121話 「全部終わったら、二人で一緒に、美味いもんでも食おうな」
空を、ドラゴンが覆い尽くしていた。
その中央にいるのは真っ白なドラゴンと、漆黒の鱗を持つダークドラゴンと。
しかし、それはルゥシールの姿とは違っていた。
いや、姿は違うが、あれは間違いなくルゥシールだ。
……どうなってるんだ。
そして、あの白いドラゴンは……
「……エンペラードラゴン……」
フランカがそんな名を呟く。
エンペラードラゴン……?
グアァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
その時、ルゥシールがエンペラードラゴンに向かって咆哮した。
世界を揺るがすような強烈な魔力が迸る。
魔力以外の、魂を直に揺さぶられるような強烈な力の波を感じる。これが、【ゼーレ】の力か……
ルゥシールは確実に強くなっている。
なのに、俺にはあの声が……
ルゥシールの絶叫が……
助けを求めている声に聞こえた。
「みんな! 今残ってる魔力を全部俺に寄越してくれ! 早くっ!」
ルスイスパーダはどこかに落としてしまったようだ。
やるなら、この体一つでやるしかない。
「……でも、【搾乳】…………ドラゴン相手に一人で……」
「そうだぞ、主。勝算はあるのか!?」
「オラたちも協力するだで……!」
「やかましい! 質問疑問苦情お問い合わせは、あのドラゴンどもを全部ぶっ飛ばしたあとでまとめて聞いてやる! だから……!」
息を吸うと、喉が「ゼヒィ」と、盛大に掠れた音を鳴らした。……くそ、震えてやがる。
だからなんだ。
あぁ、怖ぇさ!
100%勝てないからな!
でもな!
……俺は、行かなきゃいけないんだよ。
「……頼むよ。ルゥシールが、泣いてんだよ…………一人ぼっちで……だから、頼むっ!」
両手を差し出す。
こいつらが無理をしてきたのは分かる。
魔力なんかとうに底を尽いていることだってわかってる。
それでも……俺は、行かなきゃいけないんだ!
「……ルゥシールに伝えて」
フランカが俺の手を握る。そして、そっと胸に押し当てる。
照れるそぶりも見せず、ある種の決意を込めた表情は、とても綺麗だった。
「……ここで退場なんて認めないって」
すべての魔力を俺に託し、最後ににこっと笑みを浮かべた。
「……恋敵なのよ、彼女」
そして、脱力する。慌てて受け止めようとしたが、それをメイベルが制する。
と、両サイドからテオドラとトシコが俺の手を取る。両手に柔らかい感触が伝わってくる。
「お婿はんのわがままを聞くのも、いい嫁の甲斐性だでな。存分に暴れてくればいいべ」
「あぁ。納得のいくまで、主の思う通りに暴れればいい。……そのかわり」
二人の視線が俺を見つめる。
「……絶対に、死なないで」
「あぁ」
魔力が尽き、二人がふらつく。
だが、自力で踏みとどまり、手で俺の助けを辞退する。
「俺たちの分ももってってくれっす」
バプティストにグレゴール、キモ男に……
「バスコ・トロイ!?」
「私のもくれてやる。無茶をしてくるがいい」
なんだかよく分からん組み合わせだが、こいつらの魔力が手に入るのはありがたい。
そして最後に、フランカを地面へ寝かせてきたメイベルが俺の両手を取る。
「失敗は死を意味するのぉ!」
「……いや、それ違くないか?」
「……お姉ちゃんを悲しませるとぉ……あたしが許さないからねぇ!」
「あぁ。わかった」
メイベルが自ら己の巨乳に俺の手を押し付ける。
寄せ集めだが、十分すぎるほどの魔力が俺の中に渦巻いている。
みんな、ありがとな。
「じゃあ、行ってくる!」
頭上では、ドラゴンたちの睨み合いが続いていた。
俺が空を見上げると……エンペラードラゴンと目が遭った。
背中を、冷たい感触が走っていく。
「しゃらくせぇ……」
俺をビビらせようってのか?
甘いっつの!
待ってやがれ。
今すぐにそこまで行ってやる!
「ルゥシール! 今行くぞ!」
叫び、風を纏って一気に浮上する。
名を呼ぶと、ルゥシールがこちらに視線を向けた。……少しだけ、悲しそうな顔をしている気がした。
ドラゴンどもと同じ高度にまで達すると、出し惜しみ無しで魔力を解放する。
すべての魔力を火炎に変えて全方位に放出する。
当然、ルゥシールには当たらないようにだ。
多くのドラゴンどもが羽ばたき、回避したり、水や風のブレスで炎を回避する中、エンペラードラゴンだけは俺の炎をよけることなく受け止め、その上で平然と俺を睨みつけていた。
……舐めやがって。
魔力を使い切った俺は近場にいたレッドドラゴンの背中に降り立つ。
ガアァァアアアッ!
ドラゴンが俺を振り落とそうと暴れるが、そうはさせるか。
鱗を捲りあげ、そこにしっかりと掴まる。
そして、逆鱗に左手を当て、魔力を奪い取る。
ガァア! ガァアアアアァッ!
レッドドラゴンが怒り狂って大暴れをする。……あ、そう言えば生殖器よりも敏感な場所なんだっけ? …………どうか、こいつの本性がオッサンじゃありませんように…………
「そんなに暴れる元気があるんなら、盛大に使わせてもらっても大丈夫……だよなっ!?」
奪った魔力でバギーニャカーラを撃ちまくる。
聖なる光のレーザー光線と、その後に広がる癒しの風。
ブレンドレル砲の究極奥義だ。
魔力の消費が半端じゃないために連射などは不可能な魔法だが……
「借り物だから遠慮なくいくぜぇ!」
ドラゴンを撃ち落とし、ついでに地上の仲間を回復して回る。
数発撃つと、レッドドラゴンはガクンと脱力し、墜落し始める。
魔力が切れたようだ。
最後の搾りかす程度の魔力まで奪い取り、再び風を纏って別のドラゴンの背中へと飛び移る。
そして、遠慮なしのバギーニャカーラ。
そんなことを何度も繰り返し、ドラゴンの数を減らしていく。
神速の光線、リュゼアンジュ。
全方位轟雷、ハロスケレイス。
三つの神代魔法を織り交ぜて無数のドラゴンを撃ち落としていく。
ドラゴンどもの反撃も激しくなってくる。だが、仲間の背に張り付く俺をうまく攻撃できないようで、連中の攻撃はどこか躊躇いが感じられる。
だが、俺は遠慮しないぜ!
一時は俺も悩んだんだ。
ルゥシールの目の前でドラゴンを傷つけることに関して……
例えば、俺の目の前でルゥシールが人間を殺したとしたら……
それを考えてか、ルゥシールはいつも人間を傷つける一歩手前で攻撃の手を緩めていた。
では、俺はどうか……
手加減して相手に出来る生き物ではないことは最初から分かっている。手加減は無理だ。
だからと言って……
同族を傷つけられるということを、ルゥシールはどう感じるのだろうかと……
そんなことをずっと考えていた。
けれど、ついさっき、そんな思いは吹っ切れた。
ルゥシールが鳴いたのだ。
その声は、俺の耳にははっきりと『泣き声』として聞こえた。
ルゥシールを泣かせる奴は、たとえ親兄弟であろうと、巨乳美女であろうと許さねぇ!
「故に、俺は遠慮しねぇぞぉ!」
全開、フルスロットルで飛ばしまくる。
魔法を休みなく放ち、ドラゴンを叩き落としていく。
ルゥシールの魔力を使わないのは、やつらの仲間に張り付くことで盾の役割をさせるとともに、ルゥシールの魔力を消費させないためだ。
先ほどから微動だにしないエンペラードラゴン。
ヤツの存在が俺に焦燥感を植え付けている。
見ただけでそれと分かるバケモノ。
ラ・アル・アナンが可愛く見えるほどの迫力だ。
エンペラードラゴンには、おそらく勝てないだろう。
ここにいる全員がフルパワーでぶつかっても、ヤツに勝つことは厳しい……いや、不可能だ。
もはや次元が違うのだ。
なら、出来る限りヤツの仲間を撃ち落として、被害を大きくしてやるのみだ。
それで、「俺たちには関わるだけ損だ」と思わせることが出来れば……今後は襲撃されなくなるかもしれない。
俺が得られる勝利条件はそれ以外にない。
とにかく抵抗して、放置されるようにする。
それしかないのだ。
だが……
ゆっくりと、エンペラードラゴンが動き始めた。
グアァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
ルゥシールがエンペラードラゴンを威嚇する。
さっきからルゥシールはずっと俺の周りを旋回して援護してくれている。
他のドラゴンに危害こそ加えないものの、ドラゴンどもからの攻撃は漆黒のブレスでかき消してくれているのだ。
仲間に気を使い、闇の【ゼーレ】を攻撃に使用しないルゥシール。
そんなルゥシールが、明確に牙を剝く。
『それ以上近付くと、攻撃する』と、その顔が物語っている。
まるで警戒色のように、瞳が真紅に染まっている。
それでも、エンペラードラゴンは止まらない。
ゆっくりと羽を動かし、こちらに接近してくる。
歩く様な速度で……胸を張って、堂々と……
グアァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
そしてついに、ルゥシールが漆黒のブレスを吐き出した。
途端、エンペラードラゴンがノーエモーションで白銀のブレスを吐き出した。
途端に周りの気温が一気に5度近く下がる。
全身に鳥肌が立ち、耳鳴りがする。
思わず身をすくめる様なうすら寒さを感じた。
グアァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
「ルゥシール!」
漆黒のブレスは、白銀のブレスに押し返され、白銀のブレスがルゥシールに浴びせかけられる。
と、ルゥシールの体が凍り付き始めた。
いや、凍っているというよりかは、鉱石や宝石の結晶の中に閉じ込められているような、感じがした。
「やめろぉ!」
張り付いていたブルードラゴンの魔力を根こそぎ奪い取り、風を纏ってエンペラードラゴンに飛びかかる。
お前の魔力も吸い尽くしてやる!
しかし、エンペラードラゴンはひらりと身をかわし、俺との接触を回避する。
俺の腕は空を切り、空中で盛大にバランスを崩す。
魔力の調節をしていないから、ここでかわされると地上へ真っ逆さまだ。
……ヤバい。
グアァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
落下し始めた俺を、ルゥシールが受け止めてくれる。
以前よりも広くなった背中に俺を乗せ、凍り付いた羽で空を旋回する。
「ルゥシール、大丈夫か!? 魔力を貸してくれ。この結晶を取り払う!」
「きあ!」
デカくなっても、ルゥシールはルゥシールだ。
俺を見つめる瞳が、まるで変っていない。
「……全部終わったら、二人で一緒に、美味いもんでも食おうな」
不意にそんなことを言ってしまった。
何故だか分からないが、言いたくなったのだ。
それは多分、ルゥシールが、あまりにもルゥシールだったからなのだと思う。
俺の言葉を受け、ルゥシールは目をまん丸く見開いていたが……
「……きあ!」
そう鳴いて、瞳をうるうるとさせていた。
そんなに嬉しいか?
この食いしん坊め。
「じゃあ、魔力を借りるぜ!」
俺はルゥシールの逆鱗に……そっと、触れる。
「……っ」
声こそ洩らさなかったが、ルゥシールの体が微かに跳ねる。
流れ込んでくる魔力の量が桁違いに増えている。
思わず手を離してしまったほどだ。……覚醒って、スゲェんだな。
凍り付いているように見える羽を見ると、やはり結晶化していた。氷ではない。
これは魔力の結晶か……解除するには…………ミーミルに解析を頼むか。
「 ―― ミーミル、頼む ―― 」
淡い光が結晶を包み、そして徐々に溶かしていく。
解析から解除までをオートで行ってくれる便利な魔法だ。
ただ、まずいことに……結構時間がかかりそうだ。
俺たちは、完全に取り囲まれていた。
……やっぱ、こうなったか。
数千のドラゴンがこちらに牙を剝け、威嚇をしてくる。
一斉にブレスを吐かれると流石に厄介だ。
俺は結界の解除をしながらも身構える。……どっからでもかかってきやがれ。
が、炎が飛んできたのは地上からだった。
フランカたちがリュゼアンジュの力で回復した魔力を惜しげもなく放出している様だ。
あいつら、無茶しやがって。
地上からの援護射撃に、ドラゴンどもがそちらに向かってブレスを吐き出す。
グアァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
それを阻止したのはルゥシールだった。
地上の仲間たちに向かって飛ぼうとするドラゴンどもに、容赦なく漆黒のブレスを吐き掛ける。
仲間を守ることに躊躇いはなかった。
ルゥシールにとって、仲間とは同族ではなく、俺たちの様だ。
なら、俺もそれにしっかりと答えないとな。
もう一度、近場のドラゴンに飛び移って、魔法の乱射を……
『もう、よいだろう』
その声は、突然響いてきた。
耳のすぐそばで怒鳴られているような、脳みそを鈍器で叩きつけられるような衝撃が体を襲う。
思わず振り返った俺は、そこにエンペラードラゴンの姿を見た。
……今のは、こいつの声か?
睨み付けると、エンペラードラゴンがゆっくりと口を開いた。
『もう十分自由を謳歌したであろう、ルゥシールよ』
心臓に直接響く声が俺たちの行動を抑制する。
体がすくんで、何も出来ない。
周りのドラゴンどもも、エンペラードラゴンが話始めた途端大人しくなりやがった。
『これ以上、仲間を気付けるな』
グアァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
エンペラードラゴンの言葉に、ルゥシールが反発する。
言葉が分からなくても、何て言ったかくらいは分かる。
『わたしの仲間は、ここにいる、この人たちです!』――そう言ったのだろう。
『ルゥシールよ、お前がその者たちと旅をし、様々なことを考え、感じ、成長してきたことは知っている…………だが、これ以上のわがままは見過ごせん』
グアァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
『ルゥ……我が娘よ。あまり父を困らせるな』
なにっ!?
「……父、だと?」
『そうだ、人間よ。私はルゥの父親。ロッドキール・ディアギレフだ』
ってことは……
「ルゥシールの父親がドラゴンどものボスかよ……」
『龍族の長と呼んでもらいたい所だが……まぁ、認識は間違ってはいないな』
そりゃ、ルゥシールが強いのは当り前だろう……
エンペラードラゴンと先代ゴールドドラゴンの血を引く娘だぞ?
史上最強のダークドラゴンになったって、何も不思議じゃねぇじゃねぇか。
『これでも、親バカな方でね……娘のわがままには最大限目を瞑ってきたつもりだ。だが……』
エンペラードラゴンの瞳がギラリと輝く。
紅い眼が炎のように揺らめく。
『覚醒をしたダークドラゴンを野放しにすることは出来ぬ』
その宣言は、世の理のような……抗いがたい重みを持って心の奥底に無理矢理刻み込まれるような、そんな迫力に満ちていた。
『闇の【ゼーレ】は、力を吸わずにはいられない……望むと望まぬとにかかわらず、それが闇の【ゼーレ】の宿命なのだ』
「……だから、殺すってのかよ?」
『それはない。闇の【ゼーレ】は龍族に課せられた呪いのようなものなのだ……みすみす野放しにするような真似は出来ん』
「じゃあ、ルゥシールは……」
その問いの答えを聞く前から、俺は総毛立ち、耳鳴りがして、心臓が破裂しそうな程高鳴っていた。……吐きそうな不快感が胸を締め付ける。
けれど、そんなものは表情に出さず、じっとエンペラードラゴンを睨みつける。
『ルゥシールには、私の結晶の中で眠っていてもらう……寿命が尽きる、その瞬間まで、ずっとね』
俺の体に起こっていたすべての異常が一瞬で収まる。
そして、次の瞬間爆発的に湧き上がってきたのは、激しい怒りだった。
『なに、ほんの三千年程度だ……飲まず食わずだから、体も弱るだろうからな』
三千年もの間……ルゥシールを閉じ込めるってのか…………
あの寂しがり屋で……少しでも時間が空けば俺の隣に寄ってくるようなルゥシールを……三千年も……一人ぼっちで…………
「そうしなきゃ……ドラゴンは絶滅の危機に晒される……」
『そうだ。強過ぎる闇の【ゼーレ】は、それだけの危険をはらんでいるのだ』
「だから……ルゥシールは閉じ込められなきゃいけないってんだな……?」
『そうだ』
「そうかい…………じゃあ、仕方ねぇな」
俺は、ルゥシールの逆鱗を撫で、魔力を借りうける。
「だったら、全滅しちまえよ、ドラゴンなんかよっ!」
ルゥシールの結晶の解除を終えた俺は、魔界の炎を呼び出しエンペラードラゴンに浴びせかける。
ふざけんな、クソ親父!
ルゥシールは、テメェらの生贄じゃねぇ!
「娘一人守れねぇようなヤツがボスやってるような群は、滅びちまえばいいんだよ!」
魔力が尽きるまで、漆黒の爆炎を放出し続ける。
世界が黒く染まるほどの夥しい炎だ。
だが……
『イレギュラーは、和を乱し、秩序を砕き、破滅を招く』
「っ!?」
エンペラードラゴンが瞬間移動した、いや、そう見えるほどの速度で俺たちの眼前にまで移動してきたのだ。
……これは、ルゥシールの高速移動!?
エンペラードラゴンは空中で体をひねり、太い尻尾をルゥシールの頭上から一気に叩きつける。
俺だけを宙に残し、ルゥシールが地面へと叩き落される。
「テメェ!」
魔力の無くなった俺は、それでも抗いたいと、エンペラードラゴンに殴り掛かる。
だが、その時エンペラードラゴンが大口を開いた。
咄嗟に身をひねるが、白銀のブレスを右半身に浴びてしまう。
「……ぐぅっ!」
俺の右腕が、肩や脇腹もろとも結晶に閉じ込められた。
ピクリとも動かない。
暑さも寒さも痛みも感じない。
ただ、なんとなくダルく、倦怠感が酷い。
『よくかわしたな、空も飛べぬ下等生物のくせに』
「けっ! 舐めてんなってこったよ!」
エンペラードラゴンの言うとおり、人間は空を飛べない。
俺の体は重力に引かれるように落下している。
このまま落ちればおしまいだ。
「……【搾乳】!」
「落ちても大丈夫だ! ワタシたちが受け止める!」
「ルゥシールんことは、今メイベルが見に行ってるべ! 安心するだ!」
そんな叫び声と共に、地上からの援護射撃が始まる。
そうだ、俺には仲間がいるんだ……
このままで終わってたまるかよ。
「あんま舐めてっと……俺がお前らドラゴンを根絶やしにしちまうぞ?」
『…………そうか』
呟くやいなや、エンペラードラゴンは地上に向けて純白のブレスを撒き散らした。
「――っ!? みんな、逃げろぉ!」
だが、その声は遅すぎた。
エンペラードラゴンのブレスを浴び、地上にいた仲間たちはみな結晶に飲み込まれ、身動きが取れなくなっていた。
『貴様も、同じように閉じ込めてやろう』
エンペラードラゴンが俺に話しかけている。
けれど、そんなことはどうでもいい……みんなが…………
『なんなら、全員を並べて置いてやろう……それで、大人しく娘を渡してくれるかね?』
「…………ざ、っけ…………んなぁ、てめぇっ!」
空では自由に身動きすら出来ない。
右腕は結晶に閉じ込められ動かすことも出来ない。
それでも、俺は叫んだ。
絶対的強者に対し、叫ばずにはいられなかった。
こんな理不尽、許していいのかよ!?
「テメェは、必ず、俺がぶっ飛ばしてやる!」
『……そうか』
言うなり、エンペラードラゴンの姿が掻き消えた。
次の瞬間、俺の視界がぐるぐると回転を始める。
腹部に激しい痛みが走る。
どうやら、エンペラードラゴンが俺の腹部を角で突き上げ、上空へと放り投げたらしい。
ぐるぐると回転する身体で、懸命にエンペラードラゴンを探す。
ようやく発見した時には、エンペラードラゴンは次のモーションに入っていた。
太い尻尾が振り下ろされ、俺の体は地面に向かって急直下していく。
「……ごふっ!」
喉を押し広げて、血の塊が吐き出される。
鮮血が空を昇っていく……いや、俺が落ちているのか。
地面に叩きつけられる……魔力もないし、受け身なんか取れるわけがない。
「変態ぃぃいいっ!」
メイベルの叫びが聞こえ、俺の体を風が包み込む。
……すまない。超助かった!
俺の体がふわりと地面へ着陸する。
――と、同時に、エンペラードラゴンの巨大な前足が俺を踏みつけた。
「――――――――――――っ!?」
声にならない悲鳴を上げた。
全身の骨が粉々に粉砕された。
はっきりと理解した………………こいつには、勝てない。
『人間よ……周りをよく見てみるがいい』
エンペラードラゴンの声に、俺は視線を辺り一帯に向ける。
フランカが、テオドラが、トシコが……お袋までもが…………みんな結晶に閉じ込められていた。
唯一難を逃れたのは、ルゥシールを助けに行っていたというメイベルだけ……そのメイベルも、深手を負って地面に倒れている。見れば、下半身が結晶に閉じ込められていた。
『これが貴様の限界だ……誰の助けを借りようと、どんな力を得ようと……人間がドラゴンに適うことはない』
反論は……出来なかった。
『ルゥシールを差し出せば、貴様らの命だけは助けてやる……最も恐ろしいのはダークドラゴンの暴走なのでな』
……ルゥシールを差し出す………………
「…………こと……わる……」
俺を踏む足が重さを増す。
「がぁあああっ!」
全身ズタボロでも、まだ痛みって感じるもんなんだな……もう、一生分の痛みを味わった気がするんだけどな……
『これは交渉ではない』
「あぁ……交渉にすらならねぇ、テメェの戯言……だろ?」
エンペラードラゴンは無言で加重する。
メキメキと、俺の体が軋みを上げる。
「ぐぁあああああっ!」
意識が吹き飛びそうになるのを、必死にこらえる。
気絶などすれば……きっとルゥシールはいなくなってしまう。
それだけは……ダメだ。
『貴様らを全員殺して連れ去ってもいいのだぞ』
「そう、しない……のには………………はぁはぁ……わけが、あるんだろ……?」
こいつらは心底恐れているのだ。
ルゥシールを。
ダークドラゴンの闇の【ゼーレ】を。
俺たちを殺すことで、ダークドラゴンが暴走してしまうことを……
けど、それにも限度があるだろうな……
エンペラードラゴンの眼は、俺を殺そうとしている。
もう、猶予はないのだ。
…………すまん、ルゥシール。
お前を守ることができな………………
「ご主人さん」
優しい声が、頭上から降って来た。
視線を向けると、すぐそばに、ルゥシールが立っていた。
人間の姿で……何も身に纏わない、生まれたままの姿で。
「あの。あまり、見ないでくださいね……恥ずかしいので!」
そんな、聞き慣れたいつもの声で、いつもみたいに軽い口調で、俺に話しかけて来る。
目の前にはエンペラードラゴンがいて、俺は指一本動かせない状況だというのに、まるで何事ともなかったかのように……
「ご主人さん」
仰向けに寝転がる俺の頭の横に、膝をつき、しゃがみ込むルゥシール。
細い指が、優しく俺の髪を撫でる。
「生きていてくれて、よかったです」
「……ま、今にも、死にそうだけどな……」
「死にそうな時は、生きている時ですから。まだ大丈夫です」
「……なんだ、その理屈」
こんな状況だというのに、腹の底から笑いがこみあげて来る。
「どうしましょうね。わたし、バカだから……どうするべきか、何が正解かはよく分からないんですけど……なんて言うべきか分からないので、言いたいことは全部言いますね」
俺の顔を覗き込み、ルゥシールはにっこりと笑った。
「ありがとうございます」
こんな時に……ありがとう、だって?
「それから、すみませんでした」
「……なんだよ。ちょっと、意味が……わかんねぇって……」
「ですよね……へへ」
胸騒ぎがする。
エンペラードラゴンに踏みつけられていることが些末なことに思えるような、変な気分だ。
それよりももっと酷いことが起こる前兆だとでもいうのか……
やめろ……
ルゥシール……
頼むから…………
もう、しゃべるな。
「恩返し、結局何も出来ませんでした」
なに言ってんだよ……
まだまだこれから、いくらでも……
「ご主人さんと一緒にいた時間は、本当に楽しくて、毎日がキラキラ輝いていて……」
やめろって……
「わたしの宝物でした」
「……ルゥシール、お前……」
俺の唇に、ルゥシールの指が触れる。
何もしゃべるなと、そう言われた。
笑顔で、ルゥシールが小さく首を振る。
「仕方……ないですよね」
心臓が軋む。
呼吸の仕方が分からなくなる。
口を開けても、酸素が入ってこない。
眩暈がする。
もう……やめてくれよ。
「ただ……ちょっと残念でもあるんですよ」
そんな、明るい声を出すな。
無理して、笑顔を作るなよ……
「クレープ。一緒に食べられませんでしたね。知ってますか? 西区にあるクレープ屋さんが『激ヤバ』なんですよ! ……ふふ、この言葉、王都の人がよく使ってるんですよ。流行っているんですって」
なんで、今……そんな話を……
「あぁ、あと、一緒に海が見たかったなぁ。実はわたし、ちゃんと見たことがないんです」
海なんか……いつだって……
「水着って、どんなのがいいんでしょうね? って、ご主人さんに聞くときっと凄くエッチな水着を選んじゃうからダメですね。やっぱり自分で選びます。緑とか、似合いますかね?」
くすくすと楽しそうに、まるで明日にでも海辺の街へ旅行に行くみたいに笑っている。
そして、思いついたように手をパンと打ち鳴らし、とてもいいことを教えるように、顔を近付けてきて、こっそりと俺に向かって囁く。
「実はですね……わたし、料理を覚えようと思うんです。上手になったら、何でも作ってあげますからね。ご主人さん、魚の煮もの好きですよね? あ、でもあれは難しいので、最初は無難にスープから……コーンとカボチャと、どちらが好きですか?」
「………………かぼちゃ」
「はい。では、カボチャにしましょう」
小さく力こぶを作り、得意げな表情を浮かべる。
「はぁ~……本当に、ご主人さんと一緒にいると楽しいですねぇ…………やりたいことも、行きたい場所も、見たいものも、話したいこともたくさんたくさんあって…………」
ルゥシールの喉が掠れた音を漏らす。
声が震えだす。
「…………ぐすっ」
胸が張り裂けそうな……小さな嗚咽が漏れる。
「…………ご主人さんと…………ずっと、一緒にいられれば、……幸せだろうなって…………思って…………そうなればいいなって…………ずっと、ずっとずっと思ってて…………」
ぼとぼとと、大粒の涙が落ちて来る。
顔をくしゃくしゃにして、ルゥシールが泣いている。
なのに、俺は、頭を撫でてやることも出来ずに…………
「…………あぁ…………もっともっと、ご主人さんと……お話…………しておけばよかったなぁ……もっと………………一緒に………………いたかったなぁ…………」
静かな空間で、ただただ、ルゥシールの嗚咽だけが聞こえる。
「…………でも」
ひとしきり泣いた後、盛大に洟を啜り、ルゥシールはとびっきりの明るい声で言った。
「悲しいですけど、わたし、実家に帰ります!」
「ルゥシールッ!」
体を起こしたいのに、出来ない。
だから、せめて……名を呼んで…………引き止めて…………
「もし、またどこかで出会えたら…………その時は……また、仲良くしてくださいね」
なのに、ルゥシールは待ってはくれない。
すぐそこにいるのに、手すら触れられずに…………どんどん遠ざかっていく……
待て……待ってくれ!
なんとかするから!
俺が、守ってやるから!
「……ご主人さん」
やめろ!
「今まで、どうもありがとうございました」
――心が、砕けた気がした。
ルゥシールが静かに立ち上がる。
ダメだ……行くな……
ルゥシールが、一歩、後退する。
やめろ……止まれ……
ルゥシールが…………遠くに…………
「ルゥシール!」
ダメだ。このままいかせちゃダメだ!
そうだ!
俺……まだ、言ってないことがある。
お前に、伝えてないことがあるんだよ!
聞いたら、きっとお前ビックリするぞ。
で、きっと泣いちゃって、俺のこと抱きしめて……
もう絶対離れないって…………
そう言うに決まってるんだ。
だから……これだけは言わせてくれ……頼むから……聞いてくれ……っ!
「お、俺、俺な……っ!
ルゥシールが、そっと俺の顔を覗き込む。
もう一度膝をついて、真正面から、ちゃんと俺の言葉を聞く体勢になってくれた。
自然と笑みがこぼれた。
俺は一度深呼吸をしてから、ゆっくりと、そしてはっきりと、素直な気持ちを告げた。
「俺、お前のことが、好きだ」
ルゥシールの頬に朱が差して、ただでさえ大きな目がもっと大きくなって、うるうると輝き出して……口角が優しく持ち上がって……マジで本当に堪らないくらいに可愛い笑顔をうかべて…………そして、俺にこう言ったんだ。
「はい。知ってます」
そして、優しく…………キスをしてくれた。
唇に柔らかい感触が伝わり……ルゥシールの香りが胸いっぱいに広がって…………そして、遠ざかっていく。
「言ってくれて、嬉しかったです」
…………え?
いや、待てよ……
「ご主人さん」
…………これからだろ?
これから、楽しいことが沢山あって…………
お前と二人で……一緒に………………
「さようなら」
足音が遠ざかっていき、やがて……気配が消える。
世界が、止まった……気がした。
空を埋め尽くすほどいたドラゴンの群が、まるで幻であったかのように跡形もなく消え去り、最後に残ったエンペラードラゴンが最後に呟いた『満足したか?』なんて問いには答えられなくて……
気が付いたら、ドラゴンは一頭もいなくなっていた。
あれ……
俺…………何してんだっけ?
なんで、こんなところで、寝てるんだ?
何も分からない。
分かるのは、ただ…………唇に残った柔らかさの記憶だけ。
「……ルゥシール…………ッ」
きっと、そんな呟きすらも…………誰にも届かない……
もう……届かないのだろう。
ご来訪ありがとうございます。
今回は、何も言いません。
ルゥシール…………
次回も、どうか、
よろしくお願いいたします。
とまと