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5話「神のみぞ知る」

 刑場中央にぽつんと存在する古い井戸。石で組まれたその井戸には、金属製の蓋が付けられ、周囲には衛兵やケーガンが立っていた。俺とアテナはその縁に座らされる。

 

 「……ど、どういう裁判なんですか」

 

 俺は震える声で問うた。ケーガンは鼻にかかった声で答える。

 

 「神明裁判は昔からの習わしだ。ふたをした井戸に沈め、三十分耐えられれば無罪。沈んだまま浮かばなければ、有罪。神の許しを得た者は生還するであろう」

 

 「三十分!? 死ぬわよ、物理的に無理よ!」

 

 アテナは絶叫したが、ケーガンは耳を貸さない。衛兵は無表情で俺達を井戸のふちに立たせる。

 

 「どうしてよ、どうしてこの世界には他人を食い物にするやつらしかいないのよ! 神はこの悪行を決して見逃しはしないわ!」

 

 俺の人生を、他人を、ひたすら食い物にしてきた女が今まさに報いを受けようとしている。自業自得とはこのことだ。自分が死ぬかもしれないというのに、シニカルな笑いがこみ上げてきた。よかったなあ、アテナ。神様はちゃんと俺たちのことを見ていて下さるぞ。

 

 「では始めよ」

 ケーガンが手を上げる。

 

 「ま、待って、待って! 私、泳げないんだから!」

 

 次の瞬間、俺たちは井戸の中へ真っ逆さまに落とされた。冷水が全身を叩きつけるように襲い、肺から一気に息が抜けた。

 

 (ぐ……っ! 息……できねぇ……!)

 

 真っ暗な水の中で、上下の感覚がすぐに失われる。アテナの腕を必死に掴み、俺は必死にもがいた。

 

 「んぐっ……!! シ、シンジ……っ!! 苦しい……!!」

 

 (クソ……!! このままじゃ……!!)

 

 その瞬間、俺の脳裏に妙な知識がよみがえった。文化人類学の教授が言っていた。

 

 (そういえば……神明裁判って……無実の者ほど生き残りやすいって……!!)

 

 無実の者はなぜか底に沈んだままでも呼吸が持つ、そんな迷信とも言える通説だ。

 

 だが、冷静に考えたらそれは違う。無実だから助かるんじゃない。生き延びようとした行為が正しかったから、生き残っただけだ。

 

 なら。神が見ているのは罪じゃない。判断だ。本能は上へ行けと叫んでいる。でも上には蓋がある。

 

 おれは歯を食いしばって決断した。上じゃない、下だ。アテナの腕を強引に引き、井戸の底へ向かって潜る。

 

 「んむぅ!? シンジ、死ぬ気?」

 

 (死なねえためにやってんだよっ!)

 

 井戸底には崩れかけた石壁があった。手で触れると、砂のようにぽろぽろと崩れ落ちる。

 

 (抜けられる……ここしかねえ!)

 

 俺は足で壁を蹴り始めた。ジェスチャーを使い、同じことをやるようにアテナに促す。アテナも涙目で同じ動作を繰り返す。バキッ……バキバキッ!! 最後の一蹴りで、壁が崩壊した。暗闇の向こうに、空気の通る隙間。そして。

 

 「はぁっ……!! はぁっ……!!」

 

 俺たちは水中から這い上がり、通路へと転げ落ちた。通路の先には、松明に照らされた空間が広がっていた。

 

 水の匂いが鼻の奥に残ったまま、俺とアテナは水路の床に倒れ込んでいた。冷気が肌に刺さる。息を吸うたびに肺が焼けるように痛む。生き延びたという実感が追いつかず、世界がぼんやりと歪んで見えた。

 

 「……生きてる……のよね?」

 

 アテナが震える指先で自分の頬を触り、涙か水か分からない液体を拭う。

 

 呼吸は荒く、胸は上下しっぱなし。それでも俺たちは、確かに生きていた。

 

 「ああ、生きてる。少なくともまだ死んじゃいない」

 

 そう言った瞬間、背筋にぞくりとした感覚が走った。水路の先、暗がりの奥に、複数の人影が立っていたからだ。

 

 「ご無事で何よりです」

 

 最初に一歩進み出たのは、白い修道服のマリナだった。その背後には、ケーガンと衛兵、そして役人らしき男が控えていた。

 

 俺とアテナは身構える。再び捕まったのか? それとも処刑の続きか? しかし、返ってきたのは予想外の言葉だった。

 

 「――合格です」

 

 空気が止まった。俺とアテナは同時に声を失い、顔を見合わせてから、ゆっくりマリナたちへ向き直った。

 

 「神明裁判とは神の前で罪を判定する儀式ではありません。かつて、冒険者の採用試験として生まれたものなのです」

 

 ケーガンが淡々と言う。

 

 「死の危険の中で判断力を失わず、常識を疑い、状況を打開できるか。それを見る試験だ」

 

 「……じゃあ俺たちは、裁判じゃなく、試験を受けてたってことですか」

 

 「そのとおり」

 

 怒りや安堵がぐちゃぐちゃに混ざり、頭が追いつかなかった。

 

 「いくらなんでも、やりすぎじゃないですか。 下手したら死んでましたよ、僕たち」

 

 「本気でなければ試験になりませんから」

 

 マリナにさらりと返されて逆に言葉を失った。アテナは怒りを露わにする。

 

 「わ、わたしを井戸に沈めるなんて。神罰よ! 許されないわ!」

 

 だがケーガンは眉一つ動かさない。

 

 「お前のように神を名乗る頭のおかしな人間は山ほどいる。いちいち死刑にしていたら、墓がどれだけあっても足りん」

 

 アテナは胸を突かれたような顔をした。自分だけは特別という彼女の前提が、音を立てて崩れていくのが見えた。

 

 そのとき、マリナが一歩前に出る。

 

 「あなた方は助け合ったのですね」

 

 息を呑む。マリナは水路での痕跡を見抜いていた。

 

 「神明裁判を突破できる者は三種類だけです。圧倒的な怪力を持つ者、水中呼吸ができる者、そして、仲間と知恵を持つ者」

 

 マリナはアテナを優しい目で見た。

 

 「本気で誓える仲間がいる限り、人は強くなれます」

 

 アテナは何も言い返さなかった。プライドを守るための虚勢も、言い訳も浮かばない。

ただ静かに唇を噛んでいた。

 

 「試験合格により、あなた方にはエルフェンウッドでの一時滞在権を与えます」

 

 歓喜しかけた瞬間、控えていた役人が書類を掲げる。

 

 「ただし、裁判運営費、神明裁判公証費、処刑場維持管理費、人件費、オーク駐留軍維持費、入場料建て替え、その他雑費の負担が発生します。総額はこちらとなります」

 

 ピラッと差し出された紙面。びっしりと書かれた数字は、見事に俺たちの未来を粉砕した。

 

 「な、なんでだあああ!!!」

 「社会とはそういうものです」

 

 役人の無機質な一言が容赦ない追撃となる。アテナも叫んだ。

 

 「民の希望である私を裏切る気!?  借金を背負ってる女神なんてブランドイメージ崩壊だわ!」

 

 「本当に女神である証拠をご提出いただければ減免の可能性がありますが」

 「ぐ……っ!」

 

 アテナは黙った。女神であることを証明できないという現実を突きつけられ、プライドの砦が完全に破られた。

 

 マリナが静かに歩み寄り、俺たちの手を包むように握った。

 

 「生きてください。どんな姿でも、生き延びた先でしか奇跡は起きません」

 

 あまりに真っ直ぐな言葉にアテナは小さく震えた。

 

 「奇跡とは、祈りではなく、意志と行動の果てに起きるものです」

 

 その美しい響きとは対照的に、俺の頭の中は借金の数字でいっぱいだった。

 

 こうして俺たちはなんとかこの街に滞在する資格を得た。借金まみれの地獄のスタート。実にロクでもないかたちで異世界生活の第一歩を踏み出した。

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