第3話 回転木馬
「ようこそフェルミエ王国へ。お待ちしておりました。ご主人様――」
彼女は俺の前で跪き、顔を下げたままそう告げた。
ん? 絶対絶命のピンチを救ってくれたこの美女は今なんて言った?
ん? ゴシュジンサマ? ゴシュジンサマってご主人様のこと??
はて? 俺はいつこの人のご主人さまとやらになったのだろう??
「あ、あの~、助けて頂いて申し訳ないのですが、何方かとお間違えではないですか?」
俺は丁寧にそう答えた。
だって、主従の関係なんて結んだ記憶なんて無いし……正直、こんな美人にご主人様とか言われたら、浮かれずにはいられない。
――そうそう! 俺がご主人様だよ。 出迎えご苦労様! いや~、さっきは命拾いしたよ。ほんとにありがとうね。今度お礼に一緒に飲みに行かない? 俺、ここらへんの土地勘無いからさ~ついでに街とか一緒に案内してよ♪それにしても君、無茶苦茶可愛いね♪ 彼氏とかいるの?――。
な~~んて男の妄想全開で自惚れた上に、――あ、ごめんなさい。やっぱり人違いでした――とかだったら死ぬほど恥ずかしい!――いや、死ねるね!
だがしかし……俺の予想とは裏腹に、彼女は顔を上げ、首を横にふる。
「いいえ。間違いではございません。黒い髪に黒い瞳……異界の装束姿……まさに伝承に記された通り、あなた様が我々がお待ちしておりましたご主人様です!」
彼女はそう言い切った。綺麗に輝く蒼い瞳には確信が込められているのがよくわかる。
「そ、そうなんですか……」
――い、意味がわからん。納得しがたいが、とりあえず今は話に乗っておこう……。
「と、ところであなたは?」
彼女はすっとその場に立ち上がる。
「これは大変失礼いたしました! 申し遅れましたが私は、フェルミエ王国・ペイシェント騎士団所属3番隊隊長を務めております、エルガルト・アウフシュナイターと申します。ご主人様の身辺警護ならびに日常生活における補佐を任されております。以後お見知りおきを――」
彼女は俺に向かって深々とお辞儀をする。
エルガルト・アウフシュナイター。それがこの女性の名前みたいだ。
「え、エルガルトさんですね――。あの……おれ――私は、鳴月信彦といいます――」
俺はスーツのポケットから名刺を取り出した。
習慣というのは恐ろしい……。喋ると同時に自然と手が動く――。
「ノブヒコ様ですね。……? あの、失礼ですが……これは?」
エルガルトさんは不思議なものを見るような顔で目の前に差し出された名刺を見つめる。
「え? えと……ただの名刺ですけど?」
――あああれ? 俺何か間違えたか?
「名刺……。あ! これはノブヒコ様の世界で、自己紹介に使われるものですか?」
……俺の世界? 俺は気になる単語に突っ込んで話を聞きたかったが、グッとこらえた。まだまて! まだ慌てるところじゃない。
「そうですが……。あ……名刺とか使う習慣なかったですか? これは失礼しました――」
行き場を失った名刺を引っ込めようとした――が、素早く名刺が掴まれた。
「いいえ! すごく興味があります! これは……もしかして頂けるものですか?」
エルガルトさんは名刺の両端を両手でつかみ、何やら嬉しそうな表情で俺に許可を求めた。
「は……はい、よろしければどうぞ。これは相手に渡すものですから大丈夫ですよ」
「ありがとうございます!」
エルガルトさんの笑顔は凄かった。
くぅぅーー! な、なんて笑顔だ! 無茶苦茶可愛いじゃないか!
彼女は両手に取った名刺をまじまじを見つめている。
名刺一つでここまで興味を持たれるのは悪い気がしない。
機嫌がとれた今ならいける! 俺はそう確信した。――ああ、ここでやっと必要最低限のことは聞けそうだ。
「あ、あの~エルガルトさん?」
「あ、すいません! はい、何でしょうか?」
「いろいろお聞きしたいことがありまして――」
「ノブヒコ様」
先ほどの微笑んだ顔を少し引き締まり、心臓が一瞬跳ね上がる。――な、なにかマズかったか!?
「あ、はい!」
「ノブヒコ様は私の主人である御方なので、従者に対してそのような話し方ではなく、ノブヒコ様の普段の話し方で話してください。そのほうがノブヒコ様は話しやすいのではありませんか?」
な、なるほど……そういうことですか……。ご主人様は多少威厳を持たないといけないってことですよね。
「え? あ……そう? そ、それならお言葉に甘えようかな?」
「はい。ノブヒコ様はすこし肩に力が入ってるみたいでしたので、もっと気を楽にしてください」
「あ、ありがとう。それじゃぁ、早速で悪いんだけど――」
「はい。何なりとお申し付けください。」
……も、もう限界です。
「涼しい所に連れってって……」
俺は前のめりに倒れた。
「ノ、ノブヒコ様!」
この世界のこと。俺がここにいる理由。どうしてご主人様なのか……などなど、質問攻めにしてすべての回答を要求し、即刻俺を元の世界に返して欲しい! という強い気持ちはあるのだが――。
身体が限界を迎えた。
む、無念だ……。
しかし、限界直後、顔に何やら柔らかい物が触れた。あ~~、やわらけぇ~~。それになんか凄くいい匂いがする。
「……! ……! …………!」
彼女の呼ぶ声が聞こえてくるが、それも次第に遠くなり、俺は意識を完全に失った。
……。
…………。
………………。
……俺は自分のデスクでプレゼン資料に目を通していた。
――あと15分か。
大事なプレゼンだから先にトイレを済ませとおこうと思い、トイレに行った。
それから、オフィスに戻ろうとトイレの扉を開けたら、……戻れなかった。
自分の会社どころか、自分の世界に戻れなくなっていた。
気がついたら砂漠のど真ん中に立っていた。
一気に不安になり、反射するように走りだした。
――ここにいてはいけない!
一秒でも早くここから離れたかった。しかし、走っても走っても砂以外に何も見えてこなかった。
突然、地面が揺れ出し、自分の体をはるかに凌ぐ巨大なワームが目の前に現れた。
俺は逃げた。全力で逃げ出した。するとどうだろ……後ろを振り向くと何もなかったかのように、巨大ワームの姿は消えていた。
逃げ切れた!――と喜んだのもつかの間、急に足元が沈みだした。
俺は慌ててその場から離れようとしたが、片足を上げるたびに、どんどん深みにはまっていく。
もがいた。でも、もがけばもがくほど沈んでいく。
俺は両手で砂を掻いた。掻いても掻いてもきりがなかった。
そうしているうちにも身体はどんどん砂の中へ…………胸元……肩……首……ついに顔までたどりつく。
――フゥ!フゥ!フゥ!
俺は必死で息を吸い、空気を求めた!――が身体が重くなり、自由が効かなくなった俺は容赦なく砂の中へと引きずり込まれた……。
「!?」
俺は眼を見開いた。
心臓の鼓動は一気に跳ね上がり、吸えなかった息を深く吸い込んだ。
――こ、ここは? ベッドか? て……天井……知らない天井……。病院?
現状を知りたくて身体を起こそうとベッドに両手をつくと――。
――ぐわんぐわん! 強烈な頭痛に襲われた。
「いぃぃぃぃ……あ……頭が割れる…………うぅうう……」
両手でこめかみを抑えると少しは楽になる。吐き気は無いが気分は最悪だ。
最悪ながらも、現状を知りたかったので、痛みを我慢して周囲を一瞥した。
部屋の中は外が夕方のためか赤く照らされている。
照らされた部屋を見渡すと豪華な装飾品がいくつも目に映る。
そして、側面には大きなガラスの窓や扉があり、石造りのテラスがあった。
今自分の周辺を見ただけでこれだけは言えそうだ。
――確実にここは病院なんかじゃない。
俺はベッドから出ると外を確かめようとガラスの扉を押し、テラスへ出た。
そこから外の景色が目に飛び込んでくる。
右には夕陽で赤く染まった海が見える。左には森に覆われた山も見える。その麓にはさまざまな建物が街を形成している。
遠目でもわかる。石やレンガ造りでできた建築物……あれらの建物は日本じゃみられない……ということは――。
「ゆ、夢じゃなかのか……」
何だか体の力が一気に抜け、その場にへたりこんだ。、そして空を見上げると、夕陽で赤く染まっている。それがショックを受けた心にジワジワ染み込んでくる……。
石の柵に手を伸ばし、隙間から頭を出して下を見下ろしてみた。海面が見える。どうやらこの建物は海の上に建っているみたいだ。
ついでにそこから建物の左や右を確かめると、先端が三角すいのように尖った屋根がいくつも確認できる。
これで今いる場所がどんなところか、だいたいの目星はついた。でも、確信は持てない。
再び、視線を正面に向けると――。
……コンコン。
部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
……ガチャッ。
ドアノブが回され、入り口から一人の女の子が現れた。
「あ、起きてらっしゃったんですね。具合はいかがですか? 疲れによく効く薬をお持ちしたのですがお飲みになりますか?」
部屋に入ってきた女の子は黒いドレスに白いエプロンをかけた姿をしていた。これは――。
「あ、あの~」
「はい? 何でしょうか? ノブヒコ様」
……俺の名前を知ってる?
「あなたは……?」
女の子は手に持った薬を近くのテーブルに置くと、両手を前に置きお辞儀をする。
「はじめまして。私は侍女のグレイスと申します。ノブヒコ様の身の回りのお世話をさせて頂いております」
雪のように白いショートの髪がふわりと揺れる。青い瞳でにこりと笑う表情は薫る花のように可愛らしい。
純粋をイメージさせる透き通るような頬は夕陽のせいか赤く染まり、照れているようにも見えた。
服装からはそう――やっぱり。メイドさんだった。……あ、侍女さんか。
俺は引かれるように立ち上がり、彼女に近寄った。
「どうして俺の名前を?」
「はい。ガーちゃ――いえ、エルガルトの方からお聞きしております。いろいろ大変だったみたいですね。もう体調の方はよろしのですか?」
「え、あ、いや~ちょっと頭が痛いかな……」
正直なところ、だいぶ痛いけど……男の性だろうか……可愛い子の前なのではやせ我慢してしまうものなのだ。
「そうですか。では、こちらのお薬をお飲みください。頭の痛みにも効きますよ」
そういうとグレイスさんはやさしく俺にコップを渡してくれた。
コップに入った薬を受け取ると、何やら濃い緑色の液体が入っている。これは本当に飲んで大丈夫なのだろうか……?
その気持ちを察してかグレイスさんはにっこりと微笑んだ。
「大丈夫ですよ。毒なんか入っていませんから」
「そ、そうですよね。あははは……。では有り難く頂きます」
彼女の安心するような笑顔に警戒心は弱まり、俺は意を決してその薬を一気に飲み干した。うっ! 良薬口に苦しとはいうがこれは…………なかなかに凄く不味い。しかし――。
「あ……あれ? 頭痛が消えた……? こ、これ……すごいね!」
起きてからずっと続いてた脳内を蹴り上げるような痛みは、一瞬にして消えてしまった。
「ふふふ。恐れ入ります。その薬は――」
突然、彼女の次の言葉を待たずに俺の視界が反転した。
「あぐっ……」
俺は急激な脱力感に襲われ、コップは床に転げ落ち、その場に膝をついた。
「ノブヒコ様! だ、大丈夫ですか!」
グレイスが慌てて駆け寄るが、彼女の言葉が遠くなっていく。
「こ……これ、やっぱり毒なんじゃ……」
「そ、そんなはずは……」
彼女は床に落ちたコップを手に取り、くんくんと何やら薬の匂いを嗅いでいる。
でも、においではわからなかったのか、コップについた液体を指ですくって舐めた。
「あ………………」
「………………」
数秒の間が簡単に答えを教えてくれる。
「申し訳ありません…………これ即効性睡眠薬でし…………た」
パタッ。グレイスさんはその場に横になって眠ってしまった。
オォ……ナニシテルンデスカコノコハ……。
「マ…………ジか……よ……」
パタッ。俺も続いて横に倒れた。
意識が途切れる最後の瞬間に俺は思う――ど、ドジっ娘侍女かよ! ……と少し優しい気持ちに慣れたのだった。
何かあれば、ご指摘のほどよろしくお願いします。