鐘の音が響くとき
「下衆が!! 其処になおれ!!!」
女王陛下の御言葉で、俺はそれ以上陛下に近づくことが出来なかった。その場に膝をつき、俺は陛下を見上げた。
「貴様は近衛兵の任を解くと先日申し渡したはずだ。軽々しくこの私に近づこうなど笑止千万。黙ってここから立ち去るがいい」
陛下の声はいつも力強い。真っ白な服の裾を翻し、凛とした視線は真っ直ぐ俺を見据えている。一言二言何か申し上げようとしたが、下衆の身に落とされた分際で陛下の前で口を開くなどあってはならないこと。わきまえねばならぬ。生まれてから今までずっと変わらないと思っていたことだ。
そうだ、陛下はまだ俺を見ている。途端に俺は恥ずかしくなってきた。陛下が俺に「任を解く」と下した瞬間、俺は自ら命を絶たなければならなかったのだ。おめおめとここまで生き延びてしまった自分がひどく小さく、情けなく思えた。
それに比べて陛下の毅然とした態度は、一体どうすれば生まれてくるのだろう。この塔より外へ出れば、陛下へ罵倒を浴びせる民衆が束になって待っている。俺も「最後の面会」と称して奴らの情けを受けて、ようやくこの塔へ入ることができたのだ。この牢獄のような殺風景な石造りの部屋の外にも厳重な見張りがいて、いつでも俺を殺せるようになっている。やはり俺にできることは、何もない。
わかっている、わかっているのだ。この腐敗した国において散々好き放題をやりつくした貴族どもが、幼い女王陛下を即位させて身代わりにしようとしたことを。それでも代々王家に仕えてきた俺たちは陛下を見捨てることができなかったことを。女王陛下は全てを承知で即位し、やがて暴発した民衆の怒りが貴族どもの首を吹き飛ばす日がくることを。そして今日、全ての清算として陛下が憎むべき悪の象徴として首を落とされることを。
陛下はまだ御年17歳なのだぞ!?
そんな陛下に何の罪があるというのだ!?
俺にはどうしても解せなかった。幼少の頃よりその御身を御守りした陛下を、どうしてむざむざと血生臭い下衆どもにくれてやらなければならないのか。誇り高い陛下を、どうにかして逃がす方法はないのか。その美しい御心を、御声を、御姿を、どうにか残せないものか。
全ては無駄なあがきだ。何より、女王陛下が自ら民衆の手に下ることをお望みであった。「この首ひとつで民の心が静まるのであれば、安いものだ」と最後の謁見で、陛下は確かにそう述べられた。
それでも、陛下を御守りしてきた近衛たちは皆それが強がりなのだとわかっていた。死ぬのが怖くない人間など、いない。現に俺たちは自分が死ぬことも怖いが、それ以上に陛下が死ぬのが怖かった。俺たちは一体、これからどうすればいいのか。陛下がいなくなったら、俺は。
俺がこの部屋に通されてから、どのくらい時間が経ったのだろうか。陛下は既に俺を見ていなかった。外はますます騒がしくなっていくが、この部屋の空気だけはしんと動くことがなかった。ただ俺は固く握りしめられた陛下の美しい手を眺めることしか出来なかった。
鐘の音が鳴り響き、無骨な木の扉が開け放たれた。ついにこの時が来た。俺の剣はとうの昔に取り上げられていたが、咄嗟に俺は陛下と下衆野郎どもの間に入ってしまった。
「まだそこにいたのか。邪魔だ、失せろ」
陛下の声が冷たく響いた。俺は陛下の背後へ回り、膝をつく。
もう残された道はないのか。もう、全ては終わりなのか。
「これは独り言だ。愚かな女の戯言と思ってくれ」
下衆野郎どもに連れられた陛下は、こちらを振り返ることなく言い放たれた。
「私の人生、それなりに悪くなかったぞ」
御言葉を残して、陛下は行ってしまわれた。塔の外から聞こえてくる民衆の声が大きくなった気がした。俺は最期まで陛下を見届けるべきなのだ。でも、足が動かない。俺がここに代わりに閉じ込められればよかったのに。俺の命で陛下を救えるなら、喜んで首を斬られるのに。民衆とは何だ、正義とは何だ。
俺がその場に膝をついている間に、中央広場からどよめきと歓喜の声が上がった。本当に全てが終わったのだと思った。陛下のいなくなった空の下の空気はとても軽く、そのまま俺までどこかに飛ばされるのではないかと思うほど呆気ないものだ。これが生きているということか、と俺はやっと悔し涙を流すことが出来た。
<了>




