第七話 伊太利亜
来週は誠に勝手ながら、私の都合で休載とさせていただきます。
今後休載する予定があるかもしれないので、都度前書きにてご連絡させていただきます。
ロザリオは足を組んで、獅子の彫刻が施された自身の杖の上に顎を乗せながら桜子を見つめる。
「アイリスの暗殺計画。ボクとしては、相乗りして欲しいな」
美しい薄い金髪と海の如く青い瞳。それが期待の眼差しを以て、桜子を見つめている。それに対し、桜子は一度目を閉じて答えた。
「……私、御国柄には手を出したくないのだけれどね」
桜子は組んだ脚に肘を乗せ、何かを考える仕草で答えた。桜子のその答えに、ロザリオは笑顔を絶やす事なく返した。
「まぁ、『直ぐに』とは言わないさ。なんせ『天使』殺しだ、慎重にもなるだろう」
ロザリオは杖を指で叩きながら、頬杖を突いて相手の言葉を待つ。言葉そのものは、とても丁寧である。しかしその沈黙は了承を強いる雰囲気であり、並の人間であればその笑顔の裏に隠された真意に嫌でも気付き、そしてそれに耐える事など不可能であるが、桜子は冷静に問い返す。
「……一つ覚えていて欲しい事があるの」
桜子は傍に置いていた黒い刀を手に取ると、それの柄頭を眺めながら言葉を続けた。
「今の日本は、防衛戦争以外殆ど受け付けていない。いわゆる侵略戦争を徹底的に避けてるのが現状なの、当たり前だけどね」
ロザリオの表情が、徐々に暗く険しいそれへと変わっていった。桜子はそれに対して、一切の動揺を見せる事なく淡々と続ける。
「『私達』からフランスに戦争を仕掛けた時の危険性と、実際に戦ってこっちが得る利益、釣り合ってないように思うのだけれど」
桜子がそう言うと、ロザリオは険しかった表情を柔らかく変えた。
「……続けて?」
ロザリオは一言だけそう言うと、桜子へ続きを催促する。
「もし私が貴女に協力したら、私は間違いなくアイリスと戦う事になる。『私達』の目的は国防であって、私怨の片付けじゃない」
桜子がそこまで言うと、彼女は机に置かれた紙を手に取り、それをロザリオに返しながら答えた。
「……もし、私が貴女に協力をするとすれば、アイリス側から仕掛けてきた時だけよ」
「そうかい、それじゃ結論は——」
桜子の一連の応答を聞いたロザリオは、桜子に目を向けて最後の答えを催促する。それに対し、桜子は腕を組んでロザリオに答える。
「そうね。保留ってところかしら」
桜子がそう答えると、ロザリオはやや困ったような表情をした直後、優しく笑顔へ戻った。
「わかった。キミの意思が聞けただけでも充分だ、今日は去ろう」
ロザリオは傍らの杖を手に取り、支えにして静かに立ち上がった。それと同時に左と桜子は立ち上がり、左がそのまま足を進め、室内のドアを開けて、ロザリオと彼女の付き人を部屋の外へと誘導した。
「……そういえば」
ロザリオは扉の前で立ち止まり、首を僅かに桜子の方へ向けて問い掛けた。
「キミのところに、今の段階で何人の『天使』が襲撃してきたんだい?」
ロザリオのその言葉に、桜子は素直に答えた。
「梅とパトソルチェだけよ。それが?」
桜子の答えに対して、ロザリオは僅かに微笑んだ——ような表情で前に視線を戻し、
「……なるほど。いや、キミがボクの知らないところで殺されるのはあんまり気分が良くないからね。無論、そんな心配は殆どしていないんだけど」
ロザリオはそう言うと、最後に「それじゃ」とだけ残し、扉から外へ出た。左は桜子に対してアイコンタクトを取るとそのまま2人を送る為に外へと出向いた。
桜子は3人を見送ると、彼女はそのままソファに座り直して深い溜息を吐く。
「……嫌になっちゃうなぁ」
ロザリオは付き添いの彼と英国大使館の印が記された車に乗ると、付いてきた日本人——左の方を向いて口を開いた。
「お見送りありがとう、官僚さん。サクラコとの話、考えておくれよ」
ロザリオがそう言うと、左はしばし言い淀むような態度を取った後、彼女に問い掛けた。
「……一つ聞きたい。桜子にフランスの情報を流さなかったのは、意図的にか?」
左がそう問い掛けると、ロザリオは少しだけ驚いたような表情をした後、すぐに薄ら笑いを浮かべて左に言葉を返した。
「なーんだ、官僚さんも知ってたんだ。サクラコには言ってないの?」
「不確定な情報を流したくない。そもそも彼女は争いが嫌いだからな」
ロザリオはそれを聞くと、軽く聞き流すような相槌をしながら、左に言葉を返す。
「あら優しい。ウチとは大違いだね」
彼女は前を向いて、運転席に座る付き添い人に言葉を掛ける。左はそれを気に留める事なく言葉を続ける。
「もしアイリスが宣戦布告してきた場合、本当に協力はしてくれるのか?」
ロザリオは肩を竦めながら答える。
「勿論だとも。英国淑女として、借りは返さないとね」
ロザリオがそう言うと、彼女を乗せた車は発進し遠くの方へと向かって行った。恐らくは空港——羽田の方向にでも向かったのだろう。左は強く吹いた風に目を覆いながら、内ポケットから携帯電話を取り出した。彼は登録していた番号で、常盤へ電話を掛ける。
「左です。はい、フランスとロシアでした。火野の報告通りです。桜子に正式に伝えるべきだと……はい、ありがとうございます。失礼します」
フランスとロシアを表す暗号を伝え終えると、左は深い溜息と共に国防省内部へと戻った。
左が部屋へ戻ると、桜子は窓の外を見ていた。窓に映る彼女の表情は、物憂げそのものであり、左は更に彼女の気分を下げるような事実を告げなければならない事に再び深い溜息を吐く。
「桜子、少し話がある」
左のその言葉に、桜子は首を回して声の方向を振り向いた。左は深い溜息を吐きながら、桜子に告げる。
「フランスはロシアと繋がっていた。中国も考慮すると、3ヶ国の同盟という事になる」
厄介な3ヶ国が繋がっていた。その事実は紛れもなく日本には芳しくない現状であり、左を始めとした国防省としては頭を抱える他ない事実でもあった。
左の言葉に対し、桜子は黒い髪を耳に掛けながら返した。
「……同盟の理由は?」
「反帝……反宗教によるものだと考えているが、それぞれ明確な仮想敵がいる。それらの国体がそれぞれ対立しているからというのが俺の予想だ」
桜子は左の回答——仮想敵の構図である、イギリスとフランス、ロシアとアメリカ、そして中国と日本という構図——に納得したらしく、顎に当てがった指で頬を押し込み、1つ溜息を吐いた。
左はその様子に若干閉口したような表情をした後、桜子に諭すような口調で話し掛ける。
「言いたい事は分かる。我々の力が及ばなかったのも事実だ、謝罪はする」
桜子は再び溜息を吐くと、左の言葉を一度飲み込んで、傍らに置いていた刀を手に取った。抜刀と同時に、刀身に映る自身の顔を眺める。桜子は黙ったまま、ゆっくりと左の方へ目線を変えた。
「……宣戦されたら、殺して良いのよね?」
桜子の瞳は、鏡の如く虚ろであった。左は桜子の問いに対して素直に答える。
「その場合は、侵略行為に対する自衛戦争だ。正式な認可が降りれば構わない、君に一任しよう」
桜子はそれを答えとして受け取ると、そのまま目の前——国防省の窓硝子から見える景色——に視線を戻した。
英国の『天使』であるロザリオが桜子を訪ねて三日程経った頃の事である。とある『天使』がまた、極東の島国へ赴いていた。
「え? マルゲリータ号が?」
その一報が常磐の耳に入ったのは、国防省の公式な電話番号に掛かってきた彼女本人からの電話であった。
本来、『天使』同士の交流や会話は全て会議と判定される。『天使』自体が国の所有物であり、且つ政府の要人である為、彼女達の私的な関係は禁止されている。『天使』達の行動は全て所属する国の検閲が通っており、基本的には各国の軍事を担当する部署——大日本帝国では、国防省である——の職員が、『天使』のお目付役として1人は必ず付き添うというのが定石である。
故に、今回のマルゲリータの訪問は異例であった。連絡が国防省本部への直接的な伝達であった事に加え、付添人ではなく彼女本人からの電話である、という点から省内では若干の懐疑的な雰囲気も出たが——。
「——で、私が呼ばれたの?」
桜子は腕を組んだ状態で後部座席に座り、運転席に居る男に問い掛ける。
「そういう事になる。彼女本人からお前さんに会いたいって言われたんでな。マルゲリータ号曰く、『浅草で楽しんでいる』との事だそうだ」
桜子は眉間に皺を寄せながら頭を抱える仕草をし、一言呟いた。
「……アイツ……」
男は鼻で笑うと、国防省の車にエンジンを掛け、国防省本部から浅草方面へ発進した。
しばらく車を走らせ、浅草のシンボルとも言える赤い提灯と寺式の入り口——雷門が見えた。桜子はそれを横目に、運転席の男が駐車場にまで向かうのを見届ける。彼が駐車をし終え、後部座席のドアを開けたのを認めると、桜子は竹刀袋に入った刀と共に車から退出し、隣の彼に話し掛ける。
「送迎ありがとう。……葛葉、だったかしら、貴方のお名前」
桜子が肩に刀袋を掛け、長い髪の毛を持ち上げながら礼を言うと、葛葉と呼ばれた男は深い溜息の後に返答する。
「名前は覚えなくて良い、却って厄介だ。俺は仕事以外で仲間を信じない主義なんでな」
『行くぞ』と言った葛葉は、雷門の方へと歩いて行く。桜子は初めて対面したこの男に対し、しばしば面倒だなと感じ始めていた。
浅草寺内部は、いつも通り人が行き交っていた。寺の内部とは言いつつ、ここは商店街に近い場所である為に人も多い。桜子は久しぶりに訪れた名所に、内心嬉々とした感情を抱いていた。ここ最近は四角張った建物だの、鉄筋構造の現代建築だのに身を置いていた分、仕事とは言えこうした趣深い場所に行ける事が、桜子としては喜ばしかった。
その中で、歩いている側から声が微かに聞こえた。耳に入ってきたその言葉は、自分に向けられた言葉である事に桜子は気付く。
「ねぇ、アレって桜子号じゃない?」
「あ、似てるかも。今髪伸ばしてるんだっけ」
自分の名前が幾らか聞こえ、振り向こうとしたその時に葛葉から釘を刺された。
「気にするな。英雄が街を歩いていたら、人はそれを観察する。それが日本なら、尚更な」
葛葉はそう言うと、声の方向へ僅かに視線を向ける。桜子を見ていた街の人は、背広の男に睨まれた事でそっと目を逸らしてその場から去った。それを確認した両者はまた足を進める。
「ゥアン!」
歩きながらに聞こえたその声に、桜子は即座に反応した。彼女の視線の先には、やや大型の柴犬が四足で立っている。壮年の女性が連れていたその柴犬には、赤い首輪と白い首紐が付けられており、何故か桜子の方をじっと見て、犬は立ち止まっていた。真っ黒な目に、舌を出して息を吐く様子。口を開けている様は可愛いのだが、桜子は何とも言えない感情に駆られた。
「すみません……行くよ」
飼い主と思しき女性に引っ張られ、犬は桜子から目を離し、そのまま石畳の上を歩いていった。桜子は複雑な表情をした後、目頭に指を当てて溜息を吐く。その様子を見た葛葉が、桜子に言葉を掛けた。
「吠えられたのが堪えたか?」
「……犬、得意じゃないのよ」
桜子は頬を手で軽く叩きながら足を進めた。犬は苦手である事を思い出した。何故か、心が苦しくなるから。愛玩動物として可愛いのは理解出来るが、手元に置いておきたいとは思えない。桜子は歩きながら、煩雑した感情を払拭する術を考えていた。
葛葉はそんな桜子の表情を見ながら、難儀な女だなと感じていた。
葛葉の後ろを歩いていた桜子は、すれ違う人々が若干驚いた表情をしながら歩いている事に気付いた。初めは偶然だと感じていたが、進むにつれてそれが見間違いでない事に気付き、彼らの会話に聞き耳を立てる。
「あの黒いフードの人美人じゃなかった?」
「ボディガードみたいなの居た人?」
桜子はそれを聞いて、葛葉に声を掛ける。
「ねぇ、少し良い?」
桜子の問い掛けに、葛葉は『あぁ、構わない』とのみ答えた。
「そろそろ近くにマルゲリータが居るかもしれない」
桜子の返答に、葛葉は『分かった』とだけ答えると、そのまま足を進める。葛葉は桜子に対し、質問する。
「彼女の特徴は?」
「黒いフード、『暈』は鎌だけど、普段は折り畳まれて斧とか鉞に近い形をしてるわ。髪は普段見えないけど茶髪、あと身長も高いわ。食べる事が好きだから、そういうお店の前にいると思うのだけど……」
葛葉はそれを聞くと、しばし考えた後に進んでいた方向を変えた。順路通りに行けば、この先は休憩所と飲食店が近くにある。飲食が前提であればここを通るだろうという予想の末、近道を進んだらしい。葛葉は進みながら質問を重ねる。
「他には?」
「気さくな感じね、乱暴さはないわ。戦闘狂タイプじゃないから会話は出来ると思う」
葛葉は顎に手を当てながらそれを聞き流していたが、そこから少し歩いた所で桜子を止める形で手を翳し、その場で立ち止まった。
「……アレか?」
——葛葉が指差した所に居たのは、店の前のベンチに座っているマルゲリータであった。黒いフードに高い身長。近くには折り畳まれた武器に、黒いスーツの人物が立っていた。その人物に見守られながら、フードの女は浅草の名物である和菓子を頬張っている。
葛葉と桜子が美味そうに菓子を頬張るマルゲリータを見ていると、近くのスーツの男がマルゲリータの肩を叩いた。マルゲリータはそれに反応すると、そのまま桜子の方へ視線を向け、手を振りながら、こちらへ来るよう催促した。
「……いつもあんな感じなのか?」
葛葉がそう問い掛けると、桜子は素直に答える。
「そうね、アレがマルゲリータよ」
両者は座って和菓子を食べる彼女の方へと足を進め、桜子は彼女の隣へ腰を下ろした。
「喋るのは飲み込んでからで良いわよ」
桜子は肩に掛けていた刀袋を横に立て掛け、座ると同時にマルゲリータへそう言うと、隣に立つ葛葉へ湯呑みを持つジェスチャーをした。彼はその意図を察したのか、店主へ緑茶を頼んだ。
マルゲリータは黙々と口に入っていたモノを食べ、嚥下をしてから会話を始めた。
「久しぶり、と言いたいけどアイツらとは南極会議で会ったのよね。何日振り?」
マルゲリータの言葉に対し、桜子は鼻で笑いながら答える。
「貴女寝てたでしょ、実質久しぶりじゃない。それで? 今日は何の用?」
桜子の言葉に対し、マルゲリータは大きな欠伸をしながら口を開いた。それと同時に、桜子が頼んだ緑茶が丁度届いた。
「ちょっと前にコルンブルメとやり合ってね〜、それで賭けに負けちゃったから貴女と同盟組んで来いって言われちゃったのよ」
桜子はマルゲリータが簡潔に顛末を答えると同時に、首を傾げた。問題なのは、マルゲリータは自身に深く関わらない点は切って相手に情報を伝える悪癖がある点であった。桜子はそれを踏まえた上で、緑茶を啜りながら彼女に問い掛ける。
「あの、それどこまで本当? 何でコルンブルメが貴女と賭け事なんてするのよ」
「全部事実よ、ね?」
マルゲリータが草餅を噛み挟んで伸ばしながら隣のスーツの男——イタリア陸軍省の男に確認をするが、男も首を傾げていた。その様子にマルゲリータは深い溜息を吐いて、改めて答えた。
「……ナチスは共産系の国を敵対視してる。共産国の敵は帝国と宗教——つまり私達。いずれあの子達と闘わないといけないから、また同盟を組めって言われたのよ」
フードを脱ぎながら、気怠げそうにマルゲリータはうなじを爪で掻いた。カールしたような長い茶髪をポニーテールで纏めており、彼女はその束を胸前まで持って来た。
「まぁ、サクラコに言うべき事は同盟の締結をどうするかって所ね。先に言っておくと、私はどっちでも良いわ」
マルゲリータはいつの間にか手に持っていた三色団子を指を使い、くるくると動かしながら桃色のそれを口に含む。桜子は茶を少しだけ冷めた茶を飲みながら話を始めた。
「……ロザリオが少し前に来たの。彼女が言うには、フランスも共産系の国と同盟を結んでるらしくて、それで私にも宣戦されるかもって事らしいわ」
マルゲリータはそれに対し、鼻で笑いながら答えた。
「ロザリオもよく考えたよ。最初にアンタに話を持ち掛けるとは、中々策士だね」
桜子は茶の水面に映る自分の顔を眺めながら、マルゲリータに言葉を返す。
「どうかしらね、無策に終わるかもしれないけれど」
「まさか。こと日本に於いてそれは無い。なんせ、『鬼』がいるんだからね」
マルゲリータがそう言い切ると、桜子は苦笑しながら答えた。
「そうらしいわね。守るくらいのことは、しないとかしら」
桜子が冗談混じりに答えると、マルゲリータは前髪を掻き上げながら、驚きと自嘲が重なった声色で返す。
「余裕そうね〜、安心したわ」
マルゲリータの持っていた串は、いつの間にか全ての団子が無くなっており、彼女は長椅子から立ち上がって、改めて桜子に問い掛けた。
「それじゃ、お返事はもう少し先って事でいいかしら」
その質問に、桜子は素直に返す。
「えぇ。私の一存じゃ決められないし、アイリスともどうなるか分からないから」
マルゲリータはその答えを受け取ると、少しばかり興味を無くしたような表情を浮かべた。
——ざぁっと、風が靡く。マルゲリータの丈が長い服が靡き、前髪がふわりと舞い上がった。桜子はそれを見て、彼女の顔と目がかっちりと合った。彼女の碧眼の上には、古傷として斬痕が刻まれていた。
「……それ、まだ治ってなかったのね」
桜子は彼女の傷を見つけ、呟いた。マルゲリータはそれを聞いて、苦笑しながら答える。
「アンタに付けられた傷だもの、10年じゃ治らないっての」
そう言い残して、マルゲリータはこの商店街、もとい浅草寺を後にした。スーツの男は桜子と葛葉に浅い礼をし、彼女の後を追う形で去って行く。
イタリアからの客人を見送った桜子と葛葉であったが、その直後に葛葉の携帯電話へ着信が入った。
「はい、こちら葛葉です。はい、今は桜子号と。はい、了解です」
耳に当てていた電話を外すと、桜子に視線を向ける。携帯電話を持っていた手でそのまま親指を立てる仕草をし、桜子にハンドジェスチャーを送る。
「……常磐さん?」
桜子は即座にその意味を理解し、葛葉の職務用携帯を手に取った。
「変わりました、桜子です。何か?」
彼女がそう問い掛けると、電話の奥から常磐の深い溜息が聞こえた。桜子はその溜息で大体の事情を察したらしく、少しだけ顔が暗くなった。
「あぁ、すまない。……フランス共和国からの、正式な宣戦布告が来た」
「……そう。まぁ、ロザリオも来るって言ってたし、妥当なタイミングよね。それで? 私は何をすればいいの?」
桜子は刀袋を持ち上げながら、常磐に確認を行う。彼はそれに対し、電話越しに桜子へ答えた。
「一先ず、こちらに戻って来て欲しい。話すべき事がある」
常磐からは以上であり、桜子は葛葉へ電話を返して内容を伝えた。
「戻って来い、ですって」
葛葉はそれを聞くと、頷いてから歩き始める。両者はそのまま、浅草寺の境内を後にした。桜子の肩掛けの紐を握る手が、無意識に強くなっていく。
***
フランスのリュクサンブール宮殿、その中にある本会議場。中心に存在している議長席の上には7体の巨大な石像があり、その位置から半円状に広がる大量の議席には、スーツを着用した人物が所狭しと座っていた。
緊張と静寂が仕切るこの空間に、1人の淑女はじっと立っていた。議長席——に座る大統領の目の前にて、格式の高い服装に身を包んだ彼女は、議席から大勢の目線を受けながら変わらず立っている。
スーツを着用した人物達が見つめているのは、その淑女である。彼らはこの国の元老院議員であり、彼女の動きをじっと観察している。
彼女の前に立つ大統領と思しき初老の男は、彼女に対し読み上げを行う。それに対し、淑女は軽く頭を下げながらしっかりと聞いていた。
「——以上である。ここに大統領として、フランスの『天使』、アイリス号に宣戦の委託を認める」
初老の男が紙を淑女——アイリス号に向けると、彼女はそれを手に取って頷きながら答える。
「確かに受け取りました。我らが血の祖国、必ずやお守り致します」
アイリスのその言葉に、その場に居た上院議員が皆一様に拍手を行う。宮殿内に響き渡るその拍手喝采は、数世紀振りに生まれた仏国騎士に対する盛大な歓迎と激励であり、アイリスはその期待を一身に受け、右に回り、議事堂の一本道を突き進んだ。
その様子は正しく凱旋であり、騎士であるアイリスに対する最も正しい餞別である。
——この戦いを無事に潜り抜け、彼女が果報を持ってこの国の大地を再び踏めるようにという願いを込めた、最大限の餞別であった。
ようやく話が動きそうで安心しております。
早く殺し合ってくれそうで大変助かりますね。