22話 森の惨劇‐血と結界とカブトムシ‐
「どんな惨劇が繰り広げられたのよ、ここで……」
遠くで「も~いい~か~い?」とやり続けていたエイミーが戻ってくるなり、石門付近の惨状を見て言葉を漏らす。
石門には、血。
血。血液。鮮血。血痕。
夥しい量の血潮を浴びて、石門は真っ赤に染まっていた。
そんな中、ルゥシールだけは一切汚れていない。
俺が、鼻血の瞬間に気を利かせて首の角度を調節したおかげだ。
あふれ出す全鼻血を石門へぶっかけるように首を傾けた。故に、ルゥシールに被害はない。
……俺は、鼻の下と口周りがベットリしている。
「どんないかがわしいことをしたらこうなるのよ……?」
「いえ、あの……本当に大したことは……」
ちなみに、現在俺は、暴れ狂う心臓を落ち着けるため、ルゥシールから遠く離れた森の腐葉土の上でうつ伏せに寝転がっている。
視界に入れてはいけない。
弾けるような白い肌を見るだけで、鼻血が再噴出しそうだ。
鼻の奥に残るあの甘い香りを腐葉土の湿って蒸れた、若干カブトムシのような匂いで上書きしているのだ。
とにかく、鼓動を治めないと…………死んでしまう。もう、血液がほぼない……
「はぁっ!? …………ひざ、まく…………ら?」
遠くで、エイミーの呆れ返ったような声が聞こえてくる。
「……なんでそんなことで、こんなことになるの?」
「えっとですね……それはご主人さんがとてもピュアな方だからだとしか……」
「ピュア!? あの、巨乳と見るや揉みかかろうとする変態が!? 足の裏を舐めさせろとか言う変態が!? 変態なのに、ピュア!?」
「そ、それはそうなんですけれど……わたしの知る限り、ご主人さんの穢れなさは、妖精や精霊と同等かと。おそらく、ユニコーンに出会えるくらいには純真だと思いますよ」
ユニコーンとは、穢れを知らない乙女の前にしか姿を現さない変質者気質の魔獣だ。
俺の中では、ただのむっつり生物にカテゴリーされている。
別に、会いたくもないな、そんなもんには。
「それにしても……何十回封印を解く気なのよ?」
俺の鼻血は、台座を数十回は満たせるほど大量に出ていた。
瓶に詰めて保管しておけば、後々役立つか…………いや、やめておこう。気分的によろしくない
「とにかく、結界を解除するわよ?」
俺は、顔を上げられないため腕を空に向かって伸ばし、指で丸を作る。
OKのサインだ。
「……しゃんとしなさいよ。膝枕くらいで、情けない……」
膝枕……くらい、だと?
なんてことだ。
ここにも膝枕をものともしない少女がいたのか。
この世の中は乱れている。どうりで世界が荒むわけだ。不浄だ、不浄。
「ほら、アシノウラ。いつまでも地面に顔を埋めてないで、早く結界を解く魔法を教えなさいよ」
エイミーが俺のそばまで歩いてきて、頭上からそんな言葉を落としてくる。
あぁ、魔法……魔法ね。
俺が教えなきゃ使えないんだもんな。
けどまぁ、ちょっと待て。まだ無理だ。
「さっさとしなさいよ!」
せっかちな奴だ。
だから育たないんだぞ、色々と。
「……なに? 何か言いたいことでもあるわけ?」
すげぇな、エイミー。後頭部だけでも俺と会話出来るのか。一種の才能だな、もはや。
しょうがないので、俺は開錠の魔法の詠唱を口伝する。
『 もごが・もがもが………… 』
「全っ然聞こえないわよ!」
そんな叫び声と共に、俺の髪の毛が引っぱり上げられ、強制的に顔を上に向けられた。
「話すときはちゃんと顔を見て話しなさい!」
「うぉっ!? やめろ! 俺にはまだ外の世界は早過ぎるんだ!? もう少し時間をくれぇ! 世界が眩しいぃっ!」
「なに訳の分かんないこと言ってるのよ!?」
俺の顔を覗き込んでくるエイミー。
やめろ! 顔が近い!
まだ俺の心臓は過剰運転の影響で痙攣状態になるのだ。
そんな状態でエイミーを見て、もし万が一、まかり間違って鼻血でも噴いてみろ。
……その瞬間、ドーエンの仲間入りじゃねぇか。……それだけは、それだけは勘弁していただきたい!
「ちゃんとあたしの目を見なさいよ!」
「そ、それは無理だ」
「なに言ってんのよ!?」
「俺はドーエンの仲間じゃない!」
「はぁ!?」
「お前の目を直視すると浄化されてしまうんだ!」
「あんたはどこの悪霊よ!? あたしにそんな力ないわよ!」
「いや、つまりだな……その………………そ、そう! 綺麗だから!」
「へぅっ!?」
追撃の手が止まった。
勝機っ!
この手で乗り切ろう!
「お前の目は澄んでいて綺麗だからな。直視するのが躊躇われるんだよ」
「き…………き、れぃ……え、あたしの目が?」
「あぁ。だから、直視は出来ない」
「ば、バカみたい……そ、そんなの…………でも、そう……ふ~ん。そう、なんだ…………へへ」
顔を見ていないので分からんが、なんとなく、エイミーから機嫌のよさそうなオーラが漂ってくる。
「で、でもさ。たとえあんたが、その……あたしの目に……その、アレでもさ、詠唱は教えてもらわなきゃいけないじゃない?」
「だから、もうちょっと待ってくれれば教えるから」
せめて、心臓の痙攣がおさまるまで待ってくれれば何とかなる。
「ちょっと待ったからって、あんたがあたしの綺麗な目に……その……アレなのが、アレするわけじゃないんでしょ? だったら、いくら待ってたってアレじゃない?」
アレアレとうるさいヤツだ。
一体どれだよ?
「とにかく詠唱を教えなさい。あとはあたしが何とかするから」
これは絶対譲る気のないパターンだな。
まったく、自分のペースでしか行動出来ないヤツめ。
詠唱を口で伝えるのだって、割と面倒くさいのに……
まぁ、何かに書いてやるか。口伝じゃ覚えきれないだろうしな。
えっと、確か……オゴラ・エトス・イェス――雄弁なる刻の言霊、倫理と修辞をつかさどりし叡智の神よ、ミーミルの導きにより我が道をひらけ――バーブ・タフリール……だったっけ?
なんか書くものは……
と、俺が道具袋を漁ろうかとした、まさにその時。
「うん、分かった」
エイミーが大きく頷いて、立ち上がった。
「……は?」
「なに?」
「何が分かったって?」
「だから、もう覚えたんだって」
…………俺は、何も言っていないが?
「だからさぁ、あんたの顔は分かりやす過ぎるのよ」
顔?
「そのわりには…………あたしの目のこと、そんな風に思ってたのは、分かんなかったけどさ……そういうのはもうちょっと分かりやすく…………」
エイミーが可愛らしく頬を膨らませてもじもじとし始める。
……こいつは、何を言って何に照れているんだ?
チラリと様子を窺うも、さっぱり見当がつかない。
あ、っていうか、エイミーを見ても血液の逆流を感じない。
じぃ~……
「ぅえっ!? な、なによ!? なんでそんなに見つめるのよ!?」
エイミーが真っ赤な顔をして怒鳴る。
半身を引き、身構えるように腕で顔の下半分を隠す。
あぁ、よかった。
俺、やっぱりドーエンの仲間じゃなかった。
エイミーを見ても、全然平気だ。
やっぱり、乳も膨らんでないお子様なら平気なんだ。
「あ、ご主人さん。もう平気なんですか?」
そのとき、エイミーの背後からルゥシールが顔を覗かせた。
「無理ぃーーーーーーーっ!?」
一声あげて、俺は再び大地へ顔を埋める。
というか、大地に頭突きをお見舞いする。
「ご主人さん!? なんか物凄い音がしましたけども!?」
あぁ、やっぱりまだ無理だ。
ルゥシールの顔を見ると、あの頬に触れたスベスベぷにぷにの太ももの感触が思い起こされて………………鼻血が大地へ染み込んでいく…………鼻汁ブッシャーだ。
「な……何が無理なのよ、アシノウラ?」
「…………」
「へ、返事がありません!? ただの屍でしょうか!?」
「……殺すな」
「よかったです。生きていました」
ルゥシールがホッと息を漏らす。
なんかもう、その「ホッ」すらも心臓に悪い。
くっそ、アホのルゥシールなんかに……こんなアホなやりとりなのに……っ!
「じゃあ、アシノウラが元気になるまでの間に、結界を解除しておきましょう」
「詠唱は分かったんですか?」
「ばっちりよ」
自信たっぷりにエイミーは言う。
が、本当か?
俺は一言も発していないし、一文字も書いてないんだぞ?
遠ざかっていく足音を聞きながら、俺はわけの分からない気分でいっぱいだった。
ただただ、鼻の奥がカブトムシ臭いなぁ、という感情しかわいてこない。
「この赤い宝石に魔法を使えばいいのよね?」
「はい。それで封印が解除されるはずです」
「じゃあ、始めるわね」
そして、次の瞬間俺は驚愕する。
『 オゴラ・エトス・イェス――雄弁なる刻の言霊、倫理と修辞をつかさどりし叡智の神よ、ミーミルの導きにより我が道をひらけ――バーブ・タフリール 』
エイミーが詠唱する。
それも、一字一句違えずにだ。
その直後、地響きのような低い音が辺りに響き渡り、そしてまばゆい光が森の中を照らした。
結界が、解かれたのだ。
……あいつ、マジで顔を見ただけで俺の心を読みやがったのか? …………それも、あそこまで正確に?
「アシノウラー! 結界なくなったわよー!」
遠くから、エイミーが呼びかけてくる。
これはもはや、才能なんて生易しいものじゃない。
一種の技術だ。
確立すれば、相手の魔法を盗むことだって出来るかもしれない。
将来が恐ろしいお子様だ……
そんな驚きも手伝って、俺の脳みそと心臓は随分と落ち着きを取り戻した。
もうちょいでいけそうだ。
ルゥシールの刺激臭もカブトムシに上書きされたし、もう少しで立てそうだ。
ついに結界が解除されたんだ。
いつまでもこんなところで蹲ってる場合じゃないよな。
腕に力を入れ、土に埋めていた顔を持ち上げる。
視界の闇が徐々に晴れ、枯れ葉とこげ茶色の土が視界に入ってくる。
よし、行けそうだ。
と、思ったその時――
「大丈夫ですか、ご主人さん? 立てますか?」
持ち上がりかけた俺の体に、そっと触れるものがあった。
ルゥシールの手だ。
ルゥシールが俺の肩に優しく手を乗せたのだ。
いつの間にか隣に来て、しゃがみ込んで俺を助け起こそうとしている。
……近い。
エイミーの時とは明らかに違う感情の波が体の奥から押し寄せ、突き上げてくる。
ルゥシールの、あの、甘い香りが鼻に…………
「ごっふぅっ!!」
「ご主人さんっ!? 鼻血が!? またしても鼻血が!?」
いかん……折角止まりかけた鼻血が……
マジで動脈が切れたのかも知れない……毛細血管とかじゃなくて、太くてとても重要な、限りなく心臓に近い血管が……
「エイミーさん、すみません! もう二時間ほどこの場所で待機です!」
「……あんたら、本当に遺跡に入る気あるの?」
入る気はあるのだが……いかんせん、体力の限界だ…………
絶対領域には、魔物が棲んでいた…………
「あたしの魔力を使っていいから、さっさと回復しなさいよ」
エイミーが俺のそばまで来て不機嫌そうに言う。
エイミーの魔力を?
ってことは、俺にそのぺったんこを触れと?
「ダ、ダメですよ、エイミーさん! 結婚前の身体をそんな粗末に扱っては!」
おいこら、ルゥシール。
俺は汚物か?
俺が触ると穢れるのか?
「ベ、別に! もう、ここまで来たら……む、胸くらい触ったって、い、ぃぃい、いいわよ…………し、しょうがないからね!」
「ご主人さんに触れられると、お嫁に行けなくなりますよ!?」
だから、おいこら、ルゥシール。
「なによ。自分だって膝枕したくせに!」
「わっ、わたしは……別に、いいんです」
「なんで自分だけ!?」
「と、とにかく、魔力のためにそのようなことをしてはいけません!」
まったく、人のことをばっちぃみたいに言いやがってからに……
そもそも、魔力をもらうだけなら『魔法』から吸収することも出来るのだ。
もっとも、エイミーが使える初期魔法程度の少ない魔力ではすぐに体外へと排出されてしまうのだが……
魔力は、ある一定以上の量でなければ、すぐに体外へと排出される。
世界へ還元されると言った方が近いかもしれない。
人が呼吸するように、植物が光合成をするように、セクシー美女がフェロモンを振り撒くように、この世界の生き物は魔力を世界へと放出し続けている。
生命と共に与えられた魔力は、自然と世界へ還元されていく。
そうして、人間はこの世界の一部として生きていけるのだ。
それが関係するのかどうかは分からないが、普段が魔力ゼロで世界へ還元していない俺は、たまに入ってきた魔力の放出が異様に早い気がする。
まるで、滞っている借金の返済を取り立てられているような気分だ。
たまにルゥシールに触れた際流れ込んでくる微量の魔力や、先ほどの膝枕の際に流れ込んできた魔力はすでに放出され尽くしたあとだ。
やはり、魔力伝導率の高い箇所での魔力の吸収でなければ、魔法を使うほどの魔力は確保出来ないらしい。
「魔力が貯まるまで膝枕~」とかは、出来ないっぽい。
……ちぇ。
「ばっちぃくても我慢するもん!」
「ダメです! エイミーさんが思ってる以上に穢れているんです!」
俺が物思いにふけっている間に、ルゥシールとエイミーの言い争いはヒートアップしていたらしい。
よ~しよし。そろそろグーで殴ってやろうか?
そんな、どす黒い感情に支配されかけた時……そいつは現れた。
「あぁぁ…………ゅう………………」
そんな奇妙な声が、森の中に響いてきたのだった。
まいどっ!(関西風ご挨拶!)
いつもありがとうございます。
触れるだけで魔力が流れ込んできてしまうご主人さんの体質の一端をようやく書くことが出来ました。
ある一定量は自然排出されるのです。
人間と世界は魔力の循環によって繋がっており、いわば、ひとつの力の集合体のようなものなのです。
なのですが、そんな壮大で小難しい話は本編ではすっ飛ばし、
なるべくアホなことだけやっていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
徐々に、徐々にですがお話も進みます!
またのご来訪、お待ちしております。 ^^
とまと




