47話 宴会が終わる時
日が傾き、オルミクル村に賑やかな宴の時間が訪れる。
宿屋だけでは賄いきれず、広場に机や椅子を持ち寄り、そこに料理が並べられていく。
キャラバンが来た時はいつもこうやって村上げての大宴会が催されるらしい。
露店がすっかり片付けられた広場は、今では大宴会場へと変貌していた。
「おぉっ! ゴッド・モー様!」
「やめてください、違いますから」
酔っぱらったキャラバンの構成員に声を掛けられ、ルゥシールは困り顔で否定している。
「大人気だな、ゴッド・モーシール」
「ルゥシールですよっ!?」
俺たちも、ワゴンや小屋を片付けた後で宴会に参加していた。
エイミーはナトリアたちと牧場で魔法の勉強会だそうだ。
ベルムドとアーニャさんは新製品の改良に取りかかっている。
今日の売り上げが相当凄い額になったようで、一家は安泰だとベルムドに泣きながら感謝された。ヤギも売らないらしい。
そして、改革する心に芽生えたのか、新製品を開発して従来の安定を守る商売方法から、よりアグレッシブな商売方法に切り替えていくらしい。
手始めに木苺のヨーグルトを完成させるのだとか。
まぁ、それが出来るころには、俺はこの村にはいないだろうけどな。
「ご主人さん、どうかしましたか?」
「ん?」
表情に出ていたのか、ルゥシールが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「この村とも、そろそろお別れだなと思ってな」
いい村だったが、いつまでもここにいるわけにはいかない。
やるべきことがあるからな。
「……そうですね」
ルゥシールも、少し寂しそうな表情を見せる。
しかし、ふわりと笑みを浮かべると、俺を見つめて首を軽く傾げてみせる。
「でも、ご主人さんと一緒にいれば、どこに行っても楽しい気がします」
一緒に、なんて言葉がくすぐったかった。
「楽しいかどうかは知らんが、色々あるんだろうな、この先も」
「はい。ないわけがないです。だって、ご主人さんですもん」
「どういう意味だよ?」
「そういう意味です」
くすくすと笑い、そっと、俺の肩を撫でるように叩く。
相変わらず、ルゥシールのボディタッチにはドキリとさせられる。
俺はそっぽを向くことで、それを悟られないようにする。
「あ、先生!」
「おにぃーたん!」
二人で一緒に来ていたのか、ナトリアとルエラが揃ってこちらに走ってくる。
「よう、二人とも。魔法の勉強は済んだのか?」
「はい」
「教えてもらったよー!」
元気なルエラはいつものことなのでともかくとして、ナトリアはどこか嬉しそうで何かしらの手応えを感じているように見えた。
「はい。手応えは感じています」
……今、心読んだ?
「心というか、感情情報を文字列化して視覚を通して魔力で感知しました。魔神ミーミルが得意とする技術で、エイミーちゃんにやり方を教わりました」
そのやり方って、教えられるものなの?
たぶん、魔導ギルドでは確立されてない技術だぞ。
「とても、分かりやすかったですよ」
すげぇな、お前ら。
教えたエイミーも、マスターしたナトリアも。
「ただ、魔法が一つしか覚えられませんでした……」
「一つ覚えたの!?」
思わず声が出てしまった。
成長が早過ぎる。
だって、勉強会とか言ってエイミーの家に行ったのは昼飯を食った後だぞ?
今からほんの数時間前だ。
それで、魔法を使えるようになったってのか?
「エイミーちゃんも、あの短い授業の中で使えるようになったじゃないですか」
「だから、エイミーも異常なんだよ」
それにしても頼もしいというか、将来が楽しみというか。
基礎魔法だけでも、使えるようにさえなれば独学でも出来ることの幅は広がる。
以前にも言ったが、基礎中の基礎魔法であっても、王都へ行けば一代で財を成すことが出来るのだ。
真面目に研究すれば、魔導ギルドのエリートにだってなれるかもしれない。
「可能性が出来たのは嬉しいのですが、私もこの村を出るつもりはありませんので、細々と魔法の研究を行うつもりです。病気がちの母を一人には出来ませんし」
「え、お前父親は……?」
「父は、私が生まれてすぐ、森を荒らす危険な魔物の討伐隊に参加して……」
しまった。迂闊なことを聞いてしまったか……
「そこで出会った若い女と逃げました」
「聞くんじゃなかった! そして、一瞬でも気の毒に思うんじゃなかった!」
「けど、先生が『ちちおや』と言うと、『乳親』のように思えて、それはつまり『母親』のことのように聞こえますね」
「そんな紛らわしい言い方しねぇわ!」
「……ご主人さん…………」
「違うっつってんだろ、ルゥシール!?」
まったく、アホのルゥシールめ!
ちょっと引いてんじゃねぇよ。
「おにぃーたん! おにぃーたん!」
ナトリアとばかり話していたせいか、ルエラが両腕を伸ばしてピョンピョン跳ねて、構ってほしそうに俺を呼ぶ。
「ルエラの覚えた魔法見たい?」
「お前も覚えたのか!?」
「うん! 簡単なヤツ!」
驚き過ぎて、魔法の価値観が壊れちゃいそうだよ。
ルエラは五歳だぞ?
まだまだ子供、いや、幼女だ!
こんな小さい頃から魔法が使えるようになったってのか?
五歳って言やぁ……その頃の俺は、魔界に放り込まれてガウルテリオに魔界中を連れ回されていた頃か……………………俺も相当凄い人生送ってるよな。うん。
「じゃあ、折角だから見せてもらおうかな」
「いーよー!」
「楽しみですね、ご主人さん」
ルゥシールも、微笑ましそうな顔でルエラを見つめる。
ちょっとした発表会だな。
「じゃあ、ルエラ。私と一緒に、せーのでやってみようか?」
「うん! ナトリアおねぇーたんと一緒にやるー!」
二人同時に魔法を使うようだ。
俺とルゥシールは拍手をし、二人を見守る。
魔法陣が展開され、淡い光を放つ。
うん、よし。展開は完璧だ。
顔を見合わせ、「うん」と頷き合ってから、ナトリアとルエラはそろって詠唱を始める。
「「 ザウラゲイト・エバ・ホヌプス――冥界の守護者よ、静寂と共に生きる者よ、…… 」」
ん?
んん?
んんんっ!?
ちょ、ちょっと待って、待って!?
その詠唱って……
隣で、ルゥシールが青い顔をしている。
嫌な記憶が蘇ってきたのかもしれない。
「「 荒ぶる魂を排し、摂理に背く者へ破滅を与えよ、メルセゲルの瞳により愚者を監視せよ―― 」」
そして、ナトリアとルエラは俺とルゥシールを交互に見た後、二人そろって俺に向かって手のひらを向けた。
俺、的っ!?
「「 シレンシオ・ジュラメント! 」」
二人の手のひらから眩しく輝く拳大の光の玉が発射され、俺の胸へとぶつかり、するりと体内へと侵入する。
しかし、光の玉は固定されることはなくそのまま俺を通り抜けて、やがて地面へと落ち、消失した。
「あれぇ!? 失敗ちたの?」
「そんなはずは……」
結果に不満があるのか、ルエラもナトリアも表情が曇る。
が、これは紛れもなくシレンシオ・ジュラメントだ。
固定されなかったのは、俺の体内に魔力がないからだ。
「じゃあ、ルゥシールさんに向かってもう一度やってみましょう」
「うん!」
「わぁっ! ちょ、ちょっと待ってください! わたしは、その! そうです、アレルギーがあるんです! シレンシオ・ジュラメントアレルギーが!」
物凄い発生頻度の低いアレルギーだな。
けどまぁ、確かに、ある意味アレルギーと言えるかもしれない。
ルゥシールは総毛立ち、青い顔をしてがくがく震えている。
なにせ、一度あの魔法で死にかけたわけだからな。
「落ち着け二人とも、ちゃんと成功している。俺がちょっと特殊なだけなんだ」
「そうなんですか?」
「あぁ、そうだ。あと、この魔法は無暗に人に見せるな……世界がひっくり返る」
悪用されでもしたら一大事だ。
つぅか、なんでこいつらが使えるんだよ?
魔導ギルドでもバスコ・トロイにしか使えなかった難易度マックスの魔法じゃないのか?
俺だって使えないんだぞ?
「特に、問題なく使用出来ました。むしろ、授業で教わったアルス・ナールという種火を発生させる基礎魔法よりも簡単でした」
「……マジでか?」
「おそらく、相性がいいのだと思います。私たちとシレンシオ・ジュラメントを司る魔神メルセゲルは」
俺や魔導ギルドのオッサンたちには使えないが、エイミーやナトリア、ルエラと相性が良い…………え、メルセゲルってロリコンなの?
じゃあ、なんでオッサン中のオッサンであるバスコ・トロイだけは使えたんだ…………相性…………共鳴するものがあったとか?
はっ!?
まさか、バスコ・トロイもロリコンなのか!?
それで「同じ趣味で意気投合」的なことか!?
……言われてみれば、真っ先にエイミーを拉致していたな…………手も繋いでいたし……
うわぁ……知りたくなかった…………
っていうか、この村はもう安泰だな。
シレンシオ・ジュラメントの使い手が三人もいるんだもん。
誰も攻め込めねぇよ。
むしろ、ここに魔導ギルドの本部移しちゃえば?
「ご主人さん……この村、怖いです」
「あぁ。このまま魔女がどんどん量産される可能性があるな……」
「古の遺跡、攻略しておいてよかったですね」
「まったくだ。若干、手遅れ感は否めないけどな……」
こんな力が一点に集中してしまうと、戦争の火種になりかねない。
どうか、この村の未来が平穏なものでありますように。
未来への希望と若干の戦慄を覚えた俺たちは、ナトリアたちと別れ牧場へと向かった。
いつまでたってもエイミーたち一家が現れないので様子を見に行くことにしたのだ。
「もうすっかり夜ですね」
「そうだな」
宴会の席で包んでもらった鹿肉のローストを手土産に、暗くなった道を歩く。
広場で盛大に焚かれているかがり火の明かりが微かに漏れてきているが、それがかえって物悲しさを強調している。
もうすぐ終わる宴会を思わせるようで。
宴会と共に終わりを告げる、この村での生活を思い起こさせて。
「ご主人さん」
「……ん~?」
「楽しかったですね」
こちらを見ないままで、ルゥシールが呟く。
それが何を指していたのか、俺には分からなかった。
けれど。
「あぁ。楽しかった」
間違いなくそう言える。
それから牧場に着くまでの間、俺とルゥシールは無言で歩いた。
言葉は交わさなかったが、二人して、いろんなことを考えていた。ルゥシールもそうであるということは、伝わってくる空気で分かった。
静かで、長い、ほんの少しだけセンチメンタルな、そんな時間だった。
牧場に着くと、ちょうどベルムドが家から出て来るところだった。
「やぁ! 丁度良かった。今から呼びに行こうかと思っていたところなんだ」
嬉しそうに笑みを浮かべ、ベルムドが俺の腕をがしっと掴む。
そしてぐいぐいと引っ張る。
「な、なんだよ?」
「いいから。早く入って!」
「お、おう。あ、そうだ、鹿肉のローストが……」
「そんなのはいいから! ささ、早く!」
まるで子供のように、ベルムドのテンションが高い。はしゃいでいるようだ。
家に入ると、アーニャさんが俺たちを出迎えてくれた。これまた嬉しそうな顔で。
……何があったんだよ?
「売り上げが想像以上で笑いが止まらないのか?」
「売り上げ? あぁ、よかったらしいね。君のおかげだよありがとう」
「あぁ」って……興味ないのかよ? この前、あんなに悩んでたろう?
「そんなことよりも! ついに完成したんだよ!」
「完成?」
「そうなんです。是非、一番最初に食べていただきたくて。さぁ、こちらへどうぞ。ルゥシールさんも」
「ふぇ? あ、は、はい」
ルゥシールも俺と同様、戸惑いを隠せないようだ。
引き摺られるように連れてこられたダイニング。昨日と同じ席に腰を下ろすと、俺とルゥシールの目の前にガラスの器に入ったヨーグルトがそれぞれ置かれる。
そして、その上に赤紫のソースがかけられた。
「完成したんです。木苺のヨーグルト」
「え、もう?」
「あぁ。どうしても君に食べてもらいたくてね。一日キッチンに籠って、さっきようやく納得出来る味にたどり着いたんだ」
その苦労を物語るように、ベルムドの顔には疲れの跡がくっきりと浮かんでいた。
きっと昼飯も食わずにずっとやっていたのだろう。
そんな疲れ切った顔をしながらも、ベルムドとアーニャさんは期待に満ちた表情で俺たちを見つめている。
これは、気合いを入れていただかねばな。
「じゃあ、いただくか」
「はい!」
木製のスプーンを使い、少し柔らかめのヨーグルトを木苺のソースと共に掬い上げる。
滑らかな白に、艶やかでとろみのある赤紫のソースが絡み、混ざり合う。
それを口の中へと滑り込ませる。
口に含んだ途端、爽やかな酸味と木苺の香りが広がっていく。
これは…………
「「……普通」」
「普通っ!?」
ベルムドが思わずといった感じで聞き返してくる。
「なんというか……普通、だな」
「えぇ。普通ですね」
「普通ってなんだい? 普通に美味しいってこと、かな?」
「いや…………まぁ、美味しい? ……か、な?」
「マズくはないです、もちろん! とっても普通なだけで」
「……美味しくは、ない、ってこと……かな?」
「え~っと…………ふ、普通です」
ベルムドはがくりと肩を落としうな垂れる。
悪いことをしたか?
でも、なんとも言いようがなく普通なのだ。
「おぉっ!?」とも「わぁ!」ともならないし、「うぇっ!」とも「ぐえっ!」ともならない。
「……………………え?」みたいな味なのだ。
木苺好きなルゥシールがこの反応ということは、木苺をそのまま食べた方がおいしいということだろう。
改良が必要だ。
だが、希望はある。
「なんというか……マッチしていないというか、ヨーグルトと木苺のジャムを別々に食べているような」
「それだ、ルゥシール! この二つは絡み合っていないのだ!」
「そうかぁ……アーニャと二人で頑張ってみたんだけれど……」
「夫婦仲の悪さが味に出たんじゃないのか?」
「あら! そんなことないですよ。昨晩だって、散々二人で絡んで……」
「アーニャさん、すみません! ご主人さんに変な知識与えないでもらえますか?」
アーニャさんの言葉をルゥシールが大急ぎで遮る。
……絡む? なにが?
遠くへ連行されていったアーニャさんが「え、あなたたちまだなの?」とか「じゃあエイミーにもまだチャンスは……」とか言っていたが、なんのことだかさっぱりだ。
「そうだ。さっぱり過ぎるんだよな、これ」
「さっぱりか……もう少し甘みを加えてみるかなぁ……それともコクを……」
ベルムドの目が真剣になってきた。
一度の失敗にはめげない、その精神があれば、美味いものが完成するのも時間の問題だろう。
今回は、俺の旅立ちに間に合わせようと焦った結果の失敗だ。
「時間をかけて研究しろよ」
「あぁ。そうする。だからね……」
ベルムドは俺の肩に手を載せる。
ごつごつとした、大きい、父親の手だった。
「また、遊びに来ておくれ。いつでも、歓迎するから」
優しい、父親の笑みだった。
「…………あぁ。遊びに来るよ。必ず」
こんな感じは初めてのことで、戸惑ってしまう。
父親ってのは、こういう生き物なのかもしれんな。俺にはよく分からんが。
「そういえば、エイミーは?」
「魔法の勉強が終わった後、部屋に閉じこもってしまってね。さっき覗きに行ったら、もう眠ってしまったようなんだ」
「まぁ、今日は忙しかったからな。さすがに疲れたんだろう」
エイミーは朝からワゴンの準備に大忙しだった。
日中は接客をし、午後にはナトリアとルエラに魔法を教えて。大活躍だ。
ただでさえ、一昨日古の遺跡で大冒険をしてきたばかりだというのに。
「頼みが、あるんだが…………」
ベルムドが、神妙な面持ちで俺を見つめる。
とても不安そうでありながら、強い意志の籠った瞳。
誰かのために、必死になっている男の目だ。
「もし、エイミーが君について行きたいと言い出したら……」
連れて行けというのか、思いとどまらせろと言うのか……父親なら後者だろうが、ベルムドなら前者を選びそうだ。
「…………いや。やっぱり、私が口にするべきことじゃないな、これは。何でもない。忘れてほしい」
「……あぁ。忘れておこう」
「ただ……どちらにしても、顔だけは見て行ってやってほしい」
このまま、何も言わずにさようなら。……ってのは、俺も嫌だしな。
エイミーを怒らせると、物凄い執念で追いかけてきて弓で射られそうだ。
「出発は明日の朝。キャラバンの馬車に同乗させてもらうつもりだ」
「分かった。見送りに行くよ」
ほほ笑むベルムドの隣にアーニャさんが、俺の隣にルゥシールが戻ってくる。
アーニャさんも俺たちに笑みを向けてくれる。
「必ず、帰ってきてくださいね」
「帰る」という表現を使うアーニャさん。
そうか、ここは俺たちが「帰って」来られる場所なのか。
「お義母さん、いつまでも待ってる」
「お義母さんではないですので」
女のバトルはまだ続いていたようだ。
地味に仲悪いよな、この二人。
「宿屋はキャラバンの構成員でいっぱいだろう? よかったら、今夜もウチに泊まっていってくれ」
ベルムドの申し出をありがたく受け入れ、俺たちはもう一泊お世話になることにした。
エイミーがすでに眠っているということで、今夜は俺とルゥシールは同じ部屋に……
………………え?
「それじゃあ、おやすみ」
俺たちを寝室へ案内してくれたベルムドが部屋を出て行くと、静かな室内に俺とルゥシールだけが取り残された。
……………………あれ?
なんだ、これ?
なんだか、…………すげぇ、ドキドキしてんだけど?
「ご主人さん。ベッドが二つありますが、昨日はどちらを…………ご主人さん?」
「んはっ!?」
「ふぇっ!?」
急に声を掛けられビクッとした俺にビクッとしたルゥシール。
やばいほどに心臓が激しい。
鼓動がルゥシールにも聞こえているんじゃないかという気になる。
アレから…………そ、その……ほら、アレだよ、アレ!
あのぉ~……遺跡で、ほら! アレな、アレ!
ルゥシールと…………アレしたっていう……アレ………………キ、キス……的な、なにか?
と、とにかくっ!
アレから、なんだかんだとあって、二人っきりになることは、実はなかったのだ。
常に誰かがそばにいた。
宴会の時も、キャラバンの連中と話したりしていたし。何より周りには大勢の人がいた。
唯一二人きりになったのは、さっき、この牧場へ向かう道中くらいだ。
あの時は、この村を離れるという感傷的な気持ちが強くて意識しなかったが…………
二人きりだ………………どうしよう?
「………………ごくりっ!」
生唾を飲み込むと、やけに大きな音が鳴ってしまった。
その音が聞こえたのか、ルゥシールが肩をビクッと震わせる。
「……あ、あの…………ご主人…………さん?」
窺うような視線で俺を見る。
背を丸め、肩をすくめ、確実に『警戒』している。
い、いや!
違うぞ!?
な、なんにもしないって!
いやマジで!
ただ…………その…………ちょっと…………あの…………
「………………ごきゅごくりんっ!」
「凄い音してますよっ!?」
指摘されて、何か言い返すなり、ウィットに富んだ小粋なジョークを返すなりすればよかったのだろうが……顔が熱くて、少しボーっとしてしまっていた。
おかしい。
今までどうやってこいつと接していたっけ?
遺跡に行くまでは同じ部屋で寝泊まりしていたよな?
二人っきりで。
…………二人っきり。
「………………ごりごりごりごりごりっ!」
「ご主人さん!? もはや何の音か分からなくなってますよっ!?」
やばい!
俺の体が変になった。
心臓は暴れ狂っているし、顔は燃えるように熱いし、手汗と脇汗が滝のようだ。
小鼻が『小』鼻と名乗るのもおこがましいほどに大きく広がりきっている。
……これは、無理!
「ルゥシール!」
「は、はいっ!?」
「寝るぞ!」
「ふぇぇええええっ!?」
奇声を上げるルゥシールを横目に、俺はベッドへと潜り込む。
布団を頭まですっぽりとかぶり、ルゥシールに背を向けるようにして丸くなる。
布団の中は既に闇。
何も見えないし何も聞こえない。
今ここには俺しかいない。
いないのだ。
「…………あ、なんだ。『寝る』って、本当に寝ることなんですね……まぁ、そうでしょうね。ご主人さんですもんね…………」
どこか安堵したような声音を耳にしながらも、布団の中では一人きりと自分に言い聞かせる。
一人きり……だけど、昨晩とはまるで違う。
鼓動の早さに多少の息苦しさは感じるものの、昨晩のような寂しさは一切感じなかった。
むしろ、包み込まれるような……ほっとする温かさを、俺は感じていた。
「それじゃあ、灯りを消しますね」
ルゥシールの声が聞こえるが、俺は反応を示すことが出来なかった。
返事をしなかったからか、しばらくたってからルゥシールは無言で灯りを消した。
もう寝たと思われたのだろうか?
だとすれば、そう思わせておこう。
早く寝よう。
そう思って瞼を閉じるも、ルゥシールの顔が浮かんで落ち着かない。
というか…………布団に入る直前に見たルゥシールの顔……奇声を上げたあいつの顔は、凄く真っ赤だった気がする。
その表情がまた俺の心臓を締めつけて…………眠れそうにない。
下手したら、出発が延期になるかもしれないなぁ……
そんなことを考えながら、俺は懸命に目を瞑り続けた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ご主人さんがおかしいです。
「くかーくかー。すぴろろろー」
寝息の演技が下手過ぎます。
いや、演技の上手い下手はどうでもよくて…………明らかに何かを意識しているように見えます。
まさか……
『……【搾乳】も、あなたのことを好きだろうから』
不意に、フランカさんに言われた言葉が想起されて心臓が跳ねました。
灯りの消えた部屋。
目の前のベッドにはご主人さんが寝ていて、布団の膨らみが寝息に合わせて上下している。
堪らずに、わたしは自分に割り当てられたベッドに逃げ込みました。
ご主人さんと同じように頭からすっぽりと布団をかぶり、ご主人さんに背を向ける形で丸くなります。
布団の中ではわたしは一人きり……
もしかして……もしかしてですけど…………ご主人さんは…………
「…………にゅぅっ!?」
喉が締めつけられて変な声が出てしまいました。
恥ずかしくて顔が熱を帯びます。
そんなことは、ご主人さんに限って、起こり得ないとは思うのですが…………
変な緊張感に、背中を汗が伝います。
あぁ…………あぁ…………
「……お風呂に、入りたいです」
今日は朝から働き詰めで汗もかきましたし、広場で焼かれていたニンニクをたっぷり塗りこんだ大きなお肉もたくさんいただきました。
きっと、臭…………誰が、クサシールですか!?
……あぁ、わたしは何を焦っているのでしょうか?
ないです。
有り得ないです。
だって、ご主人さんですから。
……でも、もし………………
「…………にゅぅぅうっ!?」
……どうか、今日だけ、今日だけは…………何事も起こりませんように。
祈りにも似たそんな思いを胸に、わたしは瞼を閉じました。
いつもありがとうございます。
まず最初に。
今回登場しました魔神『メルセゲル』
本作内ではシレンシオ・ジュラメントを司る魔神として登場しておりますが、モデル……というか、この神様は実在されております。
有名人……いや、有名神なので、ご存じの方も多いかと思いますが、
この神様、本来は『女神』です。そう、女性です。
今回の話を見る限り、ロリコン気質のオッサン神のようですけれども……
あらすじにも書いてあります通り、
本作に登場する神様や魔物たちは『独自の解釈』によって、
かなり設定が捻じ曲げられております。
何卒ご了承くださいますよう、お願い申し上げます。
これまで何名もの魔物が登場しているにもかかわらず、
なぜメルセゲルに関してこのように言及したかと言いますと……
美人だからです。
それ以上の理由が必要だろうか、いやない!
P.S.
ウチのPCさん、
『ちちおや』って打つと、
真っ先に『乳親』って変換されるようになりました。
最近のPCの学習能力って、凄い。
それでは、
次回もよろしくお願いいたします。
とまと
 




