10話 俺の名は……
巨大な武器を構える巨漢の男は、まるで城壁のように目の前にそびえ立っていた。
俺は改めてデリックの獲物に目をやる。
ただでさえ盛り上がった筋肉を、それ以上に膨れ上がらせて、デリックが規格外の武器を構えている。その武器は、デリックの身の丈ほどもある柄の先に、巨大な鉄塊がくっついた規格外にデカいハンマーだ。
武骨なまでに四角い、黒色をした鉄の塊。長方形をした先端部分は俺の胴体ほどのデカさで、重量も相当あるはずだ。
それをデリックは軽々と振り回してみせる。
あの筋肉は伊達じゃないってわけだ。
「さぁ、テメェも剣を抜け!」
デリックの目がギラギラと輝く。
壊したくて仕方ない。そんな感情がありありと伝わってくる。
特定の行動に――こいつの場合は武器破壊という行為に――恐ろしいまでの執着を見せる者は少なくない。
己の快楽のために、人や物、国や世界を簡単に壊せる、狂気に満ちた変質者どもだ。
その狂気の目が、俺の剣へと注がれる。
こんなヤツに見せてやるのも勿体ないが……
俺は、修理が終わったばかりの剣を手に取り、一気に抜き放つ。
空の天辺から降り注ぐ太陽の光を反射して、青みのかかった刀身が輝く。
旅に出る時に、ウチにある中で一番いい剣をくすねてきたのだ。相当価値のあるものに違いない。
まぁ、俺には物の価値なんか関係ないけどな。
強度があればそれでよし。
どうも、俺が使う武器はどれも壊れやすくていけない。
この剣も、もう何度修理したことか……
それでも、物の価値が分かる者が一定数いるようで、俺が剣を抜くと群衆の中から「おぉ~……」と声が漏れた。
デリックも、食い入るようにその刀身を見つめている。
長さは80センチほどで、柄から真っ直ぐ伸びる両刃の剣。
長めのショートソードだ。振り回すにはこれくらいの物が丁度いい。
「その剣……、やはりミスリルか」
デリックが嬉しそうな顔で尋ねてくる。
見ただけでよく分かるな。さすが武器(破壊)マニアだ。
そういえば、武器屋の中でいい武器に目星をつけていたんだっけな。
ミスリルは、魔力を帯びた白銀の鉱物で、滅多に手に入らない。故に高い。
こんな田舎では当然手に入らない。もしこの付近にミスリル鉱山でも発見されれば、この村はあっという間に巨大都市に発展するだろう。
それほどまでに貴重な素材である……らしい。
俺は、ウチの蔵にあったミスリルらしき鉱石をありったけ持ってきているので、それを渡して修理してもらっている。多少ちょろまかされているかもしれないが、元値がタダなので俺は気にしない。
「ミスリルの剣を破壊出来るとは…………腕が鳴るぜぇ!」
デリックはぶるりと身震いをした後、巨大なハンマーを頭上に掲げ、ぶんぶんと振り回し始めた。巨大な鉄塊が円を描きながら獰猛な風を生み出す。
風鳴りのような唸りが聞こえ、デリックは狂気に満ちた笑みを漏らして叫んだ。
「さぁ、ぶっ壊してやるぜっ!」
吐き捨てると同時に、デリックが突進してくる。
巨体からは想像も出来ないような速度。瞬発力。そして、圧倒的な威圧感。
かつてデリックと相対した者はことごとくこの初動に度肝を抜かれ、苦戦……もしくはその一撃のもとに敗戦してきたのだろう。
デリックの顔には自信しかなかった。この一撃ですべてが終わると、この男は確信している。
遠心力の乗った鉄塊が遥か頭上から振り下ろされる。
真上からというよりも、やや後方から、俺の退路を断つような軌道で迫りくる。
触れる空気をことごとく叩き潰しながら、巨大なハンマーが接近してくる。
直撃すれば、どんな物をも破壊してしまうのだろう。
ただしそれは……相手が常識の範囲内にいた場合だけだ。
俺はミスリルソードを軽く持ち上げると、巨大な鉄塊の一点に切っ先を当てた。三つの面が接する、四角形の頂点のひとつだ。そして、腕に力を込める。
その瞬間、鉄塊の進行は強制的に停止され、揚力と行き場を失った力に押されハンマーの柄がしなり、軋む音を上げる。
「んなっ!?」
想像外の事態に、デリックは目を剥き、口を裂けんばかりに大きく開く。
先ほどまでこいつの目に宿っていたのは明確な殺意だった。……なるほどなぁ。
「武器を破壊する際、“ついうっかり”俺の体もぶっ壊しちゃって『いや~、悪い悪い。まさかこんなにもろいとは思わなくってよぉ~』って流れになる予定だったのか」
「ぐっ……!」
どっちみち、この男は俺を生かしておく気などなかったのだ。
こいつがやたらと一人で戦うと言っていたのは、自分の手で俺を始末したかったからかもしれないな。
理由はどうせくだらないことだろう。たとえば、『なんか気に入らなかったから』とか、そんなとこだ。
しかし、デリックの思惑は大きく外れる。
『ついで』に俺自身を破壊するどころか、目当ての武器すら破壊出来なかったのだ。ちなみに、刃こぼれひとつ起こしていない。
馬鹿なのかプライドがそうさせるのかは分からないが……デリックはいまだにハンマーに力を加え俺を抑えつけようとしている。退く気はないようだ。
魔物のごとき巨体が両腕で抑えつけてくる巨大ハンマーを、俺のようなスマートで読書がよく似合う爽やか好青年が片手剣で防いでいる。この光景に、その場にいる全員が目を丸くしている。
まぁ、驚くのも無理はない。
他人から見れば俺は、『顔だけが取り柄の優男』にしか見えないだろうからな。
「……凄い。何の取り柄もないただの変態だと思ってたのに…………」
と、エイミーが小さな小さな声で呟く。
だがしかし! しっかり聞こえているからな!
取り柄あるから! 一目瞭然だろうが!
まぁ、お子様にはまだちょっと難しいのかもしれないけどな、この俺の溢れる魅力とかフェロモンを察知するのは! お子様だもんな! ふん!
「馬鹿な……俺が……二つ名を持つこの俺が…………こんな糸クズみてぇなヤツに……っ!?」
「誰が滑らかな手触りのシルク素材だ!」
「……ご主人さん、解釈がポジティブ過ぎます」
背後から聞こえたルゥシールのツッコミは無視して、俺はデリックに教えておいてやる。
「二つ名くらい、俺だって持ってるよ」
「なんだとっ!?」
デリックが唾を撒き散らしながら吠える。
……汚いヤツだ。
「アシノウラなんて冒険者、聞いたこともないぞ!」
いや、まぁ……そりゃそうだろうな。偽名だし。
まぁ、教えてやる義理はないけども。
右腕から、ほんの一瞬力を抜き、次の瞬間跳ね上げるようにしてミスリルソードを振るう。
巨大なハンマーが弾き飛ばされ、その勢いでデリックがのけぞる。
ドスドスと、太い足が二歩三歩と後退し、大地を踏みしめる。
ほぉ、コケなかったか。すごいすごい。あんよが上手なようだ。
なんとか体勢を立て直したデリックが再びハンマーを構え、大きく振りかぶる。
額に、針で触れれば爆発しそうなほど血管を浮き上がらせて。
「なら…………今度は本気でいくぜぇ!」
「さっきも本気だったくせに」
巨大なハンマーが今度は横薙ぎに振るわれ、鉄塊が側面から接近してくる。
風の魔法でも纏っているのかと思うほど、風切り音が轟々と鳴る。
押し出された突風は俺の髪を乱し、俺の体を吹き飛ばそうとする。
「くたばれぇぇぇぇぇぇぇぇえぇええええええっ!」
デリックの絶叫と共に、ハンマーが俺に襲い掛かる。
「ご主人さんっ!?」
「アシノウラッ!」
ルゥシールとエイミーが必死な声を上げる。
それは、大切な人が(たとえば密かな思い人とか、尊敬する人物とか)が危機に晒されたときに乙女が上げるその声に響きが似ていた。……いや、そういう声をこの耳で聞いたことはないけれど、きっとこういうのが、そういうのなのだろう。本で読んだ。
ということはあれか、つまりなんだ、心配とかしてくれてんのか?
これまでずっと一人で旅を続け、その間も、その前も、誰からも心配などされなかった俺を、こいつらは心配してくれてるのか?
おぉう、なんだよ二人とも。
ちょっと、キュンときちゃうだろうが。やめろよ、こんな時に。
とかいいつつも、顔のニヤケが止まらない。
ヤベ、嬉しっ…………ちょっと、かっこいいとこ見せちゃおっかなぁ。
本当は、ハンマーが直撃する直前、前に踏み込んでデリックを斬りつけるつもりでいたのだが……まぁ、あいつなら死んでも別に気にならないし……でも、女の子たちにそんなシーンを見せるのは気の毒か。こんなムカつく馬鹿相手でも温情をかけられる優しい男、尚且つ、手加減をしてでも余裕で勝っちゃう強い男、そんな評価を得て『なんかチョ~かっこいい!』って思われるのも一興か。
と、ここまでをほんの僅かな時間で考え、俺は次に取るべき行動を変更する。
テーマは、『絶対的な強さ』だ。
「…………ぇぇぇぇえぇええええええええええええっ!」
意識を戻すと、まだデリックが叫んでいる途中だった。
肺活量凄いな。素潜りで海の幸とか獲る職業に就けばいいのに。
そんなことを思いながら、俺は半身をずらし、迫りくる鉄塊に向かい合う。
そして、最小限の動作でミスリルソードを構え、迅速に、無駄なく、その刃を振るう。
ギンッ!
――という音がして、鉄塊は真っ二つに切断された。
俺を避けるように巨大な鉄塊が二つに分かれ、俺の横を素通りしていく。
そして、腹に響く重低音を轟かせながら地面へと沈んだ。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
静寂が辺りを包む。
誰も言葉を発しない。
デリックはハンマーを振り抜いた格好のまま放心したように硬直しているし、ルゥシールとエイミーは目の前の光景を理解出来ないといった風な、なんとも微妙な表情を浮かべ固まっている。
俺たちを取り囲むやじ馬たちも、呼吸すら忘れてしまったかのように静かに口をつぐんでいた。
……いや、早く褒めろよ。『強い』とか『かっこいい』とか『超ハンサム、素敵、好き!』とかって絶賛しろよ。
「………………凄い」
俺が焦れ始めたころになってようやく、ルゥシールがぽつりと音を漏らした。
その呟きを皮切りに、人垣の中から歓声が上がった。
「おぉーっ!」っと、興奮したような声があちこちから聞こえてくる。
うんうん、こういうのを待っていたんだよ。
気分もよくなったので、声援に応えてやろうかと振り返ったその時……
「 ウーリエ・ガズルエト―― 」
「 ラーラバード・イープリアル―― 」
呪文の詠唱が聞こえてきた。
後方から、ふたつ同時に。
向き直ると、デリックの後方、15メートルほど離れた先で、ジェナとフランカが並び立ち、俺に向けて手のひらを突き出していた。
直径20センチ程度の緋色の魔方陣がジェナの前に、同じく直径20センチ程度の灰色の魔方陣がフランカの前に展開されていた。
デリックの圧倒的不利を察して援護をするつもりらしい。
魔力が二人の体内から吐き出されるように溢れ出てくる。
淀みなく呪文の詠唱が進み、それにつれ魔方陣が輝きを増していく。
「 怒れる魂の咆哮、猛々しく誇る炎獄の支配者よ、弱きを蹴散らし強きを挫き、ボナコンの凶器を持ちて我が前に立ち塞がる駑馬芥を蹂躙しつくせ―― 」
「 黒き焔、混沌の弔歌、冥界よりの使者、果てることなき魂の追従者よ、禍なる者を、仇為す者を、常闇の地へ引きずり込め、ガルラの名の許に光を奪い去れ―― 」
考えるまでもなく、俺が避ければ放たれた魔法は観衆に襲い掛かるだろう。この人混みでは回避は出来ない。選択肢から排除する。
なにせ、俺は爽やかでかっこいい、頼れる男なのだから!
「 アリコ・スフェラ! 」
「 ゴヌーン・タァークル! 」
ジェナとフランカが魔法名を叫び、魔法を発動させる。
魔方陣が一層輝きを増し、その中から具現化した魔力の塊が吐き出される。
ジェナの魔方陣からは拳ふたつ分程の燃え盛る岩のような塊が、フランカの魔方陣からは煙のような不定形な影が怨嗟の呻き声を上げながら出現した。
弾丸のように発射された炎塊と、霧のように迫りくる禍々しい影。
俺は魔法の発動と同時に地面を蹴り、目の前で硬直しているデリックの懐に飛び込んだ。
それと同時に全体重を乗せた右フックをデリックの土手っ腹に捩じ込む。抉るように、突き出すように、デリックの腹の筋肉を押しのけて内臓を圧迫する。
「おっ……ごぉあっ!」
潰れたような声を漏らし、デリックの体がくの字に折れ曲がる。
力の抜けたデリックの膝をめがけてローキックを叩き込むと、デリックの無駄にデカい体が俺から見て左へと傾倒していく。
と、そこへ――
ズドンッ!――と、鈍い衝突音と共にジェナの放った炎塊がデリックの後頭部に炸裂する。
「のごっ!」
奇妙な声を漏らし悶絶するデリックの首根っこを掴まえて、今度は反対側へと放り投げる。
と、そこへ――
『ぬぁぁぁぁあああああああああぁぁぁぁ…………っ!』――と、気持ちの悪い悲鳴を上げる不気味な影が覆いかぶさる。
「ふっ………………ぞぉっごぁ!」
不気味な影に飲み込まれたデリックが、聞く方の背中に寒気を走らせるような悲鳴を上げ、そのまま気絶してしまった。
顔が土気色になっている…………フランカの魔法、怖ぇ…………
「デリックッ!?」
「……よくもっ」
倒れたデリックに声を上げるジェナとフランカだが……とどめ刺したの、お前らだからな。いや、まだ死んでないけども。
「……フルパワーで行くっ! ジェナ、あなたも」
「うん! わかった!」
二人が再び魔方陣を展開させる。
しかも、先ほどよりも随分と大きい。
同じ魔法でも、込める魔力の量が多ければ威力が増す。
ジェナとフランカは、持てる魔力をすべて注ぎ込むつもりのようだ。
魔方陣はどんどん広がっていき、どちらも直径1.5メートルほどの大きさにまでなった。
「ご主人さん!」
ルゥシールが俺の隣へ駆けてくる。
今にも泣きそうな顔をしている。
「逃げましょう! あの二人の強さは本物です!」
「俺らはいいけど、村の人たちは逃げきれないだろう」
「じゃ、じゃあ…………そ、そうだ! グーロの時みたいに、魔法を跳ね返すことは可能ですか?」
「いや、無理だな」
グーロの魔法のように核が剝き出しの単純な物であれば、触れてすぐに吸収することが出来るが、あの二人の魔法は核が魔法の中心部で保護されていた。
上位の魔導士になると、魔法の核を結界で保護することが可能になる。
魔法は核を破壊されると無効化される。そのことを知っていれば、当然の対応と言える。
ジェナもフランカも、一端の魔導士ということなのだろう。きちんと魔法の核を保護していた。
あれでは吸収出来ない。
「じゃ、じゃあ……っ!」
「落ち着け」
今にも泣き出しそうなルゥシール。
その顔を見た直後……俺の中で何かが弾けた。
自分でもよく分からないのだが…………自然と俺はルゥシールの頭に手を乗せていた。
おぉ……俺、何してんだ? 妙に恥ずかしいのだが…………
でもなぜか、俺の手はルゥシールの頭をゆっくりと左右に撫でている。
いわゆる『いいこいいこ』をしている。体が勝手に。そうしなければいけないかのように。使命感に急き立てられて。
うわぁ、髪の毛さらっさら。
あれ、なんでだ? 顔に血液が集まってきて……鼻血吹きそうだぞ…………
「……あ、あの…………ご主人さん?」
「あ、いや……その、あれだ…………心配するな」
「え………………は、はい。分かり、ました……」
ルゥシールが涙を引っ込め、頷いたことで、俺の手はようやくルゥシールの頭から離れた。
手のひらにほのかな温もりと、髪の毛の感触が残っている。
「ん、んん!」
撫でていた右手を軽く握り、口先に持っていく。
咳払いをするように見せかけて、感付かれないように手のひらの匂いを嗅いでみる。
うぉっ! なんかいい匂いが残ってるっ!
「あ、ぁぁああ、あの、あれだ! とりあえず、おぉぉ落ち着け!」
「急にどうしたんですか、ご主人さん!? 落ち着いてください!」
「大丈夫! 落ち着いてる! こんなの、どうってことない!」
勝手に早まる鼓動を抑えつけ、勝手に熱くなる頬を抓り、勝手にパニックを起こす頭を振る。
「ようは、あいつらに魔法を使わせなければいいんだよ!」
最大出力で魔法を発動させるつもりなら、呪文の詠唱に時間がかかるはずだ。
その隙をついて攻撃をすれば、詠唱は阻害され、魔法は発動しない!
魔導士最大の弱点だ。
「でも、ご主人さん。もうほとんど詠唱終わっちゃってますよ?」
「あぁっ! 余計なことで時間を食い過ぎてしまったぁ!」
『なんかいい匂いが』とかやってる場合じゃなかったんだ!
ジェナとフランカがこちらを見て邪悪な笑みを浮かべている。
魔方陣は、目も眩むようなまばゆい光を発している。
「 ……我が前に立ち塞がる駑馬芥を蹂躙しつくせ―― 」
「 ……ガルラの名の許に光を奪い去れ―― 」
二人が揃って、最後の言葉を紡ぎあげる。
もう時間がない!
俺は地面を蹴り、最大出力で駆け出す。
「ご主人さん!」
ルゥシールの声を背中に受けて、俺は並び立つジェナとフランカの間へと体を割り込ませる。
両腕を目一杯広げて、ジェナとフランカの腕を取り、逃がさないようにしっかりと握りしめる。
「残念ね! 手遅れよ!」
「……もう、魔法は止められない!」
後は、魔法の名を告げ、体内で高めた魔力を魔方陣へ注ぎ込めば魔法は発動する。
だが…………『魔力が魔方陣へと到達しなければ魔法は発動しない』!
俺は魔力をこの手で奪い取ることが出来る非常に稀有な存在だ。
それは、人の体内に宿した魔力であっても例外ではない!
俺は両手で掴んだ二人の腕を力任せに引き寄せる。
接近する二人の体に回転を加え、二人をまとめて背後から抱きすくめるようにして抱える。右腕にジェナ、左腕にフランカ。体が密着して、身動きを封じる。
だが、ジェナとフランカは余裕の表情で俺を見上げてくる。
「そんなことをしても!」
「……もう、遅い!」
ジェナとフランカの魔力が限界まで高まっているのを感じる。
人間の中に魔力は宿る。
それは、人間がこの世界の一部であるという証明。
人間が、この世界と繋がっている確固たる証拠。
生命力とも密接に関連している魔力。
そんな魔力が最も多く集まる場所。
世界と人間を繋ぐ、魔力の本流。その出入口、それは――
「 アリコ・……っ! 」
「 ゴヌーン・……っ! 」
ジェナとフランカが魔法の名を叫び、魔方陣へ魔力を送り込もうとする。
その前に、俺は魔力の本流に手のひらを密着させ、こいつらの魔力を根こそぎ吸収する。
「「――っ!? きゃああああああああああああああっ!」」
途端に、可愛らしい悲鳴がふたつ、同時に轟いた。
魔力の本流。
最も効率よく魔力を吸収出来る場所、それは、【心臓】だ!
というわけで、俺は左右の手それぞれでジェナとフランカの胸を鷲掴みにしている。
「な、なななななななっ何すんのさ、変態! この、バカ! バカバカバカっ!」
「……は、離せっ! 離してっ! はな…………ふぇぇぇぇ~んっ!」
勝気なジェナが目を三角にとがらせて罵詈雑言を浴びせかけてくる。
ドSだと思っていたフランカは、なんと少女のように声を上げて泣き出してしまった。
だがしかし!
何と言われても離さない!
お前らの魔力を根こそぎ奪い取るまでは!
……魔力の出が悪いな。ちょっと揉んでみるか。ふにふに。
「「いやぁぁぁぁぁああああああああっ!」」
ジェナとフランカの絶叫に後押しされるように、二人の魔力が俺の体内へと流れ込んでくる。
……うっ!
他人の魔力は、やっぱちょっと気持ち悪い…………
それにしても、凄い量だ。
この二人、相当レベルの高い魔導士なんだなと、改めて思う。
「ちょっとっ! 公衆の面前でなに破廉恥なことしてんのよ、アシノウラッ!」
遠くでエイミーが声を荒げている。
その隣ではルゥシールが、冷た~い目をして俺を見ていた。ドン引きな表情で。
「…………最低過ぎます」
「いや、ちょっと待て! こいつらの魔法を阻止するためだろうが!」
事実、完成間近だった二人の魔法は完全に霧散して消滅している。
「それを十分理解したうえで…………最低過ぎます」
評価が覆らないだと!?
「待て待て! いやらしい気持ちなんてこれっぽっちもないぞ? 俺はただ純粋に、村に被害を出さないように……」
と、その時、俺たちを取り囲んでいた人混みの中から、子供連れの母親たちの声が一斉に聞こえてきた。
「見ちゃいけませんよ」
「さぁ、もう帰りましょう」
「ああいう人には、ついて行かないようにね」
「お願いだから、あなたはあんな大人にならないでね」
「大丈夫よ、ママが守ってあげるからね。ほらほら、泣かないで」
……思ってもみなかった方向で被害が出ている気がする。
「……なぜだ」
計画はばっちりだったはずだ。
強い俺、爽やかな俺、かっこいい俺。
勝負がついたら絶賛の嵐だったはずなのに……
「って! いつまで触ってんのよ、バカバカバカァ!」
「……もう、お嫁にいけない…………くすん」
「おぉう、悪い」
動転していてジェナとフランカの胸を鷲掴んだままだった。
両手を離し、二人を解放する。
解き放たれたジェナとフランカは急ぎ足でルゥシールたちのもとへと走り去り、ルゥシールの背中に隠れてしまった。
……あれ、俺VS女子たちになってない?
「……ご主人さん。女の子を泣かせちゃダメですよ」
「いや、待て待て。先に攻撃を仕掛けてきたのはそいつらだろう」
「だとしても、もっと方法があったんじゃないですか? こんなに泣いてるじゃないですか」
なんでか、怒られている。完全に俺が悪者だ。
理不尽だ。
だいたい、ちょっと触ったくらいで……
「だいたい、ちょっと触ったくらいで……」
「ご主人さん、声が漏れてますよ。あと、ちょっとじゃなくてガッツリ揉んでましたからね」
「そんな正論、聞く耳持たんわ!」
「開き直り方がおかしいですよ!?」
「そもそも、ハンサムは何をしても許されるのが世の常だろう!?」
「…………え?」
おい、ルゥシール。なんだ、その間は?
「……あっ、あぁ、はい! そうですね! ハンサ…………味のあるお顔立ちだと思います!」
なんだ、その『気を使いました』みたいな反応は?
「あのさ、アシノウラ……」
エイミーが眉間にしわを寄せ、俺の前に立つ。
そうして、深い、とても深~いため息をついた。
「な、なんだよ!? 俺がハンサムじゃないっていうのか!?」
「………………」
「無言はやめろ、無言は! なにかリアクションは寄越せよ!」
エイミーは隣にいるルゥシールと顔を見合わせ、その後、後ろを振り返りジェナとフランカとも目を合わせ…………頭を横に振った。
おい、こら。
エイミー、ジェナ、フランカがしょっぱい表情をする隣で、ルゥシールだけが困り顔で必死に笑みを浮かべていた。
面倒臭そうに頭をかきながら、エイミーが『必死に言葉を選んであげてるんだからね』とでも言わんばかりの口調で俺に尋ねてくる。
「念の為に聞くけどさ、あんたが自分をハンサムだと思った理由を聞かせてくれない?」
「そんなもん、鏡を見れば一目瞭然だろう!」
「アシノウラ……狩りでお金が入ったら、本物の鏡をプレゼントしてあげるね……」
「哀れんだ目で俺を見るな、エイミー!」
そもそも、『本物の鏡』ってなんだ!?
むしろ『偽物の鏡』を見てみたいわ!
なぜか憐みの表情を浮かべて今にも泣き出しそうなエイミーを、ルゥシールが「よしよし」と慰めている。
そして、怪訝な表情のジェナが口を開く。
「お前が自分で確信している、かっこいいポイントをいくつか挙げてみてよ」
「まずは、愁いを帯びた寂しげな瞳」
「……『死んだ魚のような目』が、正解」
フランカが失礼なことを言う。きっと、負けた腹いせだろう。
俺は気にせず、俺のハンサムポイントを挙げていく。
「敵を射竦める鋭い目付き」
「……『目付きが悪い』が、正解」
「爽やかな笑顔!」
「……『何を考えているのか分からない不気味なニヤケ顔』が、正解」
「…………俺、足速いよ」
「……それでモテるのは六歳まで」
「それに、たった今証明したように、滅茶苦茶強い!」
「……だからこそ厄介。強い変質者は女の敵っ!」
……なんだか、泣きそうになってきた。
「あ、あの……フランカさん。お気持ちは分かりますが、そろそろウチのご主人さんが可哀想になってきたので、今回はその辺で……」
と、その時――
ルゥシールが俺をかばってくれた。
「ル、……ルゥシール…………」
ここ数年、いや、生まれてこの方、誰かに庇われたことなどなかったかもしれない。
母親も、俺にはずっと冷たかったし……
人の優しさって、こんなに温かいものなんだな……
うわ、ヤベ。今のルゥシール超可愛い。女神に見える。
なぜだか視界がぼやけ、俺は輪郭しか見えなくなったルゥシールにゆっくりと近付いていった。
「ルゥシールぅ……」
「あ、あの、ご主人さん……泣かないでください。反省、してますもんね? もう、しませんもんね? ほら、みんなもう怒ってませんからね? だから、泣き止みましょう。ね?」
優しい声をかけながら、ルゥシールが俺の目尻を柔らかい指で拭ってくれる。
俺、こいつを一生大事にしよう。
だから、もうちょっとだけ慰めてくれ…………
「俺、頑張ったのに……決闘、勝ったのに…………」
「そうですねぇ。急に言われてびっくりしましたよねぇ。でも、確かに勝ちましたもんねぇ」
「俺、強いもん……」
「強いです。超強いですよ。二つ名もらえるかもしれませんね」
ん?
あ、そうか。こいつには言ってないんだったな。
「いや、二つ名ならもうある」
「え、そうなんですか?」
ルゥシールが素で驚いた表情を見せる。
エイミーやジェナ、フランカもそろって目を見開いている。
そういえばデリックも驚いていたな……
「凄いです、ご主人さん!」
「お、おぅ、まぁな!」
ルゥシールの笑顔に、少しだけ気持ちが大きくなる。
悪い気はしないな。
俺も自慢しちゃおうかな、自分の二つ名。ルゥシールも凄いって言ってくれてるし。
「それで、二つ名はなんていうんですか?」
純粋な賞賛と興味を向けてくるルゥシール。
無邪気な顔が非常に可愛い。
今なら俺、ルゥシールを全肯定しちゃいそうだ。
ルゥシールにお願いされたのなら断れないなぁ。
俺は襟元をただし、自身につけられた二つ名を口にしようとした……の、だが。
……ん?
「あ……やばい…………」
「ご主人……さん?」
「…………………………………………出る」
「ご主人さんっ!?」
ルゥシールを見ていて気が緩んだのかもしれない……急に高ぶってきた。
腹の底から抑えきれないほどの凄まじい勢いで込み上げてくる。
「もう我慢出来ない……出ちゃう」
「え、えっ!?」
「もう無理! 出る!」
「な、『何が』かは分かりませんが、嫌な予感しかしないので、もうちょっと我慢してください!」
もう限界だ、出てしまう!
魔力が!
無理やり押し込めていた魔力が、逆流してきていた。
やっぱり、他人の魔力を長く体内へ留めておくことは出来ないらしい。
「無理だ! 出るぅー!」
「みなさんっ、逃げてください!」
ルゥシールの号令で、全員が俺から距離を取る。
次の瞬間。
ジェナとフランカから奪った魔力が俺の体から勢いよく流れ出ていった。
村に被害を出さないように、咄嗟に魔力の流れを上空へ向ける。
と、俺の頭上に直径50メートルほどの巨大な炎の塊が出現した。
「「「「えぇーっ!?」」」」
みんなが一斉に声を上げる。
ジェナは特に驚いているようだ。
俺が出現させたのは、ジェナの使った魔法で、しかもジェナのものよりも数十倍大きなものだったからだ。
パッと他の魔法が思いつかなかったので、咄嗟にさっき見た魔法を真似して使ってしまったのだ。そして、ジェナとフランカの魔力をすべて注ぎ込んだ結果、こんなサイズになってしまったのだ。
「詠唱も魔方陣もなしで…………」
「……しかも、なんて大きさなの…………」
「アシノウラが、魔法を……」
ジェナ、フランカ、エイミーと、各々に言葉を漏らす。
「ご主人さん、それ……どうするんですか?」
ルゥシールは、俺の頭上に浮かぶ巨大な炎塊を指さして青い顔をしている。
どうするって……どうしようもないな。
しょうがないので、俺は行き場のない炎塊を空に向かって打ち上げた。
凄まじい轟音を伴って隕石のようなものが空を昇っていく。
巨大な炎が辺りの空気を急激に熱し、目も眩むような眩い光をまき散らす。
辺り一帯が僅かな間高温にさらされた後、しばらくして、村に静けさが戻った。
あぁ……明日あたり大雨になるかもしれないなぁ。
俺は、天に昇っていく高エネルギーの塊が環境に影響を及ぼさなければいいなぁ、なんて考えていた。ほら、俺、世界にも優しいナイスガイだし。
と、フランカが顎に指を添えて、ぶつくさと何かを呟いている。
「……無詠唱、魔方陣無しで、即発動…………そして、巨乳好き……はっ! まさか!?」
バッと顔を上げたフランカが、俺を見上げて、わなわなと震え始める。
その反応で俺はピンときた。
「どうやら心当たりがあるようだな、俺の二つ名に」
「え、フランカさん、ご主人さんの二つ名知ってるんですか?」
フランカは幾分引き攣った顔で、こくりと頷いた。
それにルゥシールは食いつき、花が咲くように破顔する。
「教えてください、ご主人さんの二つ名を!」
「……そ、そいつの二つ名は…………」
期待に瞳を輝かせるルゥシール。ジェナとエイミーも興味があるらしく、フランカの顔を覗き込んでいる。
そして、フランカが俺を指さして、半ば叫ぶように言い放った。
俺の二つ名を。
「……【搾乳の魔導士】っ!」
「不名誉です! 不名誉な二つ名ですよ、ご主人さんっ!」
「そんなもん、俺に言われても知らん。文句があるなら付けたヤツに言ってくれ」
ある時期、やたらと強力な魔導士に決闘を挑まれ続けた時があり、その度に魔力を拝借して返り討ちにしていたのだ。そうこうしているうちに、そのような二つ名を付けられてしまったのだ。
盛大に自慢してやろうと思っていたのだが、やっぱ、どう考えても自慢しにくい二つ名だよなぁ……
「え、ちょっと待って……」
今度はジェナが俺を見上げる。
その顔は『嘘でしょ?』と、問いかけてくるような表情をしていた。
「搾乳の魔導士ってことは…………お前が、……マーヴィン?」
ジェナが、俺の『本名』を口にする。
「あぁ。そうだ。アシノウラは偽名で、本名はマーヴィンという。かっこいい名前だろう?」
俺の名を聞いて、ルゥシールは「あ、そういう名前なんですねぇ」と、どこか嬉しそうに頷き、エイミーは「へぇ、……ま、悪くない名前じゃない」と、そっぽを向きながら口元を緩めていた。
しかし、ジェナとフランカの顔はみるみる青ざめていく。
「マーヴィン、って…………マーヴィン・ブレンドレル……?」
「あぁ。そうだ」
ジェナが震える声で尋ねてきたので、素直に頷いてやる。
「ん? ブレンドレル?……って、どこかで聞いたような……」
小首を傾げるルゥシール。
一方のエイミーは気が付いたようで、「えっ!?」と、声を上げた。
「マーヴィン・ブレンドレルって、ことは…………お前、いやっ、あなたは……王子様!?」
「王子様っ!?」
ジェナの言葉に、ルゥシールが驚きの声を上げ、俺の顔を覗き込んでくる。
いや、ルゥシール。お前には以前教えただろう?
俺は『王子様と呼ばれてた』って。
すっかり忘れているようなので、改めて言っておいてやる。
「あぁ、そのとおりだ」
俺、マーヴィン・ブレンドレルは、ここ魔法王国ブレンドレルの第一王子。長男だ。
「もっとも、十歳の頃に国を追われて、王位継承権はとっくに失っているけどな」
俺は、家族に…………この国に捨てられた、王子なのだ。
10話目にしてようやく主人公の名前が出せました。
マーヴィン・ブレンドレル。
名前だけでも覚えて帰ってくださいね~。
いつもありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。 とまと