第二十八話 亜米利加
ギリセーフ‼️‼️‼️
「貴女の為ですよ、サクラコ」
目の前の修道女は、笑顔を絶やす事なく腕を広げながらそう言った。
——光に晒された、淡く美しい金髪。まるでエメラルドを嵌めたかの如き碧眼に、人形じみている整った顔立ち。空間の中に、ブーツが床を叩く硬い音が響いた。金髪の女は修道女達を掻き分けて、その先頭に立つ。
「……どういう意味、かしら」
桜子は先頭に立っている修道女に問い返す。怒りを抑えつつ、呼吸を整える為に、言葉の最中で息を吸う。
「簡単な事です。私はこの戦いで、貴女を本気にさせたかった」
桜子の耳に入ってきたその修道女の言葉は、思考を停止させた。教会の中に、それらしい沈黙が走る。修道女は理解の及んでいない相手に対し、諭すような口調で続けた。
「私は本気の貴女と戦いたいのです。けれど、貴女は単なる決戦では本気を出さないし、出そうともしない……」
碧眼の修道女は、人差し指を前に差し出し、桜子の刀——両手に持った、雲絶とは異なる赤い2振りの『暈』——を示す。
「事実、貴女がその赤い刀を誰にも使わなかった時点で、誰の相手も本気でなかったのでしょう? ——あのパトソルチェでさえ。だから貴女は、片目を喪った」
修道女は指を桜子の眼帯へ差し、表情は微笑みから無表情に変わっていた。しかし次の言葉の時には、微笑みが戻っている。全く読み取れないその表情に、桜子は心の騒めきを感じた。
「けれど、貴女はその2本を手に取った……私と戦う為に。それは勿論嬉しいですが、それではまだ足りない」
彼女は指を下ろし、言葉を続けた。慈悲深い微笑みのまま、優しい声色で。
「10年前の貴女に在って、今の貴女に無いもの……それは、怒りと悲しみです」
修道女の言葉に、桜子は思わず聞き返した。
「……はぁ?」
「そのままの意味ですよ。貴女にはかつて、矛先のない悲怒があった。それを糧に、貴女という『鬼』は目を覚ましたのです」
修道女はそこまで言うと、声色を落として言葉を続けた。
「しかし、10年という月日がそれを変えてしまった……貴女はかつての強さを忘れ、平穏に身を置いてしまったでしょう?」
修道女は手元にある銃を見ながら、桜子の目をじっと見つめて言葉を続けた。
「つまり、私はまた焚き付けたかったのです。貴女の根底にある、その黒い感情を。だから用意したのです——」
ローズはそこで言葉を止め、後ろを振り返る。桜子に背を向けた状態で、声高らかに告げた。
「——この敵にすらならない有象無象の少女達を、ね」
桜子はそれを聞いた途端、湧き上がる怒りに眉を顰め、刀の柄を強く握り締めた。
「皆快く受けてくれましたよ、私の為だと。彼女達は私の為に、私の指の一端を食べ、そして散りました」
修道女は滔々と語る。桜子はそこで、自分の全身にこびり付いた血の意味を理解した。過呼吸の中で、彼女達の表情が閃光のように蘇る。
「確かに、『天使』を身体に取り込めば、肉体は強化されます。しかしそれは一時的なものに過ぎず、効果が切れれば反動で身体は使い物にならなくなる。それに、何より『貴女』を相手取る訳ですから、彼女達に戦闘的な役割はありません」
修道女はそこまで言って、桜子の方へ向き直った。
「つまり、彼女達の役目は、貴女に人を斬る悲しみと、『天使』に対する怒りを思い出させる為——」
桜子はそこで歯を喰い縛りながら、目の前の微笑む悪魔を見た。鮮血の如き瞳と目が合った修道女は、思わず口元を大きく緩めて恍惚とした表情を浮かべる。
「あぁっ……!そう、それです!サクラコ!貴女のその顔が見たかった!私に全てをぶつけるような、貴女の殺意に満ちた可愛らしいその表情ッ……!」
修道女は頬を赤らめ、噛み締めるような表情を浮かべた。その表情はまるで、崇高な存在を見ているような、はたまた恋慕の感情を抱いているかのような表情に近しいモノだった。悪魔の修道女は言葉を続ける。
「やっぱり、貴女は素晴らしい!貴女は悲怒の中で最も美しく咲く!その顔が、その顔だけが!私がこの10年生きてきた理由なのです!」
教会内に響いたその言葉を耳にした桜子は、糸が切れたかのように声を張り上げる。
「ふざけるな……!ふざけるな!!!」
刀を握り込む擦れる音が響く。呼吸も人のそれではなく、獣に似た荒々しさを見せる。真っ白な教会の中で、桜子は遂に怒りを爆発させた。
「そんな事でッ!人の命を踏み躙ったのか!? ふざけるな、ふざけるな!!ローズ!!!」
桜子は激怒した。必ず、かの笑裏蔵刀な薔薇を狩らねばならないと、刀を握った。
真っ黒な装束に、荒れ狂う嵐の気概。赤いと錯覚する程怒りを放つその姿は、正に——。
「ありがとう、サクラコ!私に、その表情を向けてくれて!私の為に、鬼に戻ってくれて!!」
——『鬼神』で、あった。
「さぁ!戦いましょう!!」
ローズは腕を広げ、桜子と対峙する。悲しみと怒りを抱えた少女とは裏腹に、とても楽しそうに。無邪気で残酷な笑顔を浮かべて、怒り狂う桜鬼を見つめている。
桜子は力の限り刀を握り込み、ローズに視線を合わせる。そのまま、彼女は地面を蹴り上げて、持っていた両手の刀を振り上げる。
地面を蹴り、桜子は教会の中を進み始めた。それと同時に、ローズの前に彼女の傀儡達が立ちはだかる。——彼女達はもう人間ではない、人形だ。ローズという支配者によって操られている人形だ。私は人を殺していない、人形を切るだけだ。だから、この刀を私がふるうのは、今の最善手なのだ。——桜子は、そう考えるだけで精一杯だった。
桜子は目の前に現れたローズの人形に対して、刀を振るう。人形は桜子が刀を立てると同時に、身体が若干肥大化した。桜子はそれに本能的な危険を感じ、目を閉じて止まってしまった。
——瞬間、破裂音に近しい音が聞こえる。桜子が目を開けると、そこにあったものは脚だけで立っている体だった。上半身はどこかに消えたのか、どこにも見当たらない。
桜子は、鮮やかな赤を忘れる為に、必死に瞬きをする。自分の服に付着した肉片と、顔半分に掛かった生温い血に気付いた。
「流石です!あの近距離で私の爆発に対応出来るとは!」
その言葉と共に、桜子はこの肉片の意味を察した。
「は……?」
『これ』は、人を爆発させたものだ。取り込ませた指を起爆剤に、従えた者を爆発させている。
桜子はその事実を理解して、1歩足を踏み出した。顔にこびり付いた血液を拭いながら、深い呼吸と共に隻眼で前を見る。銃口が数多に向けられ、皆一様に自分を敵だと思っている。たった今目の前で仲間が爆殺されたのに、相変わらず敵は自分なようだった。
(……そうだ。私が、『敵』なんだ)
桜子は深い絶望と共に、ようやく覚悟を決めた。赤い刀を握り、向けられた敵意達と相対する。
「ローズ、それと貴女達。私が甘かった、私が間違ってたわ……」
桜子のその宣告に、ローズは微笑みを深くした。心臓が高鳴る。手が震える。自分が生きて来た全てが、やっと姿を現すのだ。
「——掛かって来なさい」
赤い隻眼が、皆の姿を捉える。小柄な少女から放たれているとは思えない、その真っ黒な空気に、この場の空気が自分達のものではなくなり、一挙に変わった事を悟る。
銃を向けていた1人が、流れ始めた黒い空気に怖気付いて脚を引いた。静かな教会に響いたその摺り足の音に、桜子は言葉を放つ。
「下がるな。戦の最中で、足を下げるな」
黒装束の少女は、両手に持った刀を広げて、低い声色のまま告げた。
「格の違いを、思い知らせてあげるわ」
桜子はようやく覚悟を決めた。人を斬る覚悟を。己を忘れる覚悟を。血みどろの中に捨てた、かつての自分を取り戻す為の、覚悟を。
桜子に扇動された修道女達は、持っていた銃口を桜子に向けたまま、ローズを守る形で前に出て、発砲を開始した。桜子は発砲による閃光を認めると、その場から音もなく離脱した。
修道女達が瞬きをした僅かな間に、桜子は彼女らの目の前に現れていた。漆黒に身を包んだ何かが、赤い揺らめきを見せて過ぎ去って行った。
——その次に見えたのは、真っ赤な鮮血に染まった自分の服だった。
修道服の白い部分に、友人の血が滲む。黒い閃光は、浴びる血をお構いなしに自分達を切っていく。
止まる事なく、ひたすらに刀を振るっている。恐怖と使命感に駆られた修道女達は、訳も分からず目の前の怪物へ突っ込んで行った。桜子は自らに近付いて来るローズの傀儡達を、全て切り伏せていく。
桜子は自分の思考が、静かに停止していく様を感じていた。刀を握る感覚と、迫り来る感情だけを鮮明に感じる。恐怖と勇気。彼女達は、自分を恐れている。桜子はそれを認めると、表情を険しくして刀を振るう。
一太刀を入れる度に、鮮血が教会の壁や天井に飛び散っていった。鋭利な刃が、まるで絹の如き滑らかさで動いて行く。血を乗せた刀身が、弾けるように壁へ痕を描く。
柔らかい豆腐のようだ。今斬り伏せた物が、果たして命なのか物体なのか、分かりたくなかった。桜子は手に残る不愉快な感覚を忘れる為に、目を伏せながら刀を振るう。
——ある者は桜子の胸に銃口を当て、引き金を引こうとした。しかし、引き金を引くと同時に、自分の首に刀が置かれた感触があり、目線の下に血溜まりが出来ているのを認めた。
ある者は桜子の後ろに立ち、構えた銃を心臓に向けて狙いを定めた。しかし、持っていた銃を腕ごと、加えて上半身を斬り伏せられ、教会の白い床に血が飛び散った。
ある者は桜子の近くに潜り込み、目線の端から桜子の顔辺りに狙いを定める。しかし、桜子はそれを目の端で認めると、目線すら合わせずに刀を振るう。
ある者2人は桜子の刀を銃で伏せ、もう1人が桜子の額に銃口を近付ける。しかし、桜子の額に鉛弾が当たる事はなかった。桜子は引き金を引かれるより前に喉を突き刺し、横に居る刀を抑えた相手の喉を刃で撫でる。
ある者は仲間を斬り捨て続ける黒い怪物へ、勇敢にも銃口を向けて発砲した。しかし、その銃弾が撃ち抜いたのは怪物ではなく、見知った仲間であった。その直後に、怪物が自分の背後で刀を振り上げている事を彼女は察した。
高速で動く黒い閃光には、自分達の弾など掠りもしなかった。排莢された部品が床を叩く音に、彼女達の断末魔が掻き消される程度には。桜子に向かっていった修道女達は、皆恐怖と共に散って行った。
刀を振るう刹那。髪が揺れる刹那。袖が棚引く刹那。その動作にすらならない僅かな合間に、彼女達は斬り捨てられて行った。『天使』と人間の差は、考えるまでもなく圧倒的である。
桜子はようやく立ち止まった。目の前に現れる修道女が居なくなった為に、『暈』を振るう理由が無くなった故である。目下に幾体もの死体が転がっていた。その全てに刀の斬痕があり、桜子はその感触を全て覚えていた。生臭い淀みの中で、桜子は血塗れになった手を見つめる。
——全て、自分が殺した。紛れもなく、自分が殺したのだ。手が、服が、刀が、それを物語っている。
重く濡れている身体が、取れない穢れとして自分にこびり付いている。桜子は深い溜息と共に、持っていた刀を地面に下ろした。
「……素晴らしい、なんと、素晴らしいのでしょう」
血の化粧を纏った桜子に対し、ローズは大きく拍手をした。血が壁や床に飛び散った教会の中で、2人の『天使』が相対していた。
「良い物を見させて頂きました。血を纏い、刀を振るう貴女はとても美しかった……」
ローズは正しく心酔と言った具合の表情で、桜子へ視線を合わせる。微笑みを決して絶やす事なく、目の前の少女の方へと歩みを進める。
「やはり、貴女に期待して正解でした。このショーを見る為に、私は10年間を過ごしていたのでしょう……」
ローズはそう言うと、背中に手を隠す仕草をした。その状態で、背に付けていた2丁の拳銃を取り出し、それを手の内で回しながら言葉を続けた。
「最後は私が相手です、サクラコ。思う存分、私に思いをぶつけて下さい」
桜子は浅い呼吸の中で、脇差から垂れる血を振るった。そのまま、逆手に持ち替えたそれを納刀し、両手で赤い打刀を横に構える。
「あ、すみません、少々お待ちを……」
ローズはまるで、服装を整えるかのような口調で、自身の碧眼に銃口を向けた。その直後に、教会の中に乾いた破裂音が響いた。は全く痛がる様子も見せずに、止め処なく溢れる血を抑える為に片目を閉じ、赤い涙を見せて微笑んだ。
「これでお揃い、ですね」
ローズは狂った笑顔のままで、桜子に向かって歩き始めた。その状態から、ローズは右手を持ち上げて銃口を桜子へ向ける。
——刹那。今までの修道女達の弾丸とは比べ物にならない閃光が、桜子の視線に入る。桜子は両手に持っていた刀を振り、放たれた弾丸を斬り捨てた。
その瞬間、桜子は全身が粟立つような寒気を感じると同時に、その場から即座に離れる。
その寒気は、全く以て正確であった。弾丸の雨——正に弾幕が、桜子の元いた場所へ放たれており、その後ろにまだ続いている。桜子は瞬時にそれを察して、ローズの方へと突進する。
銃の引き金を引かれるより前に右手を弾き、肩近くに刀を振るう。入り込んだ刃を感じ、桜子は刀を引き斬るように動かした。ローズはその瞬間に、弾かれていない左手の銃で桜子を3発程撃ち抜いた。
肩に入ったその3発に、桜子は膝を折りながらも、反骨の赤い目をローズに向けたままだった。
「うん!痛みは直で感じるに限りますね!」
ローズは斬られた肩辺りを見ながら、楽しそうに微笑んでいた。桜子は舌打ちしながら立ち上がり、前傾姿勢でローズの方へ走り出した。ローズは銃口を桜子に向け、突進に近い速さの彼女へ引き金を引いた。
連続で5発程。桜子の動きに合わせて、ローズは弾丸を放つ。空を切る弾丸の軌道に、桜子は刀を振るい、先置きされた弾丸を斬り捨て、教会の床へ転がった。
前転と同時に床から飛び上がり、身軽に床を蹴って、宙にふわりと浮く。桜子は髪を纏いながら、身軽さと共にローズへ刀を振り下ろす。
ローズはその刀を銃で受け止め、それを弾き返した。その姿勢のまま、片手の銃を桜子に向けて引き金を引く——刹那に、桜子は銃を蹴って上へ軌道を逸らす。
——天井の硝子が割れる音と共に、桜子は床と接地し、ローズから距離を取る。砕けた硝子の破片達が地面に落ち、甲高い音を奏でた。
「ふふっ。私、とっても楽しいです。サクラコ、貴女はどうですか?」
たった今起こった刹那のやり取りに、ローズは笑みを溢す。桜子はそれに対して、強い嫌悪の表情と共に答えた。
「楽しい訳ないでしょ」
「……残念です」
桜子の回答に、ローズはあからさまに気分を落とした声色で答える。その状態で、ローズは銃口を再び桜子に向けて引き金を引いた。
——発砲音の直後、硝子が破裂する音が聞こえた。集中が削がれた瞬間に、桜子は複数方向から来る弾丸の気配を感じ取った。
桜子は焦燥と共に刀を握り、静かに振り上げてその場を蹴り上げる。放たれた弾丸を斬り捨てローズのすぐ側まで接近すると、桜子は空を切りながら刀をローズの首元へ突き刺さった。
——首元から、ローズの血液が流れる。ローズは当てがわれた刀に、銃口を向けて引き金を引く。
弾丸と刀身——金属が弾かれる音と共に、桜子の腹部へ鈍い衝撃が走る。鳩尾を蹴られた桜子は若干距離を取り、ローズの首を見る。
「……ふぅ。体質に助けられましたね」
ローズの斬られた傷は、あっという間に塞がれていった。いつの間にか、肩の傷も塞がっている。
「まだまだですよ、サクラコ!時間は飽きる程ありますから!」
ローズは両手を広げて、微笑みながら声高らかに告げた。桜子はそれを見て、深い溜息と共に静かに答える。
「……何様だよ」
桜子は静かな声色で刀を握り締め、ローズを睨み付ける。
——優しく揺れる黒髪と、血で染まった白い肌。それは私が夢見た、私の為の景色だった。10年振りに逢った時から、私は貴女の『この姿』を見たかったのだと、心の底から改めて感じる。
貴女が持つ全てを、私にぶつけて欲しい。その憤怒に満ちた瞳も、悲痛に歪んだ口元も、私は愛している。貴女が鬼として恐れられていた『強さ』が、そこに全て詰まっている。私は貴女のその顔を見たかった。苦痛の中で憎悪の炎を燃やす、貴女の泣きそうな顔を。あの時の戦いを、10年前に味わったあの2日間を再現する事だけが、私にとっての全てだったから。
貴女は唯一、私と渡り合えた人だった。でも、貴女はやり場のない怒りと悲しみを抱え、それを掻き消したいが為に、刀を振るっていた。貴女の感情は分かる。けれど、貴女がどうして、悲しそうな目をしているのかは分からなかった。
だから、私の事を貴女がそんな風に見てくれたのは、私にはとても嬉しかった。貴女の視界に、私はちゃんと居る。私の方を見てくれる。そうだ、私はどんな形であれ、貴女にその目を向けられたかったのだ。私は最初から、貴女と戦う事しか考えていなかった。貴女の最期の相手になりたかった。全てを殺し、全てを歩んできた貴女の目の前に立ちたかった。貴女が1人ずつ『天使』を殺す度に、貴女が悪をその刀で捌く度に、私は嬉しかった。
貴女が平和で居たいように、私は貴女と戦いたかった。
——私を愛してください、サクラコ。
あと2話で終わりってマジですか?




