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鬼之櫻子  作者: 犬神八雲
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第五話 灰狼

パトソルチェは一部の人(高身長、スーツ、徒手空拳、ウルフカット、筋肉ムキムキがフェチの方)に刺さるキャラだと思います。

 機体の中にじんわりとあった寒気がなくなった頃、桜子は不意に外を見る。窓から見える景色が、雪の白一色から木々の緑に変わっていた。ようやく南極圏を抜け出し、本国に帰る準備が整いつつある事に安堵しながら、桜子は組んでいた脚を直す。

 桜子は溜息を吐いて脚を閉じると、運転手の男に問い掛ける。

「あとどれくらいで帝都に着く?」

「……今が赤道超えた辺りだから、2時間程度だな」

 男が簡潔に答えると、桜子は頷きながら瞼を閉じ、男に言葉を返す。

「そう、ありがとう」

 日を幾つか跨いだ旅路も、終わりが見えてきた。桜子は疲れ故か、深い溜息を吐いて座席の背凭れに体重を預けた。


 しばらく時間が経ち、再び桜子が目を開けて外の景色を見ると、そこには所狭しと並ぶビル群が見えた。見慣れた鉄の森の景色に、ここが日本である事を桜子は理解した。

 上から見る事が殆どなかった帝都の景色を、桜子はゆっくりと観察する。幾つかの目立った建物は、恐らく各省庁だろう。自身の視線の遠く先に、国防省のビルが見えた。

 運転手の無線の声と共に、ヘリコプターが、国防省ビル屋上の停留所へ降る準備を始めた。徐々に降下していく機体に、桜子は安堵の溜息を吐く。

 しばらく空中での停止を繰り返しながら、無事に桜子を乗せた機体は着陸した。桜子は目の前の扉が開くと、刀を持って立ち上がる。

「お疲れ様。この後貴方達はどうするの?」

 運転手の男へ質問をすると、男は答えた。

「今日は国防省に泊まる。明日になったらまた南極に帰るけどな」

 桜子はそれに対し、『そう』とだけ答えると、扉から顔を覗かせる。足場と地面が若干距離があるようで、桜子は飛び降りる形でヘリの機体から降りた。

 降りると同時に、桜子は前を向く。目の前には常磐と園咲が立っており、常磐が桜子に手を振る。桜子はそれを認めると、横に持っていた刀を軍刀の持ち方に変え、常磐が立っている場所へと足を進めた。

「まずはお疲れ様。この後、一昨日あたりの通信の内容を確認するから待ってて。俺はヘリ見てくるから」

 常磐は園咲に目配せをし、そのままヘリの方へと小走りを始めた。後ろから挨拶と笑い声が聞こえたところで、園咲は桜子に対して『行こう』と言うと、そのまま国防省内へ入って行った。

 桜子は園咲の背中を着いていきながら、国防省の内部を歩いて行った。園咲は黙ったままであったが、ふと思い出したかのように桜子へ話しかける。

「あ、左は今席を外しているので、後で合流すると。常磐が戻るまで部屋で待機との事です」

 園咲は次官室の前まで来ると、扉を開けて部屋の中まで誘導した。部屋の中にある低い机と一人用のソファを指し示し、桜子に座るよう催促する。桜子はそこへ腰を下ろし、気を抜くように息を吐いた。

 しばらくすると、次官室の扉の先から足音が聞こえ始める。桜子はそのまま、常磐が扉を開けて入って来るのを待っていた。

「ごめんごめん、それじゃ始めようか」

「えぇ」

 常磐が忙しない様子で資料を手に取って座るのを認めると、桜子はそれに簡単な相槌で返しながら、耳に髪を掛ける仕草をした。


 幾らかの時間が流れ、桜子は凡その事項を常磐に伝え終えた。常磐はメモ用のペンと付けていた眼鏡を外してゆっくりと目を閉じながら深い息を吐いた。

「そっ……か〜。それで、君がパトソルチェに問い糺した感じかな。他にはなんかある?」

「覚えてないわね。南極会議って仰々しい名前が付いてるだけで、特に重要な事は話してないし」

 桜子は指を組んで、腕を前に伸ばしながら答える。常磐は少し呆れたような表情で軽く笑いながら、眼鏡を直す。そうして常磐はボソッと一人呟いた。

「まぁでも、少しでも天使の動向が知れたのは大きいね。今後警戒すべきは……中露かな」

 桜子は常磐の言葉に同意を示す。今後、この2国がどうあれ武力的干渉をしてくるのは、火を見るより明らかであった。

「そういえば、君が最後に言ってたパトソルチェ号の襲撃って?」

 常磐がそう問い掛けると、桜子はソファの背凭れに体重を預けながら答えた。

「まだ確定じゃないけど。パトソルチェならそういう事するってだけよ。……狙いがバレたから、いっそ派手に動くみたいなの」

 桜子の答えに対して、常磐は唸りながら指で額を叩いていた。

「……君的には、やっぱり来るって考えた方がいいと思う?」

 常磐のその問いに対し、桜子は即答する。

「えぇ。10年前と性格が変わってなければ、あの女はそういう事をするわ」

 桜子の答えに、常磐は深い溜息を吐いた。

「まぁ、分かった。ありがとう。もしまた来たら、何かしらの方法で俺達に連絡してくれ。それと……」

 常磐はそのまま、資料の中から1枚の紙を桜子の前に差し出す。受け取った桜子は、それを見て目の色を変える。

 その紙の上部には、『誓約書』と明朝体で書かれていた。

「……これって」

「そう。君の『お願い』についてだ」

 『延天十二年 五月』と記された紙には、幾つかの内容が記述されていた。そして押印の欄には、総理大臣と常磐の本名が記されており、桜子の欄だけが空いている。

 桜子はその記述の内容を、穴が空く程じっと眺めていた。しばらく見た末に、桜子は紙を置いて質問をした。

「私は各『天使』を殺害、不干渉の条件を突き付けた時に、国防省所有の兵器じゃなくて、戸籍を獲得する。予防線として監視を付ける代わりに、省からの干渉は殆ど無くなるし、暮らすための家も必要なモノも、全部くれる——」

 桜子はそこまで言うと、言葉を止めた。そして最後に書かれた一文を、静かに復唱する。

「但し、国防省の許可なく『天使』を殺害した時には、如何なる理由があってもこれらを破棄する、で良いかしら?」

 桜子がそう言い終えると、常磐は静かに微笑んで答えた。

「その通り。まぁ、省の許可無く『天使』を殺さなければ、基本は何も言わないって感じだね」

 桜子は首を傾げながら、常磐に質問する。

「戦闘自体は良いの?」

「うん。襲撃とかもあるし、基本は防衛戦争のスタンスで。殺すと面倒だからその辺は加減してって事」

 常磐がそう答えると、桜子はしっかりと頷きながら呟いた。

「そう。良かったわ」

「……? あぁ、約束守ってくれそうって?」

 常磐が問い掛けると、桜子は微笑みながら傍らにあった刀を持ち上げ、常磐に言葉を返す。

「それもあるけど、貴方は話が通じそうだから」

 桜子の含みのある言葉に、常磐は苦笑いしながら思わず呟いた。

「怖い事言うねェ……君は」

 

***


 次官室を後にした桜子は、園咲と共に国防省の車に乗り込んだ。園咲は車のエンジンを掛けながら車体の具合を見る。

「ねぇ貴方、今日って暇?」

 桜子は園咲に対して問い掛ける。園咲はルームミラーで後方の桜子を見る。

「何か?」

「靖國の参拝がまだだったじゃない? そろそろ行きたいのだけれど、貴方達も忙しいでしょ?」

 桜子は足を組みながらルームミラーに映る園咲に返した。園咲は納得したような表情をして、車のギアレバーを動かした。

「ちょっと歩きたいから、飯田橋くらいで車を停めて欲しいのだけど、出来る?」

 園咲は『わかりました』と答え、国防省の門から車を出庫させる。


 車をしばらく走らせ、園咲は駅が見える付近の駐車場に停めた。

 桜子は車外へ出ると、珍しく大きな背伸びをした後、革靴の爪先で2度地面を叩き、園咲の後ろを歩き始める。

 桜子と園咲は、しばし歩いて駅の正面口近くまで進んだ。駅前に存在している橋を歩きながら、ぼんやりと橋の下——線路を眺めていた時である。

「——よう」

 聞き馴染みのある声が、桜子の耳に入る。しかしそれは、日本では有事がない限り聞くことのない声であった。

 桜子は声の方向——対岸の通路を振り向き、その相手を見る。それと同時に、先程の声が聞き間違いでない事を改めて認めた。

 目の前に立っていたのは、灰色の髪とスーツの、包帯を巻いた女であった。

「……パトソルチェじゃない。何しに来たの?」

 桜子は刀の鍔に指を掛けた。パトソルチェは桜子の質問に答える事なく、じっと園咲と桜子を交互に見ていた。

 橋の下を走る電車は、止まる事なくスキール音を立てている。桜子は自身の靴を園咲に軽くぶつけ、彼へここを去るよう伝えた。彼はそれを受け取ると、走ってその場から離れて行く。

 パトソルチェはその様子を見て、左手で髪を掻き上げながら溜息を吐いた。

「相変わらずだな。オトモダチが死ぬのがそんなに嫌か?」

 パトソルチェが鼻で笑いながらそう言い放つと、桜子は素直に答えた。

「そうね。あの人は人間だもの。それで? 何の用で来たの?」

 桜子がそう問い掛けると、パトソルチェは包帯の巻かれた手を握り込んで、鈍い音を鳴らしながら答える。後ろのポケットから何かを取り出す仕草をした。

「大した用じゃない。ただ——」

 パトソルチェはそこで言葉を止めると同時に、右手に何やら金属製のものを嵌め込む。そうして目の前にある、車道と歩道を隔てる為のガードレールに足を掛けてから、言葉を続けた。

「——殴りに来た」

 激しい打撃によって金属が歪む音が響く。目の前にパトソルチェは既に居ない。ガードレールの形は、上から重圧を掛けられた曲がり方をしている。桜子は直感と共に刀を胸の前に持ち構えた。

 ——瞬間。パトソルチェは空中で腕を振り上げていた。桜子の顔面に目掛け、その拳を振り下ろさんとしている。

(ナックル……!)

 桜子は構えていた刀を顔の前まで上げ、パトソルチェの拳を鞘で受ける。後退と同時に、桜子の後ろにあった歩道橋の壁は破壊され、両者は橋から落ちていった。

 ——そのまま、桜子とパトソルチェは橋の下を走っていた、貨物列車の上へと着弾する。

 両者が着弾した事で、コンテナの上部は激しい凹みを受ける。パトソルチェが桜子に馬乗りになりながら、彼女の顔を狙って腕を振り上げた。桜子は倒れている状態でありながら、パトソルチェの攻撃を受け、弾いている。

「ッ、退きなさいって!」

 桜子は力を敢えて緩め、柄頭をパトソルチェの頬に当てる。怯んだ隙に抜け出し、連結部分を通って無積載車両へと移動した。

 パトソルチェも貨物から降り、無積載車両に立った。

 両者は走行を続ける列車、コンテナの積まれていない車両で相対する。走る列車の風に、互いの服が靡く。

「流石だな!あの状況でよく対応したもんだ!」

 パトソルチェは走る電車に負けじと、声を張り上げて桜子へ告げた。

「……貴方、分かってるの?」

 桜子は鞘から刀を抜かず、パトソルチェと目を合わせて告げた。

「あぁ。もう隠す意味も無くなったからな。色々好きにさせてもらうよ」

 包帯の刺客——パトソルチェは掌をしっかりと握り込んで、顔の前で構えを取る。それを見た桜子は止むを得ないと判断したらしく、刀の鞘と鍔を下緒で繋げ、刀が抜けないように細工した。

 ——絶え間ないスキール音と、揺れるコンテナ車。列車の速度が速い分、両者の長い髪が翼の如く靡いていた。

 両者はパトソルチェが前傾した瞬間、桜子は刀を構える。

 瞬間、鞘がパトソルチェのナックルを受け止める音が響く。

 それを皮切りにしたかの如く、彼女はナックルでの連撃を始めた。指に握られた金属で桜子に対し打撃を繰り返す。ナックルを嵌めているのは片手だけであるのに、パトソルチェは剣を振るうかの如く、滑らかに攻撃を行っている。

 桜子は後退しながらも、それらをすべて刀で受け切っていた。徐々にコンテナ側へと追い詰められているのにも関わらず、表情を一切崩す事なく刀で相手の攻撃を弾いている。

 稀に弾いたそれがコンテナへと当たるせいか、後ろのコンテナの状態はよろしくない。

 桜子は、刀を杖のように使ってパトソルチェの攻撃を凌いでいた。

 その刹那である。パトソルチェは右手を引き、腰を捻って打撃の予備動作を構える。桜子は瞬時に構えるが、パトソルチェが放った拳は——。

(左ッ——)

 瞬間、桜子の腹部に、重い一撃が入った。自分の身体が僅かに浮いた事を認識し、彼女は歯を食い縛る。パトソルチェの打撃は、桜子の腹部にしっかりとめり込んでおり強烈な痛みが桜子に走った。

 桜子はすぐにパトソルチェの腹部に蹴りを入れ、距離を無理矢理に取った。咳き込みながら打撃を食らった腹部分を庇う。

「どうした。避けずに受けるなんて、珍しいじゃないか」

 パトソルチェは片側の口角を上げ、桜子に嘲笑を向ける。桜子は冷汗を出し、浅く呼吸を繰り返しながら、じっとパトソルチェを睨み付けた。パトソルチェは向けられた視線に高揚感を覚えながら、再び手を構える。

 軽いジャンプと共に、跳躍の如く素早い距離の詰め方をパトソルチェは行う。桜子は腹部の痛みに考えを割かれながらも、刀で拳を的確に止め続けた。

 繰り返される攻撃の最中、パトソルチェは脚を僅かに上げて桜子の脇腹へローキックを放つ。桜子は上がった脚を認めると、即座に刀を弾き相手の脛へと刀の鐺を命中させた。

「ッ!」

 パトソルチェは片足のまま上手く桜子と距離を取り、食らった方の足の革靴でコンテナを叩きながら、ひっそりと呟いた。

「……マジかよ」

 パトソルチェは動かずに攻撃を待つ桜子に対し、人差し指を上げた。それを見た桜子は、痛みに耐えながら短く溜息を吐き、持ち手を鞘の真ん中に変え、鐺が相手に向くようにする。

 桜子は軽やかに刀を振り上げ、凄まじいスピードで振り下ろした。パトソルチェは腕でそれを受け、直後に振り下ろされた部分を掴み上げ、その位置を下げた。鐺の自由な操作が効かない状況であるが、桜子はそれを見越していたのか、掴まれている鐺を軸にパトソルチェの腹部に、そのまま横太刀を入れた。

「ガッ……!」

 灰色の大狼を、桜子はコンテナと刀で押さえ付ける。しかし、パトソルチェは押さえ付けられている刀と拮抗し始めた。

 パトソルチェは背後のコンテナを蹴る形で推進し、ようやくコンテナから背を離した。そのまま刀を押し返す形で力を入れる。

 桜子はそれに気付くと、すぐに刀を転換させ鐺をパトソルチェの脇腹に当たるように回した。

「ッ——блядь!」

 予想通りに命中した所で、桜子は即座に後退し、刀の先端を向けながら再び距離を取った。パトソルチェは当たった脇腹を抑えながら、鋭い視線で桜子を睨んでいる。

 桜子は充分に離れると構えを解き、パトソルチェへ話し掛ける。

「……もう良いでしょ。早く帰って」

 その言葉に、パトソルチェは拳を握り締めて怒りを露わにした。

「——ナメるなよ」

 パトソルチェは静かに一歩ずつ桜子の方へと近付く。桜子は溜息を吐いて、再び刀を持ち直した。

 パトソルチェは殺意を隠す様子もなく、桜子の方へと近付く。桜子はパトソルチェの動きを見ながら足を進めた。

 互いに少しずつ近付いていき、互いの間合いが徐々に近付く。緊張という名の帳が両者の間に張られ始め、パトソルチェは右手を握り締めた。その様子を見逃さなかった桜子は右手から来るであろう打撃に対応するべく、刀を僅かに左へ寄せる。

 両者が完全に間合いに入った瞬間、パトソルチェはナックルごと手を強く握り締め、右の関節を曲げ始めた。桜子は刀でその一発を受けるべく、柄と鞘を握り締める。

 ——その瞬間、桜子は自身の予測が誤算であった事に気付いた。

 パトソルチェが放ったのは、何も握られていない左手であったのだ。

「ッ——!!」

 間一髪でその気を感じ取った桜子は、左手が放たれると同時に首のみを躱した。右耳に感じる風切り音に鳥肌が立ちながら、刀の鐺を相手の開いている鳩尾に当てようとするも、パトソルチェは右腕を鳩尾に当てがい、桜子の反撃を防いだ。そのまま押し返しながら、桜子に話し掛ける。

「あのフェイントを躱すとは流石だ、サクラコ。だがお前ならもっと早く気付いて対応してた」

 嘲笑の表情と共に、パトソルチェは続ける。

「——弱くなったな、サクラコ」

 桜子は顔を伏せ、短く溜息を吐いた。

「……そうね」

 そうしてそのまま、持っていた刀を手離す。

「はっ?」

 今までにない行動に、パトソルチェは思わず声を上げる。——そのまま、桜子はパトソルチェのスーツの胸倉と二の腕の裾を掴み上げ、身体を回転させながら脚を掛けて、その巨躯を綺麗に引っくり返す。

 視界が反転した事に、パトソルチェは暫くの間気付かなかった。自身の背中が、硬いコンテナの床にぶち当たった所で、ようやく自身が桜子の手によって背負い投げされた事を理解した。

「弱くなったのは貴女もじゃない? 隙を見せるなんて、らしくないわね」

 桜子は倒れた自分の顔を覗き込みながら、自身と同じように嘲笑で返した。

「ッ、お前ッ!!」

 飛び上がる形でパトソルチェは身体を起こし、桜子は床に落ちた自身の刀を爪先で蹴り上げる形で再び握り込んだ。

 パトソルチェは脚を使い、まるで獣のように桜子に飛び掛かる。

 桜子はゆっくりと息を吸いながら、自身の目線の上にいるパトソルチェに視線を合わせる。両者のその様子は、さながら狼と狩人のようであった。

 桜子は息を止めて、自らの刀を振り下ろした。それはパトソルチェの肩と首付近に直撃し、急所に当たった桜子の刀に思わず怯んだ。

 そのまま桜子は地面にパトソルチェを叩き落とし、再び刀を振り上げる。

 そのまま振り下ろさんとするが、パトソルチェは身体を回して転がる形でそれを避けた。

 桜子は刀を地面に着弾する直前で止めており、腰を低くしたままパトソルチェの方へ視線をずらした。

 垂れた黒い髪の奥からでもわかる、殺意に満ちた冷酷な視線に、パトソルチェは思わず笑いが出た。

「ハッ……バケモンかよ」

 パトソルチェは立ち上がり、桜子に視線を合わせる。そのまま足を広げ、両腕を一瞬上に伸ばしてから再び構えを取った。桜子は相手にまだ戦う意志がある事を確認すると、静かに刀を構え直した。

 両者は数秒の睨み合いの後、同時に足を踏み込んだ。パトソルチェの腕の振り上げに対し、桜子は刀で受ける。ナックルによる打撃を鞘で弾き返す、木材と金属が打ち合う事で出る軽やかな音が響いている。先程とは異なり、律動的な音と拍子で攻防が行われていた。

 パトソルチェの打撃は、効率の良い剛の打撃であり、まともに受ければ大抵のものは破壊され得る。それ故、如何に攻撃を逸らすかが重要になってくる。桜子は現に、刀を回しながら彼女の打撃を受けている。

「!」

 僅かな隙が見えた。桜子は振り上げられた右手を弾きながら、パトソルチェの空いた脇に刀を差し込むと、刀を起こして彼女の背後に回った。

 あまりにも滑らかに行われた位置の変更に、パトソルチェは視線が追い付かず、振り向くと同時に鳩尾に突きを食らった。

「ッ……流石だよ」

 パトソルチェは僅かに笑いながら、再び右手を握り込んだ。桜子は力む相手の腕を見て、つま先に体重を掛ける。そうして、持っていた刀を腰に添え——居合切りに似た姿勢になった。

 姿勢の変化によって、桜子は著しく低くなる。パトソルチェは低くなった桜子に対し、握り込んでいた右手を下から突き上げる形で振るった。

 桜子はその拳が来た事を認めると、即座に一歩を大きく踏み出す。そのまま一気に刀を、下から上、逆さの袈裟の方向に切り上げた。

 ——鞘を付けたままの刀をそのまま振り上げた事によって、パトソルチェの顎に鐺が当たった。鈍い音と共に、怯みによって右手の力が抜けていく。顎先が割れた感覚と共に、パトソルチェは体勢が大きく崩れた。桜子はそのまま、彼女の身体を刀で押し、蹴りでパトソルチェの身体を貨物列車の外へと押し出した。

 ——敷かれている石に背中が当たったことで、自分が落とされた事を理解したパトソルチェは、すぐに身体を起こした。

「ッ……てぇな!」

 パトソルチェが目線を上げるも、列車はそのままの速度で既に小さくなっていた。そうして追おうと身体を起こした瞬間である。

 ——右側から強い力が掛けられた。身体全体に掛かる圧力に、パトソルチェは思わず顔を顰める。

(電車ッ……!?)

 自身の肉体が、電車という巨体に轢かれた事を認識した頃には、パトソルチェの身体は吹っ飛ばされていた。

「ク、ソッ……がッ!!!」

 パトソルチェを轢いた電車は途中で停車し、彼女自身も骨折故か動きが鈍くなっていた。足が折れているのか、這うように移動している。

 呼吸を繰り返しながら、身体の向きを仰向けに変えると、目の前に桜子が立っていた。

 桜子は刀の鐺をパトソルチェの顔に向け、静かに呟く。

「甘かったわね。地理も環境も悪かった貴女の負けよ。……早く出ていって、今出るなら見逃してあげる」

 パトソルチェは怒りの表情と共に、拳を強く握り込んだ。桜子はそれに対し、言葉を続ける。

「私が貴女に刀を抜かなかったのは、国から『売られた喧嘩以外買うな』と言われてるからよ」

 桜子はそこで言葉を止めた。その微動だにしない瞳と刀が放つ気配の意味——「いつでも殺せる」という宣告——に、パトソルチェは拳を握り込み、怒りを露わにする。

「情けを掛けたつもりかッ……!馬鹿にするのも大概にしろよクソガ——」

 パトソルチェが折れた肋骨を抱えながら歯を食い縛り、怒声を上げようとした刹那。

 鼻先に付いた鐺から放たれる殺気に、思わず言葉を止めた。桜子の表情は黒く長い髪に隠れていた。しかしその声色から只事ではないと、パトソルチェは悟る。

「去れ、早くしろ」

 桜子から語られた言葉、この二言だけであった。しかしパトソルチェはその圧倒的な殺意と怒気の籠った命令に固まり、そうして思い出してしまった。

 ——自分が何に手を出し、10年前に何を味わったのかを——。

「…………」

 パトソルチェは暫しの沈黙の後、大きく舌打ちをする。折れていたはずの足でゆっくりと立ち上がり、桜子に背を向けて距離を置いた。

「……次会った時、必ず殺す」

 彼女はそうとだけ言うと、再び足を進めて力を込め、その場から飛躍する。それと同時に辺りから衝撃波に近い風が発生し、桜子の前髪と服はそれによって軽く靡いた。

 遠くへ飛翔したパトソルチェを眺めながら、桜子は一息吐く。手に持っている刀を眺め、先程の戦闘によって鞘が毀れていないかを確認しながら、漆塗りの黒いそれに指を滑らせる——。

「桜号!」

 号名を呼ばれ、桜子は声の方向を振り向いた。手を挙げながら、声の主である園咲は桜子の方へと小走りして来る。

「よかった、無事でしたか」

 彼がそう呟くと、桜子はつまらなさそうに溜息を吐く。

「当たり前でしょ。私達は簡単に死なないわ」

 園咲は額に指を当てて安堵の笑いを出した。

雲絶(くもたち)に損傷は?」

 桜子は持っていた黒い刀——雲絶を彼の前に差し出した。

「無事よ。やっぱり丈夫な鞘なだけあるわね」

 使い込まれた傷の見える黒の漆塗りの刀は、先程の打ち合いで僅かに擦り傷が出来ていたが、割れや破損は見えなかった。

 園咲はそれを見て何度か頷くと、一つ息を吐いた。

「ふぅ……一時はどうなるかと思ったけど……」

 園咲がそう言うと、桜子は溜息を吐いて彼に告げる。

「というか貴方、さっき電車でパトソルチェに突っ込んだ?」

「えぇ、鉄道省に電話してこの近辺の運行を止めてもらいました。突っ込んだ電車は僕が——」

 桜子の質問に対し、園咲は素直に答える。彼女は深い溜息を吐くと共に、彼を睨んでから歩き始めた。

「二度とやらないで。今回はパトソルチェが私に意識を向けてたから良いけど、私達は人を簡単に殺せるの。もしあの女が貴方を狙ったらどうするつもりだったの?」

 園咲は線路を歩く桜子の背中を見ながら黙っていた。桜子の声色から彼女が機嫌を損ねた事は理解したらしく、若干の反省と共に桜子の次の言葉を待った。

「死ぬのは私達だけで良い。市民の貴方が、暴力装置同士のいざこざに手を出さないで」

 桜子の言葉に、左は軽く頭を下げた。

「……すみませんでした」

 彼女はその言葉を聞き、僅かに安堵すると静かに目線を上へと向ける。

 青空へ縦に走る黒い電線と、横に伸びる白い飛行機雲。桜子はそれをぼんやりと眺めながら、あからさまに落胆した声色で呟いた。

「…………はぁ、始まっちゃうのかなぁ……」

 桜子は一人、酷く哀しそうにひっそりと呟いて、肩を落とした。


***


 とある店のテラス席にて、黒いフードを被った女がピザを頬張っていた。銀のナイフフォークで、器用にピザを切り取り口へと運ぶ。余程美味なのか、長靴を履いた足首を回しながらコップに入った液体——白いワインを飲む。

 フォークを指で回しながら、再びピザを切り取る。今度は傍に置いていた小さなソースポットからオリーブオイルを掛けて口へと運んだ。

 窯によって香ばしく焼かれた薄い生地に、旨味のあるトマトソースとチーズ、そして生のバジルが乗った、シンプルなマルゲリータピザである。そしてまた、ピザを切り出し、口に運ぼうとしたその時であった。

「マルゲリータ」

 低い女の声が、フードの女の耳に入ってくる。女はピザを刺したフォークを口前で止めてから、女に返す。

「見えてないの? それとも見ようとしてないの?」

 フードの女がそう返すと、話しかけた女は軍帽を深く被り直して軽く溜息を吐いた。フードの女は声色を変えずに、目の前の女——軍式コートを纏い、黒い眼帯を着けた女へ言葉を続けた。

「話しかけるなら後にして。私今、機嫌が良いから」

 フードを被った女は、緑と黄が複雑に混じった瞳を軍帽の女へ向ける。それを受け取った軍帽の女は、鍔を下げて目の前の女に告げる。

「……外で待つ」

 軍帽の女はそのまま足を進め、静かにテラス席から離れていった。

 フードの女——マルゲリータと呼ばれた女は、残りのピザを優雅に切り取っていた。まるで先程の約束をすっかり忘れてしまったかのように、味わいながら口に運んで行く。

ヘリコプター乗った事ないので感覚わからないです。

飯田橋は行った事があります。

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