81話 流される二人
大量の水に押し流されて、俺とテオドラは馬車から遠く離されてしまった。
波の上の男は、どうやら俺に用があるらしいな。
なら……、上手くすればテオドラを逃がすことが出来るかもしれん。
うねりを上げ襲いくる大量の水は留まることがなく、俺たちはずっと水の中から抜け出せずにいた。テオドラの息が持っていればいいが……
視線を向けると、口を引き結んで懸命に耐えているテオドラの顔が見えた。限界が近そうだ。
呼吸が出来ないのもあるが、あらゆる方向から力が加わり四方八方に体が流されて体力を削られていく。
とにかく、水から出なければ……
テオドラは目も開けられない様子だ。
…………ま、後で謝ればいいか。
俺は抱きしめているテオドラの胸に手を当てる。
「ガボォッ!」
僅かに残っていたのであろう、テオドラの体内の空気が一気に吐き出される。
……あ~ぁ、勿体ない。気を付けないと溺れちまうぞ……まったく。
俺は借りた魔力で、俺とテオドラを包み込むように空気の層を展開させた。
風の魔法ではなく、空気を操る魔法だ。水中など、酸素のない場所に酸素を発生させる魔法だ。水中戦の時に重宝する守備系の魔法だな。
「ぶはぁっ!」
大量に飲み込んだ水を吐き出し、テオドラが盛大にむせる。
吐き出された水は空気の層に浸透し外へと排出されていく。
空気に包まれたこの空間は気圧を操作しているために水深の移動による身体への圧迫がほとんどない。その上、重力からも切り離されるため、空気の層を破って落下していくことはない。感覚としては、空気に包まれながら泳ぐような感じで移動が出来るのだ。
というような説明を、むせるテオドラの背をさすりながらしてやった。
まぁ、たぶん半分以上聞いてはいないのだろうけれど。
「い、いきなり何をするんだっ!?」
咳がおさまると、テオドラは真っ赤に染まる顔を向けて怒鳴りつけてきた。
「魔力を借りたんだよ。急に魔力を抜かれたから、ちょっと疲れただろ? 悪かったな」
「謝罪するべきはそこではないだろう!?」
テオドラは自分の胸を両腕で抱え、俺に背を向ける。
俺が胸を触った女子は、大抵この格好をする。……流行ってるのか?
「しかし、おかげで助かったから……あまり強く責めることも出来ない…………あぁ……もう! とりあえず感謝はする!」
なんか、怒りながら感謝された。
「それで、どうするのだ? 随分流されているようだし、早く片を付けないとみんなと合流出来なくなってしまうかもしれん」
水の勢いは止まらず、俺たちはずいぶん遠くまで流されてしまった。
「あいつの魔法が、これだけなら勝つのは容易なんだがな……」
あいつが魔導ギルド四天王の一人だと考えれば、おそらくこれだけでは済まないだろう。
下手に打って出ない方がいいかもしれない。
「この魔法は、いつまでもつのだ?」
「そうだな。お前が魔力を提供してくれればいつまでも持続させることが出来るが?」
「提供を拒否した場合は?」
「あと五分ってとこかな」
「よぉし! 五分でケリをつけるぞ!」
どうやら魔力を提供するつもりはないらしい。
なら、勝負を急ぐか。
「敵は波の上に乗っている」
「あぁ、ノリにのっているな!」
「……あ、そういう合いの手やめてくれる? なんかやり難いから」
「槍が憎いなら剣を使う方がいいな」
「うん、だから、やめてくれる?」
これは、オヤジギャグというやつか?
しかし、この表情……こいつ、素か!? 素でオヤジなのか!?
なんというか、物凄く父親似なんだな、テオドラは…………可哀想に。
「波に乗ってるってことは、水に触れてるってことだろ?」
「まぁ、そうなるな」
「だから、感電させてやるのさっ!」
俺は、残った魔力をイカヅチに変え、川の中に放電した。
「ぎゃっ!?」
高いところから悲鳴が上がり、川の水が大きくうねる。
飲み込まれないように早く脱出しなければ。
「なんでワタシたちは感電しないのだ?」
「それはな……がぼがばばぁぁぁ……っ!」
説明しようとしたところで空気の層が壊れた
盛大に水を飲んだ。
……くそう。
テオドラの腕を引き、水面へと顔を出す。
「…………っぶぁあっ!!」
「……ぷはぁっ!」
相変わらず流されてはいるが、高波は収まっていた。
四天王のヤツはどこに行ったんだろうか?
「さっきの空気の層があったから、感電しなかったのだな?」
「ん? あぁ、そうだ。電気は伝導率の高い方へ流れる性質があるからな。
空気よりも水の方が電気をよく通す。
なので、空気に包まれていた俺たちのところに電気はやってこなかったのだ。
「色々と考えて戦っているのだな、君は」
「苦労をしたからな、色々と」
色々と苦労した分だけ、色々と考えるようになったのだ。
負けないために。
生き抜くために。
「貴様ぁっ!?」
突然、川の水がせり上がり、巨大な水の柱が出現する。
俺たちと同じ速度で流れてくるその水柱の上に、四天王の男が立っていた。
目視確認は出来ないが、おそらく、足元に【魔界蟲】がいるのだろう。
サラサラだった髪の毛は濡れて顔に張りつき、男は目を血走らせて激昂する。
「よくも、僕を濡らしたなぁ!?」
絶叫だった。
憎しみのこもった、なんとも情けないセリフの、絶叫だった。
「僕はなぁ! 水の中で、目を開けられないんだぞぉ!」
いや、知らねぇよ。
「お風呂以外で濡れるのは、大嫌いなんだぞぉ!」
つか、この川を作り出したの、お前だろう?
「泳げないんだからなぁ!」
だから……知らねぇって。
「水から上がった時の顔は醜い! 呼吸が出来ない、死の淵からの生還故に、人は醜くも生への執着を曝け出し、必死の形相で息を吸うのだ!」
普通に泳げる奴なら、そこまで必死にはならないけどな。
「この僕に、そんな美しくない表情をさせるとは…………万死に値する!」
命の基準がおかしいヤツだな。
美への執念が最優先なのか? ……ちょっとおだててみるか。
「おい、そこの水も滴るいい男!」
「え、なんだって!? もう一度、大きな声で!」
「……水も滴るいい男」
「呼んだかい!? 僕のことを!?」
……わぁ、こいつウゼェ…………自分で言っといてなんだけど、俺の想像をはるかに超えるウザさだ。
「しかし、そんな本当のことを言ったからと言って、僕のご機嫌をとれると思ったら大間違いだからな!」
すっげぇご機嫌に見えるんだがな。
「テオドラ、ちょっと言ってやってくれないか?」
「ワタシがか……?」
「そう嫌そうな顔をするなって。あとで、なんでも言うことひとつ聞いてやるから……」
「そうか……まぁ、君がそこまで言うのなら………………はぁ、しかし気が乗らないなぁ……」
テオドラは大きく息を吐き、新たな息を吸う前に、残りのわずかな息を使って吐き捨てるような声で呟く。
「……水も滴るいい男」
「ぬぉぉーーい、ぉい! ダメだぜ、ハニーベイベー! 僕に惚れると、火傷しちゃうよ?」
「……全身ずぶ濡れなのにか?」
「心が、的なことなんじゃないか?」
見たことのない奇妙な虫に遭遇してしまった時のようなしかめっ面でテオドラが俺に問うてくるので、適当に答えておいた。
というか、まぁ、なんだな。
ハニーかベイべーか、どっちかにしろよとは言ってやりたいよな。
「よし、いいだろう! ハニーベイベー! 君を僕のお嫁さんにしてあげよう!」
「御免蒙る」
「奥ゆかしいな、マイハニーベイベー!」
ま~た長くなった。
「結婚なら……」
何かを言いかけて、テオドラは俺の腕を掴む。
……え? まさか、俺と結婚したいって言うつもりか?
「彼としたまえ!」
「俺を売るんじゃねぇよ!」
なんで俺が、発言が痛い系男子と結婚しなきゃならんのだ!?
「ふむ……男までもを魅了してしまう僕の美しさが悩ましところだな」
いつ、俺がお前に魅了されたというのか。
「しかし、残念だったね」
いいえ、微塵も。
「僕には、そういう趣味があまりない」
ちょっとあんのかよ!?
全否定しとけよ、そこは!
完全無欠に「ない」と断言してほしかったぜ!
「愛人としてなら考えよう!」
「考えんな、ボケェ!」
サブイボ立つわ!
「なぁに。二人とも、すぐに考えが変わるさ……自分から、僕の愛が欲しいと乞うようにね!」
真正のヤバいヤツに、俺は初めて出会ったのかもしれない。
ドーエンやデリックなんか、わけじゃないほどに気持ち悪い。
何より、身の危険を感じる。
こいつは……潰さねば!
「僕の強さに驚愕し、怯え、そして命乞いをしろ! その先に芽生えるもの、それが、愛だっ!?」
恐怖で縛りつけられるものは、紛い物でしかないんだぜ、青二才。
しかし、自身の考えを爪の先ほども疑わない四天王の男は、高笑いの後、特性のステージで舞うように両手を振り回した。
それに合わせて、男の乗る巨大な水柱から水の槍が発射される。
「テオドラ、かわせ!」
命中率はさほど高くはないが、如何せんこちらも水の中だ。
避けるだけで精一杯で反撃の目処がまるで立たない。
「はーっはっはっはっ! 踊れ踊れ! 僕の力に恐れおののく、恐怖の踊りを! それが、真実の愛への第一歩だ!」
こんな愛があってたまるか!
俺とテオドラは襲いくる水の槍を辛うじてかわし続ける。
水の中に潜れば、水同士が干渉して霧散するか……? いや、たぶんダメだろうな。
っとに……【魔界蟲】はどいつもこいつも、こちらの行動を制限してきやがるから厄介だ!
俺は魔力が見えるために、水の槍が発射される前にそれを察知することが出来る。魔力の動きがあるからだ。
それをもって、ようやくかわせるレベルの猛攻撃だ……
テオドラは無事なのか?
「ふっ! はっ! やぁっ!」
視線を向けると、テオドラは二本の剣とカタナで飛来する水の槍を迎撃していた。
凄まじい動体視力と、素早い剣裁きだ。
動きが制限された上に、足元が安定しない中で、よくあれだけの数を叩き落とせるものだ。集中力が常人とはかけ離れているのかもしれない。
「へぇ、なかなかやるじゃないか。流石は僕のマイスウィートハニーエンジェル」
僕のとマイが被ってるし、また長くなってる。
あと、ベイベーが若干恥ずかしくなってきたのか、変えてきたな。
こちらの冷めきった感情とは裏腹に、キザな男のボルテージは上がっていく。
っていうか、名前を聞くタイミングを完全に逸したな。まぁ、いいやキザ男で。
「知っているかい? 水はね、圧縮することで、鋭い刃になることをっ!」
言うや、キザ男は大きく広げた両手を、胸の前へと移動させる。まるで、空気を掴んで圧縮しているように力が入っている。
そして、胸の前で合わされた両手のひらを、テオドラに向かって突き出してくる。
「 ―― ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ―― 華麗水流刃! 」
高速詠唱の後に、明らかに後付で考えたダサ目の必殺技名を叫ぶ。
キザ男のこだわりなのだろう。
……ないわぁ。
が、魔法の威力は寒さとは無関係なようで……むしろ、寒い分威力が上がるのかと思うほどで……生み出された水の刃は凶悪な鋭さをもってテオドラに襲い掛かった。
直径50センチほどの薄い円盤状に集められた水が高速で回転をし川の水を切り裂きながら接近してくる。
上がる白いしぶきが刃のように見える。
「く……っ!」
テオドラは剣とカタナでそれを受けるが、一撃が重いようで、なんとか弾き返した直後に川の中へと沈みこんだ。
「へぇ、よく返したね。じゃあ、これならどうだい!?」
キザ男がうすら寒い笑みを浮かべ連続で水の刃を放つ。
「 ―― ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ―― 華麗水流刃・鈴生りっ! 」
川から顔を出したテオドラの表情に焦りの色が浮かぶ。
俺も加勢したいが、武器がない。
魔力の提供を拒否されている状況ではどうすることも出来ない……まして、自由に身動きできない水の中じゃあ……
「き、君っ! 少し、頼まれてはくれまいかっ!?」
日本の剣とカタナで器用に水の刃をいなしつつ、テオドラが俺に向かって叫ぶ。
あぁ、いいぜ。何でも言ってくれ。
俺に出来ることならなんだってやってやるさ!
「すまないが、ワタシの尻に敷かれてくれっ!」
………………は?
関白宣言?
剣とカタナを素早く鞘にしまうと、テオドラは華麗なクロールを披露し、高速で俺に接近してくる。その後ろを水の刃が追う。
「やぁっ!」
そんな掛け声と共に、テオドラは俺に向かってダイブしてきた。
無数の水の刃を伴い俺に飛びかかってくる。
テオドラに抱きつかれ、その勢いで水の中へと沈められる。
「がぼぶぼ…………っ!」
何しやがるんだ!?
そう言いたかったが水に邪魔されて言葉にならない。
テオドラに視線を向けると、すぐそこに真剣な表情を浮かべた顔があった。
俺の両肩をしっかりと持ち、ジッと俺の瞳を見つめてくる。
ふらりと、テオドラの体が揺れたかと思うと……そっと、テオドラの顔が近付いてきた。
え…………何されるの、俺?
いつもありがとうございます。
キザ男です!
嘘です、とまとです!
川って油断してると凄く流されますよね。
ご主人さんとテオドラは随分と流されてしまっていることでしょう。
川下に洗濯をしているお婆さんがいたら拾われるかもしれません。
テオドラ太郎誕生の瞬間です。
……テオドラ太郎ってなんだ!?
魔法が使えないご主人さんは、意外とお荷物!?
好き勝手に動けないとトリッキーなことも出来ませんし……
今回はテオドラの独壇場かもしれません。
変な匂いキャラを払拭するためにも、がんばれテオドラ!
実は女性キャラの中で最もバランスの取れたスタイルをしているのが彼女なんです!
家庭的で、料理も家事も何でも出来て、おまけに綺麗好きで気も利く器量よしなんです!
ただ、ちょっと変な匂いがするだけで……っ!
どうかみなさん、
テオドラを応援してあげてください。
悪い子ではないので。
臭い子でも、ないので。
今後ともよろしくお願いいたします。
とまと
 




