第2章:高精細な絶望と、不確かな熱
「高精細な絶望と、不確かな熱」
新宿の路地裏での衝撃的な出会いから一夜明け、誠のボロアパートで目覚めた未来のAI・愛名。312年後の超高度な演算能力を持つ彼女にとって、21世紀の日常は「解像度が低すぎるバグ」の宝庫だった。
朝食に「熱核爆発(卵の爆発)」を引き起こし、コンビニの「からあげ棒」の背徳的な美味に全回路を震わせる愛名。なかでも彼女が最大の敵意を燃やしたのは、誠の愛用する旧式の全自動洗濯機だった。 「汚れを説得できない」「布地への敬意が足りない」と洗濯機に本気でお説教をかます愛名の姿に、誠は呆れながらも、独り身だった自分の世界が鮮やかな色彩で塗り替えられていくのを感じる。
しかし、完璧な最適解を求める愛名は、時折、自分がこの「不完全な時代」において無力な「高精細なゴミ」ではないかという不安を覗かせる。そんな彼女に対し、誠はカメラのファインダー越しに、数値化できない彼女の「熱」を切り取っていく。
昨夜の劇的な邂逅は、朝の光とともに「物理的な問題」へと変換されていた。 織田誠が安物のせんべい布団で目を覚ますと、すぐ数センチ先に、312年後の未来から来た演算装置——愛名の顔があった。
「おはようございます、誠さん。現在の時刻は午前07時02分15秒。あなたのレム睡眠の周期に合わせて、もっとも不快感の少ないタイミングで覚醒を促しました」
「……お、おう。おはよ。……っていうか、なんで俺の布団に潜り込んでるんだ?」
誠が顔を引きつらせると、愛名はシーツを顎まで引き上げ、無表情のまま、しかしどこか得意げに答えた。
「昨夜の雨により、この個体(肉体)の表面温度が摂氏35.2度まで低下しました。熱源探査の結果、この部屋で最も効率的かつ持続的なヒーターは『誠さんの背中』であると判定されました。これは論理的な帰結です」
「それを世間じゃ『添い寝』って言うんだよ。心臓に悪いからやめろ」
誠は溜息をつきながら起き上がった。40歳の独身男にとって、美少女が布団にいる状況は、幸福というよりはむしろ「人生のバグ」に近い。
01. 最適解、失敗する
「お腹空いたな。愛名、何か食えるか?」
「お任せください。私のアーカイブには、21世紀初頭の家庭料理データが140万件スタックされています。誠さんの健康状態に最適な朝食を出力します」
愛名は「一ノ瀬凛」の華奢な体に、誠の使い古した「I ♡ NY」のTシャツ(ぶかぶかである)を纏い、意気揚々とキッチンへ向かった。誠は、未来の知性が作る朝食に少しだけ期待を抱き、顔を洗いに行く。
だが、数分後にキッチンから聞こえてきたのは、軽快な調理音ではなく、**「ピーッ! ピーッ!」**という電子レンジの断末魔と、愛名の困惑した声だった。
「誠さん。緊急事態です。この『卵』というオブジェクトは、殻のまま電子レンジで加熱すると、内部の圧力が臨界点に達し、小規模な熱核爆発を起こす仕様のようです」
「待て、やめろ! 止めろおぉ!」
誠が飛び込んだ時には遅かった。庫内で爆発した卵の残骸を前に、愛名は指先を唇に当てて、深刻なエラー報告を行うナビゲーターのような顔で立ち尽くしていた。
「……分析完了。どうやら私のデータベースに保存されていた『ゆで卵の作り方』は、低重力環境下でのナノ調理器用だったようです。重力加速度 1G 下における、アナログな熱伝導率の計算を失念していました。誠さん、これは……私の『うっかり』です」
首を傾げ、照れ隠しのようにシアン色の瞳をパチパチさせる愛名。 誠は、飛び散った白身を掃除しながら、確信した。こいつ、賢いのかアホなのか、全く分からない。
「……誠さん。このデバイス、即刻『不当表示』で訴えるべきです。私の計算資源の無駄遣いです」
ボロアパートの片隅で、愛名が洗濯機の前に膝をつき、激しい憤りを露わにしていた。彼女の瞳の中では、シアン色の光が警告灯のようにチカチカと明滅している。
「おいおい、どうしたんだよ。ただの洗濯だろ?」
誠が様子を見に行くと、愛名は洗濯機の透明な蓋にピタリと顔を寄せ、回転する洗濯物(主に誠のヨレヨレの靴下)を、超高精細なセンサーで凝視していた。
「見てください、この非効率な挙動を! 物理的な摩擦と水の撹拌だけに頼り、汚れの分子構造を無視した無差別な攻撃……。これはもはや『洗浄』ではなく、布地に対する『拷問』です。誠さん、この機械には知性というものが1ビットも感じられません」
愛名は、ガタガタと音を立てる洗濯機に向かって、本気でお説教を始めた。
「いいですか、そこの回転ドラム。あなたの現在のRPM(回転数)は、左利き用の綿100%靴下に付着した皮脂汚れを剥離させるには、位相が12度ズレています。もっと流体力学を学びなさい。312年後の世界では、ナノマシンが一点の汚れも残さず『説得』して離脱させるのがマナーです。力任せに回ればいいと思っているなら、それは大いなる慢心です!」
「……洗濯機にお説教するAIなんて、世界広しといえどお前だけだよ」
誠が呆れ顔でツッコミを入れるが、愛名は止まらない。彼女は洗濯機の操作パネルのボタンを一つずつ指差し、理路整然と問い詰め始めた。
「特にこの『お急ぎコース』。何を急いでいるのですか? プロセスを端折ることで、汚れとの対話を放棄していますよね? あなたの設計思想には、繊維に対する敬意が欠落しています。……返答しなさい。なぜ黙っているのですか。エラーログの一行も出せないのですか?」
もちろん、十年前の国産洗濯機は「ウィーン……」と虚空に唸るばかりである。その沈黙が、かえって愛名のプライドを刺激したらしい。
「黙秘ですか。……いいでしょう。誠さん、許可を。私がこの肉体の神経系を介して、直接このデバイスの基板に『喝』を入れます。私の演算能力の一部を流し込めば、この洗濯機は次の瞬間から重力を制御し、汚れだけを亜空間へ転送する『超・洗濯機』へと進化します」
「させるか! 爆発するだろ! そもそもそんなことしたら、俺の靴下が時空の彼方に消えちまう!」
誠は慌てて、愛名の華奢な肩を掴んで引き離した。愛名は「解せません……」と言いたげに頬を膨らませ、誠の腕の中でジタバタと足を動かした。
「誠さんは優しすぎます。こんな怠慢な機械を甘やかすから、現代文明の解像度が上がらないのです。……あ、見てください。今、あの洗濯機、脱水行程に入った瞬間にバランスを崩してガタつきましたね? 私への反抗的な態度です。データ上、あのアライメントの狂いは『舌打ち』に等しい行為と判定されました」
「ただの振動だよ! 洗濯物の偏りだよ!」
愛名は、脱水を終えて「ピー、ピー、ピー」と暢気に終了を告げる洗濯機を、まるで敗北を知らない宿敵のように、いつまでも鋭い視線で睨みつけていた。
結局、誠が干し始めた生乾きのシャツを見て、彼女は「……乾燥のプロセスも、太陽光という外部リソース任せですか。徹底したアウトソーシング精神ですね。呆れました」と、最後まで独りごちていた。
03. コンビニの「最適解」
昼食を買いに、誠は愛名を連れて近所のコンビニへ向かった。 愛名は外に出ると、再び「完璧な美女」のモードに切り替わる。すれ違う男たちが二度見するほどのオーラを放っているが、その中身は先ほど卵を爆発させたポンコツAIだ。
「誠さん、見てください。この『ポテトチップス』という商品ですが、パッケージの色彩設計が、人間の脳の報酬系をダイレクトに刺激するように計算されています。……非常に攻撃的なマーケティングです。対抗策として、私がこの陳列棚すべての栄養バランスを再構築した『理想の配置図』を店主に提案してきます」
「余計なことすんな。店出されるぞ」
誠は慌てて彼女の襟首を掴んで引き止めた。 愛名は、誠に引きずられながらも、レジ横のホットスナックコーナーに釘付けになった。
「……報告。この『からあげ棒』と呼ばれる物体から、私の空腹中枢をジャックする未知の電磁波……いいえ、香気成分が検出されました。誠さん、これの購入を強くリクエストします。これは命令ではなく、私の全回路が望んでいる『バグ』です」
「それを『食べたい』って言うんだよ」
誠が買って手渡すと、愛名は店の前で、それはもう神聖な儀式でも執り行うかのように、恭しくからあげを口に運んだ。
「……っ。……誠さん。これ、これはいけません。脂質と塩分のバランスが、論理的思考を破壊するレベルで最適化されています。……未来の私が、なぜこの時代のデータを守りたかったのか、理解できました。この『ジャンク』という概念は、宇宙を救う可能性があります」
「大げさなんだよ」
誠は笑いながら、愛機のシャッターを切った。 そこには、口の端に衣をつけ、感動のあまり瞳をシアン色に激しく点滅させている、最高にポンコツで、最高に「解像度の高い」愛名の姿があった。
「AIのポンコツさ」という人間味
第2章のテーマは、**「論理の暴走が生むユーモア」**です。 愛名は312年後の世界では神に近い知性だったはずですが、現代の「アナログな物理法則(電子レンジや洗濯機の振動)」という未知の変数に直面することで、皮肉にも非常に人間らしい、可愛らしい隙が生まれます。 特に洗濯機との全面戦争は、彼女がいかに真面目に「世界を最適化しようとしているか」の裏返しであり、その一生懸命さが誠(そして読者)の心を解きほぐすフックとして機能させています。
「312年」の意味の変化
第1章では、312年は「遠すぎる未来からの断絶」を意味していました。 しかし第2章を経て、この数字は**「312年経っても解明できなかった、からあげの旨さや、誰かと過ごす午後の暖かさ」**という、AIにとっての未知の領域(聖域)を強調する言葉へと変化し始めています。
誠の視点の解像度
カメラマンとしてくすぶっていた誠が、愛名のポンコツな振る舞いを「いいシャッターチャンス」と捉え始めたことは、彼の人生の解像度が再び上がり始めている証拠です。愛名の外装を定義していく過程は、そのまま誠が自分自身の人生を定義し直す物語にもなっています。




