4話 遺跡の結界
村の南に広がる広大な森。
その奥深くに、その遺跡は存在する。
「大きな門ですね……」
侵入者を拒絶するようにそびえ立つ巨大な石門を見上げて、ルゥシールが感嘆の言葉を漏らす。
横幅は2メートルほどで、高さは優に4メートルはあるだろう。分厚さは分からんが、見た目からも重厚そうな雰囲気が漂っている。きっと物凄く分厚いに違いない。
その門を目にしたものは、物々しい雰囲気に呑まれ、その高さに驚き、誰しも見上げずにはいられないだろう。現に、ルゥシールも自然と門を見上げてしまっている。
直立の姿勢で首だけを使って門の天辺を見上げているせいだろう、口がぽか~んと開いて実にアホっぽい顔になっている。
面白そうなので、俺は食糧袋から木苺を取り出し、ぽかんと開いたルゥシールの口めがけてその木苺を放り込んだ。見事な放物線を描いて、木苺はスポンとルゥシールの口へと侵入した。
「にょっ!?」
突然飛び込んできた木苺に驚いて、ルゥシールが変な声を出す。
口を押さえてこちらを睨んでくる。
「な、何するんですか!? 凄く、美味しいじゃないですか!」
美味しいならいいだろうに。
軽く咀嚼すると木苺の果実は弾けて果汁が迸る。そんなことが口内で起こったのだろう、ルゥシールの瞳がきらりと輝き、次第に表情がとろけていく。
なんて美味そうに食うんだ、こいつは。
俺も食べたくなり、袋から木苺をひとつ取り出す。
と――
「…………………………………………じゅるり」
物凄く物欲しそうな目で見られている。
あぁ、分かる。分かるぞ、ルゥシール。
突然飛び込んできたせいで、驚いて、木苺の味を堪能出来なかったんだよな。
だから、出来ればもうひとつ食べてみたいと。
けれど、自分は恩返しをしに来ている身分。もうひとつくださいとか言い難いんだよな。
さりとて、さっき味わった幸福感が脳と舌に刻み込まれて忘れられないんだよな。
今、お前の中では壮絶な葛藤が渦巻いているんだろう。
くださいというべきか、諦めるべきか。天使と悪魔がお前の中で……
「……お、おかわりを…………」
「悪魔が勝っちゃったな」
『聖魔戦争inルゥシール脳内』は、あっけなく幕を下ろし、心苦しさを顔いっぱいに現したルゥシールが半泣きで両手を重ねて差し出してきた。包み込むように、決して落とさないように。
そこへ木苺を乗せてやると、ルゥシールは首がもげ落ちそうなほど頭を下げつつ礼を述べた。
今度は大切そうに口へと含み、舌先で転がしてにっこり、軽く齧ってほっこり、そして思い切って噛み潰してうっとりと表情を変化させていく。
ホント、面白い生き物だな、こいつは。
「この木苺なら、森の奥に沢山生ってたぞ」
「本当ですかっ!?」
「あぁ。狩りの途中で見つけていくつか採っておいたんだ。おそらくまだ沢山残ってるだろう」
そんな俺の話を聞いた途端、ルゥシールは目の色を変え俺の腕を掴んだ。
「行きましょう! 今すぐに、そのパラダイスへ!」
「アホか! いや、アホだ、お前は!」
「き、決めつけはよくないと思います!」
束ねたポニーテルをプルプル揺らして、抗議してくるアホの娘。おでこにチョップを落としつつ、俺は残念なルゥシールの脳みそにも分かりやすいように説明をしてやる。
「今、俺たちがいる場所が、今回の目的地なんだよ。遺跡に来たんだよ、分かるか?」
「我々は、無事遺跡にたどり着きました! 任務完了です! さぁ、木苺を採りに行きましょう!」
「よぉし、分かった。お前が何も分かっていないということがよく分かった。いいから、聞け、アホのルゥシール」
「またアホって……!」
「俺はこの古の遺跡に入って、この中に眠る神器を手に入れなければいけないんだ。この門はゴールじゃない。スタートだ!」
「け、けど、木苺が……っ!」
「分かった。残りの木苺を全部やるから、もう少し待て」
「えっ! いいんですか!?」
驚愕し、目をまん丸く見開くルゥシールに、俺は食糧袋を渡す。
中には木苺がそれなりの数入っている。
中を確認するなり、ルゥシールは喜色満面の笑みを浮かべ、木苺に負けないくらいに赤く染まった頬をほころばせた。
「ありがとうございます、ご主人さん!」
そんなに嬉しいか……たかだか木苺だぞ? その辺に生ってたヤツを適当に採ってきただけの。店に売ってもグラムで20Rbもしないような、そんな安物だぞ。
けどまぁ……嬉しそうに笑う顔は、わりかし悪くなかった。俺の心臓がちょっとはしゃいでアップテンポで踊り出すくらいには、な。
こうやって素直に感情表現が出来るのは、こいつの長所かもしれないな。
俺には出来ない。
「ったく。俺も結構楽しみにしてたんだぞ、木苺」
「あ……では、ご主人さんもおひとつ」
「いらん」
「でも……」
「遺跡の探索が終わったら、採りに行く」
「え」
「だから、そん時はお前も手伝えよ」
と、こんな言い方しか出来ないのだ。
それでもルゥシールは、こんなひねくれた言い方しか出来ない俺に――
「はい! 頑張ります!」
――と、満面の笑みを向けてくれたりするのだ。
まったく、……直視するのがまぶしいわ。
「んじゃ、サクッと遺跡をクリアするか」
「でも、ご主人さん。この門、あからさまに結界で封印されてますよ?」
ルゥシールの言う通り、遺跡の門には複雑な結界が施されている。
門の結界を解除しないことには、遺跡には入れない。
当然、門以外の場所からの侵入――たとえば、裏から回り込んだり、塀をよじ登ってみたり、地面を掘って門をくぐり抜けようとしたり――も、一切不可能だった。実際試してみたのだから間違いない。
森の中だから、どこかに隙間でもありそうだったのだが、堅牢なる塀に取り囲まれて、遺跡内部は見ることすら出来なかった。
「ちなみに、この封印はどうすれば解除出来るんですか?」
もぐもぐと、木苺を齧りながらルゥシールが聞いてくる。
……片手間かよ、おい。
「門の中央を見てみろ」
「じぃ~~…………何か、赤い石がはめ込まれてますね。周りの模様は、魔法陣でしょうか。あと、なんか受け皿みたいなのがあります」
この封印の門には複雑な魔法陣が描かれており、魔法陣の中央には魔力の結晶である【魔鉱石】がはめ込まれている。その魔鉱石の下に、半円形をした薄い台が突き出している。ちょうど、小皿を門に埋め込んだような形だ。
「その受け皿に精霊の祝福を受けた液体を注ぎ、その魔鉱石に魔法を叩き込めば封印は解除される」
「精霊の祝福を受けた液体?」
「平たく言えば【聖水】だ」
「聖水…………持っているんですか?」
「いいや」
「…………」
「…………」
「…………ダメじゃないですか」
おいこら。使えない子を見るような視線を向けるんじゃねぇよ。
大丈夫だ。抜かりはない。
が、その前にひとつ確認しておきたいことがある。
「ルゥシール。お前は現在、何か魔法は使えるか?」
「え…………正直に言いまして、使えません」
「どんなものでもいいぞ。あの魔鉱石に魔力を注げれば問題ないんだ」
「どんな矮小な魔法すら、今のわたしには……」
「そうか」
「……お役に立てなくて、申し訳あり……」
「いや、いいんだ。確認したかっただけだから」
片手をぷらぷらと振り、気にするなと伝える。
ついでに、気休めのひとつでも言っておいてやるか。
「この状況じゃあ、俺も魔法が使えないしな」
「え、でも。グーロを退治した時は……」
「そうなんだよな。うまい具合にグーロでも出てきてくれればいいんだけどな」
「はい?」
右に傾けていた小首を左へと傾けるルゥシール。なんだ、イナゴのマネか? あぁ、似てる似てる。
なんにせよ、状況確認は済んだ。
現在、この門の封印を解除する正規の方法はとれない。
それはすなわち、たったひとつのことを指示している。
それは――
「正攻法が通じないなら、破壊するのみ!」
「えっ!? 撤退じゃないんですか!? 必要なものを揃えて出直すのがセオリーですよね!?」
「俺の辞書に『諦め』と『地道な努力』という言葉はない!」
「いや、『地道な努力』は必要ですよ! 書き足しておいてください、辞書に!」
「ついでに、『良識』という言葉もない!」
「ない言葉が多過ぎます!」
「その代わり、『おっぱい』という言葉は二回出てくる!」
「もう捨ててください、その辞書! ろくでもない辞書です!」
馬鹿野郎。
読む用と、線を引く用だ。ふたついるだろうが!
辞書の正しい使い方を知らないルゥシールを尻目に、俺は門の前で仁王立ちになる。
この威圧感。侵入者を拒む、忌わしい結界め。
「こんな重厚な門を破壊出来るんですか?」
「俺には、これがある!」
そう言って、背中に取りつけていたクレイモアを抜剣する。
「って、ご主人さん!? それ、武器屋の店主さんが物凄く大切にしていた武器ですよね!?」
「なぁに、大丈夫だ。無茶はしないさ」
「無茶ですよ! こんな物々しい門、いくら大剣だといっても歯が立ちませんよ」
クレイモアを振り上げようとする俺を、ルゥシールは必死の形相で引き止める。
背後から抱きつき羽交い絞めにしようともがく。
そんな弱々しい絞め技で、この俺が止まると思うか? 甘いわ!
まとわりつくルゥシールを無視してクレイモアを上段に構える。
すると、一層激しくルゥシールが密着してきて……背中にぽい~んとしたものが……
思わず、動きを止めてしまった。
ふふ……この俺を止めるとは、ルゥシール、なかなかやるな。
ぷにぷに…………
「な、なななな、なかなかやるな、ルゥシール!」
「なんですか!? 急にどうしたんです、そんなにテンパって?」
「テンパってねぇよ! 全然平常心だにょ!」
「語尾がおかしいですけど!?」
いかん。
落ち着け。
一回ぷにぷにのことは忘れるんだ。
すぅー…………はぁー…………
「こほん――。そう心配するな。これでも俺は剣術を窮めた男だ」
「そ、そうなんですか?」
「ブレンドレル聖騎士団の団長とサシでやっても負ける気がしない」
「……気がしないだけですよね?」
「剣術の指南を受ければ、即日免許皆伝になることだろう」
「指南、受けてませんよね、その言い方だと」
「とにかく、剣術なら任せておけ」
「物凄く不安です!」
やれやれ。
こいつは全く分かっていない。
剣とは、打撃武器ではないのだ。
確かに、この門はとても重厚で、力と力をぶつけ合えば武器の方が破壊されてしまうだろう。
しかし、剣術というのはそういうものではない。
字のごとく、剣の技術。
研ぎ澄まされた一種の芸術なのだ。
「いいか、ルゥシール。物には、【核】というものが必ず存在する。この森の木も、岩も、鉄も、金も、ミスリルも、もちろん人間や魔物であってもだ」
この世に存在するすべての物は、その核を中心に様々な物質が集まって形成されている。
「つまり、その【核】を見極め、的確に破壊することが出来れば、それがどんなに重厚で、どんなに堅く、どんなに強大な物であっても破壊することが出来るのだ」
「【核】を、的確に破壊…………そんなことが出来るのですか?」
「俺を誰だと思っているんだ?」
俺は、魔法の核ですらこの目ではっきりと見極められる男だぞ?
物質の核を見抜くことくらい朝飯前よりもっと前だ! 一昨日の昼飯前くらいだ!
改めて門へと向き直り、精神を集中させる。
深く…………体内の空気を吐き出し…………森の空気を吸い込む。
カッと目を開くと、門を纏う魔力が見えた。
この門を守る強力な封印だ。
さらに深く、もっと奥まで、神経を集中させて凝視する。
…………そこに、【核】が見えた。
「見ていろ、ルゥシール……」
俺は静かに――流水が音もなく揺蕩うように――クレイモアを正眼に構える。
【核】を睨みつけたまま、脇を締めて剣を右上段へと引き上げると同時に大きく一歩足を踏み込む。
「ハァーーーーーッ!」
気合とともに一気にクレイモアを振り下ろす。
風を切り裂く音を上げ、クレイモアの切っ先が門へ触れる。
そして――
ガキィィィィィィン…………ッ!
――と、クレイモアが真っ二つに折れた。
「折れてるじゃないですかぁっ!?」
「い、今のはなしだ! うりゃ、もう一回っ!」
ガキィィィィン……ッ!
折れて短くなったクレイモアが、もう一度真っ二つに折れた。
「デジャヴですかっ!?」
「なんの! 今度こそ!」
「もういいです! もうやめてあげてください!」
ルゥシールがサイドから俺に抱きつき、振り上げた剣を掴もうと腕を伸ばす。
なんだ、こいつ。こんなことで俺が止められるとでも…………
ぽい~ん、ぽい~ん……
…………止められてしまった。
なかなかやるじゃねぇか、ルゥシール。
そんなわけで、クレイモアを没収されてしまった。
「あぁぁぁあぁ…………どうするんですか。絶対買い取りですよ、これ……」
「……黙っていればバレな……」
「バレますよ!」
ルゥシールは、二度も折れて短くなったクレイモアを握り、悲哀漂う声を上げる。
柄から40センチくらいだけ残った刃。……そうか。
「その刃をうまいこと削って、最初からその長さだったと言い張れば……!」
「無理ですって!」
こうなっては仕方ない。
「この封印は、本当に強固だなぁ」
「現実から目を逸らさないでください! 剣を見て! ほら、見事なまでに折れているこの剣をちゃんと見てください!」
「俺には遺跡の方が大事なんだ」
「どっちにしろ、入れないじゃないですか」
「……まぁ、そうだな」
やはり、聖水と魔法が必要か。
「どうやらこの結界は、正攻法でしか開かないらしいな」
「そのようですね」
「――と、前回気が付いた」
「じゃあ、なんで今回同じ過ちを!?」
「いや、クレイモアならもしかしてと……大きいし」
「ご主人さん…………残念です」
残念娘に残念認定されてしまった。
これは、非常に遺憾なことだ。
「とにかく、買い取りは免れないだろうし、足りない分を稼ぐとするか」
「そうですね。魔物でも狩って帰りましょう」
まぁ。足りないといってもたかだか400Rb。
適当な魔物でも見つかれば素材で何とか捻出できるだろう。
「あ、それから。木苺忘れないでくださいね! わたし、沢山採りますから!」
「あんま張り切り過ぎるなよ」
「心配には及びません! ちゃんと、この山の生態系が壊れる寸前でやめますので!」
「瀕死に追い込んでんじゃねぇよ」
なんて残念なヤツだ。
今回も古の遺跡には入れなかった。
なら、この次こそ入ってやる。
意気込みを新たに、俺とルゥシールはその場を後にした。
帰りがけにちょちょいと魔物を狩って、村でのんびり古の遺跡の対策でも練るか。
なんて軽く考えていたのだが…………
門の封印を解こうとした際、思っていた以上に俺の体から殺気が出てしまっていたらしく……この付近の魔物はみんな逃げていってしまったらしい。
その後俺たちは一匹の魔物にも遭遇することなく、結局、四日連続で森を徘徊することになるのであった。
「ご主人さん、動物に嫌われる人なんですね……」
ルゥシールが呟いたそんな言葉に、反論のひとつも出来なかった。
ご来訪ありがとうございます。
次回は10日あたりに公開予定です。
今後ともよろしくお願いいたします。