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シャンプーの嘔吐

作者: 佐々原 比乃

下手ではありますが、作中に嘔吐する描写があります。苦手な方はお避けになるか、読んで「こんなモン嘔吐のうちに入んねぇよ!」と罵ってください。

「あっ」


 シャンプーもうない。


 シャンプーのボトルを引き寄せると、私は目の前の床に置いた。ボトルの押す部分を、くちばしの長い鳥の頭みたいと言った幼い頃の自分を笑ってみるけど、小さい頃から養われた想像力はなかなか低下しないらしく、今でも時たまそれが鳥の頭のように見えることがある。


 その鳥の頭を容赦なく押す。最初は、かとん、かとん、と手応えのない頷きだったが、次第に抵抗が生まれてきて、首の辺りからグヂョ、ガジョ、とあまり耳に嬉しくない水音が鳴り始めた。


 くちばしの先に手のひらを受け皿みたくスタンバイして、根気強く頭を押し込むと、鳥はグジュリ、べジョッと気泡だらけの中身を吐き出した。


 なんだ、まだ残ってんじゃん。


 ちょっと嬉しくなった私は、何も言わない鳥にさらにシャンプーを吐き出させる。出にくいけれど、粘っていたらいつも使う量くらいは手に溜まった。


 ボトルを元あった台に戻し、シャンプーを泡立てようと手に目を落としたところで、ふと私は濁ったシャンプーをまじまじと見つめた。



 吐瀉物。



 ふと思いついた単語は、さっきまでシャンプーの出口を鳥の頭のように見ていたからでもあるし、今日あった出来事のせいでもある。



  * * * *



 ハルネちゃんが吐いたのは、五時間目の社会の時間だった。うゔぇっとえずく声が聞こえたと思ったら、直後にビチャッビチャッと水っぽい音がした。私の席のわきの床に、栗色のブツがぐちゃぐちゃと散乱していて、びっくりした私の耳に、「大丈夫か!?」と社会科担当の男性教師の声がいやに響いた。


 私の席は二号車の窓側。ハルネちゃんの席は三号車の廊下側。号車は違うけれど、私たちは隣だった。二号車と三号車の間の通路を向いて、ハルネちゃんは真っ青な顔で口元を押さえていた。正面にいた私と、一瞬目が合うけれど、涙で濡れた瞳はすぐに逸らされてしまった。


 汚物を掃除するべきか、と立ち上がりかけた私は、 「保健委員いるか?」 先生の声に「はいっ!」と声をあげる。


「悪いが、保健室まで連れて行ってくれ」


 私は曖昧に頷いて、ハルネちゃんの背に手を添えた。




 吐瀉物にまみれた手を気にしたように歩いていたので、私はまずハルネちゃんを水道場に導く。


 汚れた手のかわりに蛇口を捻ってあげると、ハルネちゃんは黙って手を洗う。手を綺麗にした後で、口をゆすいだハルネちゃんは、また戻してしまった。


 ハルネちゃんの背中をさすりながら、私は後ろから彼女をじっと見つめる。薄汚れた制服、端がほつれたシャツ。そして、襟首から覗く青黒い痣と、腫れた頬、おでこの傷。



 私は、知っている。


 ーーーあれは、ミツルくんに石を投げられた時の。


 私は、知っている。


 ーーーあれは、リカちゃんに階段から突き落とされた時の。


 私は、知っている。


 ーーーあれは、みんなに無理矢理、髪を切られた時の。



 そして、私は、知っている。


 私たちが教室から出て行くとき、さざ波のように広がった、含み笑い。


 ーーーうわ、汚ねぇ。ゲロくせぇ。


 ーーー気持ち悪。


 ーーーでも、いい気味じゃね? 吐いたぜ、あいつ。


 ーーーマナ、可哀想。あんな子の近くに寄んなきゃいけないなんて。



 知っている、私は。


 いつもよりゆっくりと息を吐く。



 ハルネちゃんには、聞こえたのかな。




 保健室に入ると女の先生がいた。ハルネちゃんをベッドに寝かせ、脱がせた制服の上着は私に預けられる。よれよれで端々に穴の開いている制服を見れば、吐いたものは服に飛んでいないようだった。良かった、というのは本音だ。ボロボロの服がこれ以上汚れてしまったら、可哀想で見ていられない。


 ベッドを囲むように引かれたカーテンの内側で、保健の先生が「あれっ」と声を出す。


「この火傷、どうしたの?」


 私には、先生がどこを見ているか分かる。ハルネちゃんの左の手首だ。


「あ…、アイロンで……」

「あー、気をつけてねー…。火傷って、酷い時は大変なことになるから」


 ハルネちゃんは、答えない。


 普通にやっていれば、アイロンで手首なんかに火傷のあとがつくはずない。それに、先生は知らないだろうけど、ハルネちゃんの利き手は左だ。利き手の手首を傷つけるなんて事態は、自分でやるぶんには起きっこない。


 そう、自分でやるぶんには。


 カーテンから先生だけが出てきて、私にお礼と、ハルネちゃんがこの後の授業は出ないことを告げる。


 そして、私が保健室を出る間際、こそっと耳打ちをした。


「あの、火傷……」


 私は先生の顔を見る。彼女は、私たちのクラスの状況をなんとなく察しているようだった。


「お家でついたものらしいですよ」


 私の言葉に、先生の顔が強張る。


 私は嘘をついていない。あの火傷は、ハルネちゃんが家でつけてきたものだった。




 教室に戻ると、もう授業は終わっていた。


「マナ、おかえり!」

「ただいま」


 明るく弾けた友人の声に微笑みかける。


 ハルネちゃんが吐いたものは綺麗になくなっている。私が席について、出しっぱなしになっていた社会の教科書やノートをしまっていると、左隣の席が騒がしくなってきた。


「どうするよ、なんて書く?」

「やっぱ『ゲロ女』だろ」

「えー、安直すぎね?」

「じゃあなんだよ」

「『吐瀉物』とか?」

「はは、あいつ頭わりぃから意味知らねぇって」

「確かに!」


 ぎゃはは、と大声をあげて笑ったのは集まっていた男子たちだけだったけど、話が聞こえていた人たちは一斉に噴き出した。


 私は、笑えない。


 目の前で友人が肩を震わせている。教室が不思議な笑いに包まれる。


 私は、どうしても笑えない。


 私は知っている。このクラスのヒエラルキーを。その最底辺にいる人は誰なのかを。


 もちろん、それはみんなも知っている。


 だけど、



 見て見ぬ振りをしているのは、私だけ。



 ……私だけ、なんだ。



 男子は、結局机に『ゲロ女』と書くことにしたようだった。



  * * * *



 手を泡立った頭から離し、シャワーに伸ばす。シャンプーでぬるついた手に、掴んだシャワーは蛇のようだった。


 シャンプーを洗い流す時、流れてしまうのはシャンプーや汚れだけではないと言ったのは、母だったか。


 ーーー頭を洗う時にはね。汚れとかと一緒に、その日あった悲しいこととか、イヤな気持ちも流れてくのよ。


 ーーーなんで?


 ーーー髪は、脳みそに、……心に近いから。


 幼い頃の私は、そんな理由で納得してしまった。


 お湯の温度を調節して、シャワーを頭の上にかざす。勢いよく飛び出てきた水で、私はシャンプーを流していく。



 悪い記憶も落ちるように、丁寧に、丁寧に。


残り少ないシャンプーが汚い音を立てて出てきた時に作者が思いついたのは、このお話と、中学校の入学式で緊張のあまり吐いた記憶でした。悪い記憶でしたね、ええ。


作者の発想が残念ですが、なんにせよ、いじめはいけないことです。ダメ、ゼッタイです。


そして、緊張しぃな方へ。特別なイベントの前日の夜更かしは、ダメ、ゼッタイですよ☆ 作者はそれで吐きましたよ☆



絶対☆駄目ですよ!

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