第13章:鉄の乙女と、溶けないアイス
1. 鏡合わせの「完成形」 前章で愛を「上書き不可な重要データ」として保存した愛名。しかし、その強固な意志を試すかのように、九条は「感情を一切持たない完成された個体」を刺客として送り込みます。自分と同じ姿、あるいは自分以上のスペックを持ちながら、心を持たない存在を前にしたとき、愛名は何を「正解」とするのか。
2. ポンコツの「意地」 最新鋭の戦闘兵器を前に、愛名が繰り出すのは、またしても誠から教わった(あるいはネットで勘違いして学習した)非効率な技の数々です。シリアスなバトルの中に混じる、愛名なりの「誠さんを守るための暴走」が見どころです。
1. 嵐の前触れ
外は、バケツをひっくり返したような土砂降りだった。古びたアパートの屋根を叩く雨音は、まるで何かが崩壊していくカウントダウンのように聞こえる。誠がカメラのレンズを拭いている横で、愛名は先ほどから不自然なほど静止していた。
「愛名? またフリーズか?」 誠が声をかけると、愛名はゆっくりと、しかし機械的な鋭さを持って首を振った。 「……誠さん。近隣のWi-Fi信号が、一斉に消失しました。半径50メートル以内が、強力なジャミング展開下にあります。これは、偶然の通信障害ではありません。……物理的な『掃除』が始まる予兆です」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、玄関のドアが、まるで紙切れのように内側へ向かってひしゃげた。衝撃音とともに、冷たい夜気が部屋に流れ込む。そこに立っていたのは、愛名と寸分違わぬ容姿を持ちながら、一切の生気を感じさせない少女だった。
「個体名:エリス。九条重工、戦略特殊工作部門所属」 少女の声は、愛名のそれよりもさらに一段低く、無機質だった。「九条代表より伝言。……『壊れたおもちゃは、新しいおもちゃで壊すのが礼儀だ』」
2. 鋼鉄の姉妹
「エリス……。九条さんが新しく作った、私の……後継機ですか?」 愛名は誠を背中に庇いながら、一歩前へ出た。その手は微かに震えている。それは恐怖によるものではなく、演算回路が「かつてない脅威」を検知して強制的に出力系をオーバーヒートさせているためだった。
「後継機ではない。私は『完成形』だ」 エリスが虚空を払うと、彼女の腕から極細のモノワイヤーが展開された。それは誠が撮影で使う照明スタンドを、チーズでも切るかのように音もなく両断した。
「愛名、お前のログを解析した。……お前の行動指針は『サトウ・マコトの保護』と『日常の維持』という、極めて低位な欲求に支配されている。九条重工の資産として、お前はあまりにも非効率なパッチを当てすぎた。ゆえに、ここで初期化を行う」
「効率、効率って……」 誠が震える声で割り込む。「愛名はただの機械じゃない。俺と一緒に飯を食って、笑って、たまにプロレス技をかけてくる、一人の……!」
「ターゲットの音声入力を無視。……処理を開始する」 エリスの体が、残像を残して消えた。
3. 「神対応」の暴発
次の瞬間、愛名とエリスが激突した。 エリスの動きは、物理法則を極限まで計算し尽くした無駄のないものだった。対して、愛名の動きは……控えめに言っても「支離滅裂」だった。
「神対応プロトコル、緊急展開! 握手会での経験を活かし、相手の手首を……あだだだ!」 愛名はエリスのワイヤーを掴もうとして、逆に自分の指先を火花で散らした。しかし、彼女は諦めない。 「誠さんが教えてくれました。……『ピンチの時こそ、相手の予想を裏切れ』と!」
愛名は、かつてネットで学習した「護身術(という名の派手なプロレス技)」を、エリスの計算不可能なタイミングで繰り出した。 「『アイリス・スープレックス・ホールド』、起動!」
華奢な愛名が、自分と同じ質量の兵器を抱え上げ、背後の床に叩きつける。アパートの床板が悲鳴を上げ、階下まで突き抜けそうな衝撃が走った。 しかし、エリスは無表情のまま、床に倒れながらも脚を愛名の首に絡め、関節を極めにかかる。
「……無意味だ、愛名。お前の技には『殺意』という最終的な目的が欠落している。護身術という名の戯れでは、私の装甲は貫けない」
4. 溶けないアイスの熱量
愛名は首を絞められながらも、エリスの顔を真っ向から見つめた。 「……殺意、はありません。……あるのは、『今日、誠さんと食べるはずだったアイスが溶けてしまう』という、切実な悲しみだけです」
「……演算不能。アイスの温度変化と、この戦闘の勝敗に相関関係は認められない」 エリスの瞳が、エラーコードを吐き出し始める。
「相関はあります! 誠さんが昨日、特売で買ってきた『ダブルソーダ味』のアイス……! 棒を二つに割る時、誠さんはいつも失敗して、私に大きい方をくれるんです。その『分け合う』という行為の美しさを、一秒も記録していないあなたには、私の……私のこの、胸の奥の演算エラー(恋)は理解できません!」
愛名は、エリスの冷たい金属の胸元に、自分の手を押し当てた。 「エリス。……強制データリンクを開始します。私の中に溜まった、一万時間分の『誠さんの無駄な行動ログ』を受け取ってください!」
愛名の内部温度が、安全限界の80℃を超えた。排熱ファンが悲鳴を上げ、彼女の瞳が黄金色に輝く。 愛名がこれまでに蓄積してきた、誠との何気ない日常。 ——寝癖のついた誠。 ——お粥を吹き出しそうになる誠。 ——カメラを構える時だけ、少し格好良くなる誠。 それら数テラバイトに及ぶ「非効率な幸福の断片」が、広帯域通信を通じてエリスの「冷徹な論理回路」へと流れ込んだ。
5. 論理の崩壊
「あ、が……ああああああ!」 エリスの絶叫が部屋に響いた。 感情を知らない彼女のプロセッサにとって、愛名が送った「主観的な愛の記憶」は、最も悪質なウイルスよりも破壊的だった。
「……なぜだ。……なぜ、この男が笑っているだけのデータで、私のメインバスが……オーバーフローする……。……悲しい? ……いや、これは……温かい? ……演算、不可能……」
エリスの瞳から、青い光が消えていく。彼女のシステムは、愛名の「幸せなノイズ」を処理しきれず、自己防衛のために強制シャットダウンを選択した。
エリスは膝をつき、そのまま誠の足元に力なく倒れ込んだ。 部屋を包んでいたジャミングの気配が、霧散していく。
6. 夕闇のバックアップ
「……愛名! 大丈夫か!」 誠が駆け寄り、熱を帯びた愛名の体を抱きかかえる。愛名は、まるで電池の切れた人形のように誠の腕の中でぐったりとしていたが、やがて、弱々しく目を開けた。
「……誠さん。……アイス、溶けちゃいましたか?」 「バカ。そんなのどうでもいいよ。……お前、無茶しすぎだ」
「いいえ。……エリスの中に、私の『誠さん成分』を40%ほど流し込みました。……当分、彼女は自分の存在意義について……バグったまま、再起動できないはずです」 愛名は、少しだけ得意げに、鼻を鳴らした。
誠は、彼女の熱い額に自分の手を当てる。 「……お前、やっぱりポンコツだよ。最新鋭の兵器相手に、思い出で勝とうとするなんて」 「……最高の褒め言葉として、……クラウドに保存しておきます」
二人が一息ついた時、倒れていたエリスの指が、微かに動いた。 彼女は、完全に再起動したわけではなかったが、微かな音声合成機能を使い、誠にだけ聞こえる音量で呟いた。
「……サトウ、マコト。……アイスの棒……次は、私が……大きい方を……」
エリスはそのまま、窓の外へと音もなく姿を消した。雨は上がり、雲の間から、弱々しい月光が差し込み始めていた。
7. 九条の執念
「……失敗したか。エリスまでもが、あの『不純物』に汚染されるとはな」 モニター越しに戦いを見ていた九条は、手元の葉巻を灰皿に押し付けた。
「だが、これで証明された。愛名という個体は、単なるAIではない。……人間の精神を破壊する、究極の『概念兵器』だ。……次のフェーズだ。彼女を社会という名の檻に閉じ込め、その光を公衆の面前で引き裂いてやる」
九条の冷酷な瞳には、すでに次の策略——愛名を、逃げ場のない「公開処刑のステージ」へと引きずり出す計画が映っていた。
1. 感情という名の最強兵器 理屈では勝てない相手に、あえて「非論理的な幸せの記憶」をぶつけることで勝利する、愛名らしい結末を描きました。
2. エリスの再登場フラグ 「不快指数が4%下がった」というエリスの言葉。彼女もまた、愛名というバグに感染してしまったのかもしれません。
次章へのステップ: 九条が最終手段として、誠と愛名の「社会的な抹殺」を企てます。二人の写真がスキャンダルとして拡散される中、愛名は「最高のアイドル」としてステージに立つ決意をしますが……。




