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姫様と魔法使い ~中編~

「暴れないでね、落っことされたら嫌でしょ。」


驚きのあまり身を固まらせるミシェルをよそに、ステファンと名乗る青年は次なる行動に出た。

ミシェルを抱き上げ、肩に手をそえるよう促した。まるで小さな子供をあやすかのようなその体勢に、ミシェルは恥ずかしくなった。


「しばらくこのままでいて?片手を使えないと不便だから。」


右手を空けたステファンは、ふわりと見えない何かを呼び寄せるように、手をゆったりと動かした。

しばし、しんと静まっていた空気が震えたと思えば、ステファンは空中にいるとは思えない素早さで飛び上がった。


「きゃっ!」


落ちる!と覚悟を決めたにも関わらず、着地したのは柔らかな生き物の背。


「なにっ!?」


「なにって、空飛ぶ犬…?」


平然と言うステファンの首にすがり、ミシェルは凄まじい速さで過ぎ去る周りの景色に眩暈を覚えた。

視線の先、進行方向とは逆に向くミシェルの前方には、太く大きな箒のような生き物の尾がゆらゆらと揺れている。金色に輝くそれは、風の波も受けて大層綺麗だが、それは今の状態では呑気にそんな事を眺めていられない。なにせ、この生き物(彼は犬と言ったが)の背中は、お世辞にも乗り心地が良いとは言えないからである。


「気持ち、悪い…。」


「えっ?」


「吐きそう…っ。」


「えぇっ!?」


うえっと右手を当てるミシェルに、ステファンは待ったと掛けるが、待てと言われて待てるわけがない。

ミシェルが朝食のほとんどを彼の肩から背中にかけてぶちまける中、ステファンは早口で理解出来ない言葉を唱えた。すると、二人の周りを柔らかな光が包み込んだ。具合が悪いのもあり、ミシェルは目を瞑ると意識を手放した。



どこからか、活気の良い声が飛び交っている。

ぼんやりと目を開けると、木の板が視界に入ってきた。瞳を瞬いて視界がはっきりすると、やけに天井が近い事に気が付いた。むき出しの木の天井に驚いて、ミシェルは勢い良く起き上がった。


「…どこ?ここ。」


混乱する頭をどうにか働かせ、キョロキョロと辺りを見渡した。部屋には明かりがついていないが、すぐ右横にあるさほど大きくない窓から差し込む光が、部屋を明るくしてくれている。上を向けば、木の柱がむき出しで姿を現しており、片方は高くミシェルがいる方に向かって低くなっている。いわゆる、天井裏というやつなのかとミシェルは納得した。それに、物置のような物の溢れかえりように、寝室とは思えない。

驚きを隠せないミシェルだが、不意に外から聞こえた怒声にびくりと身を竦ませた。

野太い男性の口論は、窓の外から聞こえる。


「…喧嘩?」


引き寄せられるように、すぐ側にある窓へと身を寄せる。膝立ちをして丁度の位置にある窓は、見物をするには便利な場所にあった。窓に両手をついて顔を近づければ、階下にいる人だかりが見えた。

体格の良い男性が二人、見合っており、何やら言い合っている。周りの人達は、二人を囲むように輪を作って見物しているようだった。


「…誰か止めないと。」


ハラハラと見守るミシェルを余所に、二人の男性の喧嘩は勢いを増し、殴り合いの喧嘩へと発展した。

殴り、殴られ。

見てるからに痛そうな殴り合いだが、周りの見物客達は止めるどころか、声援を送り二人を煽っている。


「なんて野蛮なの…。」


目の前の出来事に衝撃を受けつつ、寝台に座り込んだミシェルは、視線を落とした先にある自らの姿に驚愕した。


なんと、下着一枚であるのだ。


信じられないと悲鳴をあげ、薄い掛布を体に巻きつけた。

怒りで真っ赤になりながら寝台の上に仁王立ちになって、頭を天井にぶつけた。


「………うぅ。」


後頭部を右手で抑え、のろのろと寝台を降りて戸口に向かった。打ちつけた頭は酷く痛むが、まずはあの魔法使いに一言文句を言ってやらなければ、気が済まない。

とってつけたような木の戸を開け、廊下に出た。

廊下も寝室と同じようにガラクタらしき物が天井まで積まれ、少し当たっただけで崩れ落ちてきそうだ。

左右に積まれたガラクタの僅かな隙間をそろりそろりと縫って行く。途中から急な階段になっていて、ゆっくりと足元を確認しながら階下に降りる。

無事に急な階段を降りきり、屋根裏よりかは少しマシな廊下を見渡した。右側は灰色の壁が続き、それに沿って視線を前に向けると深緑の戸口が一つあった。先ほどの魔法使いは恐らくそこにはいないだろうと、左手に一つある扉もない部屋へと足を踏み入れた。

その部屋は、小さな居間で左側は硝子張りの一面窓硝子だった。硝子の向こうには、道に突き出た小さな場所に、ミシェルの服がはためいていた。


「なっ!?」


まるで外を歩く人に、見せびらかすような干し方で、頭に血が集まるのがわかった。


「ちょっとっ!!」


「なに?あぁ、起きたの。服、上に置いておいたでしょ?それ着れば良かったのに。」


大きな声を張り上げれば、窓とは反対側の扉が無い部屋から、ひょっこりとステファンが顔を出した。


「あんたねぇ~。」


あまりの怒りと恥ずかしさで、上手く言葉にならないミシェルを放って、ステファンは何を怒っているのだと肩をすくめた。


「お腹空いたの?生憎、オレンジジュースしか家にないんだ。搾りたてで美味しいよ。」


飲む?と、手に持っていた大ぶりの取ってが付いた白いカップをミシェルに差し出してきて、そう言った。

その呑気さに、怒りが再び込み上げるのがわかったが、大きく息を吸い込んで気持ちを落ち着かせた。


「…とにかく、オレンジジュースは要らないから、私の服を返して。」


「まだ濡れてるよ?さっき、洗ったばかりだから。僕の服を着なよ。」


「あなた魔法使いでしょう!?洗濯物を乾かすぐらい出来るんじゃないの?」


オレンジジュースを口に含みながら部屋を移動するステファンに、思わず噛みつくと彼は少し驚いたようにミシェルを見た。


「なによ。」


「いや、君が魔法を使えって言うなんて、思いも知らなかったから。」


意外だと笑うステファンは、居間の肘掛け椅子に座りながらミシェルを見やった。


「グアリン国唯一の姫様は、魔法使いがお嫌いで有名でしょ。」


好意をその灰色の瞳に映してこちらを見やる彼に、ミシェルは睨みをきかせて言った。


「えぇ、嫌いよ。魔法使いなんて大っ嫌い!だから、あなたの妻なんかにならないわ!」


「…初対面でこんなに嫌われたのは初めてだな。」


困ったと笑う青年に、ポツリともう一度呟く。


「魔法使いなんて嫌いよ…。」


「知ってるよ。…あなたが嫌いな魔法使いは、僕の父なんだから。」


静かに答えたステファンの言葉は、ミシェルを動揺させるのに充分だった。


「あなたがっ。あなたの父親が、あの時の…?」


「エンブラム・クィンシー。正真正銘、僕の父さ。」


途端、ミシェルの瞳が本気の怒りへと変わった。


「あなたの父がっ、あんたの父親が、母さんを!」


駆け寄って振り上げた拳は、易々とステファンに掴まれて拘束された。


「離してっ!殺してやるっ、お前も、お前の父も!」


「殺して気が済むの?だけど、残念。…父は死んだよ。」


真っ直ぐ見上げてくる灰色の瞳が、心を射抜いてくるようで怖かった。

抵抗を止めたミシェルを抱き込むと、さらにステファンは言った。


「…変わりに、僕を殺してみる?そしたら、君の気が済むのかな。」


びくりと体を揺らしたミシェルを腕に収めながら、ステファンはそっと瞳を閉じた。


ステファンの父、エンブラム・クィンシーは、流れ者の魔法使いだった。自ら魔法使いだとは言わない彼は、闇の暗殺を受け持つ仕事をしていた。魔法使いとして生きて行くためには、汚い仕事も当たり前で。そんな父をステファンは毛嫌いし、父もステファンにこんな仕事を継がぬよう釘をさしていた。

そんな彼の父の最後の仕事が、当時正妃だったミシェルの母の暗殺。

まるで、水を得たような魚のように仕事をする父は、どんな暗殺の仕事も簡単にやってのけた。

目撃者は出さず、証拠も残さず。

それが、この時ばかりは違った。


まず、当時12歳だったミシェルが母親の側を離れなかったこと。護衛が情報よりも多かったこと。

出来るだけ人に離れた隙を狙うが、なかなか機会は訪れず、依頼人からは早くことをすませろとせっつかれた。


仕方ないので、母娘おやこ共々狙うことになってしまった。

人々が寝静まった真夜中に、そっと気配を消して、寝室に忍び込んだ。


「かあ様…?」


魔法で気配を消しているにも関わらず、目を擦りながらこちらを見つめるのは、錆色の髪と深い緑の瞳を持つまだ小さな少女。それこそ、髪と瞳は同じではあるが、対象が違う。

つまり、部屋を間違えたのである。

少女には悪いが、トドメを刺すしかなくなってしまった。

そっと胸元から短剣を抜き出し、狙いを定める。


「…魔法使いさん?」


「そうだよ。…ごめんね、お嬢ちゃん。」


きょとんと見つめるまだ小さな少女に短剣を振り上げた。

しかし、それは脇から出てきた人物によって突如、阻止されてしまった。


「っ!?」


「エンブラム!」


小声で、しかししっかりと相手に伝わるその声は、彼がよく知っている人物だった。


幼き頃によく遊んだ、お転婆の少女が、母となり彼の前に立ちはだかっていた。


「…あなたが狙っているのは、この私でしょう!」


娘は関係ないと背後に庇う姿は、それこそ母親のもので。


「顔を見られた。…娘も殺せとの依頼でもある。」


邪魔な者は殺せ。


ぎりりと歯を食いしばり、立ちはだかる母親を見やった。


「…お願い。ミシェルは、娘だけは見逃して。エンブラム。」


実の娘を庇うのは、母親として当然のことだろう。しかし…。


「…駄目だ。見逃せない、すまない。…アリー。」


懇願する母親に、そっと右手を伸ばした。


「…お願い、エンブラム。この子は、あなたの事を喋ったりしないから。私の、たった一人の家族なのっ。」


家族と聞いて、自分を嫌う息子の姿が浮かんだ。確か、五つになったステファンは、生意気にも大人顔負けの口調を喋る。

小さくため息をついた彼は、泣きそうな母親を見やって折れた。


「…わかった。娘だけ、見逃してやる。だが、アリー。君は見逃すことは出来ない。」


そう言う彼に、泣きそうな顔をしていた母親は穏やかに笑った。


「わかってるわ。…ありがとう、エンブラム。」


出来る限り安らかな死を。死の魔法の内、苦しみがないものを選び、彼女にかけた。

力を失ったように床に倒れ込んだ母親からは、鮮やかな血が止めどなく溢れてきた。


「…かあ様?かあ様、かあさまっ。」


様子がおかしい母親に駆け寄り、真っ白な寝着が汚れることも構わず、娘は母親に縋って揺すった。


「無駄だ。…もう死んでいる。」


無情に言い放つ彼に、涙で濡れた頬を上げて言い放った。


「うそぉっ、うそよっ。どうしてかあ様が死ななくちゃいけないのっ?返して、返してよ!母さんを返してっ。」


大きな声で泣く娘に、背を向けると小さく尋ねた。


「…ミシェルと言ったな。」


返事はなく、すすり泣く声だけが部屋に響いている。


「…私を憎め。私が居なくなれば、魔法使いを憎めばいい。そして、許すな。良いな、忘れるな。」


言い聞かすように、それだけ言って。彼は静かに、姿を消した。

城の者が異変に気がついたのは、なかなか起きてこないミシェルに、侍女が部屋を訪れた翌朝のことだった。

母親の血の海に、真っ白な寝着を母の血で染めたミシェルが、呆然と座り込んでいたという。


家に帰って来た父は一言も口を利かず、酷く疲れた様子だった。数日経って父は体を壊し、彼女の後を追うかのように息を引き取った。

その時、寝台で横たわる彼が、息子のステファンに話を伝えていた。


依頼人は、現王妃の公爵令嬢。元は、彼女が王に嫁ぐはずであったが、ふらりと訪れた異国の地にて、恋に落ちた女性を王妃に据えてしまった。それが、ミシェルの母、アリシャであった。彼女は既に結婚していたが、夫は亡くなっており、母一人でミシェルを育てるのには無理があった。慈悲深い王は気の毒にも思ったらしい。

しかし、怒ったのは公爵令嬢だ。自分が王妃になるために、ステファンの父に暗殺を依頼した。

彼は、息を引き取る前にこう言っていた。


「ステファン、この国が成り立つ為には、異国民の…さらには子連れの王妃が上にいては駄目だ。あの子には悪い事をしたが、ああするしかなかった。だからな、ステファン。勝手なことを言っているのは分かっているが、私が死んだら魔法使いとして、詫びてはくれんか。」


まだ母が恋しい年頃の子の、目の前で殺してしまった。

泣き叫ぶ少女の声と、二つの瞳。忘れた日は無かったという。


その時は、何を勝手なことをと怒りを覚えた。父が死んでから、簡単な葬式を上げて考えた。父が言っていたミシェルという王女に、会って見ようと思ったのだ。

死因を調べるために遅れていた王妃の葬儀に、身分と姿を変えて潜り込んだ。

厳かに進む、暗く静かな葬儀の中、黒に身を包む彼女を見つけた。涙一つ見せない彼女を見て、不謹慎ながら綺麗だと思った。

気づけば、そのときに既に恋に落ちていたんだと思う。

その後も何度か足を運んだが、会えたのはその一度きりだった。

また会いたい、そんなことを思っていたら、国の宰相がやってきた。どうやって見つけ出したのかは知らないが、なんでも宮廷魔法使いになって欲しいという。

返事を渋っていると、宰相は条件はなんでも叶えると言ってきた。これさいわいと王女との婚姻を条件に出した。


腕の中にいるミシェルが身動く気配に、そっと目を開けて言葉を口にした。


「…愛してしまったんだ。君を。」



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