プロローグ
オリジナル小説一作目。
ファンタジーと呼べるほど剣や魔法が飛び交うお話ではありません。
どちらかと言えばちょっと哀しい童話のようなものでしょうか...
初めてのオリジナル小説で、読みにくさや分かりにくい描写が多々あるかもしれませんが広い心で読んで頂ければ幸いです。
無機質に静まり返った広間。
冷たく凍てついた空気は、その場に生命の存在を許さないかのように絶対の静寂を生み出していた。
天井には煌びやかな装飾を幾重にも施された、大きなシャンデリア。
床には金の糸で独特の柄を丁寧に刺繍された、鮮やかな深紅の絨毯。
そして壁に大きく設けられた、まるで大聖堂のような美しい薔薇窓。
かつては多くの人々が集い、笑い、そして沢山の言葉を交わしたであろうこの場所。しかしそんな過去など初めから無かったかのように今はただ、地の底にも似た不気味な冷たさだけが横たわっている。
もしも誰かがこの広間の中を覗き見たならば、【墓場】と形容するに違いないだろう。
いや、形容ではなく、そのままの意味として【墓場】だと口にする、と言った方が正しいかもしれない。
そう。ここは墓場なのだ。
この城に生きていた人間たちの、凍てついた墓場——
——コツ……
封じられた空気を解き放つかのように、総てが静止した広間の最奥——玉座から静かに立ち上がる一つの影。
天窓から差し込む月明かりが照らし出したその姿は、まだどこかに幼さを残したような青年だった。
この城の若き主であり、今やこの城で唯一、自由に動く事を許された青年。
その美しい銀色の髪は月明かりに呼応するように鈍い輝きを放ち、冬の夜空を映したような深い蒼の双眸は広間の中央へと向けられている。
青年は一定のリズムで靴音を響かせながら、ゆっくりと歩みを進めてゆく。
それを粛々と見つめる何十、何百の瞳。
彼らは嘆いているのだろうか。
それとも憤怒しているだろうか。
物言わぬ彼らの瞳はただじっと青年を見つめているだけで、その瞳の奥に隠された感情は読み取れない。
ふと、青年が生み出し続けていた足音が止まる。
歩みを止めた青年の前には小さな台座。更にその上には大きな金の箱が一つ。
青年は小さな銀貨を取り出し、箱の横にある隙間にそれを滑り込ませた。
カラカラと小さな音を奏でながら箱の内部へと落ちていく銀貨。
僅かな時間を経て、それはコトリ、と音を立てて受け止められる。
そして同時に、からくりの軋む音が響き、次の瞬間箱は美しい旋律を生み出していた。
箱の表面には窓のようなガラス戸。それを覗くと、中では大きな金色の盤がゆっくりと旋回し、その表面に突き出た細かい突起が次々と箱の内側の板のようなものを弾かせている。
凝った装飾と美しい造形に彩られたオルゴール。
作りはとても古いものではあるが、よく手入れがされているのか見た目には全く劣化を感じられない。
「——祈りの時間だな、ローザ」
誰にともなく呟く青年の声がオルゴールの音の中に静かに融けていく。
青年は静かに目を伏せると、閉じた瞼で月明かりを受け止めるようにして上空を見上げる。その姿は言葉の通り祈りのようでもあり、けれど懺悔のようでもあった。
目を閉じる直前に見えたのは、明かり取りのための天窓。
そこにはいつから降り出したのか、うっすらと雪が積もっていた。
あの雪は外の世界を一夜にして真っ白に染め上げるのだろうか。
どうせ白に染めるのならば、いっそこの城を永遠の白き闇に封じて欲しい。
響き渡るオルゴールの優しく儚い音。
どこか物悲しさを秘めたその音色はどこまでも澄んでいて、罪も呪いも、総てを癒やしてくれるのではないか。そんな風にさえ思えるほどだった。
オルゴールの曲自体はとても短く、旋律はほんの数分で終局を迎え、キリリ、とゼンマイの軋む微かな音を最後に、辺りは再び静寂に凍てつく。
凍りついた広間。
時を止めた空間。
動かない生者達。
その中心で、青年は祈る。
しんしんと降り積もる雪のように、ただ静かに。
祈ることで何かが救われる訳では無いことくらいは解っている。
けれど祈らずにはいられないのだ。
自らが犯した罪への懺悔を。
そして、眠りについた多くの者たちへの鎮魂を。
カタン。
ふいに聞こえた微かな音に、青年は祈りをやめて広間の奥に設けられた扉へと視線を向ける。
「・・・……誰だ」
ギィィイイィイイイイ……
青年の問いに答える代わりに響き渡る、扉の開かれる音。
それはまるで、凍りついた世界が再び動き出そうと、その身を軋ませる音のよう。
外に直接繋がったその扉がゆっくり開くと同時に、月に冷やされた空気がふわりと、粉雪を纏って広間の中へと吹き込んで来る。
やがて扉の向こうに見える、一つの影。
月明かりに照らされたそれは、逆光によって表情はうまく見えなかったが、小柄で細いそのシルエットから一目で若い女だと判った。
「こんな夜更けに女一人で……何用だ」
「……これは失礼いたしました」
青年の射抜くような視線を受け流すかのようにふわりと笑う影。
そのままぺこり、とその場でお辞儀をすると、改めて顔を上げて口を開いた。
「私は南のアルヴァスク村より参りました、クルミナと申します。貴方様がグラセアス王でいらっしゃいますね?」
「ああ、そうだ」
どこか芝居じみたような女の口調に警戒心を剥き出しにしつつも、青年・・グラセアスは問いかけに頷いてみせた。
10余年もの間、止まり続けていた空気が確かに動き出す。
その瞬間の訪れを感じたのか。
或いは単純に城への久しい来客をもてなしているつもりなのか……
『彼ら』はじっと黙したまま、二人の会話を見守っている。
影が扉から一歩踏み出すと、天窓からの月明かりがその表情を明らかにした。
その両の瞳を覆い隠すようにして巻かれた白い包帯。
あぁ。この女は目が見えないのか。
だから平気なのだ。
『彼ら』の姿を前にしても。
「失礼な事と存じつつ……しかし私は、グラセアス王にお願い申し上げたい事があり、此処まで参りました」
「……願い……?」
月明かりの下でよく見ると、クルミナは左手に長い杖を持っており、それを使って自らの足元の安全を確認しながら辿々しい足取りで一歩一歩近付いてくる。
その動きから、光の無い生活にはまだあまり慣れていないように感じる。
視力を失ったのは最近の事なのだろうか。
そんな事を思いながら、グラセアスはクルミナが近付いてくるのを待つ。
冷えた空気が広間を舞い、そして歩を進めるクルミナの足下へと絡みつく。
それは積雪によって冷やされた外気ではなく、【室内】で生まれた【レイキ】。
この広間だけではない。
この城はどこもかしこも、総てが冷気で満ちている。
「この城が“凍てつく城”と呼ばれる所以。」
クルミナは語りながら、尚もゆっくりと近づく。
その足元に凍てつく冷気を纏わせながら。
その耳に、声無き聲を聴きながら。
彼女には見えない。
けれど知っている。視えている。
この広間に居る、数多の臣下の存在に。
「城を・・城の人々も、総てを一夜にして凍てつかせた貴方に、お願い申し上げたい事があるのです」
クルミナの横に、小さな赤子を抱いた女が佇んでいる。
けれどその表情も身体も、総てが文字通り凍てついていて……驚きと絶望を孕んだまま、悲痛に歪んでいた。
見渡せば広間のあちらこちらに、所狭しと並ぶ氷像。
老いた大臣。
召使いの女。
年端もいかない子供。
中には夫婦、母子、幼い姉妹など、城に仕える者以外の人々の姿もある。
そのいずれもが、最期の嘆きの表情のまま・・……
カツ……
クルミナの持つ杖が、グラセアスの足下を小さく叩いた。
ゆっくりと顔をあげ、見えぬその眼で総てを視つめながら。彼女はその願いを告げる。
「・・・私を、殺してください」