44話 賑やかな食卓
「ヤギぃ!?」
「そう。ヤギよ」
「ヤギだぞ、はっはっはっ」
「ヤギだそうですよ」
「な、ヤギだろ?」
俺たちは今、エイミーの家のダイニングにいる。
突然押しかけた俺たちに、アーニャさんは嫌な顔一つせず、うまい飯を盛大に振る舞ってくれた。
その席で、エイミーがずっと悩んでいたことを、ついに打ち明けたのだ。
すなわち、「ウチは家計が苦しいから、あたしのこと売るつもりなの?」と。ここまでストレートではなかったが、随分と時間をかけてそのような内容のことを言ったのだ。
その答えが、『ヤギ』だ。
まぁ、分かっていたことだが、エイミーの父ベルムドも、エイミーの母アーニャさんも、エイミーを売るつもりなどは微塵もなく、売るのはヤギなのだそうだ。
「ミルクだけでは稼ぎが限られているからね。ヤギの肉や毛皮も売ってしまおうと思ったんだよ」
「ヤギなら、そのまま売りに出した方が値がつくんじゃないか? ヤギ肉なんて、たかが知れてるだろう?」
「う~ん、それもそうか」
ベルムドは、俺の提案を真剣に考えている。
一方のエイミーは、売られないという安心感から呆け、自分の恥ずかしい勘違いから赤面し、必死に声を絞り出して悩みを打ち明けた反動で涙を流し、なんだか複雑な表情をしていた。
「ヤ、ヤギ……なら、寂しいとか……静かになるとか……」
「何を言ってるんだ、エイミー。ヤギも家族の一員だろう。売ってしまうのはやっぱり寂しいじゃないか」
「紛らわしいのよ!」
恥ずかしさを怒りに変換するエイミーだが、どっちかというと、盗み聞きしていたエイミーの方が悪い気がする。
まぁ、それよりも何よりも……
「ヤギが家族なのだとしたら、お前は家族の乳を手あたり次第搾りまくっているわけだ。最低だな、ベルムド」
「どうしてそういう解釈になるのかな? 別に家族の乳を搾ってるというわけじゃ……」
「あら。でも、私のお乳は、割と頻繁に搾ってますよね?」
「お母さんっ!」
「ベルムド貴様ぁ!」
アーニャさんの発言に俺とエイミーは同時に立ち上がり、俺はベルムドに、エイミーはアーニャさんに掴みかかった。
「お客さんの前で変なこと言わないで!」
「あらあら、ごめんなさいね」
アーニャさんはイタズラが成功した子供のように笑う。
仲の良い親子の姿だ。
だが、こっちはそうはいかない。
「巨乳の独占は法律で禁止されている! 俺にも分けろ!」
「分けられるわけないだろうっ? あと、そんな法律はないはずだがね」
「巨乳は人類みんなの財産だぞ!?」
「人類みんなの財産ではありませんよっ! アーニャさんの所有物であり、百歩譲って旦那さんのベルムドさんと娘のエイミーさんまでです、所有権があるのは!」
「お得意様の俺は!?」
「ごめんなさいねぇ。ウチ、そういうサービスしてないんですよ。あ、でも、娘の方でよければ……」
「お母さんっ!? よ、よよ、余計なことここここと、ことっ、いわ、言わないでって言ってるでしょう!?」
「でも、揉んでもらうと育つのよ?」
「育たないもん!」
「エイミー。ようやく辛い現実を受け入れる気になったのか」
「そうじゃないわよ、アシノウラ! 育つもん! 一人で育つもん!」
「はははっ、賑やかな食卓だなぁ」
「ベルムドさん。お宅の奥さんと娘さんがセクハラ被害に遭っているんですよ!? 毅然と対処してください!」
立ち上がり、詰め寄り、叫んで、笑って……滅茶苦茶な食事風景だ。
「まったく。騒々しい連中だ」
「ご主人さん。『元凶』という言葉を辞書で引いてください」
ルゥシールに腕を引かれ、強引に着席させられる。
そして、俺の隣へ腰を下ろしたルゥシールは、「む、むむむ……」と、よく分からない音を漏らしながら、俺の腕を掴む手に力を入れたり、離しかけたり、もう一回掴み直したりしてから、ゆっくりと手を離した。
耳の先が真っ赤に染まっている。
「暴れ過ぎだぞ、ルゥシール。耳まで真っ赤だ」
「そ、そんなことないですっ! あ、いや、やっぱりあります! 暴れたせいなんです! だから赤いんです!」
「いや、だからそう言ってんだろ……?」
手をパタパタと振り、ルゥシールは自分の顔に風を送る。
俺に背を向け、体をもぞもぞとさせる。
まるで背中が痒いかのような動きだ。
肩を上げ、首をすくめ、プルプルと体を震わせる。
「どうした? 首が痒いのか?」
なんだか痒そうなので、首の後ろの付け根付近をかいてやる。
かりこり。
「ふにゃぁぁぁああああああっ!?」
その場にいた全員が「ビクッ!?」となった。
ルゥシールは奇声を上げた後、文字通り目にも見えない速度で飛び退き、一瞬で部屋の隅まで移動していた。
首の後ろを両手で押さえ、真っ赤な顔をして俺を睨んでいる。
「い、いき、いきっ、いきなり何をするんですかっ!?」
珍しく、ルゥシールが怒っているように見える。
ぷりぷりすることはたまにあるが、こういう剣幕は珍しい。
えっと……いきなり触るのは、さすがにマズかったか……?
「あ、すまん……ダメだったか?」
素直に謝辞を述べると、ルゥシールはちょっと困ったような表情を見せる。
「ぅ、いや…………ダメ、というか…………ダメではないけれど、ダメというか……心の準備が……」
ルゥシールがみるみる赤く染まっていく。
この牧場にいるのがヤギでよかった。
もしここに牛がいたら、脇目も振らずに突進してくること間違いなしだろう。
それほどに、ルゥシールが赤い。
「と、とにかくですね、首は、……やめてください」
「じゃあ、胸を……」
「首『も』やめてください」
……言い直された。
「あらあら。ダメですよ、女の子の肌に気安く触れたりしては」
アーニャさんが優しくも諭すような口調で言ってくる。
え、そうなのか?
「首だぞ?」
「首でもですよ」
「エロスが微塵もないのに?」
「あら? 首筋の色気をご存じないのですか?」
首筋の色気?
首………………?
「湯上がりの首筋なんて……そそりますよ?」
「お母さん! 変な言葉使わないで!」
エイミーが奔放な母親を叱っている。
が、しかし……
湯上がりの首筋……?
そういえば特に気にして見たことがないな。
「よし。誰か風呂に入ってきてくれ!」
「嫌よ!」
「不潔か!?」
「違っ! 入るわよ! でも、……こんな話の後じゃ、入りにくいでしょ?」
「大丈夫だ。ほんのちょっとエロイ目で見てみたいだけなんだから」
「だから嫌だって言ってんのよ!」
エイミーは拒否か。
では……
「ルゥシー……」
「お断りしますっ!」
早い!
名前を呼ぶ前に食い気味で却下されたのは初めてだ。
……そんなに嫌か?
「あらあら、困りましたねぇ。私は人妻ですので、ご期待には沿えませんし……」
頬に手を添え、アーニャさんは困り顔で……でもどこか楽しそうにそう言う。
「あ~……じゃあ、私でよければ……」
と、挙手したのは、ベルムドだった。
「よ~しよし、ベルムド。お前の気持ちはよく分かった。表に出やがれ」
「妻と娘をそういう目で見られないための、父親として当然の防衛策だよ」
「あら、あなた。私はともかく、エイミーならいいじゃない。年頃だもの。恋をしなきゃ」
「ちょっ!? お母さんっ!? あたし、そんなつもりないし!」
「あら、どうして? 玉の輿に乗れるかもしれないのよ?」
「そ、そんなの、興味ないし! ……そんなの関係なくても、あたしは…………いや、なんでもないし!」
相変わらず、アーニャさんは俺とエイミーをくっつけたいようだ。
にしても、ひとつ聞き慣れない言葉があったな。
「なぁ、ベルムド」
「ん? なにかな?」
「さっきアーニャさんが言っていた……なんだっけ? たしか……あぁ、そうそう、『玉袋』ってなんだ?」
「ごめんね。ウチの妻は『玉袋』の話なんかしていないんだ」
「いや、だって、『玉袋に乗る』って」
「痛い痛い……想像しただけで痛いよ……」
ベルムドがうずくまり、テーブルに顔を伏せる。
……間違っているのか? ………………あ、そうだ!
そうそう、玉袋じゃなかった。
「『ちん玉神輿』だっけ?」
「ウチの妻はそんなお目出度い猥褻物の話はしていないよ。『玉の輿』だろう?」
「おぉ、それだそれ!」
ベルムドが苦笑いを浮かべ、俺の言いたかった言葉を思い出させてくれる。
流石客商売。人間観察が出来ているな。
「庶民が貴族のようなお金持ちと結婚して、セレブの仲間入りをすることさ」
「は? 俺は金なんか持ってないぞ?」
王子ではあるが、現在は追放された身だ。
継承権もなければ、領土も金もない、ただの冒険者だ。
「まぁ、これは冗談みたいなものだから」
「冗談? じゃあ、アーニャさんは遊びで『玉袋』に乗るのか?」
「やめてくれるかな? 人の妻を捕まえてそういうこと言うの」
よく分からん連中だ。
「……よく分かんないのは、あんただから」
向かいの席でエイミーが嘆息する。
それを見たアーニャさんが瞳をキラキラと輝かせる。
「なになに!? 以心伝心!? キャー! ちょっと凄いじゃない、あなたたち!? ねぇ、あなた! 見て見て! 目と目で通じ合ってるのよ! 微かに色っぽいわよね!」
きゃいきゃいとはしゃぎまくるアーニャさん。
いや、目と目で通じ合ってるわけじゃなくて、エイミーの特殊能力で……まぁ、いいや、そういうことでも。
「やっぱり、運命に導かれて出会った二人なんですねぇ」
「も、もう、お母さん…………やめて、ってば……!」
照れに照れているエイミー。
実の親に恋だ愛だの話をされると居心地悪いよなぁ。分かるぞ、その気持ち。ウチのお袋も口を開けば「恋をしろ」「女もたらし込めないで男を語るな」「そこに乳があるなら揉みしだけ」と、そのようなことばかりを言っていた。
親にとって、子供の恋愛は恰好のおもちゃなのだ。
事実かどうかなどどうでもよく、ただ騒げればそれで楽しいのだろう。
まったく、いい迷惑だよな。なぁ、エイミー?
そんな共感を覚えエイミーに視線を向けると、ばっちり目が合った。
「…………ぁうっ!」
そして、即座に目を逸らされた。
その様を見て、アーニャさんがまた「初々しいわぁ~!」などと言い始める。
恋に恋する乙女のような表情で、アーニャさんが「はふぅ……」と息を漏らす。
というか、故意に恋させようとしている感が半端ないのだが……
「別に、運命というわけではないと思いますけど」
気が付くと、隣にルゥシールが戻ってきていた。
っていうか、こいつは『運命』という言葉に何か嫌な思い出でもあるのか?
前にも似たようなことでヘソを曲げていたような……
「それくらいのことなら、わたしでも出来ますので」
「あら、そうなの? じゃあ、やって見せてくださる?」
アーニャさんが挑発するように目をすがめる。
「ウチの娘とあなたと、どちらが目と目で通じ合えるのか、見せてもらいましょうか」とでも言いたげな表情だ。
「ウチの娘とあなたと、どちらが目と目で通じ合えるのか、見せてもらいましょうか」
あ、言った。
「では、ご主人さん。見せつけてやりましょう! わたしたちの絆を!」
絆ねぇ。
「頑張りますよ!」
意気込んで、ルゥシールは握りしめた両方の拳を、顔の位置から胸元まで勢いよく振り下ろす。「ガンバッ!」のポーズだ。
そして、勢いのよい「ガンバッ!」は、体に強い衝撃を与え……胸が大きく揺れる。
ゆっさりと。
広大な海を優雅に泳ぐ、リヴァイアサンのような雄大さで。
「今、『巨乳最高っ!』と思いましたよね?」
「うん。思ったわね、確実に」
「思っていましたね」
「私にも分かったよ。確かに思っていたね」
と、ルゥシール、エイミー、アーニャさん、ベルムドに続け様に指摘される。
おいおい、お前ら、寄ってたかって……当てるんじゃねぇよ。
「これだけ分かりやすい顔をしていると、以心伝心もないですねぇ」
アーニャさんががっかりしたような顔で呟く。
「じゃあ、エイミーはもっと頑張らなきゃね」
「な、なにがよ!? もう、わ、わけ分かんない」
エイミーは声を上げると乱暴に立ち上がる。
「もう部屋に戻るから!」
遺跡攻略で疲れたのだろう。顔も真っ赤だ。熱など出さないといいが。
とにかく、ゆっくり休めばいい。
「じゃあ、俺たちは帰るか」
「はい」
俺とルゥシールが席を立つと、エイミー一家が揃って不思議そうな顔をした。
「あら、どうしてです? 泊まっていけばいいじゃないですか」
ふわりとした声でアーニャさんが言い、ベルムドもそれに頷いている。
いや、しかし……
俺たちがここに来たのは、エイミーが『自分が売られるかもしれない』という不安を抱えていたからで、その悩みが勘違いだったと分かった今、俺たちがここにいる理由はないわけだ。
「そんな水臭いこと言わないでよ」
俺の顔を見て、エイミーが言う。
「色々助けてもらったし、魔法も教えてもらったし、ミーミルと出会たこともそうだし……とにかく、お礼させてよ」
そして、そっぽを向いて、微かに頬を染め呟く。
「……友達、でしょ」
そんなエイミーを微笑ましそうな顔で見つめるベルムドとアーニャさん。
ルゥシールに至っては、ちょっとうるうるしている。
友達、か……
「んじゃ、一泊お世話になるか」
俺が言うと、その場にいる全員の顔がパッと明るくなった。
「よかったわぁ。もうベッドの用意もしてあるんですよ」
食事はもうほとんど終わっている。
空いた食器を重ねながら、アーニャさんが嬉しそうに言う。
「あ、手伝います」
「あら、ありがとうね」
「いえ。ご馳走になりましたので」
ルゥシールがすかさず手伝いに入る。
アーニャさんは嬉しそうにルゥシールを見ると、不意にさらりと髪を撫でる。
「あらあら。可愛い髪飾りね」
「はい。ご主人さんに買っていただいた大切なものなんです」
「へぇ~、そうなのぉ」
一瞬、アーニャさんの目が細くなる。
「でも、エイミーも高そうな弓矢のセットをプレゼントしてもらったようですけどね」
『高そうな』と『プレゼント』がやたらと強調される。
ルゥシールがムッとした表情を見せ、アキナケスを抜く。
「これも、ご主人さんからいただいた『心のこもった贈り物』です」
「あらまぁ、二つも? エイミーは一つなのに……じゃあ平等に、今度はエイミーの番ね」
そんな平等などない。
『~の番』とかないから。
「でも、お金のかかるものだと悪いので、そうですねぇ……ご本人さんをお婿さんにいただこうかしら?」
「なっ!?」
「ちょっ!? お母さんっ!」
「どうかしら?」
と、アーニャさんは、食いついてきたルゥシールとエイミーを無視して俺に笑みを向ける。
どうかしらと言われても……いただくんじゃねぇよとしか。
「あはは、それはいいねぇ」
ずっと静かだったベルムドまでもが楽しそうに口を挟んでくる。
「男手が増えると私も楽になるよ。君になら安心してエイミーを任せられそうだし、大歓迎だよ」
ベルムド、お前もか。
だいたい、俺がエイミーを上手く扱う自信がねぇよ。
「も、もう! お父さんもお母さんも、いい加減にして!」
真っ赤な顔で怒るエイミーを、アーニャさんはそっと抱き寄せ、髪の毛をすくように撫でる。
「そんなに大きな声出さないの。女の子でしょう? 嫌われちゃいますよ?」
「え……」
と、エイミーが俺をチラリと見る。
いや……見られても。
エイミーは元々騒がしい生き物だし、急に大人しくなられても調子狂うというか……まぁ、大人しくなるなんて不可能だろうし。
「さぁさぁ、エイミー。食事が済んだらお風呂に入ってきなさい」
「え、あたしが一番? お父さんたちの後でいいよ」
「ダメダメ。インパクトが大切なんですよ」
「……インパクト?」
「湯上がりの首筋ですよ。先に私たちが入ったら、エイミーの時には新鮮味が薄れるでしょう?」
「だからっ! そ、そういうのとか……いいから……」
「あと、足をゆっくりと湯船につけてくるんですよ」
「あ、うん。いっぱい歩いて疲れたしね」
「そうじゃなくて……」
アーニャさんは腰を屈め、エイミーの耳元に口を持っていき、『俺たちにはっきり聞こえる程度の声』で囁いた。
「足の裏を、ぺろぺろされるかもしれないでしょう?」
「ふなっ!?」
エイミーの顔が一瞬で真紅に染まり、つむじから湯気が上る。
「もう! お母さん! もう! もう!」
「うふふふ。そんな速度では当たりませんよ」
エイミーが怒って腕を振り回す。
それをアーニャさんがほほ笑みながら無駄のない動きでかわし続ける。……なに、この一家、強いの? そういう家系なの? エイミーの魔力といい、アーニャさんの武術の達人級の身のこなしといい。
「ご主人さん!」
戯れる親子を眺めていると、隣でルゥシールが真剣な声を出す。
「やはり帰りましょう。ここは魔窟です! ご主人さんの身が危険で危ないデンジャーゾーンです!」
なんか、スゲェ危険だな、俺の身。
「あらあら。そんな寂しいこと言わないで。ルゥシールちゃんのベッドも用意してあるのよ? ふかふかよ?」
「うぅ……しかし…………」
アーニャさんの好意をむげに断れないルゥシール。
言葉を詰まらせごにょごにょ言い始める。
アーニャさんはそんなルゥシールから俺へと視線を移し、にっこりとほほ笑む。
「あなたはエイミーと一緒のベッドで構いませんよね?」
「構いますよ!?」
「構うわよ!」
「アーニャ、それは流石に!?」
「あら? ダメ?」
……本当に、この母親は…………
やっぱ帰ろうかな。
そんなことを思い始めた時、玄関のドアが遠慮がちにノックされた。
「は~い!」
室内に微妙な空気を充満させたアーニャさんが、悪びれる様子も一切見せず朗らかな声で応え対応に向かう。
おい。残された俺たちどうすんだよ、こんな空気で……
「もし、ベッドが足りないのでしたら、ご、ご主人さんとわたしは、その……お、同じベッドで、か、構いませんのでっ!」
「あぁ、いや。ベッドなら足りているよ。たまに手伝いを雇うことがあるからね。それ用に空きがいくつかあるんだ」
「……そう、ですか」
ベルムドの言葉に、ルゥシールはどこかホッとしたような、ちょっと残念そうな表情を浮かべる。
と、いうかだな……
「お前とエイミーが一緒に寝るのが定石だろう、普通に考えて」
「……っ!?」
俺のもっともな突っ込みに、ルゥシールの全身が足首からスーッと赤く染まっていく。
「わ、わか、分かってますよっ! 冗談です!」
冗談を言った時の顔じゃないだろう、その大照れは。
「ぁう、あのっ……ちょっとの間こっちを見ないでくださいっ!」
両手で顔を隠し、俺に背を向けるルゥシール。
……そんなに照れられると、こっちもちょっと…………
頬に妙な熱を覚え、気まずい沈黙が落ちる。
エイミーからの冷たい視線を感じるも、頬の熱は収まらない。
と、そんな微妙な空気を壊すようにアーニャさんが戻ってきた。
助かったと、胸をなでおろすも、アーニャさんの後ろから姿を見せた訪問者に俺は背筋を冷たくする。
アーニャさんのすぐ後ろから姿を見せたのは、可愛らしい女の子が二人。
魔法の授業を受けていた、魔法知識豊富な大人しい11歳のナトリアと、最年少でもはや俺の妹と言っても過言ではないルエラだ。
そこまではいい。
問題はその後だ。
ナトリアとルエラの後ろからドーエンが姿を現したのだ。
「ナトリア、ルエラ、逃げろ!」
「急いでください! 伝染します!」
「……テメェら、いい度胸じゃねぇか? あぁん?」
ドーエンは悪鬼羅刹のごとき凄まじい形相で俺たちを睨みつける。
おのれラスボスめ…………
「なにをしに来たのだ、『ロリコン』と書いて『ドーエン』!」
「『ドーエン』と書いて『ドーエン』じゃ、ボケェ!」
ドーエンは盛大な咳払いを挟み、ここまでの経緯を説明し始める。
「夜間パトロールをしておったら、たまたまこの二人が夜道を歩いているのに出くわしたんじゃよ」
「それで誘拐したのか?」
「しとらんわ!」
「出来心なんですね」
「しとらんと言っとるじゃろうが!?」
ドーエンは頑なに容疑を否認している。
卑劣な男め。
「それで、話を聞いたらここに来る途中だってんで、連れてきてやったんじゃよ」
「つまり、幼女を付け回していたところ、偶然子供だけになる場面に遭遇し、これ幸いと声をかけて連れ去ったわけだな、この変質者め!」
「テメェはワシの話を聞いておらなんだのか!?」
「そうですよ、ご主人さん。『偶然』ではなく、『じっと機会を窺っていた』んです。ねぇ?」
「『ねぇ?』じゃねぇわ!」
尚も被疑者は否認を続ける。
とにかく、人質を解放せねば
「ナトリア、ルエラを連れてこっちにこい」
「はい、先生。行こう、ルエラ」
「うん!」
ナトリアはルエラの手を取り、俺たちのもとへと歩いてくる。
「危ないところだったな、お前たち」
「大丈夫ですよ、先生。夜道は暗かったですが、ギルド長さんが護衛してくださいましたので」
「バカ! だから危なかったんだよ!」
「仰っている意味が、理解出来ないのですが?」
ナトリアは頭のいい子だが、如何せん子供なのだ。
世間の汚さに、変態の恐ろしさにまだ気が付いていないのだ。
……そんな穢れない少女を狙うなんて……
「今すぐ帰れ、変質者!」
「テメェ……本気で決闘を申し込むぞ?」
まったく、これだから冒険者あがりは……
「ご苦労様でしたね、ギルド長さん」
茹でダコのように顔を染めるドーエンにアーニャさんが笑みを向ける。
アーニャさんなら大丈夫だろう。成人もしてるし。ドーエンの守備範囲外だ。
「この娘たちのことは、私が責任を持って面倒を見ます。どうぞ、お仕事にお戻りください」
「む……そうか。では、よしなに頼みますぞ」
「はい」
ドーエンはアーニャさんに頭を下げると、俺の方へ物凄くムカつく感じのアッカンベーを向けて部屋を出て行った。
年甲斐のないジジイだよ、まったく……
「ちょっと、アッカンベーをし返してくる」
「張り合わないでください、こんなくだらないことで!」
「やられっぱなしで引き下がれるか!」
「子供ですか!?」
「子供じゃないですぅ~っ!」
「……子供じゃないですか」
ルゥシールが嘆息する。
なんだよ、その「やれやれ」みたいな顔は。
「けど、どうしてこんな時間にウチへ来たんだい?」
ベルムドがナトリアとルエラに目線を合わせ尋ねる。
すると、ナトリアがルエラに視線を向けた。
どうやら、原因はルエラにあるようだ。
全員の視線がルエラに集中すると、ルエラがゆっくりと、考えながら、話し始める。
「えっとね……おとーたんとおかーたんにね、ルエラがね、『おとーとかいもーとが欲ちぃの』て言ったの。そうちたらね、『じゃあ、今夜はナトリアちゃんのとこにお泊まりしなさい』って」
「………………うん。そ、そうか」
ベルムドの表情が消え失せる。
あからさまに「聞くんじゃなかったオーラ」を纏っている。
ルエラの話を引き継ぎ、今度はナトリアが静かに話を始める。
「それで、ルエラがウチへ来たんですが、今、ウチの母が体調を崩していまして……ルエラの面倒を見ることも出来ず、また、病気がウツるといけないという観点から他の家にお世話になろうと。けれど、ルエラ一人では不安ですので、私も一緒に。そこで真っ先に思い浮かんだのがお友達のエイミーちゃんのお家でした」
理路整然として、非常に分かりやすい。
この娘、これでエイミーの一個下なんだぜ?
将来、大人っぽいお姉さんになりそうだ。
「ご迷惑なのは重々承知しているのですが、どうか今夜一晩だけ私とルエラを……」
「任せなさい!」
深々と頭を下げるナトリアの言葉を遮って、アーニャさんがナトリアとルエラを一緒に抱きしめる。
「エイミーのお友達ですもの。いつだって大歓迎ですよ」
アーニャさんの言葉に、ナトリアはホッとした表情を、ルエラは嬉しそうな表情を見せる。
「ご飯は食べましたか?」
「いえ。まだです」
「じゃあ、もう一度何か作るから、その間にみんなでお風呂に入っていらっしゃいな」
そう言って、ナトリアとルエラをエイミーの方へと押しやる。
「エイミー。みんなをよろしくね」
「うん。分かった。じゃあ、行こう。こっち」
エイミーがナトリアとエイミーを連れてダイニングを出て行く。
そして、ダイニングの入り口からひょっこりと顔だけを覗かせてルゥシールに手招きをする。
「ルゥシールも一緒に入ろう。ウチのお風呂、広いから」
「え? あ、はい。是非!」
ルゥシールはちらりと俺を窺い見るが、俺が頷きを返してやると嬉しそうにエイミーのもとへと駆けていった。
と、エイミーの下からルエラがひょっこりと顔を出し、俺をじぃっと見つめてくる。
「おにぃたんも一緒に入るー!」
「「ぶふっ!?」」
俺とベルムドが同時に吹いた。
何をかは分からんが、なんか口から吹き出てきた。
「ちょ、ちょっと、ルエラ! いいのよアシノウラは一緒じゃなくて!」
「なんで?」
「なんでも! ほら、いくわよ!」
「えぇ~……!」
不満そうな声を残し、ルエラはエイミーに引き摺られていった。
「……ご主人さん、ダメですからね?」
ルゥシールがやや照れながら、俺に釘を刺してくる。
分かってるってのに。
「覗きならともかく、一緒に入ったりなんぞするわけないだろう? それくらいの分別はついている」
「ですよね。では、お先に失礼して、お風呂をいただいてまいりま………………覗きもダメですよっ!?」
……ちっ。ダメなのか。
ルゥシールたちを見送り、俺はベルムドと二人でダイニングに取り残される。
アーニャさんはキッチンにナトリアたちの食事を作りに行っている。
…………話すことがない。
「えっと……気を悪くしないでほしいのだけどね」
ベルムドが遠慮がちに口を開く。
顔は前に向けたままで、視線だけを俺に向けている。
「私の書斎から『初めての搾乳~誰にでも出来るヤギの乳しぼり~』という書物がなくなったのだけれど…………なにか知らない?」
「気を悪くするぞ、コノヤロウ」
何を疑ってくれてんだ。
「いや、ほら。なんでも君は【搾乳大好き魔神】とかいう二つ名を持っているそうじゃないか」
「【搾乳の魔導士】だよ!」
「……【搾乳】は間違いじゃなかったのか…………そこが一番間違いであってほしかったのに」
ベルムドが俺から視線を逸らす。
やめろ。このタイミングで視線を外されると、俺が眼を合わせちゃいけないレベルの変態みたいだろうが。
「エイミーが知り合いになった魔神に書物をいくつかプレゼントしていたぞ。その中の一つなんじゃないか?」
「エイミーが魔神と知り合いに!? ……何があったんだい?」
「まぁ、色々だ。そのうちエイミーから聞かせてもらえるだろうよ」
「そうだね。……うん。それまで待つよ。書物に関しても、必要というわけじゃないからね。疑問が解消されればそれでいいんだ」
そんなどうでもいいことのために、俺はコソ泥呼ばわりされたのか?
「それより、牧場の経営は大丈夫なのか?」
「ん? ……あぁ、まぁ…………なんとかするよ」
とても弱々しい笑顔だった。
相当厳しいらしい。
「エイミーは狩りで家計を助けたいらしい」
「そうか……娘にまでそんな気を遣わせてしまって…………ダメだな、私は」
うなだれて、自虐的な笑みを浮かべる。
ったく、バカが。
「ダメじゃないから、妻と娘が必死にお前を支えてんだろうが」
ダメ人間なら、とっくに見限られてるわ。
「そうか…………ありがとう。もう少し、悪足掻きをしてみるよ」
「あぁ、そうしろ」
俺に宣言したベルムドはいい表情をしていた。
覚悟を決めた父の顔。大人の男の顔だ。
それは、何かあったら協力くらいしてやってもいいかなと思ってしまう程度には、いい表情だった。
「明日、エイミーは森まで狩りに行くらしい。穴ウサギの毛皮を売るつもりだそうだ」
「穴ウサギの毛皮だと、高く売れるだろうね。けど、森は今危険だからなぁ……」
「大丈夫だ。俺もついて行くから」
「そうか。なら安心だ」
ホッと息を吐いて、木製のジョッキに残っていた葡萄酒を一気に飲み干す。
「本当に、君がウチに来てくれれば安泰なんだがね」
「そいつは無理だ」
「あぁ。そうだろうとも」
俺には野望があるからな。
のどかな村で余生を過ごすには、まだ早過ぎる。
「キャラバンが村を離れるのに合わせて、俺は村を出るよ」
呟くように、でもはっきりと聞こえるであろう口調で俺は言う。
ベルムドは一瞬呼吸を止め、それから肺の中の空気をゆっくりと吐き出した。
「…………そうですか」
驚いて見開かれた瞼が次第に下りてきて、そっと閉じられる。
「……寂しくなりますね」
「まぁ、それまではちょこちょこ遊びに来るよ」
「はい。是非そうしてください」
そんなベルムドの言葉が、なんでか心をざわりと撫でて……俺は普段飲まない酒をベルムドの向かいで飲み始めた。
なんだか、ほろ苦い味がした。
いつもありがとうございます。
ベルムドのような優しいツッコミ要因がレギュラーに欲しいなぁ……
村を出たらさよならなんですが。
そして、前話のラストで追い返したはずのドーエン登場です。
どんだけ来たいんだと……
この村は、本当に大丈夫なんでしょうか……
◇次回のための予習的復習◇
お忘れの方がほとんどだとは思いますが、
そもそもエイミーは、
「アシノウラが村に来てから森で獲物が獲れなくなった」と訴え、
「責任取って狩りに付き合いなさいよ!」と登場した女の子でした。
実に、35話も前の話です。(『8話 赤毛の少女エイミー』)
思えば、ずいぶん遠くまで来たものです……
というわけで、
次回もどうぞよろしくお願いいたします!
とまと




