12話「作戦会議」
息を切らしながら我が家である洞窟にたどり着いた時、夕日はすでに山の向こうへ沈みかけていた。空気は一気に冷え込み、湿り気を含んだ風が肌にまとわりつく。疲労と挫折が皮膚から骨の奥まで染み込んでいくような感覚だった。
ジャンヌがすぐに焚き火を起こし、俺とアテナを座らせる。その表情は普段どおりの微笑みだが、目元はわずかに強張っていた。
「回復魔法を施します。少しだけ、動かずにいてください」
ジャンヌの手が俺の腕にそっと触れた。《サーヴァント・ケア》 従者の癒し。ジャンヌが対象者に対して敬意や忠誠を抱くほど回復量が上昇するらしい。柔らかい光が皮膚の下へ染み込む。痛みの鋭さが消え、果てしなく重かった体が、徐々に自分のものに戻っていく。
「……助かる」
「ご主人様の健康は、わたくしの義務です」
いつものセリフなのに、どこか申し訳なさそうな響きがあった。アテナは壁際で膝を抱えて座っていた。視線は揺れる焚き火へ向いているが、焦点は合っていない。本当は疲れているはずなのに、回復魔法を受けようとしない。
「アテナ、おまえもこっち来い。治療受けろよ」
呼びかけると、彼女はわずかに肩を震わせた。だが返答はそっけない。
「平気よ。傷なんてほとんどないし」
強がりだとすぐに分かった。敵の攻撃こそくらっていないが、体力は消耗しているはずだ。ジャンヌはアテナへ歩み寄り、拒否されるのを承知で、そっと手をかざす。
「奥様……どうか、治させてください。痛みは我慢するものではありません」
アテナは一瞬迷ったが、観念したように腕を差し出した。ジャンヌの魔法が流れ込むと、アテナの表情がわずかに緩んだが、すぐまた強張る。
火の弾ける音だけが洞窟に響いた。戦闘の疲労、悔しさ、恐怖、怒り……本当は互いの顔を見たいのに、ひとこと言えば崩れてしまう気がして見られない。沈黙の重圧に耐えかねるように、俺は立ち上がった。
「作戦会議をしよう」
焚き火の火が低く揺れる中、俺たちは車座に座った。ジャンヌは控えめに正座をし、アテナは腕を組み、俺は膝に肘を乗せて前傾姿勢。
互いの呼吸の音が聞こえるほど距離は近いのに、心の距離はどこか遠かった。
「率直に言う。アーマードタートルのクエストはキャンセルしよう」
切り出した瞬間、アテナの指がぴくりと動いた。
「今日の戦いで分かった。今の俺たちじゃ勝てない。挑み続ければ、いつか誰かが死ぬ」
言葉に嘘はなかった。でも言っている最中、胸の奥からじわりと悔しさが滲み出てくる。
アテナは即座に噛みつく。
「ダメよ! キャンセルなんて絶対ダメ! 違約金が発生するのよ!?」
「命より金が大事かよ」
「生きてても生活できなきゃ意味がないでしょ!? そもそも! 借金まみれの身で違約金なんて払ったら、今度こそ詰むわ!」
焚き火がバチッと弾ける音に、アテナの声が上書きされる。その瞳は怯えの色を隠しながらも、必死だった。彼女は恐怖を誤魔化すために、言葉を積み重ねる。
「命が惜しいのはわかるわ。でも逃げたら借金で地獄よ? 私とあんたは借金まみれなの忘れたの?」
「……忘れてねえよ。毎日思ってるわ」
「だったら! お金を稼がなきゃ! クエスト達成して、報酬を受け取って、レベルも上げて、いい装備を買って!そしたらもっと安全に戦える! 逃げてばかりじゃ何も変わらないわ!」
アテナの主張は間違ってない。いや、むしろ正論だ。勝利 → 報酬 → 装備調達 → 生存率向上。この正のスパイラルに乗れない冒険者に未来はない。
だけど、死んでしまったら終わりなんだ。喉まで出かけた言葉を飲み込んだ。
「……ご主人様、奥様」
張り詰めた空気を割るように、ジャンヌの声が落ちた。静かで優しい声だったが、洞窟の空気を一瞬で支配した。
「恐らく、お二人とも正しいのだと思います。奥様は勝つために進みたい。ご主人様は生き残るために退きたい」
淡々とした言葉が、胸に刺さる。
「そのどちらも間違いではありません。ただ今のままでは、どちらも実現できません」
「どういう意味だ?」
「今日の戦いで分かりました。物理耐性をもつ高防御の敵は、いかに奮闘しても、わたくしとご主人様の近接攻撃だけでは突破できません」
ジャンヌは拳を握りしめ、悔しさを噛みしめるように続けた。
「……魔法攻撃が必要です」
洞窟に沈黙が満ちる。今日痛感した弱点を言葉にされた。アテナの眉がわずかに上がる。
「魔法……?」
「はい。強力な魔法攻撃ならば、アーマードタートルの装甲は突破できます。特に炎・雷属性の魔法は有効かと」
ジャンヌは立ち上がり、膝に置いていた手を胸に当て、深く頭を下げた。
「どうか、ご主人様も奥様も……魔術師を仲間に迎え入れることをお考えください。そうすれば、撤退せずとも勝てますし、死なずに済みます」
説得ではない。祈りにも近い声だった。俺とアテナは視線を交わす。対立ではなく、問いかけの目で。
「……魔術師を入れたら勝てるのか?」
「少なくとも、勝負になるところまでは近づけます」
アテナが小さく息を吐く。
「……いいわ。それでいきましょう。勝つために、よ」
俺も同調する。「安全に勝てるなら、それでいい」
三人の意見が、ようやく同じ一点に重なった。まだ勝てる保証はどこにもない。不安も恐怖も後悔も消えていない。それでも、再び立ち向かうためのテーブルに乗れる条件だけは揃った。
「……じゃあ、魔術師募集だな」
俺の声に火が反射し、洞窟の空気が少しだけ温かくなるのを感じた。魔術師を仲間に加える。その方針が決まった途端、洞窟の空気は少しだけ軽くなった。
だが、それだけでは足りない。今日の敗北の原因は火力不足だけじゃなかった。それを誰よりも理解しているのはジャンヌだった。
「もう一つ、提案がございます」
ジャンヌは丁寧に言葉を選ぶような声音で口を開いた。焚き火の赤い光が、伏せられたまつ毛の影を濃くする。
「魔術師を迎えるのは大賛成です。ですが、それだけでは勝てません」
アテナも俺も息をのみ、続きを待った。
「今日の敗因は、火力だけではありませんでした。誰が指揮をとっているのかが曖昧だったからです」
言葉は温度を失っていた。責めるでもなく、なじるでもなく、ただ事実を示す音だった。
「奥様は突然の判断で前衛から後衛へと移り、作戦は変更を余儀なくされ……結果として、ご主人様は戦線維持の負担をすべて背負う形になりました」
アテナの肩がぴくりと震えた。ジャンヌは慌てて首を横に振る。
「責めているわけではありませんよ。恐怖を感じたら退くのは当然でございます。ですが、戦闘中、誰が作戦を変更できるのかを定めていなかったために、混乱を招いたのです」
その分析は正確すぎて、逆に胸ががっつり痛む。アテナは唇を結び、炎をにらむように視線を落とした。
「確かに今日は私が悪かったわ……でも、どうすればいいのよ」
声には怒気よりも、迷いと自己嫌悪が滲んでいた。ジャンヌは静かに答える。
「指揮系統の統一が必要です」
焚き火がパチ、と音を立てる。
「もし奥様が『後衛に下がる』という判断をされた時、それが戦術的に正しいのか、恐怖による撤退なのか、誰かが判断しなければなりません。その役目を誰かが担わなければ、今後も戦線は崩壊します」
ジャンヌは深く一礼し、頭を下げた。
「お願いです。勝つために、生き残るために、このパーティーにおける指揮権を、ひとりに」
沈黙。今度は、誰もすぐに口を開こうとしなかった。アテナが息を吸い、吐く。そして、喉の奥から無理やり絞り出すように言う。
「なるほど、私じゃ無理そうね。いいわ、それは認める」
自嘲でもなく、敗北でもなく。ただ、事実を認めた声。アテナは膝の上で握った両手を見つめながら続けた。
「じゃあ……誰がリーダーをやるの」
アテナの視線が俺へ向く。ジャンヌも同じように見上げる。俺は喉が締め付けられるような感覚に襲われた。生まれてこの方、リーダーというものをやったことがない。いや、やるチャンスはあった。怖くて逃げてきただけだ。
だが……誰かがやらなきゃ、また今日みたいになる。怒鳴られながらでも、期待されながらでも、重い役割を背負わなきゃ勝てない時がある。俺は深く息を吸う。
「……俺がやるよ」
空気が震えるほどの沈黙が生まれた。そのあと、ゆっくりとジャンヌが頭を下げ、アテナが視線をそっと逸らしながら呟いた。
「大丈夫、あんたなら出来るわ」
その一言が、胸に重く響いた。命を預けられるという責任。仲間を守るという重し。そして、恐怖を抱えながらも、それでも戦うという誓い。リーダーが決まった瞬間、パーティーはようやくチームになった。リーダーが決まり、俺たちはようやくひと息ついた。それでもまだ焚き火の熱気より、敗北の余韻の方が濃い。だけど立ち止まってる暇はない。
「魔術師を募集しよう。明日の朝いちでギルド掲示板に貼る」
俺がそう提案すると、ジャンヌはすぐ頷き、アテナも渋々ながら同意した。チェストから紙とペンを取り出し、テーブルの上に置いた。
この時点でまだ張り紙一枚なのに、空気は妙に重い。失敗したくない。変な奴を入れたくない。死に近づきたくない。三人の気持ちが全部乗っている。
「じゃあ、俺が文面を書く。募集条件は──」
言いかけたところで、アテナがペンを奪うように前へ出た。
「任せなさい! 募集広告には引きの強さが大事なのよ!」
「いや、広告じゃなくて募集なんだが……?」
アテナは聞いちゃいない。
「ええと……《高報酬・名誉・栄光・大活躍のチャンス!》っと!」
「どこのブラック企業だよ!! 人を騙す気満々じゃねぇか!!」
「いいのよ! 魔術師なんて基本プライド高い生き物でしょ? 褒められたい、持ち上げられたい、周囲からチヤホヤされたい! 要するにねバカなのよ!」
どこぞの女神を彷彿とさせる人物像。狙って発言してるなら、天才的だ。
次にジャンヌが静かに紙を引き寄せ、アテナの書いた上から丁寧に追加する。
「ではわたくしは《ご主人様と奥様のために奉仕し、仕える覚悟のある者》と──」
「重すぎるだろ、それ! 怖いわ、逆に逃げられるわ!」
「そうでしょうか? 奥様とご主人様のために人生を捧げるのはとても尊いことだと思うのですが……」
「一般人はそう思わねえんだ」
ジャンヌのメイド思想フィルターは強烈すぎて危険だ。そこで俺も負けじと加筆する。
「《最低限の協調性・戦術理解・危険地域での行動経験のある者。特に雷・炎属性の魔法を使える方歓迎》」
一気に真面目さが増した。だが──
「……ねえ、なんだか募集の方向性が喧嘩してないかしら?」
「煽情的な宣伝ワード」「奉仕契約」「募集要項」が一枚の紙に混在している。地獄だ。客観的に見ても、統一感ゼロ。まともな魔術師なら一瞥すらしないだろう。俺は頭を抱えた。
「……なあ、そもそもさ。」
アテナとジャンヌが同時に顔を上げる。
「普通の魔術師が、俺たちみたいな底辺パーティーに来ると思うか?」
二人とも、数秒ほど固まる。そして、アテナが先に口を開いた。
「……たしかに。《名声・栄光》とか言っても、そんなの実績ゼロのパーティが言ったら痛い宣伝よね」
ジャンヌも深くうなずく。
「わたくしの《ご主人様に尽くす者》という文言に関しても普通の方は引いてしまうかもしれませんね……忠誠心の方向が重すぎますわ……」
「ああ、俺の《経験者のみ》って条件も冷静に考えたらおかしい。俺達自身が素人みたいなもんだからな」
三人揃って、うなだれる。
「まともな魔術師って、絶対来なくね?」
「来ませんね……」
「来ないわね……」
完全に結論が出た。そこで、アテナがゆっくりと顔を上げる。
「じゃあ……逆に考えるのよ。普通の魔術師じゃなくて、普通じゃない魔術師を狙うの」
俺とジャンヌは訝しげに見つめる。アテナはニヤリと口角を上げた。
「魔王を倒すとか、人生を賭ける価値があるとか、そういう崇高な理想とか危険な賭けが大好きな変わり者。高潔な精神を持った聖人か、命知らずの狂人か……そのどちらかが来る可能性に賭けるしかないと思うのよね」
アテナの言う通り、うちのパーティはまともじゃない。確かに加入するとしたら、ろくでもない人種。つまり、俺達と似たようなヤツである蓋然性が高い。ジャンヌも手を合わせる。
「つまり……《魔王討伐パーティ》で募集をすればよいのですね!」
その一言で、三人のテンションが一気に変わった。
「それだ!!」
アテナは紙の上に大きく書く。《魔王討伐を目指すパーティ。共に戦う魔術師を求む》
ジャンヌが文言を整える。《主従ではなく、仲間として。指揮にご協力いただける方》
そして俺が締める。《未経験歓迎。やる気があれば問題なし!》
三人で声に出して読み返す。……妙に熱い。妙に危うく、妙に重い。だけど、そこに嘘は何ひとつない。
「よし……貼ろう。明日朝一でこれをギルドに出す」
三人が頷き合った瞬間、洞窟の中の空気が変わった。次こそ勝つために。死なないために。魔王討伐という高すぎる目標に、あえて賭けるために。その張り紙は、まともな人間を遠ざけるかもしれない。そして、恐れ知らずの変人を引き寄せるだろう。
だが、俺たちはまだ知らなかっのだ。あの銀髪の魔女の瞳に、この紙が刺さる未来を。
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