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10話「ゴブリンが住んでそうなアレ」

 精神的疲労によるダメージで瀕死になりながら、俺は勧誘の間を後にした。赤い夕日が石畳を照らし、汗で張りついたシャツが肌を不快に撫でる。

 

 ジャンヌは俺の数歩うしろを、一定の距離を保ってきっちり付いてきている。

 

 「ご主人様の歩幅に合わせております。歩きやすい速度がございましたら遠慮なくお申し付けください」

 「いや、まずはそのご主人様って呼び方、やめくれないか? 何だかむずかゆい」

 

 「かしこまりました、ご主人様」

 「聞く気ゼロじゃねえか!」

 

 喉が枯れそうなツッコミを入れながら、待ち合わせ場所である広場でアテナと合流した。

 

 「ただいま戻っ……」

 俺が言葉を終えるより先に、アテナの視線がジャンヌにロックオンした。

 

 「は?」

 声が低い。金髪が風もないのに揺れて見えるほど、怒気のオーラを感じる。

 

 「シンジ。なんであんたメイドを連れてきてるの? 今日の任務はヒーラー探しでしょ? マニアックな風俗でも行ってきたの?」

 「ち、違う! 見た目はメイドなんだけど、職業はパラディンなんだ! 上級職だ! 盾役も回復もできる! むしろ戦力強化!」

 

 俺は全身全霊でプレゼンしていた。アテナの怒りゲージを少しでも下げたい。なのにジャンヌは前に出て言った。

 

 「初めまして、アテナ様。突然ですが奥様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」

 ジャンヌが完璧な淑女の礼をした。アテナの目の奥が一瞬で濁り、死んだ。

 

 「……はい解散。私、パーティ抜けるわ」

 「待てぇぇぇぇ!!」

 

 アテナが踵を返し、去ろうとする。俺は前に回り込んで必死に説得した。

 

 「ジャンヌは戦力なんだ! 俺とお前の負担を減らせる! クエスト成功率が段違いに上がる! 上級クエストだって受けられる!」

 

 「恐れながら、奥様。ご主人様が懇意になさっている女性のことを奥様と呼ぶのは自然なことかと」

 ジャンヌ、頼むからお前はもう黙っててくれ!

 

 「聞いてくれ、アテナ。ご主人様とか奥様ってのはあくまでそういう設定だ。ジャンヌはメイドとして勝手にロールプレイしてるだけだ。決して、俺がメイドさんプレイを強制したわけではない。実害はないし、ちょっと位、付き合ってやっても問題ないだろ?」

 

 「知らないわよ! あんた達の妄想変態コントに付き合ってる暇はないの! じゃあね、私はもう行くわ!」

 

 ぐうの音も出ない正論。だが、アテナは打算と生存本能で動く女だ。戦力アップすれば高難易度クエストも攻略可能になる。それはすなわち可処分所得の増加を意味する。俺は最後の賭けに出た。

 

 「アテナ。ジャンヌがいれば、美容代を増やせるぞ」

 

 アテナの肩がピクリと震えた。沈黙が続く。ジャンヌの性格はアレだが、上級職。合理的に考えれば、戦力としてはどこのパーティーも喉から手がでる位欲しいはずだ。そしてこの女は自分の損得勘定だけはやたらと頭が回る。少し間を置いて、吐息とともに言った。

 

 「……今回だけは許すわ。次に変な女連れてきたら、容赦なく抜けるから」

 「奥様……なんと果断な決断力! ジャンヌはこの家にお仕えすることができて幸せ者でございます!」

 

 「キモイって言ってるでしょ、ばかあああああ!!」

 どうにか決裂回避。全身の力が抜けていく。

 

 「で、家は見つかったのか?」

 俺はやっと本題に切り替えた。アテナは誇らしげに胸を張った。

 

 「もちろんよ! 南向きで、広くて、涼しくて、街からもすぐの距離よ!」

 

 この時点で嫌な予感しかしなかったが、案内されるまま、街を出て郊外へ。夕日が沈みかけ、森に囲まれた道を抜けると、ぽっかりと口を開けた巨大な穴が姿を現した。洞窟。どう見ても、誰が見ても洞窟だった。

 

 「最高でしょ? 中は広くて風通しがいいのよ。まあ多少湿ってるけど、慣れれば平気よね。なにより、家賃がタダなのよ! 素晴らしいわ!」

 

 「住居っていうか、洞窟だろこれ! 人間じゃなくてゴブリンとかが住む場所だぞ!」

 

 「ここに住めば浮いた家賃を美容費に回せるじゃない」

 「ふざけんな! 家畜小屋の方がまだましだ。俺たちの住環境はどこ行った!」

 

 引きずられるようにして洞窟内へ足を踏み入れる。ひんやりした空気が肌を刺し、ひたひたと滴る水音が響く。足元の石が湿って滑る。

 

 横を見ると、ジャンヌは微笑みながらも頬を引きつらせていた。

 「……大変失礼ではございますが、奥様。ここは一般的に家とは呼ばないのでは……」

 

 「あーら、メイドさん。我が家に何か、ご不満でも? 住み込みで働きたくないというなら、別にそれでもいいわよ? でも、いい御身分よねえ。メイドの身分であれはしたくない。これはしたくない。ああ、まったく! そんなことを続けていたら、あなた、ご主人様にお暇を出されちゃうんじゃないかしら!」

 新人メイドをいびる夫人の如く、アテナは口をまくし立てた。やたらと板についている。

 

 「奥様……!」

 ジャンヌの表情から、誇りという名の天井がバキッと音を立てて割れるのが見えた。彼女は震える声で、それでも気高く宣言した。

 

 「わたくしが間違っておりました。この洞窟を世界で一番住みやすい住居に変えてみせます!」

 

 炎のような決意だった。メイド魂が完全に覚醒している。その姿にアテナは満足げにうなずき、俺は放心しながら天井を見上げた。なんなんだこのパーティー。

 

 高飛車な女神アークビショップ。忠誠ゲージがぶっ壊れているメイド聖騎士。そして器用貧乏の転生冒険者。生活は不安だらけで、金はなく、住居は洞窟で、常識は吹き飛んでる。

 

 アテナが洞窟の天井を見上げながらつぶやいた。

 

 「ねえ、ジャンヌ。明日になったら、この洞窟の改築作業を始めましょう。美の化身である私が住むに相応しい場所にする必要があるわ」

 「ええ、奥様。不肖ジャンヌ、お手伝いさせて頂きます」

 

 足元には湿った石。頭上からはひたひたと水滴。視界には二人の仲間。異世界での生活は、今日から本当の意味で始まったのだ。

 

 洞窟での共同生活が始まって初めての朝。焚き火の煙の残り香と湿気の匂いが漂い、地面は冷たく、寝起きは最悪だった。

 

 「……腰が痛え」

 「湿気で髪が広がる! 最悪よ!!」

 

 アテナと俺が呻くように起き上がる横で、ジャンヌは、すでに動いていた。

 

 「おはようございます。ご主人様、奥様。簡単な朝食を用意してありますので、お食べ下さい。私は住環境改善作業に取り掛からせていただきます」

 その声は凛として、朝日みたいに爽やかだった。いや、爽やかとかいう次元ではない。やる気が鬼だ。

 

 「改善って……何からやるつもりなんだ?」

 「まずは洞窟内の動線の最適化からです」

 「動線……?」

 「人が生活の中で最も歩くルートのことですわ。物を置く場所、作業の手順、無駄な移動を排し、利便性を高め、幸福度を上げます」

 

 ジャンヌは一枚の紙を広げた。そこには洞窟の見取り図と、緻密すぎる配置計画が描かれていた。

 

 「寝床は奥様の美容のため湿度の低い箇所に配置します。その横に鏡台スペース、ドレスラック、スキンケアルーム。ご主人様の武器・装備は入り口側の動線上にまとめ、緊急時の展開速度を最優先で配置」

 

 「ちょっと、待て。俺の寝床よりアテナの美容スぺースの方がかなり広くないか?」

 「当然でございます」「当然でしょ」女性陣曰く、当然らしい。

 

 

 ジャンヌの洞窟改築は、そこから一気に狂気じみた加速を見せた。彼女はまず洞窟の地面に膝をつき、静かに祈るように手を当てた。

 

 「不快要素を検知」

 その瞬間、洞窟の問題点を嗅覚でも視覚でも聴覚でもなく、メイドの直感で把握したかのようだった。

 

 「湿気の根源は北壁の割れ目。ここに防湿布を。溜まり水は排水溝へ誘導し、足元には木製パレットを敷きます」

 

 ジャンヌはトランクケースから、布や釘など、いつ持ってきたのか分からないものを次々と取り出す。

 

 「お前それ洞窟に持ち込んでたのか……!?」

 「メイドたるもの、住み込み先はいかなる環境も想定して準備いたします」

 「住込み前提の準備力すげえな!?」

 

 そこからの展開は、もはや土木工事だった。アテナは釘を打ち、ジャンヌは縄を組み、俺は木材を切った。三人で排水溝を掘り、洞窟を住居へと変えていく。手際は戦闘の時のように鋭いのに、不思議とジャンヌの動きには気品がある。

 

 「奥様、美容品ラックが完成いたしました」

 「すごっ!! 何これ! サロンじゃない!!」

 

 アテナが感動するのも無理はない。洞窟の一角が美容ルームに変貌していた。木製の棚、鏡、腰掛け、布のカーテン。洞窟の一角とは思えない異様な洗練感。

 

 「ご主人様の武器ラックはこちらに」

 木と縄だけで形作られた、武骨な飾り気のない武器ラック。ただそこにあるだけだ。

 

 「俺の雑ッ!? 簡素すぎだろこれ!」

 「緊急時には取り出す速度が命。デザインは二の次でございます」

 正論すぎて何も言い返せなかった。


 昼過ぎになると洞窟全体がまるで別の建造物の内部のようになっていた。入口には土間と武器置き場。中腹には調理場と食料保管庫がある。そして最奥には寝室とアテナ専用の美容スペース。照明の位置すら計算され、洞窟の中をくまなく照らしていた。

 

 「これ……本当に洞窟か?」

 「洞窟ですよ。とても素敵な」

 ジャンヌはナチュラルに狂気を言う。

 

 「ここまでやって……疲れないのか?」

 「疲れはございます。しかし──」

 

 ジャンヌの瞳が静かに輝いた。

 「奥様とご主人様が、快適に休める場所を得るのなら、どんな疲労でも幸福に変わります」

 

 アテナは、照れ隠ししながらも笑った。

 「……ありがと。あんた、ほんと、助かってるわ」

 

 俺も少し素直になる。

 「ジャンヌ、すごいよ。マジで助かってる」

 

 ジャンヌはスカートの裾を摘み、深々と礼をした。

 「こちらこそ……仕える相手がいてくださることに、感謝しかございません」

 その声は誇らしくて、嬉しそうで、涙が混ざっているようにも聞こえた。

 

 洞窟を改築してからの夜。焚き火の火は青みを帯び、熱気と湿気を押し退けるように揺れている。

 

 香りは、肉とハーブと、少し焦げた木材。その中央に立つのはやはりジャンヌだった。メイド服の袖をまくり、エプロンに新しい防水カバーを重ね、まるで戦闘準備のように料理に向き合っている。

 

 「本日は記念すべき共同生活初の夕食。腕によりをかけてご用意しております」

 

 鉄鍋から炒め油が弾ける。塩を振る音が洞窟全体に響く。食材の音と匂いが、俺とアテナの腹を容赦なく刺激する。

 

 「はぁぁぁ……いい匂いする……! ねえ、早く食べましょうよ」

 ジャンヌは冷静に答えた。

 

 「もう少しです、奥様。あと二十四秒お待ちください」

 「秒単位なの!?」

 

 そして、皿が俺たちの前に置かれた。木皿の上には、肉と野菜とハーブをじっくり煮込んだスープが盛られていた。キャベツ、にんじん、白い豆、噛んだ時に香り立つハーブ。

 

 スプーンですくうと、とろみが重く糸を引く。そして、一口。うまい。味が濃いとか薄いとかじゃない。生き返る味だった。獣肉特有の臭みは完全に消され、柔らかくて歯で切れる。野菜は甘みを残しながらほどよく煮崩れている。スープは身体の芯に沁みるようなミルクの温度。

 

 「……っ、なんだこれ……うますぎ……!!」

 俺は半ば涙声で呟いた。

 

 「……しあわせ……」

 アテナは語彙をすべて失っていた。ジャンヌはにこりともせず、淡々と言った。

 

 「栄養素、疲労回復の速度、明日の戦闘力、精神安定、肌の調子──すべて考慮してメニューを組んでおります」

 

 「肌の調子!?」

 アテナの目がギラつく。

 

 「奥様の美容はわたくしの第一義務ですので」

 「はい採用!! 毎日この子にご飯作ってもらいましょう!!」

 

 食器を叩き割る勢いのテンション。ジャンヌは俺の方を見て続ける。

 

 「ご主人様の筋肉疲労の回復も考えておりますので、できればスープは残さずお召し上がりください」

 「俺の身体の事情まで把握してんのかよ……」

 「当たり前でございます。仕える以上、主人の肉体状態を把握しないメイドは失格です」

 

 ジャンヌのメイド哲学はやはり過激だった。それが恐ろしくも頼もしい。


 食事が終わると、静かさが訪れた。洞窟の天井で焚き火の煙が揺れ、外から虫の声が聞こえる。俺がぽつりと漏らした。

 

 「……なんか、我が家って感じだな」

 アテナも同じタイミングで呟いていた。

 「……わかるわ。本当は洞窟なんだけど、でもここは紛れもなくマイホームだわ」

 

 ジャンヌは膝をつき、淡々と皿を片付けながら言う。

 「家とは建物だけで決まるものではありません。誰と食べたか、誰と過ごしたのかも重要なのです」

 

 その言葉に、アテナと俺は思わず黙った。洞窟の音、焚き火の光、心がほどけていく感覚。戦いの傷も、生活の不安も、借金も、ほんの少しだけ薄れた。

 

 「……シンジ。あんた、中々見る目があるわね。あんたにスカウトを任せて正解だったわ」

 珍しく素直なアテナ。俺も小さく頷く。

 「頼りになる仲間を……掴んじまったな」

 

 ジャンヌは照れもせず、嬉しそうに微笑んだ。

 「ご主人様と奥様の役に立てるのなら、わたくしは、世界の誰よりも幸福です」

 

 焚き火の火がパチンと弾け、煙が天井に昇っていく。こうして俺たちの共同生活の夜は、あたたかさを覚えた。

ブクマ、感想等々、励みになりますのでよろしくお願いします。

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