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赤き受信機と石英の雪

陽太は、親友の魂のない残骸を背負って、鉄扉の奥へと潜り込んだ。

鉄扉の向こうは、外の倉庫とは打って変わって、空気が薄く、乾燥した密室だった。扉を閉めると、重厚な鉄の音は、晶の絶望的な「我ガ知識ノ熱……ソコニ、アルカ?」という響きを完全に遮断した。

「香月君、彼を……晶君を、どうするの?」雪乃は、恐怖で呼吸が乱れていた。

「彼をここに置いていくしかない。今の彼は、もう……」陽太は、自分に言い聞かせた。「彼は、電波に操られている。僕たちが動けば、彼も動く。僕が奴を止めれば、晶も解放される。」

雪乃は、陽太の外套の内ポケットにある、あの『燃えない面』を指差した。

「わたくしは、約束通り、これを香月博士に渡すわ。あなたと、あなたの親友を救うための対抗策を、わたくしが必ず持ってくる。あなたは、ここを離れる時間稼ぎを……」

その時、密室の天井付近の小さな通気孔から、不意に、異様に甘ったるい、鉄の匂いが流れ込んできた。陽太の懐の面が再び熱を持ち始める。

「雪乃、ここももう安全じゃない。ここは第二の蔵だ!行ってくれ!」

陽太は、雪乃の背中を押し、密室の隅にあった小さな裏口へ向かわせたが閉まっていて鍵はなかった。

陽太が再び密室の扉を振り返った、その瞬間、音もなく、扉が開いた。


静まり返った問屋の蔵。雪明かりが、ガラス窓の埃を通して青白く差し込み、積まれた面が異様に光っている。陽太が古びた扉をこじ開けて足を踏み入れた瞬間、背筋が凍りついた。

蔵の中央、雪明かりが最も強く差し込む場所に、一人の人物がいた。

彼は、少年と言ってもいいほど痩せていたが、どこか時代錯誤の優雅な燕尾服を纏い、肌は雪のように白い。銀糸のように輝く長い髪が、青白い光を反射し、まるで彫像のようだった。そして、その首元には、強烈な赤色のネクタイが結ばれていた。その鮮やかな赤は、彼の雪のような肌と、蔵の青白い光の中で、異様なまでに目を引いた。

その人物は、顔には例の「知恵喰らいの面」を装着していた。しかし、彼はその面を静かに外すと、細く長い指で、面から微かに滲み出る黒い脂を掬い取り、優雅に、まるで紅茶を嗜むかのように舌に乗せた。

「おや、珍しい客だ。こんな雪の降る晩に、知識の宴を覗きに来るとは。」

銀髪の少年のように美しい彼の唇は、漆黒の脂でねっとりと濡れ、その目は血の色のように赤く光っていた。その姿は、まるで知識を糧とする異界の存在のようだった。

「貴様は……何を!?」陽太が声を上げると、男は血に濡れたような笑みを浮かべた。

「貴様とは失礼だ。私は、ただこの帝都の『雪の通信機トランスミッター』を管理している者。私の名は、サミュエル・ヤコブス。」

サミュエル・ヤコブスは、陽太が持つ面を見た。その瞬間、陽太の頭に、激しい幻聴が響いた。それは、「雪」が発する、高周波の耳鳴りだった。

「あの面から滲み出る黒い粘着性の物質は、ただの餌だ。だが、この空気に舞う雪と口内で結合することで、それは脳の防御壁を易々と突破できる、特異な毒物へと変質する。そうすることで、知性の芯へと辿り着く。」

男は、自らの面を再び顔に当て、目を閉じた。

「面を体内に取り込み、雪を媒介とした毒に脳が蝕まれた者からは、結晶化する寸前の知恵が、この白い雪の中を高周波の信号として放たれる。その信号が強い者、つまり急激に衰弱する者こそが、私にとって最高に熟した果実。私は、電波を辿ってそれを吸い上げる。」

陽太が持つ面が、突然、高熱を持ち始めた。面から滲み出る脂は、まるで沸騰したように泡立ち、強烈な鉄の匂いを発する。それは、陽太の知恵が、雪という媒体を通して電波に乗って吸い取られ始めている証拠だった。

「さあ、君の知恵も私に捧げたまえ。君が持ってきたその面は、私を呼ぶための、最高の呼び鈴だ!」

蔵の窓の外では、雪が激しく光り、その白い粒の一つ一つが、見えない知識の信号を運ぶ、恐ろしい通信網となっていた。


陽太は、激しく脈打つ鼓動を抑え、冷たい床に転がった。懐に入れていた「知恵喰らいの面」は熱を持ち、彼の脳内に直接、耳障りな高周波を送り続けている。

「やめろ……!」

陽太は面を遠ざけようと床に放り投げたが、サミュエル・ヤコブスは無関心に笑った。

「無駄だ。君の頭は既に私の周波数に合わされている。君が私の蔵に入ってきたのは、運命だよ。」

男は、燕尾服の胸元を飾る鮮やかな赤いネクタイに指先を触れた。その血の色のような赤は、命を吸い上げる彼の本性を象徴しているようだった。

「このネクタイこそ、私の最も重要な受信機レシーバーだ。雪に反射した知識の電波は、全てこの赤い布に集中し、私の脳へ変換される。」

男は窓の外を見た。大粒の雪が、まさに滝のように降り注いでいる。

「知恵を運ぶ高周波の信号は、通常の水蒸気では減衰する。雨ではダメだ。私は『雪』が必要なのだ。凍結した結晶こそが、最も純粋な媒体となり、私の『通信機』となる。」

男は、陽太の顔を覗き込み、笑みを深めた。

「しかし、君はまだ、この『雪』の正体に気づいていないようだね。」

男は、指先で窓ガラスに積もった白い粉を払った。

「これは、君たちが知っているただの氷ではない。私の故郷で、古代から『知性を誘う粉』と呼ばれていた物質だ。石英の、極度に微細な結晶片だよ。」

陽太の脳内に、衝撃が走った。すべてが繋がった。

雪乃が調べた面の素材、蔵の床下から昇った石英の粉塵の匂い、そして雪乃の父が「雪、雪」と繰り返した理由。

雪は、ただの水ではなかった。理論を成り立たせる、人工的な石英結晶の散布だったのだ。

「君たちの知性の高低、使用頻度、面の偽物など、すべてが無意味だ。私の石英の雪さえあれば、誰の知性も、いつかは私のものになる。だが、黒い脂の摂取は、君の親友のように、知性の熱を一気に高め、最高の速度で私の受信機に送る『急速送信用』の儀式に過ぎない。」

男は、陽太の持つ軍刀を一瞥し、退屈そうに言った。

「君の凡庸な知性は、すぐに腐る。だが、君の持つ感情という名のノイズは興味深い。君は、私が見つけ出した『最高の標本サンプリング』だ。」

男は、陽太を殺そうとはしなかった。彼の目的は、陽太の知性を、完全な合理性の対極にあるサンプルとして、地下の機械に記録することだった。

「伊集院邸の地下へ行きたまえ。そこには、私の『白い機械デア・ヴァイセ・マシーネ』がある。私はそこで、君の知性を永遠に結晶化させよう。君のノイズは、私のコレクションを完成させるために必要だ。」

冷笑が響く中、陽太は、軍刀を握りしめ、次の瞬間、注意が外れた隙を見て、蔵の扉を蹴破り、雪が激しく降る外へと走り出した。彼の行くべき場所は、伊集院邸の蔵の奥。本拠地、地下の「白い機械」へと、今こそ向かうのだ。




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