7話 ルゥシールの意外な特技
「ご主人さんっ! 山岳地帯でどんな魔神と闘ってきたんですかっ!? とんでもない殺気が嵐のように吹き抜けていきましたけど!?」
想像以上に効果があったらしい。
すげぇな、アーニャさんの腕輪。
俺の抱くほんのささやかな、小さな小さな、取るに足らないわだかまりを見事に増幅してくれるとはな。
「…………で、お前は何をしているんだ?」
俺が森へ入ると、ルゥシールが地面にうずくまっていた。
腹の下に両腕をもぐりこませて、膝を踏ん張り、背中を丸めて、全身を時折もぞもぞさせている。
なんだ、この奇妙なポーズ?
「おなか痛いのか? ……あっ、間に合わなかった?」
「ちっ、違いますよ! 鼻摘ままないでください! 粗相とかしてませんから!」
真っ赤な顔で反論してくる。必死の形相だ。
と、そんなことをしながらも、ルゥシールのもぞもぞは止まらない。
「思ったよりも……力が、凄くて…………あっ!」
突然ルゥシールの右腕が伸びる。
いや、右腕に掴まれた魔物が高速で逃げ出そうとしたのだ。
しかし、ルゥシールの手がそれを許さない。しっかりと掴んで離さない。
捕らえられていたのは、80センチほどの平べったい生き物で、全身が茶色い鱗に覆われている。まるで、胴体を潰された蛇のような形をした…………
「って、ツチノコッ!?」
ツチノコとは、レッサードラゴンの下位種族とも、サラマンダーの幼体ともいわれる謎の多い魔物で、その実物を見た者は少ない。
なぜなら、このツチノコという魔物は恐ろしいほどに素早いのだ。
最高速度は音速をも超えるといわれ、おまけに飛行まで可能な、捕らえるのがほぼ不可能に近い魔物なのだ。それ故にいまだその生態には多くの謎が残されている。
死体でなら極稀に市場に出回ることがあるが、生け捕りにでもしない限りすべての謎は究明されないだろう。
そんな珍しい魔物を、ルゥシールは左右の腕で一匹ずつ、二匹も捕まえていた。
「ご主人さん。とりあえず助けてください。腕がふさがって身動きが取れないんです」
物凄いお手柄なのに、マヌケな格好のせいで全然締まらない。
などと言っている場合じゃない。さっさと処置をして逃がさないようにしなければ。
生け捕りにするのが理想的なのだが、それには特殊な檻が必要で、そんなものは用意していない。用意する時間があったとしても、金銭的に手が出せない。
ツチノコの生け捕りは国が総力を挙げて年単位で取りかかる一大プロジェクトなのだ。
なので無理はせず殺してしまおう。
何せ、こいつは巨人族ですらイチコロの猛毒を持っているのだから。噛まれでもしたらその場で即ご臨終だ。
「って、おいおいおいおい! ルゥシール! お前、噛まれてる噛まれてる!」
「え? あぁ、どうりでチクチクすると……」
いやいやいや、余裕かまし過ぎだろう!?
「大丈夫です。わたし、これでもドラゴンですから。どんな毒も無効化出来るんです」
「そ、そうなのか?」
「はい」
事実、さっきからかぷかぷ噛まれまくっているにもかかわらず、ルゥシールはいたって平然としている。
毒が効かないというのは本当のようだ。
そういうことなら、安心しておこう。
ツチノコの牙がこちらに向かないように注意を払いつつ、俺はルゥシールに接近する。
「どうすれば大人しくなりますか?」
「こいつの鱗はどんな物理攻撃も跳ね返し、おまけに魔法耐性が有り得ないくらいに強いんだ」
「無敵じゃないですか」
「そうでもない。ちょっと腹を見せろ」
「えっ!? い、いや、あの…………実は、最近木苺の食べ過ぎで……油断してしまって、その…………お見せ出来るような状況では……」
「お前のじゃない! ツチノコの腹だよ!」
「あ、そ、そそそ、そうですよね!? あは、あはは!」
残念な娘の代名詞、ルゥシールの乾いた笑いが森にこだまする。
……それはそうと、どんだけ食ったんだよ木苺。
今度、寝てる時にぷにぷにしてやろうか……?
「今度、寝てる時にぷにぷにしてやろうか……?」
「声に出てますって! っていうか、絶対やめてくださいよ!? 絶対ですよ!?」
「あぁ、知ってる知ってる。『――って言っときつつ』だろ?」
「違いますから! やったら本気で怒りますよ!?」
きゃいきゃいと騒いでいる間にも、ルゥシールはツチノコにめっちゃ噛まれていた。
ほんと、毒無効化がなければこいつ百回くらい死んでるな……
ルゥシールが手首を返してツチノコを仰向けにする。
腹の部分は鱗がなく、比較的柔らかい。
これなら、ナイフだって刺さるのだ。
そんなわけで、一匹を仕留める。
と、ここで思わぬハプニングが起きた。
すぐ隣で仲間が殺されたせいか、もう一匹のツチノコが猛烈に暴れ出したのだ。
ただでさえ力の低下していたルゥシールが、長時間無理な体勢で支えていたために、その腕力は限界を迎えていたようだ。
一瞬の隙をついて、ツチノコがルゥシールの腕から逃げ出してしまったのだ。
その直後、有り得ない高速移動によって、ツチノコが姿を消す。
森の中に乾いた音がこだまする。
移動しているのだろうが速過ぎて、俺には見えない。
これはダメだ。
取り逃がしてしまった。
そう思った時――
「ほいっ!」
軽~い声を上げてルゥシールがツチノコに追いつき、そしてあっさりと捕まえたのだ。
「もう、手間かけさせないでください」
さっきまで俺の目の前にいたはずのルゥシールは、気付いた時には森の奥の方に移動していた。
残像すら見えなかった……
「ご主人さ~ん。ちゃんと捕まえてきましたよ~!」
今度は両腕でツチノコを抱きかかえ――そして、またしても盛大に腕を噛まれまくって――ルゥシールが戻ってきた。
こいつ……
「さぁ、こっちも早く始末しちゃいましょう」
「お前、なんだよその動き!? めちゃくちゃ速いじゃねぇか!?」
「え? えっと……そう、ですか?」
思わず叫んだ俺に、ルゥシールは目を丸くする。
自覚がないのか?
それとも、ドラゴンの間ではこの速度が普通なのか?
なんにせよ、ルゥシールの意外な武器を発見した。
この速度は強みになる。
俺は新たな発見に気を良くしながらも、速やかにもう一匹のツチノコを屠殺する。
これで狩りは完了だ。相当な収入が期待出来るだろう。
ルゥシールにも、相応のご褒美が必要だろうな。
「金が入ったら、何か好きなものを買ってやるよ。今回は危険な役割を押しつけてしまったからな。遠慮はするな」
「そ、そんな! ご主人さんの力になるのがわたしの目的ですし。それに…………その、始める前に、き、木苺を、食べさせてもらいましたし…………頑張らなきゃって」
腕を後ろで組み、俯き加減に視線を逸らす。肩をもじもじとゆすり、口元を気恥ずかしそうにきゅっとすぼめる。
ルゥシールは、ほのかに染まる頬を緩ませて、満たされた表情を見せていた。
「そんなに好きなのか、木苺? 安いな、お前は」
「なっ!? ち、違いますよぉ! 木苺じゃなくて……!」
「なくて?」
「…………………………………………なんでもないです」
なんだよ?
食い意地張ってないアピールか?
けどそれも、他に適当な理由が思いつかずに失敗に終わったようだ。浅慮なヤツめ。
「……ご主人さんは、ちょっと思慮が浅過ぎます」
不満げに発せられたルゥシールの言葉は、きっと負け惜しみに過ぎないだろう。
あえてスルーしてやる俺のこの寛大さに感謝するがいい。
「よし、じゃあ戻るか」
「はい」
ツチノコを二匹まとめて縛り上げると、ルゥシールが何も言わずにそれを担ぎ上げた。
やはり、荷物運搬はこいつが一手に引き受けるつもりらしい。
まぁ、好きにさせておく。
「そうだ、ご主人さん。獲物を解体するためのナイフが欲しいです」
「ナイフか……」
解体用の物も必要だろうが、それ以上に攻撃用が欲しいところだな。
ナイフなら、こいつの速度を活かして攻撃が可能かもしれない。
ドラゴンの姿に戻れない以上、いつまでも丸腰というわけにはいくまい。
ナイフなら、大した修練がなくともある程度は使えるだろう。
「武器用のナイフも持っておくといい。お前の速度は強力な武器になる」
俺の言葉に、ルゥシールは目を丸くして、褒められたのだと悟ると相好を崩した。
それでも、あまり褒められることに慣れていないのか途端に照れはじめ、落ち着きをなくしていった。
「そ、そんなこと、ないですよ。わたしなんて、ホント、全然ですから!」
「いやいや。あの速さは相当なもんだぞ」
「な、なんですか、ご主人さん、急に。これまで滅多に褒めなかったのに……。変ですよ、なんだか」
「いや、これまで褒めなかったのは、褒めるところがなかったからだが?」
「そんなことないでしょう!? それなりに褒められるところはあったと思いますけど!?」
「だから、今褒めている。 大した速さだ」
「そんなことないですよぉ~」
一体どっちなんだ。
褒められたいが、褒められると照れる。
なんとも面倒くさいヤツだ。
「トップスピードで移動出来るのは精々20メートルくらいですし、結構疲れるので長持ちしませんし、ホント、そんな大したもんじゃないですよ?」
などと言っているが、その顔は嬉しそうだった。
分かりやすく機嫌がいい。満面の笑みだ。
心なしか肌が艶々と輝いて見える。
溢れてくる感情を持て余しているのか、体が右に左に前に後ろに落ち着きなく揺れている。
「もぅ! そこまで大絶賛されると照れるじゃないですかぁ!」
「いや、そこまで絶賛しているわけでは……」
「こんなことで驚くなんて、ご主人さんも意外と大したことないんですね」
……イラッ。
物凄く調子に乗り始めやがった。
凄まじいまでのドヤ顔だ。
「あ、なんなら、今度わたしが色々教えてあげまっ……痛い痛い痛いっ! 痛いですっ、ご主人さんっ!」
なので、思いっきりアイアンクローをかましてやった。
親指と中指でルゥシールのこめかみをギリギリと締め上げる。
「骨っ! 骨がっ! 出しちゃいけない音を発し始めてますっ!」
お仕置きを終え、とりあえずは溜飲を下げる。
解放されたルゥシールは四つん這いになり、自身の愚かさを悔いているようだ。
「……冗談の通じない……なんて狭量な……人としての器が…………」
不満げに発せられたルゥシールの言葉は、きっと負け惜しみに過ぎないので無視だ。
「いいからさっさと帰るぞ。村を何往復もして疲れてるんだ。日が暮れる前に宿に戻りたい」
「……はぁい」
事実、あちこちを行ったり来たりでもうクタクタだった。日も傾き、腹も減った。ここらが切り上げ時だろう。
動き詰めで疲労した俺と、違う意味で疲れ切ったルゥシールは並んで森を出た。
ギルドに着いた頃には日が傾き、ギルド内は黄昏色に包まれていた。
俺がツチノコ二匹をカウンターに置いた途端、受付の職員の表情が凍り、言語になっていない奇妙な声を発しながら奥へと駆けていってしまった。それからギルド内は大騒ぎなった。
職員が右往左往し、俺たちはやたらと待たされた。
慌しく飛び出していく旅支度の職員を見やり、「あぁ、これから王都に報告しに行くんだろうなぁ、気の毒になぁ」などと思いながらも、空腹感に堪え、そんな俺とは対照的にルゥシールがひもじそうな顔でうなだれ始めたところでようやく鑑定が終わったらしく、俺たちはカウンターへ呼び出された。そのころにはすっかり日が落ちていた。
結局、ツチノコは二匹で300000Rbになった。
「さ、ささささささ、三十万っ!?」
さっきまでのひもじそうな情けない表情は吹き飛び、ルゥシールは目の前に積まれた硬貨の山を凝視している。
……っていうか。
「多いわっ!」
思わず声を荒げ、カウンターをドンと叩いてしまった。
受付の熟女がビクッと肩を震わせる。
「も、申し訳ありません。何分、田舎なもので……金貨の用意が……」
呆れてものも言えない。
いくら田舎で、大きな額の金が動ないといっても、王都に本部を置くギルドの支部だろうに。金版とまでは言わないが、金貨や大金貨くらいは用意しておけと言いたい。
俺の目の前には、大量の銅貨が積み上げられている。
世界中で最も使用されているのが、この銅貨だ。
銅貨一枚で10Rb。二枚で渦巻きチョコパンが購入できる。庶民が手に取りやすく、その分流通も多い。
銅貨十枚分の価値があるのが大銅貨。銅貨よりも大きな硬貨で、銅の含有量が銅貨のきっちり十倍だ。
そして、銀貨、大銀貨、金貨、大金貨と続き、価値はひとつ格下の硬貨の十倍だ。
基本はこの六種類の硬貨で売買が行われるのだが、上と下に例外的な硬貨が存在する。
まず下だが。これは銅貨すら手に入れられないような貧しい者でも食糧を手に入れられるようにと最近発行された準銅貨。長く使用され、鋳つぶしても不純物が多く使い物にならなくなった銅貨を再利用して作られる銅貨で、その価値は銅貨の十分の一。ないよりマシというレベルの額である。
そして上だが。大金貨十枚の価値を持つ金版というものが存在する。これは貴族でも滅多にお目にかかれないもので、もはや硬貨ではない。金の塊だ。
物を買うために使用されることはほとんどなく、戦争の褒章や賠償など、国家規模のやり取りに使用される。
誰にも使えないのなら、あってもなくてもいいようなものだと、俺は思うがな。
ちなみに、金版が一本あれば、小さな町の支配者くらいにはなれるだろう。そんな額だ。
で、こんなド田舎の村に高価な硬貨が大量にあるわけがなく、俺たちへの支払いは村人になじみのある銅貨をメインに行われた。
その数、実に千四百十六枚。
内訳は、銅貨が千枚。
大銅貨が三百五十枚。
銀貨が五十枚。
大銀貨が十枚。
そして、かろうじて存在したなけなしの金貨が一枚だった。
まさに山である。
こんな嵩張って重たいものを持ち運べというのか?
硬貨が千五百枚弱だ。相当な重さになるだろう。
「沢山あって、嬉しいですね、ご主人さん!」
アホのルゥシールは多いことはいいことだと大はしゃぎである。
……こいつに持たせようか?
とにかく、これだけの硬貨を持ち歩くのは危険だ。宿屋に置いておくのも安全とは言えない。
そこで、ギルドに大半を預かってもらうことにした。
必要な分だけを引き出し、ある程度数が減ったところで全額を受け取るということで話をつけた。
まぁ、これで貧乏からは脱却出来たので良しとするか。
俺たちは、明日の朝一で武器屋に持っていく分を懐に入れ、ギルドを後にした。
外はすっかり夜になり、俺とルゥシールの腹の虫がけたたましい声を上げてギャン鳴きしていた。
飯を食って、今日は早く寝てしまおう。
明日武器屋から剣を受け取ったら、今度こそ古の遺跡の探索を始めるのだ。
決意を胸に、俺は疲れた体を休めるべく、宿屋へと向かって歩き出した。