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どうも。先日助けていただいたダークドラゴンです  作者: 紅井止々(あかい とまと)
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1話 「どうも。先日助けていただいたダークドラゴンです」

「どうも。先日助けていただいたダークドラゴンです」


 深夜。

 俺の宿泊する宿屋に、奇天烈なことをのたまうおかしな女が現れた。

 

 ……ので、静かにドアを閉めた。


『ちょっ!? なんで閉めるんですか!? 開けてください! あーけーてぇー!』


 ドンドンとドアを乱打する女。

 やかましいことこの上ない。近所迷惑という言葉を知らんのか。


 ここ【オルミクル】は、ブレンドレル王国領のギリギリ圏内に位置する小さな村だ。

 村の西側には人を寄せつけない切り立った山々が控え、南と東は深い森に囲われている。北に広がる平野には、気持ち程度の畑と、ヤギなどの家畜を放牧する牧草地が広がっている。そんな辺鄙な場所を貫くように古びた街道が伸びている。この村と外界をつなぐ唯一にして非常に心許ない道だ。その街道の先も延々と荒野が続き、近隣に町や村、集落などもない。そんな立地条件から、このオルミクルには滅多に人が訪れない。観光するような場所もなければ、是非にも手に入れたい特産品もない。やってくるのは、この街の住人を目当てにした行商人くらいだ。


 そんな寂れた村の中で、しかも深夜なのだ、騒音には十分に注意してもらいたい。


 特にこの宿屋は僻地の寂れた農村に相応しく、非常に古くぼろい。そのため、壁もドアも薄い木製で音など筒抜けだというのに。

 おまけに宿屋の主人はムサイ男だし、従業員には可愛娘ちゃんの一人もいないし、料理も味気ない上にちょっと臭いし、そのくせ妙なところでぼったくるし、にもかかわらず宿泊客は金の無さそうなゴロツキがほとんどでお近付きになりたくなるような可愛娘ちゃんなど一人もいないし、ベッドも固いし、景色もよくないし、可愛娘ちゃんもいないし、おまけに可愛娘ちゃんもいない…………とにかく、質の悪い宿屋なのだ。


『可愛娘ちゃん率高くないですかぁ?』

「心を読むな、面妖なヤツめ! 貴様、もののけか?」

『声に出てましたし、【もののけ】っていうのがよく分かんないですけど、ダークドラゴンですよぉ!』


 ドアの向こうからアホ丸出しの声が聞こえてくる。

 声を届かせようとしてなのだろうが、語尾を伸ばしているせいでアホさ加減が倍増だ。


『とにかく開けてくださぁい! 話だけでも聞いてくださいってばぁ!』


 怪しい押しかけ行商人のようなことを言う。

 そうやって呪われた魔法アイテムでも押し売りするつもりなのだろう。


『だぁかぁらぁ、そんなことしませんってば!』

「だから、心を読むなと言っている!」

『だからだから、声に出てますってばぁ!』


 一人旅が長かったせいか、俺は無意識に思っていることを口に出してしまっているらしい。

「もう寝るかぁ」とか、「今日は何しようかなぁ」とか、確かに独り言が増えた気がする……もしかして寂しいのか、俺?


『でしたら、わたしの話を聞くことをお勧めします! きっとあなたの望みに合致しているはずですから!』


 またしても心の声を読まれ……いや、声に出してしまった俺の本心に対し、ドアの外の女はここぞとばかりにアピールをしてくる。

 こいつは、無視し続けてもドアの前から動かなそうだな。

 ずっとドアを乱打されるのも迷惑か……

 まぁ、いざとなったら叩き出してやればいいわけだし……


 俺は仕方なく、ドアを開いてやった。


「ありがとうございます! 話を聞いてくれる気になったんですね。あ、もしかして、わたしが待望の可愛娘ちゃんだからですかぁ? まいったなぁ、えへへ~」


 今、再びの、閉扉。


『冗談です! 軽いお茶目です! 開けてください!』


 ドアを開けると、女は額に汗を浮かべ、肩で息をしていた。


「わ、割と、冗談の通じない人なんですね……」

「で、お前は何なんだ? 俺に何の用だ?」

「その前に、お水を一杯いただきたいのですが……」

「一杯600Rbルーベンだ」

「高っ!? 渦巻きチョコパン六十個分じゃないですか!?」


 渦巻きチョコパンは、カカオが豊富に採れる我が国ブレンドレルの名産品だ。

 庶民の日常食に、そして冒険者の携帯食や旅行者のお土産としても好評の逸品だ。

 俺も愛食している。


「ぼったくらないで、お水くださいよぉ~。叫び過ぎて喉がカラカラなんですからぁ~」

「そうか。なら1200Rbだ」

「なんで値上げするんですかっ!?」

「需要があるなら物価は上がる。これは常識だ」

「常識の前に良識を身につけてください!」


 きゃんきゃんとやかましい女は、そうまくしたてた後で辛そうに舌を出した。

 空気中の水分でも吸収しようとしているのか……悪あがきにもほどがある。

 仕方ないので、俺は寛大な心で水をくれてやることにした。


「ふんぞり返ってますけど、これって宿屋の井戸水ですよね? あなた、これに一銭もお金使ってませんよね?」

「仕入れ値と売値は必ずしも比例するものではない」

「あなたがどういう人なのかが、うっすらと分かってきましたよ……」


 コップ一杯の水を飲み干し、女がジト目でこちらを睨む。

 まったく、理解出来ないな。

 俺には非難される謂れが一切ないはずだが。


「で、お前は何なんだ? 新しい病にかかった患者か?」

「病になんかかかってませんよ!」

「【私はダークドラゴンなんです病】ではないのか?」

「そんな病気ないですよ! っていうか、わたしは本当にダークドラゴンなんです!」


 そう言う女は、どこからどう見ても人間だった。

 腰まである黒髪は真っ直ぐで漆のような美しい艶がある。

 対照的に肌は透き通るように白く、触れるととても柔らかそうだ。

 そして、大きな瞳はくりっとしていてどこか間が抜けているようにも見えるが、力強い生命力を宿している。よく見るとまつ毛がやたらと長い。瞳の色は深い深い赤だ。

 短めのスカートの下からは健康的な太ももが伸びており、膝上まであるブーツに覆われた足先もきっとすらりと美しいのであろうことが容易に想像出来る。

 そして、特筆するべきは大きな胸!

 なんだこれは!? デカイなんてものじゃないだろう!?

 衣服に恨みでもあるのかと言うほどに突き出し、少しでも激しい動きをすればたちまちはち切れそうだ。

 そのくせ、腰のラインは細くしなやかで、そのまま尻にかけて緩やかな曲線を描いている。

 まぁ、端的にいえば美人だ。美女だ。美少女だ。

 歳のころは十六~七というところだろうか。

 とにかく、どこからどう見てもただの可愛い女の子にしか見えない。

 こいつがドラゴン?

 何の冗談だ。


「こんなにボン・キュッ・ボンなドラゴンがいるわけがないだろう」

「だから、今は人間の姿に変身しているだけで……って、どこ見て言ってるんですか、いやらしい!」


 微かに頬を染め、女は自身の両胸をかき抱く。

 それで隠したつもりなのだろうが……しかしながら、全然、まったく隠せていない。

 そもそも、腕のような細いもので隠すこと自体が無理なのだ。

 棒きれで雄大なる山脈を覆い隠すのが不可能なように。

 片方だけでも凶器と呼ぶに相応しい破壊力を持った物がふたつも並んでいるのだからその存在感たるや、言葉では語りつくせないほどだ。

 視線が自然と吸い寄せられるのも仕方がない。見るなと言う方が無理なのだ。

 しかも今、その巨大なふたつの膨らみは、女自身の腕により圧迫され、その形をダイナミック且つ官能的に変形させているのだ。

 なんて柔らかそうなのだろう!

「ぷよぷよ」……違う。

「ふゆふゆ」……違う。

「たゆんたゆん」……まだ違う。

「ばいんばいん」……もう一声、柔らかさが欲しい。

「ぽいんぽいん」っ!

 そう、「ぽいんぽいん」だっ!


「お前はダークドラゴンではない。ぽいんぽいんレディだ!」

「そんないかがわしい種族じゃないです! っていうか、ガン見はやめてください!」


 仕方がない。

 ガン見をやめてチラ見に切り替える。


「チラチラ見ないでください! 余計気になりますよっ!」


 なんと我が儘な女なのだろう。

 俺がこれほどまでに譲歩しているというのに。


「こ、こほん」


 俺が世の不条理に眩暈を覚え眉間を押さえていると、女が若干頬を朱に染めながら咳払いをする。

 そして俺を真っ直ぐに見据えると、改まった声で話し始める。


「わたしは、あなたに命を救われました。ですから、あなたに恩返しをするべくここまで来たんです」

「恩返し…………」


 どうしても視線が胸元へ行ってしまう。


「や、いや、あのっ…………」


 女は慌てた様子で再び胸を隠す。ばるんぶるんと荒ぶるふたつの大きな膨らみを必死な形相で捕らえ抱え込む。背を向け、背を丸め、背中越しにこちらを窺い見てくる。

 微かだった頬の朱色が色を濃くしていた。耳の先まで真っ赤だ。


「も、もちろん……恩返しをしようと決めた時から、その……そういう……覚悟は、して……いましたけど…………あの、わたし、割と長く生きてはいるんですが……つまり、その…………経験が…………ありませんで……その…………」


 ダークドラゴンを自称する割に色白な肌が、全身桃色に染まっている。

 よく目を凝らしてみれば、つむじから微かに湯気が立ち上っているようにも見える。

 心なしか、部屋の温度が微かに上昇したようにも思う。


「……で、ですので…………そ、そういう行為を、お望みになるのでしたら、もちろん……最善は尽くしお応えする所存ではありますが…………その代わり……」


 胸を抱き、背を丸めた女の肩がぷるぷると震えている。

 声は掠れ気味になり、こちらを見たり逸らしたりと忙しなく右往左往する目にはうっすらと涙が浮かんでいる。


「その、その代わりですねっ!」


 叫ぶように言って、女は勢いよく俺に飛びつき、両肩を力任せに掴んできた。

 真っ赤に染まる女の顔が目の前に急接近してくる。

 泣き出しそうな目で俺を見つめ、桜色の唇を目一杯に開いて俺に訴えてくる。


「責任は取ってくださいね!」

「じゃあいいや」

「…………………………………………………………………………え?」


 湯でも沸かせそうなほど赤く熱せられていた女の顔が、一瞬で熱を失う。


「だったら別にいい」


 真ん丸く見開かれた瞳が俺を見つめている。が、その目には何も映っていないようだった。


 確かに、こいつの胸はデカイ。そして柔らかそうだ。

 恩返しと称して好きにしていいのであれば三日三晩揉み続けてみたいほどには魅力的だ。

 が、それで責任を取れなどと言うのであれば、俺はそこまでがっついたりはしない。

 ……ただまぁ、多少未練は残るが。

 だがしかし、俺にはやり遂げなければいけない目標があるのだ。野望と言ってもいい。こんなことで枷を嵌められるわけにはいかない。

 ……そりゃあ、心残りではあるけどな。こんなぽいんぽいんは、そうそうお目にかかれないだろうし。

 だとしてもだ、今の俺は誰かを信用したり、誰かに依存することは出来ないのだ。信じるものは己の身ただひとつ。それほどまでに、俺の置かれた状況は絶望的なのだから。

 ……でもなぁ、一揉みくらいはなぁ……いや、せめて二揉み!

 でも! いや、だがしかし! と、みせかけて…………いやダメだっ! でもぉっ!


「あ、あの、なんで泣いてるんですか?」

「……うっ、ぐすっ……お、女には分からん苦悩が、男にはあるんだよ……っ!」


 俺は女の手を振り払い、くるりと身を反転させる。

 男は、背中で泣くものなのだ。

 …………勿体無いよぉ、勿体無いよぉ……

 しかし、俺の旅に女は必要ないのだ!


「揉みたいよぉ……」

「あの、声、出てますからね?」


 頬を染め、困ったような照れたような顔で女が覗き込んでくる。

 

 乱暴に涙を拭い、俺は平静を装う。

 同情などしてもらう謂れはない。別に、こいつが悪いわけではない。ただ単純に悲しくなっただけなのだ。寂しくなっただけなのだ。


「……知っているか? どんな貧しい子供でも、渦巻きチョコパンの味を知らなければ羨むことなどないのだ。それを、目の前にチラつかせるだけチラつかせて、美味しさを想像させるだけさせておいて、挙句に食べさせてあげないなんて…………お前は悪魔かっ!?」

「胸ひとつでそこまで思いつめないでくださいっ!……と、いうかですね……」


 途端にもじもじとし始めた女が、上目遣いで俺を見つめてくる。

 な、なんだよ。こいつ、こういう顔をすると割と可愛いじゃねぇか。

 けど、そんな程度じゃときめいてやらないんだからねっ!


「む、胸もさることながら、ですね…………その……その先は、望まないんですか?」

「その先……?」


 俺が聞き返すと、一層赤くなった頬を隠すように両手で押さえ、こくりと頷く。

 ふん。何を言うのかと思えば……


「お前は何も分かっていないんだな」


 呆れてものが言えないとはこのことだ。

 が、まぁいいだろう。教えておいてやる。


「胸から先に進んだら背中になって、揉んでも楽しくないだろうが」

「……え?」


 俺は両手で胸を揉むジェスチャーをして見せ、その両腕を先――すなわち、前方へ突き出してみせる。

 両腕が床と水平にぴんと伸びている。この体勢で揉める場所など、背中しかない。


「胸は柔らかいから楽しいんだ。背中を揉みたがるなど……ふふっ、特殊な性癖を持った変態だけだぞ」


 男の矜持を理解していない無知な女を嘲ってやる。

 まったく、初心(うぶ)にも程があるというものだ。

 そういえば未経験だとか言っていたか。なら仕方なかろうな、うん。


「…………純真(ピュア)、なんですね、あなたは」


 女の漏らした言葉に何か引っかかりを覚えたが、まぁどうせ大したことじゃないだろう。気にしないでおく。


「なんにせよ、俺は恩返しなど必要としていない。よってお前は何もしなくていい。今すぐ帰れ」

「それでは、わたしの気が済みません!」

「そもそも、お前を助けた記憶がないんだが?」

「覚えてませんか? 今から一年ほど前、グレンガルムの山の中で!」


 確かに俺は一年ほど前にグレンガルムの山へ行き、そこでダークドラゴンとエンカウントした。

 が、こんなぽいんぽいんではなかった。


「こんなぽいんぽいんではなかった」

「だから、声に出さないでください、そういうことは!」


 雄大な女体の山脈を腕で押さえ、女が頬を膨らませる。


「あの時はドラゴンの姿だったんです」

「じゃあ、ちょっとドラゴンの姿に戻ってみろ。思い出すかもしれん」

「それが……」


 途端に女の表情が暗くなり、声のトーンも落ちる。


「実は……わたし、もうドラゴンの姿に戻れないんです」


 肩を落とし、女はうな垂れる。

 さっきまではキラキラと輝いていた瞳が、今はくすんでしまっている。

 長く美しい黒髪も、艶を失ってしまったようだ。


「これを見てください」


 そう言って、女は身に纏っていた衣服の首もとを大きくはだける。

 もう少しで谷間が覗けそうだ……


「首です! 首を見てください!」

「『ち』の付く方の首か?」

「『ち』の付かない方の首ですっ!」


 言われて女の首へ視線を向ける。

 細い首から鎖骨にかけて、赤黒い痣のようなものがくっきりと浮かんでいた。

 奇妙な文字のようにも見えるこれは――


「魔方陣か?」

「はい。魔力を封じられています」

「誰にだ?」

「…………宿敵に、です」


 眉間にシワが寄り、(まなじり)を吊り上げる。

 しかし、口角は微かに震えていた。

 こいつの体が、その宿敵とやらを恐怖しているのだろう。

 ……名前を口にするのも憚られるのか。

 まぁ、いい。詳しく聞いたところで、俺には仕様のない話だ。


「ですので、大したことは出来ませんが、それでもわたしはどうしてもあなたに恩返しがしたいんです!」

「なんでそんなに必死なんだ?」

「だって、あなたは命の恩人ですし、それに……」


 女は何かを言いかけて、一度口を閉じる。

 瞼を閉じ、静かな声で言葉を発していく。


「『そんな、全部終わりましたみたいな顔してんじゃねぇよ』……」


 女が口にした言葉を聞いて、俺の頭の中に一年前の記憶が蘇る。

 そう。あの時、俺は傷付いたドラゴンを庇った。

 グレンガルムの山の中。二頭のドラゴンが戦っていて、片方はひどく傷付いていた。

 真っ黒な鱗をした傷だらけのドラゴン。そいつを襲っていたのは黄金色の鱗を持つ巨大なドラゴンで……恐ろしいほどに全身から魔力を放出させていた。

 そこで俺は、そいつらの間に割って入ったんだ。

 ただの気まぐれ……いや、傷付いたドラゴンを襲っていたもう一匹のドラゴンが気に入らなかったんだと思う。それで、金ぴかの方をぶっ飛ばしてやった。


 振り返ると、黒い方のドラゴンが傷だらけで生き絶える寸前みたいな顔をしていて……それも若干気に入らなくて……俺は言ったんだ。

『そんな、全部終わりましたみたいな顔してんじゃねぇよ』と。そして――


「『負けたままで悔しくねぇのかよ。意地でも生き延びてあの金ぴかに目に物見せてやれよ』」


 俺の記憶にある通りの言葉を、目の前の女がなぞっていく。

 じゃあやっぱり、こいつがあの時の黒い方――ダークドラゴン――なのか?


「『テメェは終わってない。たった今始まったんだよ』」


 言い終わると、女はゆっくりと瞼を開ける。

 唇をきゅっと結び、やや照れた素振りを見せてから、改めて口を開いた。


「嬉しかったんです、あなたに言ってもらった言葉が。わたしはまだ終わっていない……そう言ってくれたことが。それで、もう一度頑張ろうって思えたんです」


 柔らかい笑みを浮かべる。

 こんなにも優しい笑みを向けられたのはいつ振りだろうか。


「酷い怪我で動けなかったし、魔力を失って不安でしたけど……絶対、あなたに会って恩返しをしようって決めたんです」


 そうして、背筋を伸ばして真っ直ぐに俺を見つめてくる。


「だから、恩返しをさせてください。お願いします」


 腰を垂直に曲げ、女は頭を下げた。

 長い髪が前に垂れ、床に触れそうになっている。


「…………名前は?」

「え?」


 女は、俺の問いに一瞬きょとんとしたが、姿勢を戻してはっきりとした口調で返事をした。


「ルゥシール! ルゥシール・ディアギレフです!」


 ルゥシール、か。


 同じ種族に殺されかけるなんてことがどれほどの頻度で起こっているのか、俺には分からないが、まぁ……あんまり気分のいいものじゃないだろうな。

 ムカつくだろうし、もしかしたら酷く傷付いたかもしれない。

 そんなどん底から……輝きの消え失せた瞳をさらしていた絶望の淵から這い上がってきたってんなら、多少は評価してやらなくもない。


 もしそうなら、俺と同じ境遇だからな……


「恩返しと、お前は言うが……具体的に何が出来るんだ?」

「え、っと……身の回りのお世話とか……戦闘もそれなりには、たぶん…………あと……その…………そういうことも……」

「今言ったこと全部、本当に出来るのか?」

「…………そ、それは……」


 魔力を失い、慣れない人間の姿になり、こいつに出来ることなど限られているだろう。

 こいつにあるのは、強い意志だけだ。

 恩返しをしたいという。

 絶望から抜け出す原動力になったものへ真っ直ぐ進む――生きようとする――強い意志。


「で、でも、一生懸命頑張りますから! どうかおそばに置いてください! お願いします!」


 その意志さえあれば――


「ま、好きにすればいいんじゃねぇの」


 ――俺のそばにいる資格は十分あるだろう。


「…………いいんですか?」

「ただし、過酷だぞ」

「は、はいっ! ありがとうございます!」


 深々と頭を下げるルゥシールを見ながら、自分の甘さに苦笑が漏れる。

 誰にも頼らず一人で野望を成し遂げようとしていたはずだ。

 信頼も依存もしないと決めていたはずだ。

 それを曲げてまでこいつを受け入れたのはなぜだ?

 同情したのか?

 強い意志が眩しかったのか?

 馬鹿げている。

 絶望の淵にいたこいつに同情したって言うのなら、……それは俺自身が同情されるような弱い存在だと認めるようなものではないか。


 それは、少し……認められないな。


 なので、とりあえずはこういうことにしておこう。

 あのおっぱいは卑怯だ、と。


「よろしくな、おっぱいーる」

「ルゥシールですよっ!」


 あれのせいで心を乱されたのだ、と――








ご訪問ありがとうございます。


急がず、慌てず、滞らず、

のんびり更新していければと思います。


1~3話までは毎日更新予定。

以後、3日~10日くらいの感覚で出来ればなぁ、と思います。


今後ともよろしくお願いします。

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