115話 ノルマ
ラ・アル・アナンの背中に、黒炎が広がる。
出し惜しみしない、お袋の全力だ。……ただし、分身体での全力ではあるが。
「くっそぉ、やっぱダメかい」
お袋が軽く舌打ちをする。
上空から見下ろしたラ・アル・アナンは、巨大な背中の大半を焼かれながらも、まるで何事もないかのように動き回っている。
細く、不気味に長い脚を忙しなく動かし、脚元にいるテオドラやトシコ、エアレー、カブラカンたちを振り払おうと暴れ回る。
俺とルゥシール、それにお袋はラ・アル・アナンの頭上に陣取り、上空からの攻撃を展開している。が、これがなかなか思うようにいかない。
「ドイスドラガオン!」
テオドラの放った剣撃も、細長い脚に弾かれ、ダメージを与えることは出来ていない。
やはり、欠けた刃では威力も落ちるようだ。
「これでも、喰らうだ!」
トシコの放つ矢が魔力を纏いラ・アル・アナンに襲い掛かる。
が、放たれた矢は張り巡らされたクモの巣によって行く手を阻まれ、ラ・アル・アナンへは届かない。
「また糸ね!? んもぅ! 邪魔だべ!」
トシコの矢は、ラ・アル・アナンにとっても驚異的なのだろう。ヤツは特にトシコの矢に注意を払っているように見える。他をないがしろにしてでも、確実にクモの糸で矢を防いでいる。
ラ・アル・アナンが口を開き、トシコに向かって大量の糸を吐き出す。
「ややっ!?」
咄嗟に飛び退いたトシコだが、完全にはかわしきれずに脚を糸にからめとられる。
「あんれまぁー!?」
けったいな悲鳴を上げ、トシコが空中で逆さ吊りにされる。
ラ・アル・アナンの目の前だ。
鋭い牙を剝き、ラ・アル・アナンがトシコに襲い掛かる。
「ダメだべ!? 糸が取れんが!」
脚に絡みつく糸を必死に引き剥がそうとするトシコ。しかし、糸はビクともしない。
「トシコ! そいつの糸は魔力の塊っちゃ! それ以上の魔力をぶつければ簡単に切れるっちゃ!」
「そがんこと言うても、オラ魔法は苦手だで!」
「ワタシに任せろ!」
ラ・アル・アナンがトシコに喰らいつこうとしたまさにその時、テオドラがトシコを拘束するクモの糸を切断する。
「なるほど。武器に魔力ば込めればええだか」
テオドラにお姫様抱っこされながら、トシコはポンと手を打つ。
地面へと戻り、急いで戦闘態勢に入る。
そんな地上での戦闘を、俺たちはただ傍観してるわけではない。
上空は上空で大忙しなのだ。
「マー坊! そっち行ったよ!」
「ルゥシール、上昇! 上昇!」
「きあああ!」
俺たちに向かって、黒い炎が鞭のように襲い掛かってくる。
先ほどお袋が放った炎だ。
それを、ラ・アル・アナンのクモの糸が絡め取り、燃え盛る鞭となって、俺たちに襲い掛かってきているのだ。
お袋の炎だから、威力は絶大。……めっちゃ厄介だ!
「こいつの糸は炎でも水でも、なんにでもくっつくからねぇ」
「他人事みたいに言ってんなよ!」
クモの糸は、強い魔力で断ち切れるのだが、逆に糸がこちらの魔力を上回った場合はこうして悪用されることがある。また、糸の魔力は自在に変化させられるようだ。
こちらに向けて吐き出される糸は、あからさまに強い魔力が込められている。
確実にお袋対策だ。
「……はぁっ、はぁっ…………」
お袋の息が上がっている。
俺たちに魔力を分け与えたことで、限界が早まったのかもしれない。
一方のラ・アル・アナンは、パルヴィから魔力が供給され続けているようで、惜しみなく魔力を使ってきやがる。
フランカとウルスラに頑張ってもらわないと、こいつに勝つのは難しいかもしれない。
「マー坊」
ラ・アル・アナンの攻撃をかわしながら、お袋が俺たちのそばへと飛んでくる。
「今のあたしたちじゃ、消耗戦は耐えられない」
お袋の言う『あたしたち』は、分身体でこちらに来ている魔神たちのことだ。
「最終的にはあんたたちに任せることになるから、覚悟はしておきなよ」
「あぁ。分かってる」
「それから……」
お袋の手が俺の髪を撫でる。
「何かあったら、いつでも帰っておいで。その時は、全力で力を貸してやるから」
何かあったら……
お袋がそんなことを言うってことは、何かがあると予想しているということだろう。
魔神の勘、というか、お袋の勘は割と鋭いのだ。
このバケモノを倒した後に何かあるなんて、今は考えたくもないけどな……
「あんたの妹の救出を待ってる余裕はないね。やれるだけのことはやってやる。けど、その後のことはあんたがやんな」
「あぁ!」
「魔力のサポートが無くなっても、こいつは強い。油断すんじゃないよ!」
「分かってるって。な、ルゥシール」
「きああ!」
俺たちの返事を聞き、お袋はにこっと笑った。
「じゃあ、それまでに脚の一本でも落としといてやるかね!」
舞うように上空へと登り、漆黒の炎を纏ってラ・アル・アナンへと突撃していく。
クモの糸がお袋目掛けて発射されるが、魔力を上げたお袋を捉えることは出来ない。
巨大な炎の弾丸と化したお袋はラ・アル・アナンの脚へと激突し、根本からへし折った。
ラ・アル・アナンがバランスを崩し、体が大きく揺れる。
「ルゥシール! ブレスだ!」
キシャァァァァアアアアアアアアアアアアアッ!
その隙をついて、俺たちも攻撃を仕掛ける。
ルゥシールのブレスで魔力を奪いながら、俺が魔法を連続で叩き込む。
鋼のように硬い表面に魔法が弾かれるが、何度も繰り返し叩き込んでやる。すると、硬い外殻に亀裂が走り、徐々にだがダメージを与えられる。
しかし、ラ・アル・アナンはとにかくデカい。
こんなちまちました攻撃じゃあ撃破まで時間がかかり過ぎる。まぁ、やるしかないんだけどな。
お袋は宣言通り、脚を一本吹っ飛ばした。
たしか、俺たちに与えられたノルマは四本だっけ? ……無茶言うな。
ラ・アル・アナンの脚元では、トシコを中心にした布陣が形成されていた。
トシコの弓を主軸として、テオドラとエアレーがトシコを襲う糸を迎撃し、カブラカンがラ・アル・アナンの動きを抑えている。
「最大出力だべぇ!」
トシコがフルパワーで矢を放つ。
一本の矢にありったけの魔力を詰め込んで驚異的な貫通力を宿らせる。
解き放たれた矢は、立ちはだかるすべての物を蹴散らして、ラ・アル・アナンの脚を一本撃ち抜いた。
「よっしゃ! けんど、オラのノルマさ、二本なんよねぇ。カッコ付け過ぎでもぅただなぁ……もう、しんどいべぇ」
地面に膝をつくトシコ。口調こそふざけ半分ではあるが、体は相当きついのだろう。
魔力のほとんどを使い果たしている状態なのだから。
「ワシが回復しちゃるけぇ、キバるんじゃあ!」
膝をついたトシコを覆い隠すように、カブラカンが体を丸める。
ラ・アル・アナンからの攻撃を、その巨体で受け止め、己の魔力をトシコへと注いでいく。
「魔法は苦手じゃけぇ、遅いのは勘弁してくれのぉ」
「カブラカン…………いや、ブタヤロウ。ありがとうだべ」
「……なんで言い直したんじゃ…………ま、えぇけどのぉ」
カブラカンは嘆息して、トシコへと魔力を注ぎ込み始めた。
その間、テオドラとエアレーがラ・アル・アナンの相手を引き受ける。
テオドラの剣とカタナがラ・アル・アナンの脚を斬りつけ、エアレーが自在に動く巨大な角を使って体当たりを繰り返す。
しかし、ラ・アル・アナンにはダメージを与えられていない。
「ワタシたちも、なんとか一本くらいは脚を斬ってやりたいものだが……」
テオドラは悔しそうに欠けた剣を見つめる。
「……この剣では…………」
「なら、あたしが力を貸してやろう」
「主の母君……」
テオドラのもとへ現れたのは、お袋だった。
お袋は、さっきの一撃で魔力を使い果たしたのか、フラフラとした脚取りをしていた。
「粘るって大見栄切ったんだが……ちょっと限界っぽいねぇ」
浮かべる笑みもどこかぎこちない。
「ほら、剣を出しな」
刃こぼれをした剣とカタナに両手を添え、お袋が魔力を流し込む。
すると、テオドラの剣とカタナが漆黒の炎を纏う。
「こ、これは、魔法剣っ!」
「多少は役に立つだろうよ」
「かたじけない! 感謝する」
「いいよ、そんなもん。その代わり、うちの息子を助けてやっておくれ」
「あぁ! 了解した!」
炎を纏った剣とカタナを握りしめ、テオドラは走り出す。
目指すは、ラ・アル・アナンの巨大な脚、その付け根だ。
「一気に行くぞ!」
駆けながら、両腕を顔の前でクロスさせる。
「ドイスサラマンダーッ!」
剣とカタナから炎を纏った二頭のドラゴンが生み出される。
獰猛な牙を剝き、空気を焼きながら空を翔る二頭のドラゴン。
巨大なクモの胴体に激突した途端に激しく燃え上がり、そして、巨大な脚を吹き飛ばす。
斬ると言うよりへし折るような一撃だった。
「テオドラ、ちょっとどくだべ!」
その直後、トシコが渾身の矢を放つ。
白くうねる尾を引き、魔力を纏った矢が疾走する。
テオドラが吹き飛ばした脚の、その先へと突き刺さり、巨大な脚を貫く。
貫通した矢はその向こうの脚にまで達したが、こちらは貫通には至らなかった。
これで、ラ・アル・アナンは四本の脚を失った。
あとは、俺たちのノルマか…………プレッシャーだなぁ。
「ルゥシール、いけるか?」
「きああ!」
ルゥシールと俺の体を魔力で覆い、ラ・アル・アナンへ向けて突撃する。
お袋のマネだが、ルゥシールの突進力があればさらに威力が上がるはずだ。
「行けぇ!」
キシャァァァァアアアアアアアアアアアアアッ!
ルゥシールが咆哮と共に突進する。
ラ・アル・アナンがこちらへ顔を向け大きく口を開く。
また糸を吐き出すつもりのようだが、これだけの魔力を纏っていれば突破出来るだろう。
なんて油断していたら……ラ・アル・アナンは口から紅蓮の炎を吐き出した。
「ちょっ!? ルゥシール、回避!」
しかし、ルゥシールの速度は殺し切れずに、夥しい炎の中に飲み込まれてしまう。
全身を覆う魔力を、すぐさま外へ向けて放出し炎を退ける。
その隙にルゥシールが大きく羽ばたき上空へと避難する。
危ねぇ!
結界も張らずにあんな炎に飛び込んだら、骨までこんがりだ。
飛んで火にいるダークドラゴンとか、洒落になんねぇっての。
「脚を折られてムキになってやがるな」
「きあ!」
ルゥシールがラ・アル・アナンの上空で旋回し、距離を取る。
が――
ラ・アル・アナンは、まるでその巨体の重さがまったく無いのかのように、ルゥシール以上の速度で空を駆け上ってきやがった。
脚の一本から糸が出ており、それを伝うようにして上昇しているようだ。
「ルゥシール、そのまま飛べ!」
牙を剥いて迫りくるラ・アル・アナンへ、神速の光線をお見舞いする。
しかし、それは紙一重でかわされ、逆に灼熱の炎を浴びせかけられた。
一瞬で肺が焼けそうな熱風に包まれる。
キシャァァァァアアアアアアアアアアアアアッ!
ルゥシールのブレスが炎を飲み込み、間一髪のところで丸焼を回避した。
「……ごほっ。たすかった」
「きあ」
逆鱗から魔力をもらい、急いで傷を癒す。
お袋が言っていた、ハエに掴まって空が飛べるってのも、どうやらマジな話らしい。
あいつの糸は、あらゆる物理法則を無視するようだ。なんでもありかよ、くそったれ。
今度こそ大きく距離を取り、体勢を立て直す。
遥か下の地上では、お袋たちが疲弊していた。
このデカいクモのバケモノは、俺たちに襲いかかりながらも、地上に向けてクモの糸を乱射し、お袋たちを攻撃し続けているのだ。
その糸が、炎や猛毒を纏っているのだから始末におえない。
お袋の魔力は底を尽き、テオドラもトシコもへばっている。
カブラカンとエアレーに守られながら、止むことのないラ・アル・アナンの攻撃を凌いでいる状態だ。
一つ気付いたのだが……こいつ、脚を数本折ったくらいじゃ意味ないじゃん!
全員で頭を吹き飛ばしたりした方がよかったんじゃないだろうか?
どうも脚が気持ち悪く目立ってたから真っ先に狙っちゃったけども。
ラ・アル・アナンは、一本の脚で器用に糸を操り、陸も空も関係なく、自由自在に空間を移動している。
正直、動きを捉えるので精一杯だ。
……ったく、疲れる相手だ。
そう思い、ため息をつく……
「きあ!」
ほんの一瞬だった。
ため息をついた、そのわずかな時間で、ラ・アル・アナンが俺たちの眼前に迫ってきていた。
……油断した。
さっきの回復魔法で、魔力は使っちまった。
今から魔力を吸い上げたとして、このバケモノを押し返すほどの魔法は間に合わない。
ルゥシールが旋回したとしても、この距離ではかわせない…………やばい。打つ手がない。
ラ・アル・アナンの牙が俺の頭へ接近し、噛み砕こうとする。
「引けぇ!」
お袋の声が聞こえたかと思うや、ラ・アル・アナンの体が一瞬硬直した。
いや、こちらに向かってきていた巨体が、後ろへと引き戻されたのだ。
その隙に、ルゥシールは後方へと逃げる。
よく見ると、ラ・アル・アナンの脚に糸が巻きついていた。
それがラ・アル・アナンの意志で巻きつけられたのではないことを、糸の先にぶら下がっているトシコの矢が物語っている。
クモの糸を矢に結び付け、ラ・アル・アナンの脚に引っかけたのだろう。
そして、その糸をカブラカンと、もう一頭の巨大な魔物が引っ張っていた。
「レッサードラゴン……ジロキチかっ!?」
体長8メートルにも及ぶ巨大レッサードラゴン。ジロキチがトシコを乗せて糸を引っ張っている。カブラカンよりもでかいレッサードラゴンは、空の上から見ても存在感たっぷりだ。
あいつ、まだ近くの森にいたのか。トシコの帰りをずっと待っていたのだろう。主想いの賢いヤツだ。
カブラカンとジロキチ。巨大な魔物が超巨大なバケモノを引きずり降ろそうとクモの糸を引っ張る。
ラ・アル・アナンの巨体を、完全には押さえきれていない。しかし、その動きはかなり制限されている。
「行くぞルゥシール! 突撃だ!」
キシャァァァァアアアアアアアアアアアアアッ!
苛立たしげに地上を睨むラ・アル・アナン。
余所見してる余裕なんかねぇんじゃないのか!?
「 ―― お袋、の本体! 最高のヤツ 頼むぜ! ―― 」
詠唱をして、魔力を魔法へと変換する。
地上で、お袋の影が拳を突き上げ、こちらに親指を立てていた。
俺とルゥシールの体が漆黒の炎を纏い、燃え上がる。
貫いてやるぜ、バケモノ!
ラ・アル・アナンが俺たちの接近を察知し、こちらに向かって業火を吐き出す。
だが、これはルゥシールが読んでいた。
キシャァァァァアアアアアアアアアアアアアッ!
漆黒のブレスが迫りくる業火を飲み込み、消滅させる。
「行けぇえ!」
ガラ空きになったラ・アル・アナンの顔面に、ルゥシール共々体当たりを食らわせる。
ガチガチと牙を鳴らし、必死の抵抗を見せるラ・アル・アナン。だが、悪足掻きもそこまでだ!
追加で魔力を吸収し、聖なる光をラ・アル・アナンの顔面に浴びせかける。
神代魔法バギーニャカーラだ!
ルゥシールの体内の魔力がほとんど空になる。
ラ・アル・アナンが素早いせいで、ブレスによる魔力吸収が追いつかなかったのだ。
だが、これで終わる。
終わらせる。
ルゥシールがさらに加速して、ラ・アル・アナンの巨体ごと地面へと突っ込む。
地響きを上げ、大地が激震する。
大爆発を起こしたように砂埃が舞い上がり、天高く昇っていく。
地面に巨大なクレーターを作り、それでもなお止まらず、深い溝を生み出しながらドラゴンとクモのバケモノが地面の上を突き進んでいく。
途中でバキベキと、不気味に長い脚が四本へし折れ、空を舞うように吹き飛んでいった。
ノルマ、達成だな。
地鳴りがやみ、もうもうと舞い上がる砂ぼこりの中、ようやく動きを止めた俺たちとバケモノ。
城から随分と離れ、空き地の向こうに広がる森にまで達していた。
これだけダメージを与えれば、流石に……
その時、目が合った……殺意などという生易しいものでは言い表せない、怨嗟の籠った『眼』と。
次の瞬間、ラ・アル・アナンが打ち出された大砲の弾のようにルゥシールへと激突し、俺たちを吹き飛ばした。
……あのバケモノ…………まだ動けるのかよ!?
出来たばかりの深い溝の上をたどるように、俺たちは来た道を戻され、外壁へと激突した。
爆音とともに王都の外壁が崩壊し、俺たちの上へと降り注いでくる。
やべ…………体が動かない……
ルゥシールを……助けなきゃ…………なの……に……
だが……
巨大な瓦礫が頭上に降り注いできて……俺は意識を手放してしまった。
ご来訪ありがとうございます。
本編が戦闘続きで血なまぐさくなっています…………なって、います、かね?
とにかく、なんだか殺伐としておりますので、
あとがきではこんなのんびりしたお話を……
童話『ダークドラゴンの恩返し』
昔、あるところに、
おっぱいが大好きなご主人さんが住んでおりました。(あぁ、この時点で童話失格だ……)
ある日、ご主人さんは山へ出かけました。
「おっかしいなぁ、以前この辺りに有害図書が大量廃棄されていたんだが……」
山道を歩いていると、
なんと、イノシシ用の罠にダークドラゴンがかかっているではありませんか。
「きあ! きあ!」
「イノシシ用の罠にダークドラゴンが……」
ご主人さんは言いました。
「自分でなんとかしろ」
「きあ! きあ!」
それムリ!
と、必死に訴えるダークドラゴン。
ご主人さんは仕方なく罠を外してあげま…………
「その前に、一つ答えろ……」
「きあ?」
「……この付近の有害図書を独占したのは貴様か?」
「きあきあきあきあきあ!」
ダークドラゴンは首がもげ落ちるほど全力で否定しました。
なんとかご主人さんの誤解も解け、ダークドラゴンは罠から解放されました。
「きあぁ」
ぺこりと頭を下げ、ダークドラゴンは大空へ羽ばたいていきました。
「……くっ! なんて風圧だ!? やっぱりあいつが吹き飛ばしたんじゃないか!? おいこら、待て! 俺の有害図書を返せ!」
数日後。
囲炉裏のそばで、有害図書を失ったご主人さんがダダヘコミしていると、
トントンと、ドアをノックする者がおりました。
時刻は深夜。
佐川急便すら営業を終了させる時間。
「こんな夜更けに……アマゾンで頼んだ添い寝シーツかな?」
ご主人さんがドアを開けると、そこに一人の美しい少女が立っていました。
「どうも。先日助けていただいたダークドラゴンです」
知らない人だったので、ご主人さんは静かにドアを閉めました。
『ちょっ!? なんで閉めるんですか!? 開けてください! あーけーてぇー!』
ドンドンとドアを乱打する少女。
やかましいことこの上ありません。
どうやら、近所迷惑という言葉を知らないようです。
ドアを開けると、肩で息をする少女が必死な形相でご主人さんに縋りついてきました。
「正体は明かせませんが、恩返しがしたいです。お家へ入れてください」
「いや、さっきダークドラゴンって……」
「空耳です!」
「いや、はっきりと……」
「いえ、それはあれです……ダークドラゴンではなく…………デーブ・スペクター! そう、デーブ・スペクターと言ったんです!」
「お前、デーブ・スペクターなのか?」
「そんなわけないじゃないですか!?」
デーブ・スペクターは、自分のことをルゥシールだと名乗りました。
デーブ・スペクター改めルゥシールは、家に上がるやいなや、奥の部屋へと入っていきます。
「決して覗かないでくださいね」
「不可能だ」
「いや、普通覗きませんよね!? うら若い女性が寝泊まりする部屋は!?」
「風呂ならいいのか?」
「なおのことダメですよっ!?」
ルゥシールに説得され、ご主人さんは部屋を覗くのを諦め、
部屋に仕掛けた盗撮用の小型カメラの電源をリモートコントロールでオンにしました。
「何仕掛けてんですかっ!?」
「この前アマゾンで見かけてな。思わずポチッたんだ」
「没収です!」
再びふすまが閉じられ、ルゥシールは奥の部屋へ籠ってしまいました。
「仕方ない。今日はもう寝るか」
ご主人さんが布団を敷いて横になると、
奥の部屋から機を織る音が聞こえてきます。
ガラガラ。
「何してんの?」
「普通に開けてきましたねっ!?」
ルゥシールに背を押され、部屋から追い出されたご主人さん。
「開けちゃダメなんです! 明日の朝まで我慢していてください!」
「分かったよ、もう寝るよ」
渋々、ご主人さんは眠りに就きました。
数時間後……
「ご主人さん。ご主人さん、起きてください」
揺り動かされ、ご主人さんが目を覚ますと、ルゥシールがご主人さんを覗き込むようにして座っていました。
「どうした?」
「それが……鱗では機が織れませんでした…………」
手に持っていたのは硬い鱗。
到底機など織れません。
「どうしましょう……?」
「いや、俺に聞かれても……」
こうして、恩返しを出来なかったルゥシールは、
いつまでもいつまでも、ご主人さんと一緒に暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。
「……でさ。お前、俺の有害図書を……」
「知りませんってばっ!」
今後ともよろしくお願いいたします。
とまと