呪いと罰
「スープの内容についての苦情は一切受け付けません」
調理場から少し離れた場所――食堂の長テーブルに向かい合って座る二つの人影。
その一方――グラセアスが一口、スープを口に運んだ所で、ピシャリともう一つの影、クルミナの鋭い声が響き渡った。
「……いや、俺は別に何も――」
「材料さえあればもう少し美味しいスープが作れたのですが……調理場の中をくまなく探してみても保存食しか見つからなかったのです」
そう言いながらクルミナは、握っているスプーンでスープの中に沈んでいる塊をつついてみる。
スープの材料を、と調理場を探したクルミナが見つけられたもの……
それは干し肉や干し芋など、保存食の定番とも言えるような食材ばかりだった。
「……俺はこのスープを美味いと思うが……」
言いながらグラセアスは更にスープを口に運ぶ。
それは決してお世辞などではなく、クルミナの作ったスープは具材こそ質素であっても、下味の付け方に長けているためしっかりとした――けれどどこか優しい味をしていて、本心から美味だと思えるものだった。
「……本当ですか?」
「こんな事で嘘を言っても仕方がないだろう」
半ば呆れ顔で呟くグラセアスの言葉に、クルミナは少しだけ機嫌を良くしたのか、口元をほころばせる。
「……そうですか……この材料で一国の王様にそう言って頂けるのであれば、私の料理の腕もなかなかですね」
そう言って、散々つついていた干し芋の欠片をパクリと口に放り込んでみる。
けれどスープの水分と熱によって多少柔らかさを取り戻してはいるものの、やはりまだ硬さが残っていて、クルミナは少しだけ残念そうにため息を吐いた。
と、同時にふと湧き上がった疑問を彼女はそのまま口にした。
「そういえば……グラセアス王は普段何を食べていたのですか?私が探した限りでは、まともな食材はほとんど―――」
「グラスだ」
「……え?」
「俺の名だ。近しい者は皆俺の事をそう呼んだ。お前もそう呼べば良い」
スープを飲む手を休ませる事なく、グラセアスはクルミナに向かって呟いた。
「俺はもう人から敬われるような人間ではないからな……王だなどと思わなくて良い」
「……そう……ですか」
『気を使わず楽に接して構わない』
要約すればそういった意味になるはずだが、呟く言葉の内容とは反対に、グラスの放つ空気はどこかピリピリとしているように感じる。
「……でも、せっかくですが私はこれまで通りグラセアス王、と呼ばせて頂きます」
そうして僅かに考えた末、クルミナが伝えたのはグラセアスの意に反する言葉だった。
「……何故だ?」
「私がこの城に来た理由をお忘れですか?中途半端に心を許し合ってしまったら、私の願いを貴方に叶えて頂くことは更に難しくなってしまうでしょう」
「…………」
クルミナの言葉に、グラスはスプーンを握る手を降ろし、口を閉ざしてしまう。
それは、口にせずともクルミナの願い受け入れるつもりがないのだという意志の現れだった。
そんなグラスの様子に、クルミナは少しだけ困ったように笑う。
「貴方は村に伝わっていた噂とはまるで違う方ですね」
「……どんな噂が伝わっているかは大体想像がつく」
『残酷。冷徹。近付く者総てを容赦なく凍てつかせる、悪魔の王』
まるで申し合わせたかのように、見事なまでにピタリと2人の声が揃った。
「――よくご存知ですね」
「時折誤って迷い込んだ旅の者が、あの広間の様子を目にして“噂は本当だった”と叫びながら飛び出してゆくのでな」
「嫌でも覚えてしまう、という事ですね」
「そういうことだ」
数え切れない程に見てきた光景を思い浮かべ、思わず苦笑いで肩をすくめるグラセアス。
ふと目を向けた窓から見える空は相変わらず厚い雲に覆われてはいたが、いつの間にか雪は止んだようで見える景色は鮮明だった。
「……貴方は、優しい方です」
「さっきも言っただろう。俺は……」
グラスの言葉を遮るように、クルミナはゆるゆると首を横に振り、静かに言葉を続けた。
「そんな優しい方に、私の都合を押しつけてしまって申し訳ありません……」
「そう思うのであれば、家に帰ったらどうだ?」
「――出来るのなら……」
「……え?」
「いいえ。なんでもありません。」
クルミナは相変わらず口元に笑みを浮かべていたが、その笑みはどこか哀しげで……泣いているように見えた気がした。
「……あの広間には、凍てついた人々が大勢いらっしゃるのでしょう?」
「あぁ。お前は直接見て居ないから解らないだろうが……普通の人間ならばあれを見てこの城に留まろうとはまず思わないな」
「さぁどうでしょう。」
クルミナはふふ、と、今度こそいつもの笑顔でグラセアスの言葉を受け流す。
話せば話す程に不思議な娘だ。
温かく穏やかな気配を纏いながら、その本心は霧のように掴みどころがない。
この娘ならばたとえあの光景を目にしたとしても冷静にそれを見つめ、やはり同じように願いを口にしたのではないかと思える。
単に肝が座っている、というのではない。それほどまでにこの娘の覚悟が本物なのだ。
「……凍てついた人々は……もう亡くなっているのでしょうか……それとも、氷の牢獄の中でただ深く眠っているだけなのでしょうか……?」
「……それは俺にも解らない。解った所で、俺は元に戻す術を知らない」
「え……?」
それまで微動だにしなかったクルミナが、グラスの言葉に僅かに揺らぐ。
「―――ひとつ言っておくが……お前がもし、ただの死ではなくあの者たちと同じ末路を願うのであれば……残念だが俺にその力はないぞ」
“私を殺してください”
そう願った彼女。
けれどただ死ぬだけならば何処でも、誰にでも出来る。
それこそ、自ら死ぬことも。
けれどそれでもなおこの城を――全て知った上で自分の元を訪れたのならば、彼女が求めるのはただの死などではない。
あの広間の人々と同じ。
自分を氷像にして欲しいのだ。
「……力がない……?それは……本当なのですか……?」
それまで独特の笑みでグラスの言葉をゆるゆると交わしていたクルミナだったが、今やそれまでの余裕は無くなり、驚きを隠せずにいるようだった。
「城外には、俺が悪魔の力で一夜にしてこの城を凍てつかせたと伝わっているようだが……あの広間の者たちとこの城。凍てつかせたのは俺ではない」
前日までなんの変哲も無く、平穏そのものだった城が、夜明けにはただ一人、王を除いた総ての者たちが誰一人逃げることも出来ずに城と共に凍てつき、氷像と化した。
その話を聞いた誰かが、ただ一人生き残ったグラセアスが総ての元凶だと。悪魔の力を借りて行ったのではないかと言い出した。
誰かが何気なく口にした仮説。それはいつしか真実として人から人へ。村から街へと広がっていったのだった。
「……何故否定しなかったのですか?否定して、正しい真実を述べて助けを求める事も出来るでしょう」
その通りだった。
それが自らの行った悪魔の儀式でないのならば――自らも被害者の一人であるのならば、総てを否定し、この城にかけられた呪いを解く為の助けを求めれば良い。
けれど彼にはそれは出来ない。
いや。【出来ない】のではなく、【しない】のだ。
「――これは……“罰”だから」
「……罰……?」
それは彼が自身に課せた誓い。
その誓いを守ってこそ、自分は生きる事を赦される。
「昔……俺が犯した罪への罰、だ」
だからこそ、この呪いを甘んじて受け入れた。
「…………では、誰がこの城と人々を……?」
クルミナの問いかけに、ふと見上げた窓。
空からは真綿のような白い雪が再び舞い降り始め、ほんの少し前まで視界が良好だったはずのその景色は、今や白く霞んでいた。
「正確に言えば、奴は城と人々に呪いをかけたのではない」
「……“奴”……?」
見えはしないと解っていたが、それでもグラスは小さく頷き、降り積もる雪に紛れて溶けてしまいそうな声でぽつり、と呟く。
「――その生涯で最も憎むべき対象……この俺に呪いをかけたんだ。――あの、魔女は」