姫様と魔法使い ~前編~
序章を入れ、全四話の読み切りの物語です。
呆然と佇むミシェルに、宰相はそういうことですのでと話を畳もうとした。
「ちょっとお待ちなさい!」
いいな、いいなと(全くもってどこがいいのだと思うほど)しつこく繰り返す弟を引き離し、カツカツと王座に向かって歩みよった。
「一体、どういうことですか!ちゃんと説明してください。お父様、私はあれほど魔法使い殿にだけは絶対嫁ぎませんと言っていましたよね?」
たいそうな剣幕のミシェルに、国王はうろたえ、側にいた弟は泣き出してしまった。慌てて駆け寄る王妃を見やりながら、国王を睨む。
「しかし、もう返事をしてしまったし…。」
「お断りです!」
きっぱりと言い放つミシェルを困った様子で見つめる国王は、益々小さくなった声で説得を試みる。
「頼む、ミシェル。この通りだ。じゃないと、国が…。」
必死に銀髪の頭を下げる国王に、ミシェルは静かに、けれど怒気を含ませたまま問いかけた。
「…何が条件ですか?」
びくりと体を振るわせた国王に、尚も問いただす。
「な・に・を条件にされたのですか?」
びくびくと顔を上げた国王に呆れ、側に佇む宰相を睨んだ。
「我が国、グアリン国の宮廷魔法使いになる条件に、第一王女、ミシェル・ケアード嬢を妻にと…。」
語尾が小さくなるにつれ、ミシェルの怒りは更に膨らんでいく。
「当の本人を差し置いて、何を勝手に!魔法使い殿にだけは、嫁に出さないと仰ったのは嘘でしたのね。見損ないました、お父様!」
「すまん、ミシェル。わしかて、お前を魔法使いになどにはやりたくない…。」
「では、早急にお断りしてくださいまし!」
「わしに死ねというか!?」
魔法使いとの契約は、その者の命を契約書に取り込み絶対のものとする。ミシェルもそのことはよく知っていた。
「あら、賢王、さらには慈悲深い国王と呼ばれるのでしょう?お父様ならなんとかしてくださると信じてますから。」
皮肉を込めてそう言い放ち、くるりと背を向けたミシェルに、実の息子を抱きかかえた王妃がぽつりと毒づいた。
「とんだ我が儘娘だこと。流石、異国から来た野蛮人の娘ね。」
聞こえてきた言葉に、拳をきつく握ると平然と振り返って義母を見やった。
「生憎、野蛮人などという人から生まれた覚えはありませんわ、お義母様。そんな言葉を使うあなたの方が野蛮人でなくて?」
キッと睨む王妃ににっこり微笑み、優雅に礼をしてから立ち去った。
「…姫様。」
部屋に戻る道すがら、控えめに声をかけてきたのは、幼い頃から面倒を見てくれている乳母。実母が死んだ時から、母親替わりとしてずっと側に居てくる大切な人だ。
「しばらく一人にして。」
気遣う彼女ににっこり微笑み、扉を閉めてしゃがみ込んだ。
膝を抱えて顔を伏せるものの、泣きはしない。涙は見せないと死んだ母と約束したから。
うじうじとするのは性に合わないと立ち上がったミシェルは、窓際まで歩み寄ると窓を勢い良く開け放った。
広がる青空を深い緑の瞳が見つめる。
「はあぁ。」
しばらく経って口から出てきた言葉は、溜め息を交えた言葉だった。
嫁ぐのはいいのだ。
王女として、それくらいの覚悟は随分前からしていた。しかし、全くもって何故、相手が魔法使いなのか。
古き良き時代、それこそ彼女が生まれるずっと昔、魔法使い達は世界全土におり、力のある者は宮廷魔法使いの位をもらっていた。魔法使いが箒に乗って空を行き来し、魔女は大きな釜で鼻が曲がるような酷い匂いの万能薬を作る。それが世界の日常だった。彼ら彼女らがいた頃が、世の中の最高潮だったと記録にはある。
国と世界から求められたそんな彼らは、長い時間を生きた。それがいけなかったのか。自身の子供を持たない魔法使いが増え、世代を担う魔法使いや魔女は年々減少傾向にあった。
世の中が便利になり、常に変化していった事も理由にあるだろう。機械が街に溢れ、どの国も医学は随分と進歩した。その世の中の変化を見届けたように、彼ら彼女らはその長い生涯に幕を閉じ、世の中から去っていった。
魔法使いの知恵や魔女の秘薬を必要としなくなった現在、時代遅れと言うのもあり、魔法をわざわざ習おうとする者もいない。結果、世の中から魔法使いは消えた。人が踏み込まない森の深くの場所に、動物達と暮らす魔女がいるという話は、ごくたまに聞くことがあるが、彼女も小さな魔法しか使わなくなったと言っていた。
そんな現代だから、ミシェル自身もとりわけ魔法使いを信じていたと言うわけではない。ただ、一度だけ魔法使いという人を見たことはあった。後にそれが、彼女が魔法使いを嫌うきっかけにもなったのだが…。
「よりにもよって、どうして魔法使いなの?」
変態と呼ばれるおっさんでも、先が短い爺さんにでも、嫁ぐ心づもりはあった。だから、結婚相手の条件に、魔法使い以外でと言っていた。
魔法を使う者など見かけなくなった現代に、まさかまだいたなど信じられない。
今からでも相手を変えて貰うのは、遅くないかもしれない。
そんな事を考えれば、ふと思い出したことがある。…確か、内務大臣が後妻を募集していたはずではなかったか。
「それだわ!よし。」
決断をすれば早いものだ。
早速、国王に伝えなければ。父には悪いが、魔法使いの妻にはなれない。
窓を閉めてから、そんな事を考えて扉へと向かった。
「や―っと見つけた。」
しかし、不意に聞こえた若い青年の声に足が立ち止まった。背後からは、どこからともなく吹いてきたまだ寒さが残る春先の風が、錆色の髪を揺らす。
ゆっくりと振り向けば、ミシェルよりも幾分若い、黒髪に灰色の瞳を持つ男性が、先程閉めた筈の窓を開け放して優雅に佇んでいた。春風が部屋に流れ込んでくると共に、窓にかかるカーテンがふんわりとゆれる。
「あなた、誰…。どこから入って来たの?」
突然の不法侵入者に、警戒心を剥き出してミシェルは青年に聞いた。ミシェルの前に現れた彼は、背を預けていた窓際から身を起こして、軽く組んでいた腕を解いて言った。
「うーん、噂通りのお姫様だ。…僕の名前は、ステファン・クィンシー。」
カツンと靴踵を響かせ近づく彼から少しでも距離を取ろうと、ミシェルは壁へと縋った。その姿に、彼は整ったその顔に笑顔を作る。
「そっそれ以上、近付いたら、大声を出すわよ!」
普通の女性ならば、一発でやられそうな笑顔だが、そんな胡散臭い笑顔に騙されるミシェルではない。
そんな彼女に突然現れた侵入者は立ち止まり、不思議そうに首傾げた。
「僕、もしかして警戒されてる…?」
なんと図太い神経の持ち主なのか。
ミシェルは呆れるとともに、青年から発せられるただならぬ雰囲気に未知なる恐怖を抱いた。
そんな時、ふと背後に回した両手に触れたのは扉の取っ手。それをゆっくり、音を立てずに開ける。
カチャリと耳に届くより早く、青年は左手をついて内側に開く扉を塞いだ。
「おっと、逃げないでよ。僕は君を迎えに来ただけなんだから。」
「…迎え?」
「そう。」
にっこり笑う灰色の瞳を見上げていた深緑の瞳が、何かに気が付いたように見開いた。
「まさか…。」
わなわなと震えだしたミシェルを嬉しそうに、青年は眺めている。
「姫様、そろそろお茶になさい…っ!?」
そこへミシェルがいる扉と違う扉を叩いて入って来たのは、年を召した乳母だった。外見は至る所にいるであろう若い青年だが、部屋のただならぬ雰囲気を見て叫び声を上げた。
「誰かっ!姫様が…。」
慌てて部屋の外にいる護衛の兵士達を呼ぶ彼女を見やって、青年は残念そうに言葉を零した。
「あぁーあ、話はとりあえずお預けかな。」
乳母が呼んだ兵士達が瞬く間に部屋を埋め尽くし、ミシェルを盾に青年は壁に追い込まれた。
「その方をグアリン国の第一王女と知っての無礼かっ!」
「姫様を離さぬか!」
「おやおや、困ったな。」
そう言いながらも、全く困っていなように見える彼は、可笑しそうに笑っていた。
「この状態で、無事に逃げられはしないでしょう。グアリン国の兵士達は優秀だから。」
勝ち気に言ったのは腰に腕を回され、青年にがっちりと抱き込まれたミシェル。
「それはどうかな。」
人質となっているのにも関わらず、怯えも見せない彼女に青年は落ち着いた言葉を返した。目を見張るミシェルから視線を外し、銃口を向ける兵士達に声を張り上げた。
「契約はちゃんと守ってもらわないと困ると、君達の君主に伝えてくれる?」
「何だと?」
青年の言葉に反応したのは、唯一銃を持たない兵士、グアリン国の将軍である。いつも冷静な彼も、今は心なしか青ざめて見える。
「先日付けでグアリン国、宮廷魔法使いの位と権限を頂いた、ステファン・クィンシーと申す。契約により、第一王女ミシェル・ケアードを頂きに参った。」
部屋にいる皆が息を呑む中、青年は優雅に軽くお辞儀をしてミシェルを引き寄せた。
「では、これにて失礼。」
「姫様っ!!」
突如吹き荒れた突風が舞う部屋で最後に見たのは、小さな瞳を目一杯開いて叫び声を上げる乳母の姿だった。
そんなに目を見開いていたら、落っこちてしまうと彼女が心配するほど。
しかし、そんな心配は不意に訪れた違和感で吹っ飛んだ。
いつの間にか、ミシェルは青年に抱えられながら、先程見上げていた青空の中に浮かんでいたのだから。