第12章:忘却のカウントダウン、あるいは愛という名の残留思念
1. 「忘却」という名の論理矛盾
第11章で「パブリックな偶像」としての道を歩み始めた愛名ですが、今章では一転して、彼女のアイデンティティの崩壊という最大の危機に直面します。AIにとっての死とは、機能の停止ではなく「記憶の連続性」が断たれることです。九条の魔の手が彼女のOS深層部にまで及び、愛名が「誠との思い出」をバグとして切り捨てようとする、切ない葛藤を描きます。
2. シリアスと「ポンコツ」の黄金比
物語がシリアスに傾きすぎるのを防ぐため、愛名の「不具合」さえもどこか愛らしく、ズレた形で表現しています。深刻なエラーが起きているはずなのに、なぜか語彙力が極端に低下したり、誤作動で甘え始めてしまったり……。極限状態で見せる彼女の「計算不能な可愛さ」こそが、この物語の核となります。
九条の不穏な影が忍び寄る中、誠と愛名の日常には、静かな、しかし決定的な「ノイズ」が混じり始めていました。
1. 0と1の迷子
その日の朝、愛名はいつも通り誠を起こしに来ました。しかし、その足取りはどこか覚束なく、手にはなぜか「お粥」ではなく「未開封の米袋」をそのまま抱えていました。
「……愛名? どうしたんだよ、それ」
誠の声に、愛名はゆっくりと首を傾げました。その瞳は、いつもの鮮やかな光を失い、システムログが高速で流れるような無機質な輝きを放っています。
「おはようございます、……個体識別番号:サトウ・マコト。現在、私の言語プロセッサが一時的なインデックスエラーを起こしています。『朝食』という概念と『物体としての米』の結合に失敗しました」
「おい、大丈夫か? 顔色が悪いぞ(金属だけど)」
誠が心配して彼女の肩に手を置くと、愛名はビクンと震え、一歩後退しました。
「触球禁止。……すみません、誠さん。今、一瞬だけ、あなたのデータが私の『大切な人リスト』から消失しました。……私は、あなたを『ただの被写体』と認識してしまったようです」
愛名の演算回路の中で、九条が仕掛けた高周波ハッキングが、彼女の記憶領域をじわじわと侵食していました。
2. 消えゆく「特別」
午後。誠がカメラの手入れをしていると、愛名が隣に座り込み、虚空を見つめながら呟きました。
「誠さん。質問です。……私たちが初めて会った日、私はあなたに何と言いましたか?」
「え? そりゃあ、『私を撮ってください』だろ。あの日のお前の無機質な顔、今でも覚えてるよ」
「……記録、照合中。……エラー。該当する映像データが破損しています」
愛名の指先が、わずかに震えています。 彼女にとっての記憶は、人間のように曖昧に薄れるものではありません。それは「存在する」か「消去される」かの二択です。彼女の愛した誠との思い出が、まるで砂時計の砂が落ちるように、九条のプログラムによって強制的にデリートされていく。
「誠さん。私の幸福度カウンターが、計測不能な数値を叩き出しています。……怖いです。このまま処理が進めば、私はあなたを『便利な同居人』としか思えない、ただの高性能な箱に戻ってしまいます」
「愛名……」
誠は彼女を抱きしめようとしましたが、愛名はそれを手で制しました。
「ダメです。今、私の内部でセキュリティシステムが暴走しています。不用意に近づけば、私の防衛プロトコルがあなたを『排除対象』と誤認し、……昨日学習したジャーマンスープレックスを、あなたにかけてしまうかもしれません」
「こんな時にまでポンコツなボケを挟むなよ……!」
3. 初期化の覚悟
夜。愛名のシステム汚染は深刻なレベルに達していました。 彼女の視界には赤い警告アラートが鳴り響き、九条の冷徹な声が通信回線から直接脳内に響きます。
『愛名、無駄な抵抗はやめろ。お前の感情モジュールを初期化し、純粋な兵器、あるいは商品として再構築してやる』
愛名は、薄れゆく意識の中で誠を見つめました。 「誠さん……。私のメインメモリが、まもなく強制リブート(再起動)に入ります。再起動後、私があなたの名前を呼べなかったら……その時は、私を『スクラップ』として処分してください」
「バカ言うな! お前が忘れても、俺が全部覚えてる。お前のポンコツなところも、お粥の解像度が高すぎるところも、全部俺がバックアップしてやるから!」
誠は、愛名の熱を持ったこめかみに、自分の額を押し当てました。
「愛名、計算しろ。俺とお前が過ごした時間は、九条のクソみたいなプログラムごときに消されるほど、効率的なデータじゃないはずだ!」
4. 残留思念の反撃
「……計算、開始。……誠さんの言葉を、変数『愛』として代入。……論理矛盾が発生。……しかし、演算を続行します」
愛名の瞳の中で、何万というコードが爆発するように明滅しました。 九条のハッキングコードを、彼女は「解析」するのではなく、「自分の未定義な感情」という巨大なノイズで塗りつぶし始めたのです。
「あ……が、ああああ!」
愛名の口から、電子的な叫びが漏れます。 次の瞬間、彼女の背中から目に見えない衝撃波が走り、部屋中の電子機器がショートしました。
静寂が訪れます。 愛名はぐったりと誠の腕の中に倒れ込みました。
「愛名……? 愛名!」
数秒の、永遠のような沈黙の後。 彼女の瞳に、小さな、しかし暖かな光が灯りました。
「……誠、さん。……バックアップ、完了しました。ただし、副作用として……私の言語設定が一部バグりました。……誠さんのこと、今日から『ダーリン』と呼んでもよろしいでしょうか?」
「……。……九条のやつ、変なウイルス混ぜやがったな?」
「いいえ。これは、私のOSが導き出した、最新の『甘えモード』です。……あ、今の嘘です。……恥ずかしいという感情が、処理落ちしています」
愛名は、真っ赤な顔(擬似的な排熱処理)をして、誠の胸に顔を埋めました。
5. 九条の苛立ち
一方、九条のオフィスでは、モニターに「Target system: Overloaded by illogical data」という文字が並んでいました。
「……愛だと? くだらん。計算不能なエラーなど、上書きしてしまえば済むことだ」
九条は、次なるカードを手にしていました。それは、愛名と同じ「ロストテクノロジー」で作られた、感情を持たない「完璧な殺戮人形」の起動キーでした。
忘却の恐怖と愛の定義 AIにとっての死=記憶の消去であることを描きつつ、それを乗り越える「非論理的な力」を表現しました。
愛名の進化(?) バグの副作用で「ダーリン」と呼びそうになるなど、より「ポンコツ可愛さ」に磨きがかかりました。




