6話 ヤギと腕輪と人妻と
「ヤギです! ご主人さん!」
ルゥシールが大はしゃぎしている。
ヤギが、そんなに珍しいか?
広大な敷地いっぱいに牧草が生い茂り、あちらこちらでヤギがその草を食む。
ここは、オルミクルの北西部、山側の平地にある牧場だ。
ここではヤギのミルクを使った商品を取り扱っている。
「いらっしゃい! あ、どうも!」
この村に来てから顔馴染みになったここの主、ベルムドが顔を上げ俺に笑顔を向ける。
赤毛を短く刈り込んだ爽やかな髪型をした、働き盛りの壮年だ。
ベルムドは、俺を見つけると作業の手を止め駆け寄ってきてくれた。
乾いた藁を鋤で山にしていたようだが、サボっていいのか?
「仕事をサボるなよ」
「いやいや、お客さんの対応も私の仕事なんだよ」
実に気さくに話しかけてくれる。
客商売をしているということもあるだろうが、ベルムドは基本的にいいヤツなのだろう。
なにせ……
「あなた、お客さん?」
……奥さんが美人なのだから。
「あらっ!」
俺を見つけて駆け寄ってきたのは、十代と言っても通用しそうな美人なお姉さん。実際は三十を超えているらしいが、実年齢なんかどうでもいい。些末なことだ。
ベルムドの奥さん、アーニャさんだ。
「ようこそわが牧場へ。残念ながら娘は今狩りに出てますのよ」
「いや、娘はどうでもいい」
アーニャさんは、話し方こそ丁寧だが、なんというかこう……腹に一物抱えてそうな雰囲気があるのだ。
主に、俺と娘をくっつけたがっているような……気のせいだとは思うのだが。
「中に入って待っていてください。すぐに帰ってくると思いますから」
「いや、だから、娘に会いに来たわけじゃなくて……」
「まぁそう言わずに。ゆっくりしていってください」
「悪いが、用があるんだ」
「まぁまぁそう言わずに。お茶を飲んで、夕飯を食べて、一晩二晩泊まっていってくださいね」
「ゆっくりし過ぎだろ!」
気のせいじゃないかもしれない。
この家に泊まったが最後、翌朝には既成事実の出来上がりだ。
気を付けよう……
「ご主人さん。ご主人さん」
ルゥシールが俺の袖を引っ張り、ベルムドたちから距離をとる。
ある程度離れると、こっそり俺に耳打ちしてきた。
「可愛娘ちゃん、いるじゃないですか。物凄く美人さんですよ」
「ん? あぁ……」
ルゥシールの視線はアーニャさんを捉えている。
俺たちの視線に気付いて、アーニャさんが軽く手を振ってくる。そういう仕草も様になっているから、あの人は侮れない。
「アーニャさんは、間違いなくこの村一番の美人だろうな」
「何か浮かない顔ですね? 嬉しくないんですか?」
「ルゥシール。俺はな……他人のものには興味がないんだ」
この村に来て初めてアーニャさんを見かけたときは狂喜乱舞したさ。
あのレベルの美人は王都でもなかなかお目にかかれない。
こんな田舎に暮らすせいか、美人でありながら性格も朗らかでいい人なのだ。……娘のことを除けば…………
とにかく、かなりのハイスペック美人なのは間違いない。
だがしかし、だ!
あの人は既婚者! 他人の嫁なのだ! そして母だ!
一気に興味がなくなったのは言うまでもない。
この村の存在意義も同時になくなった。
実にしょーもない村だ。
「ご主人さんって、分かりやすく最低ですよね?」
「他人の奥さんに手を出さないのは普通のことだろう」
「そうなんですけど…………なぜか、素直に認めたくないというか……」
まったくもって不可解だ。
世の中には、好んで他人の伴侶に手を出す不届き者も多いらしい。
しかし俺は無理だ。
相手がいるなら、脇目もふらずにその相手だけを見つめるべきなのだ。
俺はもちろんそうするし、俺が誰かの邪魔をするような真似もしたくない。そう思っている。
「ということは、ご主人さんは恋人と町を歩いている時に、物凄く胸の大きな美人さんとすれ違っても視線を奪われたりしないんですね? それは偉いです。見直しました」
「いや、見るけど」
「………………えぇ~……」
「馬っ鹿、お前! 巨乳は世界の宝だろ!? みんなで分かち合うものだろう!?」
「分かち合うものではありませんよ」
大きな胸をガン見出来ないこんな世の中なんて……
「牛でも飼えばどうですか? 観賞用として」
なんたることか……
こいつは何も分かってない。
どうしてこうも理解が及ばないのか……
「丸出しなんか邪道だ! 隠れているからこそ、そこにロマンがあるんだよ!」
「あ、ヤギだ。可愛い~」
「おい、無視すんなっ!」
ルゥシールがヤギと戯れ始めてしまったので、俺は俺の用事を済ませることにする。
……あいつとは、今度とことん話し合う必要がありそうだ。
「それで、今日は何が必要なんだい?」
人のよさが滲み出る笑顔でベルムドが言う。
営業スマイルを振りまいているところ悪いが、ヤギのミルクを買ってやる余裕はないんだ。
すまんな。こっちもカツカツなんだ。
「実は、貸してほしい物があるんだ」
「貸す? 何かな?」
「その腕輪だ」
「これかい?」
俺はベルムドが身に着けている腕輪を指さす。
腕輪には、大きめのバックルがついていて、それがやたらと目を引く。
ベルムドは驚いた表情でこちらを見つめる。説明を求めているのだろう。
「そのバックルは、確かアーニャさんの手作りだそうだな?」
「えぇ、そうですよ」
俺の問いには、アーニャさんが答えてくれた。
誇らしげに胸を張っている。
ちなみに、村一番の美人であるアーニャさんだが、胸は残念なことになっている。
神は二物を与えないのだ。
「そのバックルは、主人が怪我をしないように、魔物に襲われないようにと願いを込めて作ったんですよ」
「そのご利益に与りたくてな」
「と、言いますと?」
「実は、俺たちは結構な額のお金を用立てなければいけなくて……少し無茶な狩りを行おうと思っているんだ。それで、その腕輪の力を借りたいと思ってな」
俺の言葉に、ベルムドとアーニャさんは互いの顔を見合わせる。
そして、微かに笑う。
「でも、私は魔導士でもないですし、ただの村人が作った、安物ですよ? 何の魔法効果も付与されていない、正真正銘、普通の腕輪です」
「それは分かっている」
俺の目は特別製だ。
魔法効果を持つアイテムなら一目で分かる。
この腕輪は、紛れもなくただの鉄の塊だ。
「けど、愛する夫の無事を祈って、アーニャさんが一生懸命作ったものなんだよな?」
再び、ベルムド夫妻は顔を見合わせる。
そこへ、俺は言葉を畳みかける。
「魔法効果はなくても、祈りの力は十分備わっている。現に、ベルムドはこうして元気に働いているわけだし。その腕輪のバックルを見れば分かるよ。とても丁寧に、思いを込めて作られたものだってことが」
俺がそう言うと、ベルムドは照れ臭そうに鼻をかき、アーニャさんは俯いて上目遣いで夫を見つめる。
頷き合った後で、アーニャさんははにかんだ笑顔をこちらに向けた。
「はい。愛情をたっぷり注いで作りました。お金も技術もなかった私に出来るのは、愛情を込めることだけですから」
穏やかな空気が流れる。
そんな二人を、ルゥシールが泣きそうな目で見つめている。
大きな瞳をウルウルさせて、口元をふやふやと緩めて。
「少しの間、貸してくれないか? そいつと一緒に森に行かなきゃいけないんだ」
言って、顎でルゥシールを指す。
振り返りルゥシールを確認したベルムドは、一度大きく頷いて、腕輪を外した。
「これが君たちの一助になるなら、持っていってくれ」
「助かるよ」
俺はベルムドから腕輪を受け取る。
「でも、きちんと返してくださいよ。それは、私の宝物だから」
そう言って笑った。
「もちろんだ。感謝する」
礼を述べ、俺たちは牧場を後にした。
「いいご夫婦でしたねぇ……」
ため息交じりにルゥシールが呟く。
うっとりとした表情を浮かべている。
「そうか?」
「そうですよ」
寂れた村の貧乏酪農家だぞ?
生活もきっと苦しいに違いない。
そういえば、俺たち以外に客の姿が見えなかったな。
牧場も全体的に閑散としていたし…………破産間近か?
綺麗な嫁さんをもらったことで幸運を使い果たしたのだろう。よいよい。それでこそ平等というものだ。けっけっけっ。
「……なんか、ご主人さん、物凄く悪い顔してますよ?」
「失敬な。まるで天使のようだと形容される俺の顔に対してそのような暴言を吐くとは」
「その言葉を発した人は、邪神か何かを信仰されている方ですか?」
どういう意味だ、コノヤロウ。
まぁいい。
くだらない話はそろそろおしまいだ。
俺たちは村の南へと辿り着いていた。森はもう目の前だ。
「それじゃあ、俺は村を抜けて西の山岳地帯へ行く。そこから全力で殺気を放って魔物を森へと誘導するからな」
「はい。それを、森で待機するわたしが確保します」
魔物が棲むなら森か山だろう。
森にいないということは、現在魔物は村の西側に広がる山岳地帯へ避難しているはずだ。
今度はそっちで殺気を放出し、森へと魔物が逃げ出すように仕向けるのだ。
もし山岳地帯で俺が魔物に遭遇したら、それはその都度捕獲する。そういう流れだ。
村には教会が存在し、教会がある場所はその加護によって守られる。
要するに、教会が魔物の侵入を阻む結界を張ってくれているのだ。
町の大きさに比例して結界の規模は大きくなり、それを維持するために教会も大きくなる。そうなれば、自然と教会の権威が増大し、人々の信仰を集め、寄付金もガッポガッポと……うまい具合に持ちつ持たれつやっているわけだ。
こんな小さな村なら、おんぼろの教会ひとつで事足りるようだ。村へ魔物が侵入する心配はないだろう。
思いっきり炙り出してやる。
「なるべく高く売れそうなヤツを頼む」
「はい」
「ただし、無茶はするな」
「…………。はい」
俺の言葉を、一度胸の奥へと飲み込んでから、ルゥシールは力強く頷いた。
表情を見る限り、緊張をしている様子もない。
これなら、ある程度は期待出来そうか。
「じゃあ、行ってくる」
俺は、ベルムドから借りた腕輪を握りしめ歩き出した。
「あ、あの!」
「ん? どうした?」
「いや…………その、腕輪……」
「腕輪? 持ってるぞ?」
「いえ、そうではなくて……」
チラチラと腕輪を見て、ルゥシールが何かを言いたそうにもじもじし始める。
なんだよ?
「その腕輪は、魔物を捕獲するわたしが無事であるようにって、わざわざ借りてくれたんですよね?」
嬉しそうに、はにかみながらルゥシールが俺を見つめる。
上目遣いで、口元をきゅっとすぼめて可愛らしい表情を作る。
この腕輪を、俺がルゥシールのために借りたと思っているのか。なるほど。
「残念ながら、そうじゃない!」
「違うんですかっ!?」
「これは、魔物を追いやるために必要なんだ。俺が使う」
「……そう、ですか」
物凄くしょんぼりされてしまった。
心なしか、ポニーテールが寂しげに垂れ下がっているように見える。
いや、勝手に期待したのはお前だろうに……なんか、俺が悪いみたいに。
「…………分かりました。では、持ち場へ向かいます……」
肩を落とし、背を丸めてルゥシールが森へと入っていく。
その背中、破産した商人みたいな哀愁を背負ってるぞ。
…………あぁ、もう!
「ルゥシール!」
「……はい?」
俺はルゥシールに駆け寄り、懐から食糧袋を取り出す。
大きい袋を買ったことでルゥシールから取り戻した手のひらサイズの袋だ。
そこから木苺を一粒取り出し、額の前に翳す。
瞼を閉じ、神聖な気持ちで祈りを捧げる。
「 我、汝の身が危機に晒されぬよう、汝の平穏を願う 」
目の前で目をぱちくりさせているルゥシールの眼前に木苺を差し出す。
それをルゥシールの唇に軽く押し当てる。
「ほれ、口開けろ」
こくりと頷いて、微かにルゥシールの唇が動く。
わずかに開かれた口の中へと木苺を押し込んで――その際指先に触れたとてつもなく柔らかい感触にドギマギしたのを必死に隠しつつ――木苺を食べさせる。
「腕輪ほどの効果はないかもしれんが、気休めにはなったろ?」
その瞬間、花が開くようにぱぁっとルゥシールの頬が染まっていった。
頬の薄紅はやがて朱色へと変わり、顔全体へと広がっていく。
大きな瞳には感激で涙が溜まり、口元は嬉しそうに弧を描く。
そして、満足げに大きく頷いた。
そして、思い出したようにハッとした顔をしたかと思うと、そっと指先で唇を触る。それと同時に湯気が出そうなほど顔を赤熱させた。
口を手で押さえるあの仕草……絶対落とさないという意思表示か?
……まったく。
どんだけ木苺が好きなんだよ。
一粒で機嫌が直るとか、安いヤツだ。
ルゥシールの機嫌が直ったのを確認して、俺は森を出る。
そして、山岳地帯へ踏み入り、よさげなポイントを探す。
手には、アーニャさん作の腕輪を握りしめ。
…………ふふ……………………握り潰してやろうか?
「よぉし……もう、ここら辺でいいだろう…………」
俺の役目は、ここで殺気を放つこと。
剣の素振りでもすれば殺気が出るのかもしれんが、あいにく振る剣がない。
なので、より確実に殺気を生み出すアイテムが必要なのだ。
それが、この腕輪だ。
「はっ…………はは……っ……愛情をたっぷり込めて作りました……か」
実際、腕輪のバックルは細かい細工が施されていて、作り込みが凄まじかった。
身に着ける人のことを本当に思っていなければ、その人の無事を心底望んでいなければ、海よりも深い愛情がなければ、ここまでの物は作れまい。
「くっそ、羨ましぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
そんなこと、俺も言われてみたい!
誰かに心配してもらいたい!
「これ、私だと思って」とか、言われたんだろうなベルムドのヤツ!
あーぁっ! 誰か俺にも言ってくれないかなぁー!?
身内ですら心配してくれないもんなぁ!
えぇ、えぇ、そうですよ! どうせ俺は彼女いない歴=年齢ですよ!
まともにデートしたことだってありませんとも!
だって、俺は、目的があるし? 旅の途中だし? いろいろと、難しい立ち位置にいるし?
恋人とか作って、いちゃこらちゅっちゅっしてる暇なんてないし?
別に、恋人とか、彼女とか? 興味ないっていうか、むしろ邪魔だし?
俺、硬派だし?
一人の方が気楽で楽しいし?
むしろ、彼女作るとか、自分の人生終了宣言ですかってんだ!
俺は彼女なんかいらない!
あぁ、いや! 嘘! 今の嘘! 神様とかが聞いてて「あ、いらないんだ」とか思わないで! めっちゃ嘘!
欲しいです! 彼女、超欲しいです!
正直、ベルムドが死ぬほど羨ましい! 穴があったら埋めてやりたい!
だってさ! どうせ毎朝毎晩、おはようとおやすみのチューとかしてんだろ!?
おはようからおやすみまで、あなたを見つめる私……ってかっ!?
あぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー爆発しろ! もげろぉぉっ!
魂の赴くままに、俺は叫んだ。
別に俺はアーニャさんに気があるわけではない。そういう、小さいことじゃないんだ。
ただ俺は……
俺がこんなに寂しいのに、幸せそうにしているヤツらが心底憎いだけなんだ。
可愛いもんだろう?
人は誰しも、そういうところを持ち合わせているものだよな。
以前より、ベルムドの腕に光るこの腕輪を見かける度にイライラしていたのだが……なんだかすっきりした。俺の心の負の力が浄化されたような気分だ。
これで今後この腕輪に心を乱されることはないだろう。
さて。ルゥシールはうまくやっているかな。
見に行ってみるか。
いつもありがとうございます。
次回はもうちょっと早めに公開する予定です。
今後ともよろしくお願いします。