第4話 朝旦満足
……チュチュチュ。
外から小鳥らしき鳴き声が聞こえてくる。
耳あたりの良い……どこかほっとするような鳴き声は、ゆっくりと深い眠りから浮上するように、俺の意識が覚醒させていく。
ふと、花のように甘く、柔らかい匂いが鼻孔を刺激し、閉じていたまぶたを開いた……。
「おっ!?」
眠気は一気に吹き飛んだ。――俺は動けなかった!
両腕、両足はまるで鉄の鎖で縛られたように身動き一つ取れなかった!
なんてことだ! 俺の胸に顔をうずめ、すやすやと安らかに眠る少女の表情からはとても創造しがたい強固さだ!
要するに俺は抱き枕になっていた――グレイスさんの抱き枕だ!
可愛い女の子に抱き枕にされるとか………………最高じゃないですか!!
――と朝から美味しいハプニングにテンションが一気に上がる俺だったが―――あれ? ちょっと苦しいです…………。
何気に締め付けが強かったりする。
この状態から抜けだそうと身動きを取るが……。
「う~~ん…………」
「くっ…………!」
逃さないとばかりに、力はさらに強くなった。
柔らかいし……凄くいい匂いだ…………ん?……息も苦しくなってきたぞ? 肺が圧迫されているだと!?
幸せな気分だけど苦しいから早く離れたい……知らなかったよ……こういうこともあるんだね。
「ちょ…………ちょっとグレイスさ~ん? 大変申し訳ないのですが、ちょっとだけ起きていただけますかぁ~~?? …………おぉっ!?」
俺は腕に少し力を強くこめ、彼女の両手を解こうとするが、もがく俺をグレイスさんは逃がさんとばかりに腕や足が抵抗する。
……コンコン。
寝ているグレイスさんとの格闘中に、扉をノックする音が聞こえ――。
……ガチャ。
扉からエルガルトが入ってきた。
「おはよう御座います。ノブヒコ様、もう起きて――――!? ちょ、ちょっと!? 何やってるのよ! グレイス!」
エルガルトは俺たちにの奇妙な状態に気づき慌てて駆け寄ってきた。
抱き枕状態の俺を解放しようとグレイスを揺すり起こす。
「グレイス! グレイス! 起きなさい! グレイス!」
「うぅぅ…………う~~ん? あ……あれ……? ガーちゃん?」
「もう! グレイス、何やってるのよ! 昨日部屋に戻らなかったと思えば…………いいから早くノブヒコ様を離しなさい」
「え……? きゃっ!? ももも…………申し訳ありません! ノブヒコ様!」
パッと飛び上がり、俺の身体を解放すると、恥ずかしさで赤く染まった顔でグレイスさんは頭を下げた。
苦しかったのも、ご褒美です! ありがとうございました!
「ははは……大丈夫だよ。グレイスさんって……いつもこんな感じなの?」
「はい……グレイスは眠るときに人に抱きつく癖があるんです」
「あう……すいません……。私、いつも抱き枕を抱いて寝ているものでつい……」
「あ~……やっぱりそうなんだ…………なんか可愛いね」
「あぅ…………」
グレイスさんは頬をさらに紅潮させ噴いてしまった。不本意で寝てしまったせいか、ところどころ寝ぐせも付いているのもまた微笑ましい。
寝るときに抱き枕がないと寝れないって言う人もいるみたいだしね。
俺は全然変に思わないけど、グレイスさんお気に入りの抱き枕はきっと二箇所にくびれができてるはずだ……そうに違いない!
彼女は噴いて下を向いているが、寝ぐせでところどころ跳ねているのが可愛く、ついつい目がいってしまう。
俺がじっと見ていたせいか、それに気づいたエルガルトが優しくグレイスさんの髪をなで、寝ぐせを直している。
「ほら……グレイス、寝ぐせがついてるわよ。もう……今からノブヒコ様の仕度の方をしたいのだけど……まず貴方の方が先みたいね……」
「あ! ……うぅ……恥ずかしい……ごめんね……ガーちゃん」
姉妹のようなやり取りにどこな和む。いいね……なんかこういうの。
「いいのよ。それじゃあグレイスの準備ができたら、ノブヒコ様の朝食の方をお願いね。……ノブヒコ様、お身体をサッパリされませんか? 私の方で入浴の準備ができてるのですが如何でしょうか?」
「あ、いいね。俺も風呂に入りたいと思っていたんだよ。エルガルト、お願いするよ」
「かしこまりました……では、入浴場へご案内いたします……グレイス、その後はお願いね」
「うん。まかせて!」
グレイスさんは元気よくそう答え、俺に向き直る。
「ノブヒコ様、度重なる失礼をどうかお許しください。大変に申し訳ありませんでした」
「いいよいいよ……そんなに謝らなくて。 ……別にちょっと苦しかっただけで……全然嫌じゃなかったし……むしろ得したというか……」
「はい?」
彼女は不思議そうな表情で、小鳥のように首をかしげた。
「あ……いや……あはは……まあ、それはこっちのことだから気にしないで……それよりも、朝食お願いします……」
「はい。かしこまりました。それでは、私はここで失礼します」
丁寧にお辞儀をすると扉の方に向かうが、扉のノブで手をとめ、少しの間が開き……彼女は再び振り向くと――。
「ノブヒコ様……もしよろしければ、私のこともエルガルトと同様にグレイスとお呼びくださいませんか?」
「え? どうしたの急に?」
「だめ?……でしょうか?」
残念そうな表情を魅せる彼女を見るのはちょっと心苦しかったりする。
理由はわからないけど、断る理由も無い。
「いや……別にいいけど……?」
「ありがとうございます! それでは失礼します」
彼女は嬉しそうな顔で部屋から退出していった。
「……何だったんだろう?」
俺が腑に落ちない様子にエルガルトが優しく微笑んでいる。
「ふふふ、ノブヒコ様はグレイスに気に入られたみたいですね」
「そうなの?」
「はい。グレイスは基本的に誰にでも優しい娘なんですけれど、ノブヒコ様は特に仲良くなるのが早いみたいですね。今回はいろいろと不手際があったみたいですが、あの娘はあれで優秀な侍女なんですよ?」
嬉しそうに彼女のことを話すエルガルトの蒼い目には、慈しみが感じられ、俺は一瞬ドキッとした。
女の子に気に入られるのは正直、嬉しい。でも……どこで好感を持ってもらえたんだろう? むむ……不思議だ……。
「そ……そうなんだ……ところでさ、さっき言ってた入浴場とやらに案内してくれない? さすがに昨日ので身体がベトベト気持ち悪いんだけど……」
「そうですね。それではご案内いたします」
二人で部屋を出ると、部屋の外は割と広い廊下?……というより回廊があり、エルガルトが前を歩いて先導してくれた。
後ろから付いて行って今更ながら気づいたんだけど、エルガルトって俺よりだいぶ背が高かった。俺が170センチちょいだから……それ以上になるか。
男としてはちょっとショックな感じもしたが、スラっとした後ろ姿のエルガルトにはこの高身長は相応しいとも思えた。
彼女の後ろをついて行ってしばらくすると、彼女は歩みを止め、目の前にある扉に手をかけた。
「こちらが入浴場になります。後ほど、お着替えをお持ち致しますので、ごゆっくりおくつろぎ下さい」
「わかった。ありがとう」
俺を部屋に案内すると彼女は軽く会釈をしその場を立ち去った。一人になり、入った部屋を見渡すと、どうやらここは脱衣所らしい。
銭湯で見たようなかごがいくつも置いてあった。……ここって日本式なのか?
「さ~て、いろいろとあったけど、とりあえずサッパリするかぁ~」
俺はかごを一つ取り、服を脱ぐと浴場の扉を開けた。
「おぉ……なんか新鮮だ……」
浴場には湯気が立ち込めていた。
脱衣所が日本式のようなら、浴場も日本のような銭湯を想像していたが……洋式? のような白い浴槽が部屋の中央に置いてある。これってバスタブかな……?
部屋の中を裸足でぺちぺちと浴槽に近づくと――。
……ガラガラガラ。
何やら俺の入ってきた場所以外で扉が開く音がした!
「「失礼致します!」」
――突然、二人の女の子が入ってきた。
「……へ!? えぇ!!」
――な、なんでここに女の子が!? しかも二人!?
俺は、とっさに大事で恥ずかしいけど自分ではちょっとは誇らしい場所を両手で隠す。
オタオタする全裸の男とは反対に、二人の女の子はニコニコしながら、無問題と言わんばかりに俺に近づいてくる。
二人ともグレイスと同様に黒と白を組み合わせた可愛らしドレスを着た侍女さん達だ。
「ノブヒコ様のお身体を洗う、お手伝いに参りました」
その内の一人の侍女がそう答えた。
お……お手伝い……?
え……もしかしてこの子たち俺の身体洗ってくれるの……?
「さぁ、ノブヒコ様、こちらへお入りください」
――マジか!
「あ……はい」
俺は言われるがまま浴槽に身体を沈める。ふぅ~~……湯加減もいいし……気持ちいい~~。 やっぱ風呂はいいね……。
「それでは私がお身体の方を洗わせて頂きます」
一人の侍女がそう言うと、何やら棒にスポンジが付いたようなものを取り出し、俺の身体を丁寧に洗い出した。
柔らかく、すごく肌にやさしい感触。これはかなり気持ちいい………………のだけれども、生まれてこの方、女の子に身体を洗ってもらう経験が無い俺にとっては……これは……緊張を強いられるんだ!
「こちらは頭のほうを洗わせて頂きますね」
もう一人の侍女は、銀色容器を取り出し、そこからネバネバした液体を手に取り……それを両手でこねて泡を作り……俺の頭を揉むように洗いだした。
じゃぶ……じゃぶ……。
こ……これは――。
――ちょ!! きもちいぃいいいいい!! なんというテクニシャンだこの娘は!? た……たまらん!!
「どうで御座いますか? お痒い所は御座いませんか~?」
「ああありませんよ~。無茶苦茶気持ちいいですよぉ~~」
「それはよかったです」
うふふ……と、微笑む侍女さんを眺めていると段々と緊張が和らいでいった。
そして、気が楽になり始めた瞬間――不意にスポンジ棒(命名)が“俺の”に触れた……!。
「おっ!!?? ちょ……ちょっとまって……タンマタンマ!! そそそこはいい……しなくていいよ……じ……自分でするから……」
もう一人の侍女さんに慌てて静止を求めた。これ以上は危ない……。いろいろ危ない……。
「失礼致しました。では、こちらをお使いください」
……と侍女さんは代わりに俺にミニスポンジ棒(命名)を手渡してくれた。
「ど、どうも……」
この侍女たちはやはりプロなのか、手慣れている。
男の裸を見ても動揺もせず……嫌がりもせず……ただにっこり愛想よく、俺の身体を洗い上げていった。
ただ……あまりの気持ちよさに、喜びを味わった“俺の”が覚醒してしまったため、洗い終わって待機している侍女さんの視線が気になり、浴槽からなかなか出れなかった……。
くそぉ……な……何たる羞恥プレイだ……。
……
…………
………………
「ふぅ~~。気持よかったけど……なんかどっと疲れた……」
二人の侍女さんには退出してもらい、なんとか恥をかかずに浴室から出て、俺は脱衣所に戻った。
正直、最後は恥ずかしすぎて気が緩まない入浴だった…………。
でも! アクシデントとか期待しちゃったけどね!――――――結局、何もなかったよ!
それから、多少のぼせた俺は、脱衣所に戻ると自分のスーツが畳んであるのを見つけた。
広げてみるとシワひとつ無く、綺麗に洗濯してあった。
「すげぇ……昨日の今日なのに新品みたいだ……クリーニングとかあるんかな?」
自分のスーツを着終わると、回廊に出る扉を開けた。
中庭が見える。朝日が差し込み、ひんやりした風が風呂上りの火照った顔にあたり心地いい。
中庭に出てみると、ベンチのような腰掛けがあるのを見つけ、俺はそこに座ることにした。
しばらく湯冷ましを堪能していると、後ろから誰かが近づく足音が聞こえてくる。
「ノブヒコ様」
「ん~? あ、エルガルト」
彼女は俺に声をかけると、回廊から中庭に入り、俺に近づいてきた。
「ご入浴はいかがでしたか?」
「あ……う~ん……あんな待遇初めてだったし……ちょっと落ち着かなかったかな……でも、かなり気持ち良かったよ。ありがとう」
俺は、自分が感じたことを正直に答えた。
「そうですか。喜んでいただけたのなら良かったです。ところで、ノブヒコ様、お腹はすかれていますか?」
「実は、めちゃくちゃ腹が減っていて……若干目が回りそう……」
そういや、昨日の昼から何も食べてなかったっけ……。そりゃぁ腹はへるわな……。
「それはいけません。早速朝食にしましょう。先ほどの部屋で朝食の準備ができておりますので、お部屋の方へどうぞ」
「やった!朝飯!」
……ぐぅうう
「ふふふ、お腹の方も返事をなさってますね」
「お恥ずかしい……」
「沢山ご用意しておりますので、たくさん食べてくださいね」
「有り難く頂くよ」
エルガルトと共にさっきの部屋に戻ると、テーブルには彼女の言う通り、すでに食事の準備がされていた。
「それでは、私はお食事の終わり頃を見計らってまた参りますので、ここで失礼いたします」
と俺に告げると、彼女は早々にその場を立ち去った。
そんな言葉を聞いているのかいないのか、俺は目の前の食卓に釘付けになっていた。
テーブルにはパンやスープといった洋風をイメージするような品だけでなく、見たことない果物が多く、実際に口にしてみると意外にも美味しかった。
あと、鶏肉のスープらしきものがあったが…………この世界って鶏肉使うのか?
そもそも鳥を食肉として使うのか? ……等々と疑問に思いどんな肉なのか聞いてみようと思ったが……怖くて聞けなかった……。
「ふぅ~~……食った食った……」
「たくさん食べてらっしゃいましたね。お味の方はいかがでしたか?」
起床時とは打って変わって身なりを整えたグレイスが自然な動きで空いた食器を下げた。
「美味しかったよ。ごちそうさま。この果物なんか特においしかったね。…………初めて食ったわ」
初めてなのは当たり前なのだが……俺はもっともらしい感想を述べ、まだ残っている変な形をした果物を手にとって見せた。
「それはアップナナという果物です。この土地に自生してよく取れるんです。お菓子のパイにすると、とっても美味しいんですよ」
「へぇ~。それはまた美味しそうだ」
「よろしければ、今度お作りしましょうか?」
「え? いいの? もし良かったら食べてみたいんだけど」
「もちろんです。楽しみにしていてください」
グレイスはとても喜んでいたそう答えた。その瞳はランランと輝いている。
ふむ、グレイスは料理もできるのか……ただのドジっ子侍女さんじゃないんだね!
と、そんな失礼なことを思いながら、三大欲求の一つを大いに満たすことがでた俺は概ね満足していた。
すると丁度その時、タイミングよくエルガルトが部屋に入ってきた。
「ノブヒコ様。お食事の方はもうよろしいですか?」
「うん。もういいよ。ごちそうさま」
「ご満足いただけて何よりです。これから本日のご予定の方をお伝えしてもよろしいでしょうか?」
「ん? 予定?」
「はい。本日の十の刻に女王陛下への謁見をお願い致します。それから――」
「ちょっと!……ちょっとまって! 女王陛下!?」
「はい。このフェルミエ王国の女王、レリア女王陛下ですが?」
「え? 俺が女王陛下にお会いするの?」
想定外な予定を告げられに理解が追いつかない。くっ! またか!
「はい。ノブヒコ様はこの後、直接女王陛下にお会いになり、陛下直々に今回の件のお話を伺うことになっております」
――ま…………マジかよ…………。
いきなり意味不明なハードルがぐんと高くなってドン引きしたが、しかし俺も社会人男子の一人。企業の社長に合うと思えばいいよね!
「そうか……そ……それなら会わずにはいられないな!」
俺はやせ我慢でそう答えた。
本当は――――無茶苦茶ビビってるけどね! だって一国の女王だよ? やっぱり一般サラリーマンには荷が重いぜ…………。
まあ…………エルガルトの話だと、女王に会いさえすれば俺がここにいる理由がわかるわけだし…………かなり文句を言ってやりたいが……さて……どうするか……?