144話 闇の中
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
何が起こったのか、わたしには理解が出来ませんでした。
「大丈夫か、ルゥシール!?」
ただ、ご主人さんがわたしを抱き留めてくれたことだけは分かりました。
それ以外が……分かりません。
「……闇の【ゼーレ】が、目覚めやがったか……」
空を睨み、ご主人さんが呟きました。
闇の【ゼーレ】が……目覚めた?
闇の【ゼーレ】なら、わたしの中に…………わたしの…………
あれ?
おかしいです。
魔力はまだまだ残っているというのに…………力が使えません。
闇の【ゼーレ】を、感じることが出来ません。
ご主人さんの視線を追い空を見上げると、そこには黒い靄のような……真っ黒なドラゴンがいました。
「あいつら、長い間ドラゴンの中にいたせいで、自分たちもドラゴンの姿になってやがるんだな……自分ってもんを持ってなさ過ぎなんじゃねぇのか」
それはまさしくドラゴンの姿でした。
……アレが、わたしの中にいたのでしょうか…………
自分ではない人格を持つ……別の生命体……
そんな事実も知らず、それを体内に宿していたのかと思うと……ゾッとします。
「くしゅんっ!」
妙に寒いと思ったら、わたし、裸でした。
ど、どど、どうしましょう?
こんな状況でご主人さんが『ご主人さんモード』になったら……
「ルゥシール」
「は、はいっ!?」
「これを着てろ」
「え……?」
ご主人さんは、こちらを見ないようにしながら上着を脱ぎ、わたしに渡してくれました。
「えぇぇぇぇえええっ!?」
「なんだよ!?」
「ご主人さんですよね!? 偽物ですか!?」
「本物だわ!」
「じゃあ、実はご主人さんも体内に別人格がいて、それが出て行っちゃったとか!?」
「何を言ってんだ、お前は!?」
「だって、ここにこんな大きなおっぱいがあるのに、ご主人さんが『わっほい』しないなんてありえません!」
「状況を考えたらそんなことしてる場合じゃないだろう!?」
「状況を考えられないのがご主人さんですっ!」
「お前、酷ぇなっ!?」
「おっぱいを楽しめないご主人さんなんか、ご主人さんじゃないですっ!」
「じゃあ見てやるよ! いやこの際だ、揉んで揺らして挟まってやるよ!」
「状況を考えてくださいっ!」
「どーしろつぅんだよ!?」
分かりません。
わたしは一体、何がしたいのでしょう?
「とにかく、お前はそれを着て下がっていろ」
「え?」
胸の奥が、チクリと痛みました。
「ここは危険だ。なるべく遠くに離れろ」
ご主人さんは上空に浮かぶ闇の【ゼーレ】を睨み……こちらには向いてくれません。
…………下がっていろ?
…………遠くに、離れろ?
どうして、そんなことを……
「いいか、ルゥシール。お前はもう、ダークドラゴンじゃないんだ」
ザワリ……と、血液が波打ちました。
全身に鳥肌がたち、髪が少し逆立ちました。
「よかったな」
「え? よかった……?」
一瞬だけ、ご主人さんはこちらへ視線を向けてくれました。
それは、とても穏やかで、優しい笑みでした。
「もう苦しまなくていいんだ。お前は、闇の【ゼーレ】から解放されたんだ」
世界が暗転した気がしました。
目に映るものすべてが作り物のように思えて…………吐き気がしてきました。
わたしはもう……ダークドラゴンじゃない。
ふと、足元に視線を落とすと……そこに白く輝く玉が転がっていました。
美しい白光の中に、ゆらゆらとゆらめく黒い靄のようなものが閉じ込められています。
辺りを見渡すと、その光の玉は、辺り一面に転がっていました。
これは…………【ゼーレ】?
先ほどの【ゼーレ】の会話は、断片的にしか聞いていませんでした。ですが……父上が行った龍族の強化が引き金になっていることは理解しました。
……父上が【ゼーレ】復活の手助けをしてしまった……
そう言われてみれば……
無の結晶に閉じ込められ、魔力がどんどんなくなっていくにつれ、わたしの中で【ゼーレ】が活気づいていた気がします。
あの時は、覚醒が近いせいだと思っていましたが…………もしかすると、私の魔力が低下したことで闇の【ゼーレ】を抑え込む力が弱まっていたのかもしれません。
そして、ついにはわたしの体から独立して存在できるようにまで成長を……
先ほど取り込んだ別の【ゼーレ】も、要因の一つかもしれません。
体内で何かをされている……そんな危機感と不快感がずっとありました。
魔力が暴走するような、神経を引き裂かれるような痛みと吐き気も感じていました。
「ルゥシール!」
考え込んでいたせいで、突然かけられた声にビクッとしてしまいました。
不安が表情に出てしまったのでしょうか……わたしの顔を見たご主人さんは一瞬驚いたような表情を見せ、そしてゆっくりと微笑みました。
「俺が守ってやるからな」
温かい言葉を、くれました。
「これが終わったら、お前は本当に自由だ。何がしたいかを考えておけよ」
自由…………
ダークドラゴンとして龍族に狙われることもなく、誰かと争うこともなく、気軽に里帰りをしたり、ご主人さんと一緒に旅をしたり、のどかな町で生活したり、大きな街で買い物をしたり………………
闇の【ゼーレ】が無ければ、わたしはただのドラゴンです。
なんの力もない、誰からも注目されることもない、普通のドラゴンです。
シルヴァと野原で駆け回っていたころのように、母上と一緒に日向ぼっこをしていたころのように、わたしは、平穏を手にすることが出来る…………
それは、とても素晴らしいことのように思えました。
なのに……
なぜだか…………
心がザワつくのです。
わたしがわたしでなくなってしまう様な……そんな不安が拭い切れないのです。
足元に転がる【ゼーレ】に、思わず手を伸ばしたくなりました。
【ゼーレ】を手に入れれば、わたしはまた戦える。
またご主人さんと一緒に……
分からなくなりました。
わたしがダークドラゴンである以上、ご主人さんたちをまた巻き込んでしまうでしょう。
わたしがなんの力も持たないニヒツドラゴンでいれば、そんな苦労をかけずに済みます。
けれどわたしは思ってしまうのです……
ご主人さんの……「お荷物」にはなりたくないと。
ご主人さんの隣にいられるようにと、努力を重ねてきたフランカさんやテオドラさん、トシコさんたちと、「違う存在」になってしまうのを、怖いと……わたしは思ってしまうのです。
「……ルゥシール、こっちへ!」
突然フランカさんがわたしの前に舞い降りてきて、わたしの腕を引きます。
「……ここにいては巻き添えを食うわ」
巻き添え……?
巻き込んだのは……わたし、なのに?
キシャァァァァアアアアアアアアアアアアアッ!
闇の【ゼーレ】が咆哮し、漆黒のブレスを吐き出しました。
アレに触れてはいけない!
そのブレスの特性をよく知るわたしは、同時にあのブレスの恐ろしさもよく知っています。
「避けてください! ご主人さん!」
わたしは、ご主人さんの前に回り込み、両腕を大きく広げました。
このブレスは、魔力を奪い取る…………そして同時に、命を削り取っていくのです。
「バカ、ルゥシール!? 今のお前じゃ……っ!」
飛び出したわたしをご主人さんは抱きしめ、ブレスから守るように覆いかぶさって来ました。
「うゎああっ! ……くっ、ちょっと貰うぞ!」
ご主人さんの手がわたしの胸に触れます。
二度、三度と揉まれ、次の瞬間私たちは結界に包まれました。
「……バカ! もうお前はダークドラゴンじゃないんだ! 無茶すんじゃねぇよ!」
ご主人さんに怒られました。
心臓がキュッとすくみ上りました。
でもそれは怒られたからではなく……
わたしはもう……ダークドラゴンじゃない…………
その事実が、どうしようにもなく…………不安なのです。
「……【搾乳】! 集中して!」
フランカさんが叫び、わたしも考えごとを放棄します。
そう、今は悩んでいる場合じゃないんです。
なにせ、闇の【ゼーレ】のブレスには、魔力を奪う力があるのですから。
「ご主人さん……あのブレスが辺り一帯を覆い尽くしたら、最後です。わたしたちに逃れる術はありません」
魔法で逃げようにも、その魔力を奪い取られるのです。
走って逃げるなんて不可能です。
闇のブレスの破壊力は、生身の人間に耐えられるものではありません。
「みなさんを一ヶ所に集めて魔力の浪費を防ぎましょう!」
全員の魔力を、ご主人さんに集めるんです。
それしか、わたしたちが生き残る方法はありません。
テオドラさんとトシコさんが【ゼーレ】の群を掻い潜って何とか合流できましたが、その間、ヤマタノオロチの【ゼーレ】は不気味にわたしたちを静観しているだけでした。
ヤマタノオロチの【ゼーレ】はたしか、ご主人さんが真龍と呼んでましたっけ……
わたしの中に侵入し、闇の【ゼーレ】と同時に外へ出てきた【ゼーレ】は、真龍に融合されたようです。
今、真龍は何を考えているのか……何も考えていないのか…………不気味です。
「お前らの魔力が必要だ! 全員おっぱい放り出してそこに並んでろ!」
「……言い方」
「魔力の提供はやぶさかではないが……」
「どうしてお婿はんはこう……」
「え、私もなの!? この私もなのっ!?」
いつものように賑やかではありますが……みんな、表情は硬いままです。
認めないだけで、理解はしているのでしょう……四面楚歌のこの絶望的な状況を……
辺りは、闇のブレスに埋め尽くされていました。
刻一刻と限界が近付いてきています。
魔力が、絶対的に足りません…………
このままでは…………
『ルゥよ……』
「え……っ」
思いがけない人の声が聞こえて、わたしは一瞬思考が停止してしまいました。
何も考えずに、自然と体がそちらを向き、そして対面したのです
「ち…………父上……」
ご主人さんの結界の外に、エンペラードラゴン――わたしの父がいました。
全身傷だらけで、今にも息絶えそうな風体です。
「父上っ!」
「ダメだルゥシール! 結界から出ると闇のブレスに呑まれてしまうぞ!」
駆け出そうとしたわたしを、テオドラさんが捕まえ、押さえつけました。
弱っている父を見て、理性が飛んだようでした。
「お婿はん、このドラゴンばぁ結界に入れられんがぁ? もうちこっと大きゅうできんべか?」
「無茶言うな! 分厚さ最優先だ! どうしても入りたきゃ人間の姿になりやがれ!」
『きっ、貴様!? 私を裸にして何をするつもりだ!?』
「なんもするかっ! クソジジイ!」
『騙されるものか! 私のげっ、げきっ、逆鱗を……っ! あんな……乱暴に…………初めてだったんだからな!』
「なんでちょっと目をウルウルさせてんだ、気持ち悪ぃな!? いいから早く人間になって、テメェも魔力を提供しやがれ!」
「……これを腰に巻いて」
躊躇う父上に、フランカさんが大きめのスカーフを差し出してくれました。フランカさんの腰に巻き付けられていたお洒落な柄のやつです。
「……私たちも見たくないから」
『う、うむ…………かたじけない』
父上は人間の姿になり、結界に転がり込んで、そしてスカーフを腰に巻きつけました。
その間、フランカさんたち女性陣はみんな明後日の方向を向いて、親の敵のように瞼をきつく、硬く瞑っていました。
「すまない、人間の娘よ。きちんと洗って返すからな」
「……もういらないわ。使用後は焼却処分してちょうだい」
ウチの父上が若干の汚物扱いです。
なんでしょう、この胸に去来するモヤモヤは……
「で、On・The・おっぱい! 何か手はないのか!?」
「誰がOn・The・おっぱいだ!?」
「じゃあ半裸オヤジ!」
「う……っ、それには反論出来ん……」
すみません。
親子そろって半裸ですみません……
と、その時。
ジャシャァァァァアアアアアアアアアアアアアッ!
シルヴァが悲鳴を上げながら墜落してきました。
「シルヴァ!?」
見上げると、アイスドラゴンがシルヴァを睨んでいました。
シルヴァ、アイスドラゴン共に、全身がボロボロで、激しい戦いがあったことを思わせます。
しかし、シルヴァの方がダメージは大きいようで、疲弊しているのが窺えます。
そして、シルヴァの体が徐々に縮み始めました。
大変です!
闇のブレスに魔力を奪われているのです!
「シルヴァ! 今、結界の中へ入れて上げますからね!」
「……ダメよ、ルゥシール! 結界から出ればあなたも無事では済まないわ!」
「でもっ!」
「……エンペラードラゴン、あなた、行けないかしら? 男でしょう?」
「行くのは構わんが……私はこの頼りないスカーフを一枚巻いているだけだからな……行って帰ってくる頃には全裸になっているぞ?」
「……私が行くわ!」
フランカさん、全力の拒絶です。
「……少しだけなら結界を張って凌げるでしょう」
「万が一の時はワタシが引っ張り戻してやるさ!」
「……頼むわ、テオドラ。トシコも」
「任せるべ!」
美しい仲間意識です。
フランカさんは魔力の消費を抑え、薄い結界を全身に張り、ご主人さんの結界を出てシルヴァを回収してきてくれました。
戻って来る際、フランカさんの結界が破壊されましたが、間一髪、テオドラさんが腕を掴んで二人を引き入れてくれました。
「痛ぅ…………軽く触れただけでこの有り様だ……」
テオドラさんの右腕には、酷いやけどのような痕が広がっていました。
闇のブレスは、魔力を吸収するだけではなく、こうして相手の細胞を破壊していくのです。
……敵にに回すと、本当に厄介です。
「シルヴァ……大丈夫ですか?」
「……うぅん…………」
シルヴァを抱くと、微かに反応がありました。
よかった……
「……ルゥ……ごめんなさい。ヤマタノオロチと戦った時に、力を使い過ぎた……みたい……」
自分を責めるシルヴァに、私は首を振ってみせます。
「こんな小さな体で、よく戦いましたね。凄いですよ」
「……小さな…………?」
満身創痍のシルヴァが、ガバッと起き上がり自分の身体を……主に胸の辺りを凝視しています。……なんなのでしょうか? なんだか、絶望的な表情を見せています。
「…………つる、ぺた………………だと?」
なんだか、今さらなことで相当ショックを受けているようです。
「あ、あの、シルヴァ。ですから、シルヴァの体は力を使ったから縮んだのであって……その内胸も大きくなるかも知れませんし……」
「大きくなったの! 凄く! 魔界に行って、それはもう、凄いことになっていたの!」
……どうしましょう。
シルヴァが現実逃避に走ってしまいました。
「嘘じゃないもん! そうだ! フランカは見たよね!? 私の成長した、ボンキュッボンなバディを!?」
「シ、シルヴァ……? どうしたんですか、急に?」
そんな、ご主人さんみたいな発言を……
「ねぇ、フランカ!? 見たよね!?」
シルヴァがフランカさんに詰め寄ります。
よほど大切なことなのか、必死の形相です。
フランカさんはそんなシルヴァをジッと見つめた後、ふいっと視線を逸らしました。
「……記憶にないわね」
「ガーンッ!?」
シルヴァが地面に四肢を突きうな垂れます。
燃え尽きたように、真っ白になっていきます。
……何があったと言うのでしょうか? つるぺたは今に始まったことではないというのに。
「おい、半裸一族」
「龍族を愚弄するな、貴様ぁ!」
「私は全裸!」
「シルヴァ、ご主人さんを怒る前に何か着ましょう! 全裸の自覚があるのならば!」
テオドラさんに服をお借りして、シルヴァに着せてやります。
その間、ご主人さんは懸命に結界を維持してくれていました。
この中で、ご主人さんだけが真面目に仕事をしている……なんて珍しい光景なのでしょうか。
「やつら、俺たちが疲弊して一人ずつ死んでいく様を楽しむつもりらしいぞ」
ご主人さんの言葉に、わたしは言いようのない不快感を覚えました。
ご主人さんの言うように、真龍もアイスドラゴンも、攻撃を仕掛けてくる様子はありません。
ただ、上空でこちらを眺めているだけです。
闇の【ゼーレ】は、延々とブレスを吐き続けています。
闇の【ゼーレ】には、魔力切れなど有り得ないのです。ブレスからこちらの魔力を吸収しているのですから。
つまり、この膠着状態は、こちらが倒れるまで継続されるのです。
真龍から見れば、「負けのない戦」なのでしょう。余裕の表情が癇に障ります。
「そろそろ魔力がきつくなってきたな……全員の魔力を限界まで使っても、あと五分持たねぇぞ」
五分……それがリミット。
それまでに解決の糸口を見つけなければ。
「闇の【ゼーレ】を鎮めることは出来ないのか、エンペラードラゴン……いや、ロッドキールって呼べばいいか?」
「呼び名は好きにしろ」
「On・The・おっぱい」
「それはやめろ!」
「お義父さん」
「それもどうかなぁ!?」
「父上、落ち着いてください! ご主人さんはこういう人なんです! 慣れてください!」
こほんと、父上が咳払いをし、真面目な声で語り出します。
「【ゼーレ】を抑えることは、可能だ。だが……魔力と時間が必要になる」
「具体的には?」
「私がフルパワーとなり、五分かければ闇の【ゼーレ】を結界に閉じ込められる。ただし……」
言葉を濁した父上に、全員の視線が集まります。
ご主人さんが視線で続きを催促し、父上は闇の【ゼーレ】封印の条件を口にしました。
「闇の【ゼーレ】を受け入れられる『器』に入れる必要がある」
「…………つまり、ルゥシールの中にもう一度闇の【ゼーレ】を戻すってことか?」
ご主人さんの問いは確信を突き、父上は静かに首肯しました。
「あれだけ成長してしまった闇の【ゼーレ】を受け入れられるものは、我が娘ルゥを除いて存在しない。また、闇の【ゼーレ】は無の【ゼーレ】をも凌駕する存在だ。『器』に収まっていない不安定な状態では、すぐにまた復活してしまうだろう」
「……つまり、闇の【ゼーレ】は、ルゥシールの体内に納めた上で、ルゥシールの体ごと封印するしか方法がない…………ってことか?」
「そうだ」
父上が渋面を作りました。
重い沈黙が落ちます……
「……娘の前で、よくそんな情けないことが言えるわね」
小さな声で、フランカさんが言います。……とても、怒っているような声で。
「……『自分の力ではお手上げだから、娘を犠牲にします』と、言っているようなものだわ」
フランカさんの目が父上を捉えます。鋭くて、冷たい、敵意剥き出しの目です。
「あぁ、その通り……貴様の言う通りだ」
「……開き直る気?」
「そんなつもりは毛頭ない」
父上が、わたしの方を向きました。
体をゆっくりとこちらに向け、静かな表情でわたしを見つめます。
こうして向かい合うのは何年振りでしょうか?
少し、緊張してしまいます。
「ルゥ…………不甲斐ない父ですまない」
「い…………いえ……」
「ラミラのことといい……お前には随分辛い想いをさせてしまったな……」
「…………」
母上の名が出て、わたしの胸は支え、声が出なくなりました。
「そして、もう一度……寂しさを享受してはくれんか?」
言った瞬間、父上の頬に拳がめり込みました。
テオドラさんです。
「他にっ…………他に言う言葉はなかったのか、貴様……っ!」
憤るテオドラさんをトシコさんが体を使って押さえてくれています。
父上は地面へ倒され、頬を押さえながら上半身を起こしました。
座ったまま、己を睨みつけるテオドラさんを見上げています。
「父親なら……もっと他に…………っ!」
「テオドラ! 落ち着くべ!」
「離せトシコ! ワタシはこいつを……!」
「オラもぶっ飛ばしてやりてぇだ! 矢で射って、棒でぶっ刺して丸焼きにしてやりてぇだ! だども! ……だどもここは、ルゥシールに考える時間をやるべきだべ」
トシコさんの言葉に、テオドラさんとトシコさん、そしてフランカさんの視線がこちらに向きます。
ご主人さんは、ジッと闇の【ゼーレ】を睨み付けていて……こちらを見ることはありませんでした。
わたしは考えます。
そこまでよくもない頭で、必死に考えます。
龍族の長としての父上の立場は分かります。
でも、もう少し優しくてもいいのにな、とも思います。
それでも、やはり……父上を恨む気にはなれないのです。何故なら、父上が一番苦しんでいるから……それを、わたしはずっと見てきましたから。
ですので、父上の態度に関しては保留です。
龍族としては、一族を滅ぼしかねない闇の【ゼーレ】を放置することは出来ません。
わたしも、幼いころからその恐ろしさを聞かされていましたのでよく知っています。
きちんと封印をしなければ、龍族は安心出来ないしょう。
闇の【ゼーレ】を受け入れられる『器』であるわたしが、体内に闇の【ゼーレ】を取り込み……【ゼーレ】たちの言葉を借りるなら『縛り付け』て、わたしの体ごと無の結界に封印するのが一番安全で確実です。龍族推奨の案です。
でも、そうすると龍族や【ゼーレ】以上に手強い人たちを『敵』にしてしまいます。
そう……ご主人さんです。
そして、わたしを大切だと言ってくれる、優しい……大好きな仲間たちです。
彼らと敵対することは龍族にとって絶対プラスになりません。却下です。
では、どうすればいいのか…………
……なんて。
本当はもう、答えは出ているんです。
最初から、これしかないと思っていました。
「父上。わたしの中に闇の【ゼーレ】を戻してください」
「……ルゥシール!?」
「それでいいのか!?」
「落ち着くだ、二人とも! ルゥシールだってちゃんと考えがあってこう言うてるだよ!」
トシコさんがお二人を宥めてくれて、その場は一旦落ち着きを見せました。
その後、ゆっくりと振り返ったトシコさんは、不安そうな顔でわたしを見ました。
「………………考え、あるだよな?」
「ありますよっ!?」
「いや、だども……ルゥシールやし……」
「失礼極まりないですよっ!?」
「……『ルゥシール』が、『考える』…………ないわね」
「ありますってば!」
「右手と左手でじゃんけんをして、右が勝ったら肯定、左なら否定とか、そういう決め方をしたのではないか?」
「わたしのこと、どこまでバカだと思ってるんですか!?」
「いや待て、ルゥシール。ワタシはおヌシのことを『バカだ』などとは思っていないぞ」
「それなら……いいんですけど」
「んだな。ルゥシールは『バカ』でねぇ」
「……そうね。ルゥシールは『バカ』ではなく…………」
「「「アホのルゥシール」」」
「三人とも、一回ゆっくり話し合いませんかっ!?」
声を揃えて言われてしまいました。
心外です!
心外に次ぐ大心外です!
「とにかく、いいんです! 闇の【ゼーレ】を取り返したいんです!」
少しムキになって、声を張り上げます。
その時、ご主人さんの耳がピクリと動いた……気がしました。
けれど、わたしの勢いは止まらずに、言葉は後から後から飛び出すように口から出て行きました。
「闇の【ゼーレ】はわたしの一部……いえ、わたしのすべてなんです! 苦労しても、苦しんでも、わたしは……」
不意に込み上げてくるものがありました。
言葉を途切れさせ、目の前を滲ませ、わたしの記憶と心が苦しそうに身をよじるのが分かりました。
でも……
「わたしは……ダークドラゴンだったからこそ……ご主人さんに出会い、そして、惹かれたんです」
闇の【ゼーレ】を否定することは、そんなわたし自身を否定することのようで……わたしには出来ませんでした。
「あ、あのっ! みなさんにも……きっと、たくさん迷惑をおかけして……これからもおかけし続けて……あの、でも…………ワガママというか、自分でも上手く言葉には出来ないんですけど…………わたしは、ダークドラゴンで……わたしは……」
「いいんじゃないか」
くるくると空回りする頭の中から言葉が出てこなくなった時、ご主人さんが軽い口調で言いました。
それはいつもと同じ声で……いつものように、わたしを包み込んでくれるような優しさで……
「お前がそうしたいなら、それでいいんじゃないか」
わたしを……わたしのすべてを、認めてくれて……
「ルゥシールが嫌がってるのに、無理矢理押しつけようってんならそこの半裸オヤジを全裸に剝いてブレンドレル砲で大陸の端までぶっ放してやるところだが……」
わたしの傍で父上が身を縮めました。……本気でやりそうですものね、ご主人さんなら。
「お前が嫌じゃないなら、返してもらおうぜ。あの厄介な力を」
あぁ……あの顔です…………
絶望の淵からわたしを掬い上げてくれた、あの時の…………わたしが恋に落ちたあの笑顔がそこにはありました。
「……はい。返してもらいます」
いろいろ悩んだ結果……やっぱり、わたしはこの道を選びました。
それしか、無いような気がしたもので。
わたしがダークドラゴンのすべてを受け入れます。
もっとも、一人では到底背負いきれませんけど……わたし、バカですから。迷惑も、いっぱいかけてしまいますけど。きっとそれでも……ご主人さんは…………
「ただ、闇の【ゼーレ】は力を増している。今のお前でも抑え込めるかどうかは分からんぞ」
「……そうですね」
父上の結晶から出たあとから、闇の【ゼーレ】はわたしの力を凌駕し始めていました。
わたしは自分の力を上手く抑えきれずに暴走気味でした。
そして、別の【ゼーレ】を取り込んでしまったことで闇の【ゼーレ】を取り逃してしまったのです。
けど……
「もう、逃がしません」
迷いもなくなりました。
あの力は、わたしの物です。
闇の【ゼーレ】は、わたしの物です!
「それでももし……わたしが力に呑まれて暴走してしまったら……ご主人さん、その時は……」
「あぁ。分かってる」
唯一の不安。
それは、わたしの手で世界を……いや、大切な人を傷つけてしまわないかということです。
でも、ご主人さんが約束してくれました。
もし、わたしが暴走してしまった時は、……その時はわたしを殺…………
「そん時は、一緒に世界と戦うぞ」
「…………………………え?」
ご主人さんが、真顔でわたしを見ています。
……冗談では、無いようです。
「闇の【ゼーレ】はすべての魔力を飲み込もうと暴走することだろう。そうすれば、世界が俺たちを倒そうとするはずだ。ふふん……なんだか魔神にでもなった気分だな。いや、暴走してしまえば、ダークドラゴンはまさに魔神だ。ガウルテリオを超える伝説級の魔神になるかもしれんぞ」
「あ、あの……ご主人さん?」
「なんだ?」
「…………本気、ですか?」
「当然だ」
世界を敵に回すなんて……そんなこと…………
「世界など、とうに敵に回してる」
あ……と、思いました。
そうでした。
ご主人さんは、魔法王国ブレンドレルを敵に回し、世界中にネットワークを持つ魔導ギルドを敵に回して……そして、ここまでたどり着いたのです。
「それに、俺はもう決めたからな」
決めた……何を、でしょうか?
「もう、お前を離さない」
「…………はい」
返事が「はい」でいいのか、分かりませんでしたが…………もう、言葉なんか出てきませんでした。それが精一杯でした。
何を迷うことがあったのでしょう。
何を不安に思うことがあったのでしょう。
わたしには、ご主人さんがいてくれるというのに……
「父上、お願いします」
「嫁云々の話なら聞きたくないぞ」
「いえ、今はそういう話ではなくて……それは追々」
「追々も聞きたくない!」
「駄々をこねないで聞いてください」
「にょ~ん! にょ~ん! 聞ーこーえーなーいー!」
「子供ですか!? あと、「あー!」でいいでしょう、そこは!? なぜ『にょん』を採用したんですか!?」
「こんな状況でイチャイチャしちゃってさっ!」
「いいから落ち着いてください、父上!」
「貴様に父上と呼ばれる筋合いはない!」
「ありますよ!? あなたはわたしの父ですよっ!?」
父上の様子がおかしいので、誰かまともな、しっかりした人に助けを求めようと辺りを見渡しました。……の、ですが。
「……そこまで進展していたなんて…………こっちが必死に戦っている間に…………」
「そうか、ルゥシールはもうすでに親に会わせている段階なのか……っ! 追いつきたいが…………あの父を主に会わせなければいけないのかと思うと…………あぁ、胃が痛いっ!」
「やっぱりおっぱいだかなぁ……おっぱいが大きいと進展も早いんだべかねぇ……絶対バレない偽パイの開発を再開するべかねぇ……テーマは、『本物より本物』……」
「……ボンキュッボンが……私のボンキュッボンが…………ばい~んってしていたのに……嘘じゃないのに…………」
「ねぇ、あんたたちさぁ!? 状況見て騒いでよねぇ! 結界の外には、触れるだけでジ・エンドの闇のブレスが吹き荒れてるのよ? もうちょっと緊迫感持ってよねぇ! 私だけさっきからずっと不安と恐怖で寿命削られまくりよっ!」
……なんだか、カオスでした。
「と、とにかく父上! わたしに闇の【ゼーレ】を戻してください! どうすればいいんですか? 教えてください!」
「にょ~ん! にょ~ん! にょ~ん!」
「聞いてくださいっ! 真面目な話をしてるんですよっ!?」
どうしましょう……収拾がつきません。
ハッキリ言って、こんなことをしていられる状況ではないというのに…………
「ルゥシール」
「は、はい!」
「それからみんなも!」
急にご主人さんがわたしたちを呼びました。
その一声で、騒がしかった結界の中はしんと静まり返りました。
流石です、ご主人さん!
これで落ち着いて今後の相談を……
「残念ながら、魔力が尽きた。あと十秒で結界は壊れる」
「………………ぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええええええええええっ!?」
再び結界内が阿鼻叫喚です。地獄絵図です。
結界がなくなれば、闇のブレスに晒されれば、おそらく一分も持たず全滅です。
打つ手なしです。
全力疾走したところで逃げ切れるものではありません。
「みなさん! 出し惜しみせず、魔力を限界まで提供しましょう!」
「……それでは、いざという時に行動が出来ない」
「でも、このままじゃ……!?」
「……では、ルゥシール。あなたは、私が意識を失って動けなくなったとして……見捨てていける?」
「…………それは……………………無理、です」
「……ね? みんなそうなのよ、このメンバーは。揃いも揃ってお人好し」
「そうだな。魔力欠乏症で意識を失うのは得策ではないな」
「んだな。たとえ、結界さ壊れてどうしようにものぅなっても、仲間の足ばぁ引っ張る最後なんて、最低だでなぁ」
わたし一人を助けるために、龍族の里にまで乗り込んできてくれた人たちです。
きっと、誰一人として見捨てたりしない。
だから、みんな……ご主人さんも、限界まで魔力を使わなかったのです。
あぁ……わたしは浅慮でした。
そうですね。
誰かを犠牲にするくらいなら……いっそみんな一緒に………………
「……っ!? 【搾乳】、何かが来るわ!」
結界が限界に達そうかというその時、フランカさんが空を指さし叫びました。
全員がそちらに視線を向けます。
ひび割れた結界の向こう。
闇のブレスに覆われた空のさらにその向こう。
ずっと遠くに……とても強い魔力を感じます。
魔力を察知する能力などないわたしにもはっきりと分かるほどの、強力な魔力。
一体……何が来るというのでしょうか?
それは、一直線にこちらに向かって飛んでくるようで…………
「見えただ!」
目のいいトシコさんが空を指差します。
そちらへ視線を向け、目を凝らすと…………純白に輝く光の帯が見えました。
あれは…………一体………………
と、思っているうちに、その光線はぐんぐんと接近してきて………………
「な、なぁ……なんか、こっちに来ているように見えまいか? これはワタシの気のせいだろうか? ここに向かって来てるように見えるのだが!? 気のせいだろうな!? きっとそうだろうな!? 誰かそうだと言ってくれまいか!?」
ぐんぐんと光が接近してきて……
「……テオドラ」
「お、おう、フランカ! 気のせいだよな!? な!?」
「…………残念ながら、衝突するわ」
その一言で全員が絶叫しました。
「「「「わぁぁぁああああああああああああああああっ!?」」」」
そして、まばゆい光がご主人さんの真上に降り注ぎ……わたしたちもその光に飲み込まれたのです。
何が起こったのかもわからないうちに……わたしの目の前は真っ白な光に埋め尽くされました。
…………わたしたち、死ぬのでしょうか?
いつもありがとうございます。
果たして、
負の力は本当に悪なのか……というお話でした。
自分が好きな人も、
自分が嫌いな人も、
一個や二個、治したい癖のようなものがあると思います。
ついネガティブな発言をしてしまうとか、
気を抜くとため息をついているとか、
姿勢がよくないとか、
語尾がちょっと面白い感じになっているとか……
あると思います。
私は、
道行く人にツッコミを入れる癖がありまして……
三人組のOLさんを見かけて……
「一人だけバッグデカっ!?」
とか、
大荷物を抱えているオジサンを見て……
「なんでカラーボックスと長ネギが同じ袋に入ってるのっ!? 何屋!? 何屋で買い物したの!?」
とか、
横断歩道で信号待ちをしている人を見かけて……
「ギリギリのライン攻めすぎぃっ!」
とか、
ちょっとユニークな人を見かけるとつい言葉が……
でもこれ、気を付けないとただの悪口になることがありますので、
ホント、治したいです。
でも、血筋というか、家系というか……
~ある日の実家での一幕~
母「お茶飲む?」
私「いや、いいや」
母「ふ~ん……(コポコポコポ…………コポコポコポ……)」
私「なんで二杯入れた!? いらないって言ったよね!?」
母「折角淹れるのに、勿体ないから」
私「淹れて飲まない方が勿体ないじゃん」
母「それはあんたの問題だから」
私「責任がスライディングしてきたんですが!?」
母「あぁ、そうそう。一個聞きたいことがあったんだけどね」
私「私もなんでお茶二杯淹れたのか、ちゃんと説明してほしい気分だよ」
母「あの人、名前なんだっけ?」
私「どの人か、皆目見当がつかないんだけど?」
母「ほら、ドラマに出てる人」
私「何万人いると思ってんの!?」
母「母の好きなドラマ」
私「いや、知らないし!」
母「主題歌があるヤツ」
私「だいたいあるよね!?」
母「ほら、あの~……CM出てた人と一緒にバライティ出てた人」
私「謎の人物がもう一人増えたね!? 二人とも分かんない状況だね、今!」
母「あ、アレは見た? 去年やってたサスペンスの」
私「あぁ、アレかな? それは見たけど」
母「面白かったよねぇ~」
私「……………………」
母「……………………」
私「……………………謎の人、関係ないのかよっ!?」
母「面白かったねって、話」
私「その感想、後でいいから! どの人の名前が知りたいのか教えてくれる!?」
母「ん~…………名前、思い出したらメールする」
私「そしたら私が名前教える必要ないじゃん!?」
母「ほら、あんた。お茶、冷めるよ? 早く飲みな」
私「私は終始、一貫して、一度たりともお茶が欲しとは言っていない!」
母「あ、そうだ。終始と言えば……一個聞きたいことがあったんだけど」
私「いや、もういいよ!」
…………家系、なんでしょうかね。
あの家で育ったせいで、私の悪癖は治る気がしません。
私もルゥシール同様、
「ツッコミ癖は私の一部なんです!」と、胸を張って言えるよう、
前向きに生きて行こうと思います。
追伸。
町なかで私に突っ込まれた方……ごめんなさい。悪気はないんです。
笑って見過ごしてやってください。
次回もよろしくお願いいたします。
とまと