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鬼之櫻子  作者: 犬神八雲
30/31

最終話 日本

最終話でございます。ここまでのご愛読、大変ありがとうございました。

拙作が読者の方にとって、少しでも面白いと思っていただければ、何よりの幸せです。

 小さな机が、整然と並んでいる空間。その机の上には制服を着た少年少女が座っており、皆一様に教科書や黒板を見ながら、筆記帳へ書き記していく。

「——以上が日本の『天使』、櫻・壱号の戦いになる。説明した通り、彼女は空白はあれど、20年近く我が国に尽力してくれた。君達の平和は、彼女の弛まぬ努力によるものだ」

 教師の男は、教壇に立ちながら教材として使っていた教科書を閉じる。そうして、両手を教壇の机に手を掛けると、彼は言葉を続けた。

「彼女の戦いは壮絶なものだった。『天使』という存在が、戦争の形を変えてしまったのは事実だけど、我が国を初めとした主要国は皆、1人の『人間』に国の命運を任せていた訳だ」

 彼はそこまで言うと、教室に居る生徒達と目を合わせながら、言葉を続けた。

「正直に言おう——そんな事は、あってはならない。僕は1人の日本国民として、『天使』という存在は間違ってたと考えている」

 生徒の目が、若干驚いたものに変わっていく。普段明るい教師の声色が、僅かに暗かった。教師は言い淀むように、時間を掛けて口を開く。

「……僕達は櫻号には感謝をしなければならない。でも、『天使』の存在は赦してはならない。戦争なんてもの、しないに越した事はないんだ」

 きっぱりと告げた教師は、黒板の方へ視線を戻す。教師は近くにあった黒板消しを手に取り、その文章の中にある「天使」と書かれた部分のみを消した。

「僕達に与えられた仕事は、『天使』の居ない世界……もとい、戦争のない世界を作る事。そしてそれは『天使』じゃない。僕達、人類の役目だ」

 教師は深い溜息の後に言葉を選ぶ。生徒はじっと、教師の口に注目していた。教師は微笑みながら口を開いた。

「無論、戦争のない世界は存在しない。それでも尚、僕達は諦めてはならない。せめて、彼女が命を賭して良かったと思える国でなければならない。……それが恩返しだと、僕は思っている」

 教師がそう告げると殆ど同時に、教室内に業間の鐘が鳴った。教師は一息を吐いた後に、教材達を手に取って生徒達に告げる。

「それじゃあ、今日はここまで。授業を終わります」

 背広の教師は手早く準備を終え、号令の後に教室を後にした。


「如月先生!」

 背広に身を包んだ教師は、廊下で呼ばれた名前に振り返る。名前を呼んだのは、先程授業を行ったクラスの生徒であった。

 彼は詰襟の学生服を身に纏い、それを着崩していた。教師は敢えてそれを注意せず、目の前の生徒に答える。

「どうした、何か質問?」

 如月と呼ばれた教師がそう問うと、詰襟の彼は前髪を持ち上げながら教師の彼に問う。

「さっきの話っす、櫻号はまだ生きてるんすよね?」

 生徒の言葉に、如月は口角を緩やかに上げながらその質問に答える。

「うん、まだ存命してる。アメリカの『天使』——ローズ号を討ち倒した後、きちんと日本に帰国してる……それがどうしたの?」

 如月は廊下の窓から差し込む暖かい光を浴びながらそう答える。生徒はその答えを聞くと、両の脇腹に手を当てがいながら、何かを企むような笑みで続けた。

「それについて先生に聞きたい事があって——」

 如月はその言葉に、首を傾げた。生徒の中でも特に熱意があるようには感じない彼が、わざわざ自分を引き留めて聞きたい事とは何か。

 如月の複雑な心情を他所に、生徒は明るい表情のままで問い掛けた。

「櫻号は今、幸せだと思いますか?」

 生徒のその質問に、ふと如月は考える。ずっと昔に、桜子と話した記憶が不意に蘇った。


 ——私は静かなところが好きなの。出来る事なら、2度と刀を握りたくない。


 如月は彼女の言葉を思い出した。春風のように淑やかでありながら、その根底には確かな苛烈さを秘める彼女の言葉が、妙に心に残っていた。

 如月は、優しい風に揺られて花弁を手放す桜を見、青い空に彼女を想う。

「幸せ……なんじゃないかな。きっと何処かで、花でも見ながらひっそり生きているだろうね。……喧騒から離れた、静かな場所で」

 如月の言葉に、生徒は納得したような笑みを浮かべる。そんな彼を見て、教師は少し湿っぽい空気を感じた。それを払拭する為に、彼は持っていた教材を手で叩き、口を開いた。

「さて。付いて来たってことは手伝ってくれるって事だよね?」

「げっ。話すタイミング間違えたかも」

 生徒と教師は、談笑しながら真っ直ぐな廊下を歩き始める。長い廊下を歩く最中、窓から春の光が入り込み、2人を静かに見守っている。


***


 優しく爽やかな風が吹く縁側にて、1人の少女が胡座で座っていた。少女は俯いて、眠っているようにすら見える。春の陽射しと、生命が伸びやかに息をする平穏な空間は、微睡むには充分な程暖かいものだった。

 紺の着流しに、薄墨色の羽織を身に付けた少女の膝の上には、黒猫が乗っていた。少女は柔らかな毛を持つ猫の背を、残っている右手でゆっくり撫でる。猫は春の空気に包まれ、すっかり少女の膝の上で寝ている。

 不意に、少女の瞑っていた目が開く。人が来たらしい。しかし少女は、縁側を歩いてこちらに向かって来る人物に対し、顔すら向けなかった。

 縁側を歩いて来た背広の男は、そんな少女の左隣に腰を下ろした。

「……覇気も牙もあったもんじゃないな。一瞬誰か分からなかったよ」

 少女はわざとらしい表現に対し、口は愚か声色すら全く変えることなく、隣に腰を下ろした背広の男へ言葉を返す。

「牙を向けようにも、相手が居ないもの。要らないものは抜け落ちて当然でしょ」

 少女は軽い溜息と共に、背広の男へ言葉を返す。男は答えに納得したらしく、縁側に座ったまま、目の前に広がる庭を見て少女へ問う。

「新居はどう? 前の家と比べて」

 男は少女の膝に乗る猫に視線を合わせる。少女は猫を撫でながら男の問いに答えた。

「広くて良いわ。それに近場には自然があるし、心地良いわね」

 不思議な程落ち着いたその声色に、男は若干違和感を感じた。前と声色が大きく変わっている訳ではない。しかし、底にあったかつての苛烈さが全くなく、まるで凪に似た優しい声色である事に驚いた。余程この生活が気に入っている——男はその声色をそう捉える事にし、縁側に手を突き、凭れる姿勢を取りながら呟いた。

「しっかし、君が片腕を斬り離して帰ってくるとはね。……もしかして焦ってた?」

 男の口調には、若干ながらも嘲笑があったように感じる。桜子は怒りも悲しみもせず、淡々と言葉を紡ぎ始めた。

「……昔の私なら、腕を喪うのに抵抗があったでしょうね。五体満足でないと戦えなかったから」

 桜子の脳内に、最期の『天使』の言葉が蘇った。傷を抑え、血を吐き出し、朦朧とした意識の中吐き出した、彼女の言葉。

【——どうして】

 桜子は無くなったはずの片腕から、妙な錯覚を感じる。まるで触られているような、握り込まれているような。桜子は錯覚の中で、静かに言葉を続けた。

「……ローズは、10年前の私しか見ていなかった、だから私はそこに賭けたのよ。私がもし10年前のままなら、腕を斬る……なんて選択肢は存在しなかったから」

 桜子はそう呟くと、静かに空を見上げる。どこまでも青い晴天を、狗鷲が横切っていた。自由に、囚われる事なく、空を舞っている。

「……まぁ、上手く騙されてくれたから良かったわ」

 桜子は視線を前に戻し、猫の額を指で掻いた。猫は目をきゅっと閉じ、膝の上で陽を浴びている。

「それで、官僚が何の用? もう私は貴方達とは関係のない一般人よ」

 少女の言葉に、男は驚いたような表情を浮かべて隣の少女に言った。

「冷たくない? 1年間一緒に仕事して来たのに……。あぁ、そんな事を言う為に来たんじゃないんだ」

 男は手に持っていた新聞の束を少女の目の前に差し出す。

「君がこの戦場から退いて、早3ヶ月。この世界は大きく変わりつつある。それを、君に見て欲しくてさ」

 男のきちんとした説明にすら、少女はとんと興味を示さなかった。男は顔すら向けない少女に呆れ、仕方がないので、新聞に書いてある事を読み上げる。

「フランスは民主共和制に変わっている。軍備は拡大中だが、今はこっちに手を出す様子はないね」

 ——鎧を纏った、騎士の彼女が浮かぶ。最期まで、国への忠誠を忘れていなかった。

「イタリアはヴァチカンとの連合を辞めた。ファシズムの再来がどうのとか内政もあったが、もう消えかけだし、今の体制を続けるだろう」

 ——黒いフードの、大鎌を背負った彼女が浮かぶ。呑気な性格で、最期を思い出したくはなかった。

「中国はもう大混乱だ。国史に残る内戦と反乱……政府は完全に国民と敵対してる。が、どうせ治まるし、中共は変わらないだろうね」

 ——マンダリンドレスの、棍を持った彼女が浮かぶ。好ましくはなかったが、自分が手に掛けた内の1人だ。

「ドイツはナチスが崩壊した。けど、どうやら共和制と社会民主で揉めてるらしい。どうなることやら、ってやつだな」

 ——軍服を身に纏った、両手剣の彼女が浮かぶ。忠誠と仲間への情に厚い、どこまでも軍隊を思わせる規律的な人格だった。

「ロシアは混乱と内戦で荒れまくりだ。あっちはまだ冬ってのもあって、環境が酷いらしい。元祖の共産主義は斃れるんじゃないかな」

 ——灰色と包帯が特徴的な、籠手の彼女が浮かぶ。狂気と拳に生きた、血の匂いが取れない獣のような女だった。

「イギリスが1番まともだな。まぁ、王室が無くなってないから、国の根幹は何のダメージもない。長いものに巻かれてるし上手いこと逃げてるんだろうな」

 ——コートと金髪が華麗だった、杖の彼女が浮かぶ。紳士社会で培われた上品さと、自分に対する忌避と嫉妬を見せた、風変わりな人物だった。

「……で、最後だな。大国アメリカ様はあっという間に回復した。ある程度の軍事技術も共有させて、日本への手出しを出来なくさせるしか、今はない。でも、いずれ報復は来るだろうな」

 ——修道服と翠の目をした、銃の彼女が浮かぶ。凡ゆる意味で、自分と最も遠い所にいた。何をしたかったのか、何が目的だったか、分かったはずなのに、理解出来なかった。

 ——すべて、自分が手に掛けた人達だ。大国は、その命運をたった1人の人間に背負わせていたという事実と、それを背負った彼女達をこの手で全て葬ったという事実の再確認に、少女は呆れたような表情を浮かべた。

「……で、その報告が何かあったの? 私は契約を果たしたわよね」

 男は新聞を折り畳んで懐に仕舞った後、溜息と共に口を開いた。

「うん、君は契約を果たした。だから今の報告は、君はすべての『天使』を葬り、無事に国防省からの首輪を食いちぎった、という確認だ」

 少女は興味のなさそうな顔色で、男の話を聞いていた。そうして、つまらないといった具合の相槌を打つ。

「……改めて、君がここまでやってくれた事に心から感謝する。契約通り、俺達国防省は、君の世話役の人間以外は君と関わらない。そして君は、これから『櫻・壱号』ではなくなった」

 男はそう言って、縁側から立ち上がる。黒い背広は、光を集めるようですっかり暖かくなってしまっていた。

「——国防省一同を代表して、2度と君と会わない事を心より願っている」

 男はそう呟くと、少女に背を向けて縁側を歩き始めた。

「さらばだ、『桜子』。君の息災を祈ってるよ」

 男の足音は、どんどん遠くなっていった。直に、玄関の引き戸が閉じる音が家屋の中に響く。

 再び、桜子の耳には春の優しく麗しい音が入ってきた。先程のたった数会話にすら、桜子は僅かな疲弊を感じていた。本当の意味で、自分が弱くなったのだと感じる。

 ——すべての戦火から、たった3ヶ月程しか経っていない。平和と慣れとは恐ろしいものである。『天使』が居なくなれば、当然だが自分は用済みとなる。そうなれば、後は契約した通り平穏な生活を享受出来る……。

 そんな生活が、3ヶ月目に入ったのだ。殺伐とした空気も、いつ切られるか分からない火蓋も、刀を握る自分の存在も、自分には合わなかった。

 最初の1ヶ月程度こそ、何の通達もない状況に不安と喜びを抱いていた。しかし今となっては、通達が来ない事に慣れてしまっている。

 ——正に晴耕雨読といったような、全く以て不自由ない生活であり、桜子が夢見た「平穏」だった。確かに、ここは片田舎で確かに不便だが、暮らすのには苦労しない。帝都のような騒がしさもなければ、忙しさも感じない。

 ただ静かに時が流れて行くのを感じる事が出来る。余生を過ごすには、充分過ぎる住まいであろう。

 桜子は静かな縁側で日を浴びながら、膝上の猫の背を撫でる。ふと、猫の身体の上に花弁が舞い落ちた。切れ込みの入った、薄い質感のそれを認めると、桜子はふと顔を上げる。

「……今まであまり好きじゃなかったけど、やっぱり綺麗ね」

 ——家の庭に植えられた、小さな桜の木。その花びらが、春の風に揺られ、飛ばされていたようだった。

「桜子ちゃん、お団子食べる?」

 後ろから、世話役の者の声が聞こえた。桜子は振り返る動作と共に、世話役の彼女へ答える。

「ありがとうございます」

 縁側を歩いて隣に座った彼女と共に、桜子は景色を眺める。桜特有の微かな甘い匂いが、自分の鼻を掠めた。


 淡い色の花弁が、風に乗せられて青い空を緩やかに横切っていった。春は安らぎの中で、穏やかに息をしている。

 ——それはまるで、桜の名を冠した自分のようであった。

という訳で『鬼之櫻子』、無事完結となりました。

元々「30話前後で収まるやろな」と思っていたら本当に30話で収まったので、めちゃくちゃびっくりしてます。


さて、桜子の物語はどうだったでしょうか。

きっと彼女は、己に2度と来ない戦火に目を瞑りながら、庭に生えた小さな桜を毎年見ていることでしょう。膝に猫でも乗せて、何も変わらない日常を噛み締めながら、ひっそりと日本の何処かで息をしている。私はそうであって欲しいと願っております。

役目を終えた彼女は、1人の少女として縁側で春を待つことでしょう。

毎年桜を、少しずつ好きになりながら。

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