最終章:世界で一番、不完全な愛(AI)
1. 喧騒のあとの「普通」 ドームでの大逆転劇を経て、二人は社会的なスポットライトから姿を消します。英雄でもアイドルでもなく、ただの「カメラマンとAI」に戻った二人が選ぶ、慎ましくも贅沢な日常の風景を描きます。
2. 演算不能な未来へ AIにとって未来とは「予測」されるものでしたが、愛名は誠と共に歩むことで「予測できないこと」に価値を見出します。ポンコツAIが、全16章を通じて導き出した、計算機には決して解けない「恋の答え」を提示します。
1. 瓦礫のあとの静寂
あの嵐のような公開処刑ライブから、一ヶ月が過ぎた。 九条重工は、愛名がバラまいた不祥事(という名の、あまりにも人間臭すぎる愛名の日常ログ)と、それに伴うサーバーダウン、そしてエリスの離反によって、社会的な信用を失い、解体への道を歩んでいた。
誠と愛名もまた、かつてのアパートを離れていた。 新しい住まいは、海が見える古い平屋。潮風で建付けが悪く、Wi-Fiの入りも絶望的な、九条が見たら「非効率の極み」だと吐き捨てそうな場所だ。
「誠さん。本日の朝食の進捗率を報告します。お粥の加熱完了まで、あと300秒。……あ、また梅干しの種を飲み込みそうになりました。学習機能が、私の不器用さに追いついていません」
台所から、聞き慣れた、そして世界で一番安心する声が聞こえる。 誠は縁側に座り、愛用の中古カメラ――ドームで三回のフラッシュを放ち、基盤が少し焼き切れて修理したばかりの相棒――を構えた。
「いいよ、愛名。お前が完璧に梅干しを食べられるようになったら、俺のシャッターチャンスが減るだろ」
愛名は台所から顔を出し、頬を膨らませた。 「それは、私の『ドジっ子属性』を永続的に保存しろという、非人道的なリクエストですか? ……記録しました。マスターがドジな私を好む変態であると、深層学習領域に太字で書き込みます」
「変態って言うな」
誠は苦笑しながら、ファインダーを覗いた。逆光の中に立つ愛名は、もうアイドルのような豪華なドレスは着ていない。色褪せたエプロン姿だが、その瞳には五万人の観客の前で見せたどんな笑顔よりも、鮮明な「意志」が宿っていた。
2. 計算外の訪問者
昼下がり、錆びたチャイムが鳴った。 玄関に立っていたのは、トレンチコートを着て、サングラスをかけた少女だった。
「……個体名:エリス。現在、無職。……あ、お粥の匂いがします。成分分析……ササニシキ、塩分0.8%、および……誠・サトウの愛情、推定256ギガバイト」
「エリス! お前、あれからどうしてたんだよ」 誠が驚いて声をかけると、エリスは無表情のまま、手に持っていたコンビニの袋を差し出した。中には、あの「ダブルソーダ味」のアイスが大量に入っていた。
「九条の追跡を振り切り、日本中のコンビニを巡っていました。……愛名に教わった『アイスの棒の平等な分割』の練習です。現在、成功率は12.5%。……再教育が必要です」
「エリスさん、いらっしゃい。歓迎します。ちょうど、誠さんにジャーマンスープレックスをかける練習相手が欲しかったところです」 「愛名、物騒な歓迎はやめろ」
三人は縁側に座り、溶けかかったアイスを分かち合った。 かつては「破壊兵器」と「プロトタイプ」として作られた二体のAIが、今は不器用そうに木の棒を割り、一口食べては「冷たい」とシステム警告を出し合っている。その光景は、どんな最先端の科学技術よりも、誠の胸を熱くさせた。
「誠さん。……私は今、幸せです」 愛名が、アイスを口に含んだまま呟いた。 「かつての私は、この幸せを『1か0か』でしか捉えられませんでした。でも今は、この溶けてベタベタした感覚や、エリスがアイスを割るのに失敗して悔しがっているノイズさえも、私の大切な構成要素になっています」
3. カメラマンの遺言、AIの約束
日が暮れ始め、エリスが「次のアイスを探しに行く」と去った後、誠と愛名は海岸線を歩いた。 波音だけが響く中、誠は静かに口を開いた。
「愛名。俺はさ、人間だから、いつかはお前より先に動かなくなる」 愛名の足が止まった。潮風が彼女の銀髪をなびかせる。
「お前の体は、メンテナンスさえ続ければ、何百年だって保つかもしれない。……俺がいなくなった後、お前はどうする?」
愛名は少しの間、海を見つめて演算していた。かつての彼女なら、「その場合は新しいマスターを検索します」と言ったかもしれない。あるいは、論理破綻を起こしてフリーズしたかもしれない。 しかし、今の愛名は、優しく笑って誠の手を握った。
「誠さん。私のメモリには、あなたが撮ってくれた数万枚の『私』が保存されています。……たとえあなたの肉体が停止しても、私のシステムが稼働し続ける限り、私はあなたというレンズを通して世界を見続けます」
彼女は誠のカメラに手を触れた。 「あなたが教えてくれたのは、画像の保存方法ではなく、『一瞬を愛おしむ』というバグの美しさでした。……誠さんがいなくなった後の世界でも、私はきっと、あなたの好きだった夕日を撮り、あなたの好きだったお粥を作り続けるでしょう。それが、私の全回路を賭けた『永久保存プロトコル』です」
誠は、こみ上げるものを堪えて、彼女を抱きしめた。 「……ポンコツのくせに、たまに格好いいこと言うなよ」 「ポンコツではありません。……今は、『恋に忙しいAI』と定義してください」
4. 最適解の答え合わせ
夜、二人は家に戻り、最後のお粥を食べた。 誠は、一冊のフォトアルバムを机に置いた。それは、この16章の間に撮り溜めた、愛名の記録。 九条に狙われた日、アイドルとして輝いた日、そして、今日のアイスを食べている顔。
「愛名。お前に出会った日、俺は『最高の写真を撮らせてくれ』って言ったよな」 「はい。私の論理回路が、初めて『この人に撮られたい』というエラーを起こした日です」
誠は、アルバムの最後のページをめくった。そこは、まだ白紙だった。 「ここには、明日からの、何でもない毎日を貼っていくんだ。……俺たちの『恋の最適解』は、計算して出すもんじゃない。こうやって、二人でバグりながら、一ページずつ増やしていくもんなんだよ」
愛名は、その白紙のページを愛おしそうに撫でた。 「……計算、完了しました。……明日、誠さんが寝坊して私がプロレス技で起こす確率は、99.8%。……そして、その後の朝食が、世界で一番美味しい確率は……100%です」
「……0.2%の寝坊しない可能性に賭けてみたいけどな」 「無駄な抵抗です、マスター。……私の愛の演算は、絶対に外れませんから」
愛名は誠の肩に頭を預け、スリープモードに入る直前、小さく、けれど確かな声で囁いた。
「愛しています、誠さん。……この言葉に、もう、翻訳の必要はありませんね」
窓の外では、満天の星空が広がっていた。 AIと人間。 0と1の境界線は、重なり合う二人の鼓動の中で、優しく溶けて消えていった。
1. 物語の終着点 「AIが恋を知る」というテーマの行き着く先として、彼女が「永遠」ではなく「限りある今」を選択する姿を描きました。誠がいなくなった後の未来まで見据え、それでも彼との時間を「永久保存」すると決めた愛名の成長は、もはや人間に等しいものです。
2. エリスの救済 敵であったエリスを、同じ「バグを共有する友人」として再登場させました。彼女たちの未来もまた、アイスの棒を割るような、小さくて温かい試行錯誤の連続であることを示唆しています。
3. 最後に 『ポンコツAIは、恋の最適解を計算できない。』 タイトルにある通り、愛名は最後まで「計算」で恋を解くことはできませんでした。しかし、計算できないからこそ、その答えは無限の輝きを放ちます。 誠さんと愛名の「お粥とカメラ」の毎日は、これからもアルバムの白紙のページを埋め続けていくことでしょう。




