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黒い地下室

作者: 要徹

この作品は、認知症の人を侮辱・差別する目的で書いた作品ではございません。先述の事を理解の上でお読みいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。


「あ、母さん? 俺だよ、俺」


 気色の悪い笑みを顔中に塗りたくった男は、黒い受話器を片手に持ち、もう片手では預金通帳を捲っている。そこには三度にわたって、豪勢な食事が数十回食べられるほどの大金が振り込まれたことを示す数字がずらずらと並んでいる。


「俺? ああ、真司かい。元気にしているの?」

 受話器の向こう側から聞こえるのは、温厚そうで、しわがれた女性の声だ。きっと声の主は昔話に出てくるような、優しい、優しいお婆さんなのだろう。そのような人物を騙すことには罪悪感を覚えるが、そんなものを気にしていては詐欺はできない。

「もちろんだよ、母さん。だけどさ、ちょっと困ったことになってさ」

 男はあくまで息子を装い、若々しい爽やかさと、そして深刻さを演出する重苦しい口調を合わせる。

「困ったことって何だい? 何でも母さんに言ってごらん。力になるよ。あなたは私の自慢の息子だからね」

「実は俺、借金があって、それがどうしても返せなくって。後一週間のうちにお金を用意しないといけないんだ。じゃないと俺、殺されちゃうかもしれないんだ」

 オレオレ詐欺と呼ばれる手法の常套句だ。今のご時世ではもはや通用しないと思われるが、思いのほか通用する。

「あらまあ、それは大変」

「だから、お金を貸してほしいんだ」

「分かったよ。口座番号を言ってごらん。明日には振り込むよ」


 この砂糖を大量に混ぜ込んだような甘さには、吐き気すらもよおす。だが、この甘さには中毒性があり、一度摂取すればやめられなくなる、一種の麻薬のような効果がある。男は既にこの麻薬の常用者だ。

「前も伝えたじゃないか。忘れてしまったのかい?」

「ああ、そうだったかね。ごめんね。もう一度お願い」


 口座番号を伝え、受話器を置くと、男は興奮を抑えきれずに叫んだ。

「何て楽な金儲けだ! あの婆、何度でも金をくれやがる。ふふ、こりゃあ止められない。――だが、もうそろそろ潮時だな」

 欲を出して何度も金を毟り取ることも悪くはないが、引き際を間違えると後で痛い目を見る。引く時は引く。これが詐欺の鉄則だ。


 男は家を出て、銀行へ向かう。振り込まれている金を口座から引き出しに行くのだ。もちろんだが、この口座は男の口座ではない。全く見も知らぬ学生から買ったものだ。振り込め詐欺と言われる種類の詐欺には、いや、このような悪徳詐欺には必要不可欠なもので、馬鹿正直に自分の口座を使っていればすぐに足がついてしまう。詐欺は得られる利益の割に、それに見合わない不利益がついて回る。

 金を回収し、匂いを嗅ぐ。印刷物特有の匂いに、ATM内部のほんのりとした暖かさが混じり、何とも形容し難い幸福の香りがする。


 男はにんまり笑うと、日が沈むのを待たずに、祝杯を上げる為に居酒屋へ向かった。安酒と少量のつまみを注文し、それらが運ばれてくると、早速酒を一気に飲み干した。

 天井の隅に設置されているテレビ画面を見ると、父親を殺して逃走しているという息子の家が映し出されていた。

 世の中物騒になったものだ、と男は心の中で呟く。詐欺師が他の犯罪者を貶すとは滑稽にも程がある。――物騒といえば、と、つまみを一つ口の中に放り込み、幸福と共に噛みしめ、金の生る木の種をくれた中年の男を思い浮かべる。


 中年の男は、突如として男の家に現れ、自分が詐欺師であることを告白し、そして男が詐欺師であることを指摘した。警察に通報されると思った男はもちろん身構え、どう口止めをしたものかと思考を巡らせたが、彼から発せられた言葉は恐喝まがいのものでも何でもない、予想の斜め上をいくもので、次のようなものだった。


「僕はあなたを詐欺師だと通報する気はありません。私も詐欺師ですからね。じゃあ何をしにきたのかと言うと、良い情報を持ってきたのです。金の生る木の話です。この家に詐欺を仕掛けて御覧なさい。必ず成功します。というのも、そこの家の婆は認知症でね、自分の息子の姿すら覚えていないし、判断能力はほぼ皆無なのです。もちろん短期間の記憶もあいまいだから、騙されたことにすら気付きやしません。忘れてしまっているのです。僕もたくさん稼がせてもらいました。けれども、今が潮時だと思いまして、手を引くのです。ですから、私にはもうこの情報は不要なのです。だからといって捨ててしまうのも勿体ないので、詐欺師であるあなたにと思いまして」


 何故自分が詐欺師であることが分かったのか、と一瞬疑問思ったが、そんなものはどうでも良かった。それよりも、金の生る木を赤の他人に差し出したことの方が気になっていた。

 普通、このような情報は自分だけのものにするはずだ。それが人として当然の心理であり、例外はない。だから、『簡単に稼げる』などとうたっている広告は間違いなく嘘だ。もっとも、その広告主は簡単に稼げるのだろうから、あながち嘘ではないのかもしれないが。

 男は色々と問い質したかったのだが、中年の男は電話番号と住所を記した紙を手渡すと、返事を待たずに、足早に去って行ってしまった。自分を嵌める気か、と勘繰ってみるが、嵌める理由が見当たらなかった。仮にあったとしても、あの男も道連れになる。詐欺師だと自らが告白することで、その疑念を掻き消したのだ。

 丁度その時食いぶちに困っていた男は、半信半疑で詐欺を実行に移した。そしてこの結果を生んだ。笑わずにはいられない。これ程までに羽振りの良い相手は、これで二人目だった。

 男は四度目の入金を祝し、一人酒をあおるようにして飲んだ。


 翌日、男が残高照会をすると、また高価な家電製品が数個買えるだけの金が振り込まれていた。男はポケットに捻じ込んでおいた男のメモを取り出し、昨日の居酒屋のレシートと一緒にゴミ箱へ放り込んだ。

 銀行から出て行こうとすると、これもまた他人名義の携帯電話が鳴った。相手方に何らかの問題が生じた時の為に持っているのだが、今まで騙された相手からかかってきたことはない。

 ――まさか、警察だろうか。

 そんなわけはないと首を振り、恐る恐る携帯電話を開く。


「はい」

「ああ、真司かい? お金、ちゃんと振り込まれていたかい?」

 受話部から聞こえてきた温厚そうな口調に、男は胸を撫で下ろした。

「うん、ちゃんと振り込まれていたよ。ありがとう。俺、母さんに迷惑をかけないように、これから真剣に頑張るよ」

 本当に迷惑をかけないつもりだった。もう今回の振り込みで、この婆に用はないのだから。

「真司は昔から頑張り屋だからね。ピアノの勉強だって、一所懸命やっていたからね。そうだ、今度家に帰ってこないかい? 久しぶりに体を休めたらどうだい。あんまり気を張りすぎると体に良くないからね」

 誘いを受けるわけにはいかないのだが、まだ絞りとれる余地があるかもしれない。男は振り込め詐欺と同時に、霊感商法による壺の売買も行っている。あわよくば、更に儲けを得ることができるかもしれない。

「いいよ。明日にでも行く」

 慌ててゴミ箱に放り込んだメモを回収する。


 まさか、あの男はこの事を見越して住所を書いておいたのか、と考えてみたが、やはりそんなことをする理由がない。住所が書いてあるからといって、わざわざ訪ねる馬鹿はいないだろうし、今回の男のようにあくどい商売をしている人間以外には意味を為さない。彼は、男が霊感商法、もとい物を販売していることを知っていたのだろうか。詐欺を生業としているのならば、そういったものにも手を出していると察していたのだろうか。

 ――どうでも良い問題か。

「じゃあ明日だね。真司の好きな料理を沢山作るからね」

 心底嬉しそうな婆の声を切り、男はほくそ笑む。


 出発当日の朝は雨だった。空は鈍色に染まり、斑模様の雲が天を覆い尽くし、めそめそと泣いている。不愉快極まりない天気だが、男の気持ちは晴れ晴れとしていた。男は降りしきる雨をものともせず、どんどんと歩いていき、その背中にはリュックサックが垂れ下がっている。

 印刷した地図を持って歩を進めていくと、一際大きな住宅が目に入った。純和風の外観、瓦屋根に、二階に備わっている大きな窓、庭には、秋に美しい金木犀を咲かせるであろう木々が植えられており、かなり裕福な家であることが窺える。男はその家に既視感を覚えたが、思い違いだと頭の隅に追いやる。


 玄関にインターフォンが設置されていないので、硝子の嵌め込まれた戸を軽く叩いたが、反応はなかった。さっきよりも強めに、もう一度戸を叩く。

 すると、ガラス戸の向こう側に黒い影が浮かび上がり、ゆっくりと戸をスライドさせた。

 戸から顔を出したのは、七〇を優に超えていると思われる老婆だった。老婆は、あの温厚な口調からは想像できない、山姥のような顔をしていて、今すぐにでも人をとって食ってしまいそうな雰囲気を醸している。


 老婆は男の顔を見るなり訝しげな顔をする。

「真司です」

 恐る恐る、その名を口にする。老婆は耳を獣のようにぴくぴくと動かし、脳の中でその言葉を吟味しているようだった。しばらくすると老婆の表情がぱっと明るくなり、だらしなく口元を歪ませ、皺だらけの顔がますます皺だらけになる。

「あァ、真司だね。こんな土砂降りの中よく来たねェ。少し見ない間に髭が濃くなったか。でも真司は真司だ。ああ、嬉しいねェ――」

 嘘がばれなかったことに胸を撫で下ろすと、男は心の中で、俺は真司じゃねえよ糞婆、と毒づく。そして、これからどうやって物を売りつけてやろうかと思索を巡らせる。

「さあ、いつまでもここにいたら体に悪い。中へ入りなさい」


 男は老婆に導かれるままに中へと入っていく。

 中へ入った最初の感想は、生臭い、だった。まるで生ごみを放置して蠅が湧いてしまっているゴミ箱を引っ繰り返したような臭いが充満している。

 鼻を軽く抑えながら廊下を歩いていると、多くの空き部屋が目に入った。それらのほとんどが物置として使われているようで、部屋の中には掛け軸や壺、茶碗など、骨董品と思われる物が綺麗に整頓されているのだが、一種異様な雰囲気だった。それに、それらの骨董品にも既視感を覚える。

 しばらく長い廊下を歩いていくと、客間と思しき部屋の中へ導き入れられた。やはりここにもあの生臭さと、物置から感じた異様な雰囲気がある。それに、壁の至る所に黒い染みがあり、それらは幾何学的な模様を描いている。

「さ、座りなさい。私は料理を取ってこよう」

 老婆は赤い座布団を敷くと、部屋を出て行った。


 老婆が座るのであろう、もう一枚の座布団は男の正面にあたる場所に敷かれている。男は真正面に老婆が見えることに抵抗感を覚えたが、座らないのも不自然であるので、その座布団に腰を下ろす。


 時刻の狂った時計が、そんなことも知らずに時を刻み、針が十一時を指した。すると除夜の鐘を思わせるような重い音色が部屋中に響きわたった。


「この骨董品の数は本当にすごいねぇ」

 突然後ろから声がしたので、男は飛び跳ねた。

 男の背後には、この家とはマッチしない西洋風のトレイに、分厚く切られた肉、氷が入っている赤い色をした飲み物、そしてクルトンが惜しげもなく入れられているスープが乗っている。

 料理を男の前に並べながら、彼にとって衝撃的なことを口にする。


「お父さんが言っていたよね、この家は呪われているんだって。だからって馬鹿みたいに壺やら掛け軸を買っちゃって。この食器もそうだったね。そのせいで金はほとんど消えた。お父さんが真司に殺されていなければ、今頃この家は破産していただろうね」

 男の心臓が早鐘を打つ。真司という男は殺人犯だったという真実を聞き、どうして良いか分からない。思い返してみれば、ニュースで見た殺人現場はここではないか。男は殺人犯の名をそうとも知らずに名乗っていたのだ。


「この壺が一番高かったんだ」

 冷や汗を額いっぱいにかいている男をよそに、老婆は所々が欠けている壺を愛しそうに撫でた。

 またも、男の心臓が跳ね上がる。まさかとは思っていたが、ここは男が以前に詐欺の対象とした家だったのだ。その時は振り込め詐欺ではなく、例の霊感商法を使った。この家の爺は本当に騙しやすく、羽振りが良かったことを記憶している。


「どうしたの。早く食べなさい」

 冷静さを取り繕いながら、ナイフで肉を切り分ける。そして一口だけ口の中に放り込んだが、その、ぐにゃりとした感触と生臭い味に拒絶反応を示し、即座に吐き出した。

「あら、どうしたの。お肉、嫌いだったァ?」

「そうじゃないけど――この肉は何?」

 男のその言葉を待っていたと言わんばかりに微笑み、目を三日月のように輝かせた。


「それはねェ――お父さんのお肉。美味しいでしょォ?」


「嘘だろ……?」


 ――人間の肉を食べた。その罪深さを掻き消そうと、赤い飲み物に手を出し、一気に飲み干した。――だが、その味もまた異様で、錆びた配管から出る水を飲んでいるような気分になる。

 男が狼狽していると、老婆はまたにんまりと笑う。


「嘘だよォ。本気にしちゃって、馬鹿みたい。それ、いらないなら下げるわ。後でそこのピアノ部屋へ行こう。真司のピアノが久しぶりに聴きたいんだ」

 老婆はピアノ部屋のある方を指で指し、金縛りにあったかのように体を強張らせている男が見えていないかのように、食器を持って部屋を出て行った。


 すると、男の金縛りも嘘のように消えた。

 殺人犯の名を借りている上に、この家で過去に詐欺をはたらいている。こんな所に滞在し続けることは危険だ。だが、男はさっき老婆が指差したピアノ部屋が気になってしようがなかった。こんな危険な目をしたのだ、手ぶらでは帰れない。


 ピアノ部屋へと続く階段を下っていくと、ひんやりとした空気と、鼻を突く強烈な臭いが充満している、真っ黒に染まった小部屋に行き着いた。

 そこには豪華なピアノが埃一つ被らない状態で保存されていて、床には黒い絨毯が敷かれている。壁には多くの爪跡が残されており、男は不思議に思う。


 金目の物がないかと辺りを見回すと、巨大なクロゼットがあった。


 男は手早くクロゼットを開け放つ――。


「何なんだ……これは」


 そこを開くと、おびただしい数の死体が腐臭を放ち、血抜きをされている鶏のようにぶら下がっていた。彼らは皆一様に男を恨めしそうな目で見つめており、一番手前に吊り下げられている死体からは、まだ新しい血が滴り落ちていた。


 ――まさか。

 男は焦って床を爪で擦ると、黒い絨毯と思っていたものが剥がれ落ち、灰色のコンクリートが顔を覗かせた。

「どういうことなんだ」

 湧き出してくる吐き気を必死に堪えながら、男は死体を観察する。すると、その足元に滴る血をどこよりも多く受けているカードがあった。それは免許証のようで、そこには新喜多(しぎた真司と書かれている。


 ――真司って奴は死んでいるのか。

 免許証に付着した血液を綺麗に拭き取ると、そこにある写真には見覚えのある顔が写っていた。この男は――。

「こいつは! あの情報をくれた男じゃないか!」

 思わず男はそう叫んだ。この免許証が偽造でなければ、この家の情報をくれた男が新喜多真司だ。ということは、詐欺にひっかかった夫婦の息子ということだ。まさか、仇討でもしようというのか。


「あんたは誰だ!」

 急いでクロゼットを閉じて入口に目を向けると、そこには真っ赤な林檎と包丁を持った老婆が佇んでいた。老婆はまるで男を不審者だと思っているかのような目で凝視している。

「誰って、真司だよ」

 真司という男が生きていることは分かったが、この場はあくまで嘘を突き通さなければならない。

「真司? そんなの嘘に決まっている! 真司は私が殺したはずよ!」

「真司は生きているじゃないか!」

 男の言葉に頭を掻き毟る。

「目の前にいるんだから、生きているに決まっている! ああ――何で、何でまたここにいるの!」

「何でって、母さんが呼んだんじゃないか」

「あんたなんか呼ばないわよ! 私がお父さんを殺したことを許したとでも思っているの? 一体、何度殺せばこの世から消えてなくなるのよ! 何で生き返るのよォ――!」

 老婆が金切り声で叫び、目尻から涙を零した。

「生き返る?」


 老婆は男の方へと走り出すと、勢い良く男を突き飛ばし、クロゼットを開け放った。再び腐臭が部屋に充満していく。

「見て御覧なさい! これは全部あんたよ! 殺したはずなのに、食べてしまったはずなのにィィィ!」

 これらの死体は、全て真司を名乗った者の末路だということか。

男の足元がぐらりと揺れる。地面が揺れているのではなく、男の足が震えていた。これは体調不良や、死体を見た衝撃からくるものではない。


「――糞婆、あの飲み物に何かしてやがったな」

 男は嘔吐し、その場に頽れた。

 意識がもうろうとする。

 

 老婆は男の周りをくるくる回り、愉快そうに笑う。

「食べた肉は、あんたの肉でェ、そして飲み物はあんたの血ィ。殺して、殺して、殺しきったはずなのにねェ。でもまだ生きている。食べても、食べても、食べても、あんたは傷一つ負わずに生き返るんだ。どれだけ私を苛立たせれば、どれだけ憎悪の炎を燃やさせればいいの。もういい加減にしてよォォォ――!」

 耳をつんざく奇声。


 男は、徐々に薄れゆく意識の中で解答を見いだした。

 この老婆は、息子を名乗って取り入ってくる連中を全て殺して、生き返らないように、少しずつ喰らっているのだ。もちろん、息子と他人を勘違いして。そして殺人の記憶を忘却する。また男のような詐欺師が目をつけた時、息子が生き返ったと思い、また殺す。それが延々と続けられているのだ。

 このクロゼットにぶら下がっている肉塊は、食べられる前の詐欺師なのだ。


「私は何度でも殺してやる。あんたの肉が、そして血が、骨がなくなるその時まで喰らい続けてやるんだからァァァ!」

 老婆が憤怒と憎悪を顔に浮かべ、鈍い色を放つ刃物を持って迫ってくる。


 ――死にたくない。

 男はもうろうとする意識の中で傷だらけの壁まで這っていき、体に存在する全ての力を振り絞って叫び、そして壁を引っ掻いた。


「無駄よォ。声なんて届きやしないし、壁は壊れない。もう見苦しく生きようとしないでェェェ――」


 徐々に息苦しくなってくる。

 老婆は無抵抗な男の首に包丁をあてると、大きくそれを振り下ろし、一刀のもとに首を切り落とした。

 首が切断され、鮮血で染まった意識の糸が切れる直前、免許証にプリントされている新喜多真司が、にやりと笑った。



 新喜多真司は、ある詐欺師の家の前で煙草をふかしながら、この計画の目的を頭の中で反芻する。

 新喜多真司の父親は、詐欺師によってその人生の幕を下ろすことを余儀なくされた。

「私を殺して、この生活に終止符をうってくれ」

 というのが父親の最後の言葉だった。真司は父親の言う通り、彼を殺害した。だが、事情など知らぬ母は激昂し、彼を殺害しようとした。命からがら逃げ出した真司は、人生を狂わせた詐欺師に復讐することを心に誓った。


 そして数年の時を経て、人生を壊した詐欺師の名前と住所を割り出した。警察に通報したり、直接手を下し、その苦しむ姿を見ながら復讐を遂げるのも悪くはなかったが、やはり詐欺師には騙された挙句に、因果応報という言葉のもとに死んでほしかった。


 そこで自分が母親から殺したい程に憎まれていることと、彼女が認知症で短期間の記憶すらできないこと、そして息子の顔すら覚えていないことを利用してやろうと思い立ったのだった。自らの母親を使うことには抵抗があったが、すべては詐欺師を根絶やしにする為であり、それは母親にとっての仇討にもなる。


 真司は目的意識と計画をはっきりさせるとにやりと笑い、インターフォンを押す。

 すると、髭を伸ばし、浮浪者のような男が顔を出した。

 真司は、詐欺師を騙す為の常套句を吐く。


 また彼も誘われるのだ。


 あの詐欺師の血で満たされた黒い地下室へ。



 これ、ホラーなの? 絶対違うよね?


 是非ともご意見をお聞かせ下さいませ。

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[良い点] お婆さん自身が凶器であることの意外性。 [気になる点] 頭で考えたネタに終始していますね。この話はもっと人の情念や感情や憎悪などをまみれさせたら素晴らしいホラーになるというのに、惜しまれま…
[一言] 作品、拝読致しました。 後書きで作者様は「ホラーではない」と書いていらっしゃいますが、動機があり、トリックがあり、オチがある時点で確かにミステリーのようになっていますね。 でも、黒い地下鉄の…
[一言] 確かにホラーというよりはミステリっぽいですね。 でも地下室での様子は立派にホラーしてます。 認知証の老婆が「憎悪の炎」とかって言葉使いますかね。 男が家に居残ったこととか、意識が朦朧とすると…
2010/08/08 17:05 退会済み
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