第九話:友達
「ううーん。いいところまで行った。そろそろ休憩です」
クーナが俺とアンネのところに歩いてきた。
彼女は今まで、昨日間違えた過去問を解くために、俺が作成した参考書を使って勉強していた。あの顔を見る限り理解し、ものにしたのだろう。
ちょうど、アンネロッタは二杯目を食べ終わったところだ。
「美味しかったわ。看病してもらって、宿まで手配してもらって、なにからなにまで本当にありがとう」
アンネロッタが頭を下げた。
元貴族だから扱いづらいと予測していたが、割と素直な性格のようだ。
「お礼はいらないよ。俺はクーナからお金をもらって、医者として君を診察しただけだ。部屋を借りたお金も、君が食べたお粥も、君の着替えた服も全部クーナの金だ。礼はクーナに言ってくれ」
「本当なの、クーナ」
「本当ですよ。友達のためですから、これぐらい、気前よく出します」
「とは言っても全部借金で、俺が立て替えているんだけどね。返せなかったら、尻尾をもふらせてくれるって約束なんだ」
俺が冗談めかして言うと、クーナが頬を膨らませて口を開く。
「ソージくん、絶対にすぐに返しますからね! 私の尻尾を好きになんてさせませんから! ……でも、アンネを助けてくれたことには礼を言います。ありがとう」
なぜか、アンネロッタが顔を真っ青にして言葉を失っていた。
青ざめてわなわなと震えていたアンネはゆっくりと口を開く。
「火狐の尻尾を、もふることを条件に出すなんて、なんてむごい」
「えっ? ただの尻尾だろ」
俺はアンネロッタのあまりにも大げさなリアクションに逆に驚いていた。
「ソージ。もしかして知らないのかしら? 火狐にとって尻尾がどんな意味があるか?」
俺は首を横に振る。
「火狐にとって尻尾は命の次に大事なものなの。触っていいのは、家族と伴侶だけ。それ以外の相手に尻尾をもふらせるのは、絶対服従を誓っている相手だけなのよ」
「そうですよー。尻尾は命です。いつか現れる。運命の人に握ってもらうまで、だれにも握らせません」
クーナが、これ見よがしにこちらにお尻を向けて尻尾をぶんぶんと振る。
少しいらっときたので、ゆっくりと手を伸ばすと、ひぃっと声をあげて、クーナが飛びのき、尻尾を抱きしめつつ、涙目でにらみつけてくる。
なるほど、尻尾は命というのはうそじゃないようだ。
「クーナ、今のはあなたが悪いわ。目の前でそんなものをちらつかせたら、男ならだれでもむしゃぶりつきたくなるわ」
「そうですね。私が軽率でした」
「なるか!」
思わず突っ込む。俺があの尻尾をもふりたいのは、愛玩動物的なかわいさからであって、間違っても欲情なんてしていない。
「クーナ悪かった。今までモフるって言っていたのは、別にそういう意味はないんだ。なんというか頭を撫でたいとかそんな感覚であって、知っていれば言わなかった」
俺は自分の過去の言動が怖くなる。
きっと、クーナにとって借金が返せなければしっぽをもふらせろっていうのは、借金を返せなければ性奴隷になってもらうぜ。っというふうな意味に聞こえていたのだろう。
「えっ、そうなんですか。てっきり、私は借金が返せなければ嫁になってもらう。っていう、プロポーズだと思ってました。可愛いクーナちゃんを手に入れるために、そんな卑劣で卑怯なことを言う人だと」
「そっちか!」
確かに伴侶なら尻尾を握っていいといいのは家族と伴侶というルールならそうとも取れる。
だが、性奴隷になれという危ない人よりはましだろう。
かつて、ゲームで出会ったときのクーナを思い出す。
かつてのクーナは、尻尾をもふらせてくれた。よくこう言っていたっけ……
『汚れてしまった私でよければ好きにすればいい。もう守るものなんてない。もう、何も、何も残っていないんだから』
今思うと、ものすっごく重い意味だった。かつてのクーナに土下座したい。
「そう、勘違いだったの。あやうく、クーナを魔の手から救うために斬るところだったわ」
「一応、私の恩人ですし、アンネにとっても恩人なのでソージくんを斬るのはやめてください」
この二人の思考回路が猟奇的で怖い。
「ソージと言ったわね。クーナの借金、これで足りるかしら。屋敷から持ち出した最後の一つ、今までの経験からいうと、十万バルの価値があると思うわ」
アンネは、ベッドの横に洗濯しておいてあった自分の服のポケットから指輪を取り出し、俺に渡してくる。
「過去の経験?」
「ええ、今までの旅では、屋敷から持ち出した宝石を売って旅費に充ててきたの。それが最後の一つよ。それは母が私にくれた形見だから、どうしても売れなくて。結局、食べるものがなくて生き倒れた。あなたたちの前で倒れてなければ、今頃私は……。自分が嫌になるぐらいに間抜けだわ。だから、もうここで使うことに決めたの。戒めとして」
俺は受け取った指輪を見る。プラチナのリングに、青いサファイアをあてがっている。細工もいい。けして主張し過ぎずサファイアの魅力を引き立てつつも、存在感はある。
「今までの経験上、十万バルってアンネロッタは言ったよね。ほかに持ち出した宝石は、これよりずっと格下だったのかい?」
「いいえ、同格のものばかりよ」
思わず、うわぁっと声を出しかけた。この子……世間知らずにもほどがある。
「これは受け取れない。価値が見合わない」
「そう、今までの人も、十万バルでも良心的な買取り価格だって言ってたものね」
深いため息をつくアンネ。
母の思い出の指輪が、それだけの価値しかないことを知って落ち込んでいるのだろう。
「いや、逆だ」
「逆?」
「適正価格で、八百万バル。宿と医療費はいいところ、五万バル。それでこんなものはもらえないし、釣りを出すにしても七百九十五万バルも用意できない」
「えっ、そんな。じゃあ、今まで買い取ってくれた人は?」
「うん、すっごいぼったくりだね。世間知らずのお嬢様が切羽詰って売りに来たら足元を見るさ」
「……あはは、なんて間抜けなんだろう。父が私のために残してくれた最後の財産を、こんな風に無駄遣いするなんて、自分で自分を殺したくなるわ」
ここで自分をだました商人ではなく、自分を責めるあたりがこの子らしさだろう。
「でも、あなたはいい人ね。お人よしなのかしら、黙って受け取っておけば、八百万バル儲けられたのに」
「友達の友達だからね」
「……友達?」
クーナは自分を指さし首をかしげる。
「クーナ……その反応はそれなり傷つくな。俺は一緒にいて楽しかったんだけど」
確かに二日ぐらいしか一緒に居なかったが、それでも密度の濃い二日だった。
「ちょっと待ってくださいね。考えます。助けようとしてくれた恩、町に入るのを邪魔した恨み、勉強を教えてくれている恩、全財産を巻き上げられた恨み、借金を返せなければ嫁にするといわれた恨み、アンネを助けてくれた恩……一緒に居る楽しさ。あと料理がうまい」
ぶつぶつと今までのことを言う。
「友達ですね。ソージくんは私の友達です。以後、よしなに」
クーナが手を伸ばして握手を求めてきたので、その手を握り返す。
「うらやましいわね。そう言うの」
「……なら友達になろうか、アンネロッタの性格は気に入った。それにクーナの友達だ。俺は友達になりたいと思う」
「ありがとう。あなたが、オークレールでなくなってから初めてできた友達だわ。これからはアンネと読んで、親しい人はそう呼ぶの」
そう言ってアンネは、子供のような笑みを浮かべた。