラッシングしてしまう。
数分後にはクーナは頬を上気させて、全身を弛緩させていた。
「これで終わり、尻尾が綺麗になったよ」
「はい、ぽかぽかして気持ちいいです。ソージくんのブラッシングは最高です」
クーナが微笑んでくれる。
そんな俺たちを、無表情でアンネが見つめていた。
「ねえ、ソージ、クーナ、こんなことをしていていいのかしら? 私たちは一分一秒が惜しいのよ。やっぱり、今からでも特訓を」
アンネが声を上げる。
彼女のいう事は正しい。
だが、今の彼女にはそれを言う資格はない。
「確かに、一分一秒が欲しい」
「だったら」
「だけど、これ以上アンネに無理をさせられない」
「私は無理なんて」
「しているよ。最近、動きが鈍い。集中力が落ちている。アンネは自分が思っている以上に疲れがたまっているんだ」
だからこそ、今日は休憩にしたのだ。
このままでは取返しのつかない失敗を命のやり取りの最中にしてしまう。
「そんなこと」
「もし、疲れのせいではなく、あんな無様な剣を振るうなら、今まで教えた剣がまったく身についてないことになる。アンネがクヴァル・ベステの力を引き出すことに夢中なのはわかる。だけど、それ以外が全部がおざなりだ。特に昨日はひどかった。自分の一太刀一太刀を思い出してみろ。昨日の剣は、オークレールの技を受け継ぎ、俺が鍛え、アンネが見出した剣だと自信を持って言えるか? あんな剣を振るい続けたら、アンネの剣はだめになる」
アンネが言葉に詰まる。
そして奥歯を噛みしめた。冷静に自分の動きを顧みると納得できる動きではなかったのだろう。
「だから、一日休もう。このままだと自分が命を落とすだけじゃない。仲間の命すら危険にさらす」
「……でも、ソージだってクーナの変質魔力を吸収して不調のときに無理して」
「俺はそんな状態でも十全に動いて見せたよ。アンネがそれを出来ているなら、こんなことは言わない」
少しきつい言い方になるが、こうでも言わないとアンネは止まらない。彼女は自分に厳しすぎるところがある。
「そうね。ソージの言う通りね。少し頭を冷やしてくるわ。気分転換に外を歩ていてくる」
そう言ってアンネは外に出て行った。
◇
「ソージくん、追いかけないでいいんですか?」
「追いかけないと駄目だろうな。アンネは間違いなく、一人で特訓するだろうし。俺の言葉を聞いて休もうじゃなくて、辛くても疲れを見せない動きをしようと思うタイプだ」
これだけ彼女と付き合っていればそれぐらいはわかる。
それは彼女の欠点であり、美徳だ。
「駄目じゃないですか」
「だから、アンネを休ませる方向じゃなくて支える方向で手を打とうと思うよ。アンネの不調は、体の疲れじゃなくて魂の消耗だ。クヴァル・ベステを御しきるには、未熟だからね。アンネ一人でだめでも俺と二人なら御しきれるかもしれない」
少しでも、クヴァル・ベステに対抗できるようにアンネには魔石を多く使っている。
それでも、焼石に水ならもっと効果的な方法をとるしかないだろう。
アンネの肩の荷の半分を俺が被る。
「また危険な香りがするようなことを。ソージくん、アンネをお願いします」
「止めないのか?」
「はい、止めません。だって、ソージくんはアンネ以上に頑固ですからね。……だから応援することにしました」
俺は微苦笑する。
よく俺のことが分かっている。さすがは俺の婚約者だ。
クーナが後押ししてくれるなら、あとは俺のするべきことをするだけだ。
◇
直接、アンネのところにはいかずにシリルのところに向かう。
俺一人ではアンネを助けるには力不足だ。
彼の屋敷の門を叩くと、使用人にシリルの部屋に案内される。
「よく来たね」
落ち着いた様子でシリルが椅子に座っていた。
「その表情、俺が来ることを予測していたのでしょうか?」
「まあね、君の力があって、その性格ならそろそろ来るころだと思っていたんだ。アンネロッタとクヴァル・べステのことだろう」
やっぱり、かなわない。
だが、説明の手間が省けた。
単刀直入に用件を伝えよう。
「シリルさんの力で、俺とクヴァル・ベステをつないでほしい」
俺一人でもクヴァル・ベステとつながることができる。
だが、それにはかなりの魔力を消費する。つなげてからが本番なのだ。ここで消耗するわけにはいかない。
「つなげたあとは?」
「アンネと二人がかりでクヴァル・ベステに本当の意味で主だと認めさせる。第二段階解放を一度完全な形で行えば、クヴァル・ベステの侵食は収まるはずです」
今までアンネは、クヴァル・ベステの食べかすをさらっていく形で力を取り出していた。
その手法は、クヴァル・べステとつながる深度も時間も最小限にして負担を減らすことができてはいるが、クヴァル・ベステを支配していないゆえに、毎回クヴァル・ベステから侵食を受けていた。
だからこそ、一度完全に支配する。そうすれば、今後楽に力を引き出せるだろう。
「ソージ、目の付け所はいいが君たちはランク2だ。そのランクであれに挑むのは無謀もいいところだと思うよ。無理をせずゆっくりと慣らしていけば今のままでもいずれ深奥にたどり着く。無理をしなければね」
「わかっています。俺の言ったことが無謀なことぐらい。しかし、勝算はあります。クヴァル・ベステの中には、歴代のオークレールたちの魂と魔力がある。彼らを味方につけて、中と外、両方からクヴァル・ベステに対抗し、その上で俺とアンネ二人がかりなら勝てますよ」
数百年もの間クヴァル・ベステと共にあったオークレールの剣士だから可能な手法だ。
「そういう手法もあるのか。オークレールの英霊の力を借りる。面白い。俺には考え付かない手法だ。いいだろう協力しよう。……だけど、ソージには保険をしておこうか」
シリルの手に立体的な魔法陣が浮かぶ。
シリルが得意な魔術だ。とっくに非効率だとすたれてしまった空間に描く魔法陣。それを立体として描き、何重もの意味を持たせることによって超高密度の魔術を最小構成で発動する絶技。
……最近、模倣を始めたがなかなか厳しい。もう少し時間がかかりそうだ。
シリルは魔法陣を手の平に浮かべたまま、俺の心臓のある位置に向かって掌底を放つ。
俺の心臓にシリルの魔術が刻まれた。
「かはっ」
息が止まる。
全身が焼けるように熱い。
いったい、これはなんだ。
「ちょっと、乱暴にしたが君の魂に俺の魔術を仕込んだよ。可愛い娘を未亡人にするわけにはいかならいからね。最後の最後で君を守ってくれるはずだ」
「説明できないってことは訳ありの術式ですか?」
「そうとってもらって構わない」
まったく、やってくれる。
だが、俺のためであることは疑う必要はないだろう。
そして、どうしても問いたいことがあったことを思い出した。
「シリルさん。あなたは強い、世界でただ一人のランク6。魔術も知識も何もかもが最上級。そして、あなたの個人戦力だけじゃなく、このエルシエも何人ものランク5の人員を用意しています」
実際にエルシエに来て、その異様さがよく分かった。
魔術も科学も圧倒的に進歩している。
そして、ライナやソラを初めとしたランク5の人員。
封印都市エリンでは、世界にランク5は五人しか居ないと言われているにも拘らず、エルシエには表舞台にはでない実力者が山ほど隠れていた。
はっきり言って、異常だ。エルシエが本気になれば封印都市エリンですら、一週間で蹂躙できる。
世界最強。その名がふさわしい圧倒的な戦力をこの小国は有している。
「それでも、あなたは自分の力じゃクーナを守れない。だからこそ、神に協力して俺を呼んだと言った。あなたが勝てない相手、それはいったいなんですか? 俺たちが手も足も出なかった、神聖薔薇騎士団。彼らですら、シリルさんにとっては歯牙にもかけずに倒せる相手だ」
ずっと気になっていたことだ。
シリルでも守れないなら、シリル以上に強くなるしかない。
だが、エルシエという彼の指揮する国を使っても勝てない相手、そこに勝てるビジョンが浮かばない。
「いい質問だ。”誓約”で語れることは少ない。だから二つだけ話そう。俺とエルシエの力ではクーナを守り切れないというのは、嘘じゃない。そして、ソージと、アンネロッタ。二人の力があれば希望が生まれるのも間違いない。悪いがこれが俺に話せる限界だ」
いつもと同じ表情。だがどこか無力感を感じさせる声音でシリルは言った。
……エルシエの戦力でだめで俺たちができること。
純粋な武力じゃない何か。
俺たちでないといけない理由があるはずだ。
それを見つけないといけない。
「シリルさん教えてくれてありがとう。まずは、アンネをなんとかするのを手伝ってほしい」
「わかった。君とクヴァル・ベステをつなぐだけなら容易い」
これで最低限の課題はクリアだ。
あとは俺とアンネの力しだい。
「ソージ、クヴァル・ベステの正体を知っているかい?」
「いえ、知らないです」
正確に言えば、記憶が封印されている。
知っていたはずのことが思い出せない。
シリルは微笑み、言葉を紡ぎ出した。
「あれはね、五百年前、世界を救った英雄シュジナが仲間たちと共に滅ぼしたことになっている魔王そのものだ。剣という形に封印してある」
心臓がやけにうるさくなった。
魔王、そのもの?
だが、それを聞いて妙にしっくりくる。
「魔王に餌を献上するのが、第一段階の【暴食】、魔王がため込んだ力を借りるのが第二段階の【暴虐】、そして第三段階は自らが魔王そのものになることだ」
思い出した。俺はそれを知っている。全てだ。
正攻法では第三段階には至れない。魔王になるということは、魔王を理解しないといけない。しかし、完全に人間の器と異なる存在を理解することができず事実上不可能だ。
魔王を人の理解できる形に変質させないと、どうしようもない。
「ソージ、どこかの世界の誰かは、クヴァル・ベステに、最高に適正がある魂を喰わせて同一化させ、魔王を理解できる形、人に似た形に変質させ、さらに食わせた魂に協力させることで、第三段階を解放した……その彼は、その方法でしか第三段階を解放できなかったし、第三段階解を解放するしかない状況に追い詰められていた」
……その誰かは俺だ。
詳細は思い出せなくても、そのときの無念が、慟哭が、俺の胸で暴れている。
なぜ、俺はそのことを今の今まで忘れていた。
「俺からのアドバイスだ。どこかの世界の彼のようにならないように、今からいろいろと考えておくといい。俺でも、クヴァル・ベステの第三段階を従える方法は浮かばないが、君のアイディアを手助けすることはできるはずだ」
シリルの言葉で我に返る。
過去のことをいくら振り返っても意味がない。
大事なのはこれからの話だ。
いずれはアンネが第三段階解放を目指す状況が来る。そのときに備えないといけない。
「そうさせてもらいます。シリルさん、まずは今の問題を解決しましょう」
「そうだな、行こうか」
シリルが立ち上がる。
そうして俺とシリルは、アンネが隠れて特訓しているであろう場所目指して歩き始めた。
さあ、まずは第二段階を力技で極めよう。




