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触れた温もり




夢を、見た。




しかしそれは彼にとって初めての事ではなく、何度も何度も繰り返し見ている夢だった。


あの、呪いと云う名の罰を与えられた18歳の誕生日から続く悪夢。

夢も現実も、もはや今の彼にとって何の違いも在りはしない。

見える世界はどちらも結局は同じなのだから。


残酷なまでに美しく、温もりを感じられそうな程に冷たい。


これからもこの無限回廊のような夢と現実を行き来して生き永らえていくのかと思うと、いっそ夢すらも見ない程に深く、深く眠ってしまいたいと願いたくなる。



その願いが現実になればいい。

諦めにも似た淡い期待を抱きながら、彼はもう一度目を閉じた――その時。



ガシャアァアアアン!!



彼がまどろみに飲まれるより早く、城内にけたたましい音が響き渡った。

その音の正体について大体の予想はついていたが、彼はため息と共にのそりとベッドから起き上がり、シャツの上に手近にあったガウンを羽織って音の聞こえた方へと階段を降りていく。


辿り着いた調理場では、クルミナが壊れた食器の横に座り込んでいた。

破片を拾おうとしているようだが、目の不自由な娘にそれは至極難しく、手を伸ばしてみても破片に触れることすら出来ずにいる。


「何をしている。破片ならば城内の者に―――」


言いかけて、彼は口を閉ざす。

そう。かつては身辺の世話をしてくれていた多くの使用人達がそこかしこに控えていたが、今やこの城に生きた人間は自分とクルミナしか居ないのだ。


「―――破片ならば俺が拾う。お前は退いていろ」


「あ、はい。ありがとうございます……」


クルミナは申し訳無さそうに立ち上がり、その場をグラセアスに任せる。


そして、やや待ってグラセアスが破片を片付け終えると、再び話しかけてきた。


「あのぅ……迷惑をおかけするついでですが……もし宜しければスープ皿を2枚取って頂けますか?」


「……スープ皿……?」


片付けに集中していて気付かなかったが、部屋の中にとても良い匂いが漂っている。

辺りをくるりと見渡すと、火にかけられた鍋がシュンシュンと蒸気を上げているのが見える。





「お前が作ったのか?目も見えぬのにどうやって……?」


「料理は小さい頃からやっていたので、カンで大体は。食器を取り出すのに手間取ってしまって……」


彼女の瞳は相変わらず包帯で覆われていて、その表情はほとんど見えない。

けれど笑いながら話すクルミナの全身を温かな気配が包んでいるのはよく解った。


「そうか。長年積み重ねた経験とは凄いものなのだな」


「そうですね……人は、頭で覚えた事よりも、身体や心で覚えた事の方がより鮮明に覚えているものですから」



グラセアスが皿を手渡すと、彼女は慎重に足を進め、調理台まで無事に辿り着くと慣れた手つきでスープを皿に注ぎ始めた。


グラセアスからは彼女の背中しか見えないが、その姿だけを見れば彼女が盲目である事が嘘のようにさえ思える。


「……ひとつ、訊いても良いか?」


「なんですか?」


「―――何故……お前は死を望む?」


「――………」


グラセアスの直接的な問いに、クルミナは瞬間的にスープを掬う手を止めた。


「……まだ、昨夜の【願い】の理由を聞いていない」




―――昨夜、唐突に現れ、願いを口にしたクルミナ。

自らを殺して欲しい、という彼女に、グラセアスは「断る」と、至極簡潔な答えを述べた。


それに対して彼女が返した言葉は「なら願いを叶えて頂けるまで、私は此処に居させて頂きます」という、こちらも簡潔な答えだった。


単なる張ったりかと思い、「好きにしろ」と突き放し自室に戻った結果、クルミナは本当に城の中で勝手に一晩を過ごし、こうして調理場で料理まで始めていたのだ。



「――ただ死を望むだけなら見えぬ眼でわざわざこんな場所まで訪れなくとも、何処ででも死ねる。それでもなお此処まで来た、という事はそれなりの理由があるのだろう?」


「………」


「言いたくない、か」


黙したまま何も語らない彼女の様子に、グラセアスは諦めにも似たため息をひとつ、吐いた。


「語りたくないのであれば、それでも構わない。だが理由も解らず命を奪う事は……俺には出来ない」


「……お優しいのですね」


それまで沈黙を通していたクルミナから、クスリ、と笑いが零れる。


「――優しくなど……ないさ」


「いいえ、貴方は優しい方です。だって、命の重さを知っていますから……」


「――……」


クルミナの言葉に、一瞬陰るグラセアスの表情。しかし盲目のクルミナにそれが解るはずはなく、彼女は再びスープを掬い始める。


そこから漂う温かい空気と匂い。

こんなものを感じるのは一体何年ぶりになるだろうか。

もう二度と、自分は温かいものに触れる事などないのだと思っていたのに……。


「はい、どうぞ!」


クルミナの声に我に帰ると、いつの間にかグラセアスの目の前にはずいっとスープが差し出されていた。


「これがグラセアス王の分です」


「あぁ……すまない」


慌てて差し出された皿を受け取ろうとする……が、しかし、グラセアスが手を伸ばすとその皿はすいっと引っ込められてしまう。


「……どうしてですか?」


「……え?」


「どうして謝るんですか?」


「…………?」


「誰かに何かをして貰ったら、謝るよりもお礼を言う方が嬉しいと思うのですが」


一瞬何を言われているのか解らず硬直してしまったグラセアスだったが、ようやくクルミナが言わんとしている事を理解する事が出来た。


「……なるほど。確かにお前の言う通りだな」


「同意して頂けて光栄です」


肯定的な言葉を聞き、口元に笑みを浮かべながらクルミナは再びグラセアスの前にスープを差し出した。


それを受け取る手の平から、温もりが全身へと広がっていく。

その温かさを両手でしっかりと感じながら、今度こそグラセアスはその言葉を口にした。


「――ありがとう……」






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